ゆきごおり | ばるのブログ
 
 
 古びた電灯だけが一つ、この場所を照らしていた。
 熟しきった果実のように危うく、その実を落としそうになりながらも、チラチラとまたチラチラと。
 最後の余力を絞るようにして照らすのは、街の灯りも届かぬ雪の浮島。
 とても頼りない灯りではあったが、止んでいた雪が降り出して、少しだけまた明るくなった。
 雪と電灯とそれに照らされる錆びついたベンチと白々くどこか青味もともなって闇に浮かびあがる、それだけの空間にもう一つ。もやのように、影のように少女が一人現れる。
 ベンチに座った少女は、何をすることなく手のひらに舞い落ちる雪を眺めていたが、ふと顔をあげ電灯の方に目をやるとそのまま固まった。
 少女の見つめる先、電灯の下にまた一つ加わる、うっすら佇む影。少年の姿がそこにはあって、彼の透ける体に、
見てはいけないものを見てる気がする。とは思うものの目を逸らせずにいる。
 しばらく少年と見つめ合う恰好になったが、灯りが途切れ、次に灯りが点いた時、少年の姿は消えていた。
 かと思うと、すぐ背後で気配を感じる。
 恐る恐る後ろを振り向くと、先ほどの少年が、少女の顔のすぐ傍で三日月を寝かせて笑っている。
 蛇にでも巻きつかれたような気がして、少女はヒッと小さく声をあげる。
「良かった。気付いてくれたんだね?」と少年は少女の横に腰かけ、何やらコンビニ袋の中身を漁りだした。
「き…気付きますとも…」
 幽霊にコンビニ袋と、やけに生活感溢れる幽霊に少々たじろぎながらも少女は答える。
 少年は袋からカップ麺のような容器を取り出して、プラスチックの蓋を開けた。ほんのりとダシの香りが漂う。
 おでんか…。
 優しく嗅覚を刺激してくる懐かしき香りに、少女は少しだけ警戒心をゆるめた。
 おでんなんて食べたのは何年前のことだったか。何処でだったか。誰と食べたのか。
 おでんを取り巻く状況は思い出せないが、とても美味しかったものには違いない。冷え切った身体も心も温かくしてくれるような食べ物だった。
 少女は特におでんの中身を見ることもなく、そんなことを思う。
  
 パキンと音がして、少女は少年の方に顔を向けた。
 少年は適当に大根やらちくわやらを転がしながら何かを考えてるようだった。
 どれから食べようかとでも考えているのだろう。そんな彼の転がしている具を見つめていると、割りばしの刺さった卵が少女の前に差し出された。
 少年は無言で首を傾げる。
 差し出された卵、いかにも醤油味の堂々とした色づきに、
「…セブンイレブン製ですか?」と確認の意味で少年に尋ねた。
「あたり」よくわかったねと驚いたフリをしながら少年は笑みを浮かべる。
 少女は差し出された卵をしばし見つめていたが、「いらない」と小さく首を振った。
「いらないの?」と少年がまた首を傾げ、コクリと少女は頷く。
 ふうんと少年は自分の眼前に戻した卵を割りばしが刺さったままくるりと一周させてからそのまま丸飲みする。いや、丸飲みとまではいかないか。卵は何とか口の中で留まっているようで卵の形がわかるくらいに彼の頬が膨らんでいた。
 喉に詰まらせなければいいけれど。そんな少女の心配をよそに、少年は次々と他の具に割りばしを突き刺してゆく。
 箸の使い方も知らないようだった。少年とは言っても義務教育をとうに終えてそうな年には見えるのに。そんなフォークのように箸を使うのであれば、割りばしを割る必要もないものを。
 無事、おでんを食べ終えた少年は、次に袋からデザートの苺大福とフォークを取り出した。
 最初からフォークで食べれば良かったのにと思う少女の方に、今一度少年は顔を向ける。
「ああ…、私はいいですから…。気にせずお食べ下さい」手振りを加えて遠慮する。が、少年の横に置いてある、おでんの空容器を見つけると、少女はそれを指さして言う。
「良かったら…、そのおでんの蓋とそのフォーク、貰えませんか?」
「え?これ?」
 苺大福を今にも突き刺そうとしていたフォークを止めて少年は一応考えるフリをしてみたが、「いいよ」とあっさり少女に渡した。
 少年からフォークを取り上げることになってしまったが、箸をフォークのように使える少年だから問題ないだろうと少女はさして気にせず、あたりを見回す。
 なるべく誰も踏み入れないような場所を探した。
 ベンチから少し離れてある木々の裏に、雪で小高くなった所があった。
 おでんの蓋とフォークを使って、小さな雪山のてっぺんを削りとる。
 蓋にのっかった小山をそっと揺らした。何故かそれを少女は愛しそうに見つめ、
 そもそも、苺大福って何を使って食べるんだっけ?なんてことを考える。

「ほんとは、砂糖とかあったらいいんだけど」少女は蓋の小山を整えながら言う。
「雪?」蓋にのっかってる小山を見て不思議そうに少年は言う。そんなものを蓋に乗せてどうする気だとでも思っているのだろう。
 だから少女は『ゆきごおり』と説明してやる。
「ゆきごおり…」少女の言葉を復唱すると、一旦、少年は宙を見て「まあ…、雪は氷みたいなもんだよな…」とか呟いている。
「それで、それ、どうするの?」
「食べるの。もちろん」
「食べるの?」
「食べるの」
「食べるの?」
「食べるの」
「食べるの?」
「食べるの」
 少年の執拗な問いに少女は「都会っ子だよなあ…」とため息をつく。
食べるの?という短い問いには、そんな地に落ちてるもん食べるなんて信じられない、やめときなよ。という意味合いが含まれている。
 でも、まあ、積もった雪を見ることなど一生から見ても数える程しかない、今時の都会っ子としての反応はこんなもんなのかもしれない。むしろ、地に土足で氷や汚水に慣らされる雪は、何となく汚いイメージで、雪だるまや雪合戦も思いつかないし、白銀の世界などおとぎ話だとでも思ってるのかもしれない。
 それにしても、白銀の世界とまでいかなくとも、地を隠すくらいには積もってるんだから、このめったにないイベントに、もっと何か、騒ぐなり浮かれるなりしたらいいのに。
 だいたい、吹雪とまではいかなくとも、この降雪の中、このチラチラ電灯の下、傘もささずにおでんを食うとかって何?落ち着きがあるにも程があるだろう。どこまで都会っ子なんだ。と都会っ子であるかもしれない少年を少女はちょっぴり寂しく思う。
「大丈夫だよ。ちゃんと誰も踏み入れてない、積もったばかりの綺麗な所からとってきたんだからさ」
 本当に都会っ子かどうかは知らないが、少なくともノロウイルスの心配をしてるであろう少年を安心させるために、少女はこの雪は安全であると雪の入手経路を添えて教えてやった。
「てゆうか、寒くない?」少年がやたらと口の中をアンコでネチャネチャさせながら言う。
 食べるの?という短い問いには、寒くないですか?という疑問と少女に対する気遣いも含まれていたようだ。
 そうとは知らず、想像力皆無の都会っ子なんてレッテルを貼ってしまって申し訳ないなと少女はちょっぴり思う。
 コクコク頷く少女に、少年は「ふうん」とか言いながらコンビニ袋の中身を漁っては次々と自分の横に買ったと思われる商品を積んでいく。
 少年は今も漁り続けていて、まだ商品を取り出すつもりなのだろうが、とりあえず今積まれている一番上の物は、ハンドクリームだった。
 <温感>という文字が見える。裏に書いあると思われる説明書きは、ここからでは見えないが少女は想像する。
 きっと、トウガラシとか東洋の漢方系エキスとかが入っていて、それを適量手にとって塗り込むと手を温めてくれるのだろうな。それでもって、間違った使い方をした場合の対処法もちゃんと書かれてあり、結局のところ、直射日光のあたるところを避けなければならないし、高温になるところにも置けないのだろう。
 そのハンドクリームの下にあるのは、本のようだった。蜻蛉日記とか書いてある。蜻蛉日記の上には小さな文字で新潮日本古典集成と。どうやら新潮社が発行しているらしいが。
 確かに、日本の古典を語る上で蜻蛉日記ははずしてはならない作品なのだろう。
 でも、ふらっと立ち寄ったコンビニで売ってるようなものなのかな。そして買うものなのかな。
 少年はやたらと蜻蛉日記を凝視してる少女に気付き、蜻蛉日記を手に取り少女に渡してやる。
 それを渡された少女、両手で重さを計るように持ってから裏返してみる。
 定価2600円。
 なかなかのお値段のようだ。本も傷まないように、丈夫な包装箱に入れてある。
 中身は興味がないので、わざわざ出す必要はない。
 少女は本を少年に返し、ゆきごおりを手にとる。
 少年の横にまた新しく商品が積まれた。
 
 今年のカレンダー。
 一体今日をいつだと思ってるのか。
 
 カラーコンタクト。ただしペット用の。
 
 T字帯。ただしペット用の。
 
 Yシャツ。ただしペット用の。どのような動物でどのようなファッションにしようとしているのかは、ここからではちょっとよくわからない。
 
 マグロの目玉。きっと何かの呪いに使うのだろう。
 
 知らないカップルの写真。きっと何かの呪いに使うのだろう。
 
 穴あきおたま。きっと何かの呪いに使うのだろう。
 
 赤ペン。きっと何かの呪いに使うのだろう。
 
 のり。手紙の封を止めたりとかするのり。きっと何かの呪いに使うのだろう。
  
 カップ麺。きっと何かの呪いに使うのだろう。
 
 さっきから黙ってれば、少年は想像だにしないものを次から次へと出してくる。
 そのコンビニ袋は四次元ポケットにでも繋がってるのだろうか?
 でも、どうせ出すなら、たけこぷたあとか、どこでもどあ♪とか夢のあるものにしてもらえれば、私だってもっともっと反応のしようがあるものを。少女は思う。
 少年はまだゴソゴソ袋の中を漁り、「あれー?」とか「おかしいな…」とか呟いている。
 少女は視線をゆきごおりに戻すと、フォークで小山をそっと突いて崩した。
 何かを形造ろうとしては、諦めて元の小山に戻す。そしてまた崩す。優しく。哀しげに。愛しげに。何かを形造ろうと、何かを思いだすように。
 
 それから、ほんの少し、時間が経った。
 おでんの蓋にのっかっていた山も何処かに消えてなくなり、わずかに残った雪も蓋の上できらきらと別の何かに形を変えゆこうとしていた。
 透明な蓋から透けて見える文字を削るようにして残る雪をかき集め、灯りへと掲げる。
 少女はそれに雪の結晶を見つけた。月さえも浮かばぬ夜に、それは青白い輝きを放っていた。
 コンビニ袋を漁り続けていた少年が「あった、あった」と何かを取り出しながら言う。
 ビリビリとシールを剥がすような音がした。
「ちょっと早いけどな」
 少年は何枚かある紙のようなものから一枚を抜き出し、表と裏を確かめてから少女の前へと差し出す。
 まだ宛名の書かれていない葉書だった。裏返すと、キティちゃんが蛇に巻きつかれて途方にくれている。
 年賀状だった。ちゃんとお年玉つきである。
 少女は何となく微笑み、困っているキティちゃんをじっと見つめる。ただただ見つめる。
 その間少年は、さっきの直射日光を避けなければならない温感クリームを適量、透ける手に丁寧に塗りこんでいた。本当に生活感溢れる幽霊だ。
「冷てー」という少年の声に少女はビクリとした。少年を見上げそして勘づく。
 少年はベンチから腰を浮かすと、口の端をゆがめ自分の尻あたりをつまんでいる。びっしょりと雪で濡れていた。
 おしゃべりの時間はもう終わり。
「さてと」行くかとベンチに取り残されていたコンビニ袋を手に取ると少女の顔を見る。
「もう、行っちゃうんだ?」少女が寂しそうに言うと、
「また会えるよ。いつかね」といいかげんなことを少年は言う。
 手をひらひらさせながら少年は背を向けると、ゆっくりと歩きだしやがては闇の中へと消えて行った。
「わかっていたけどさ」少女は呟く。
 あの少年が消えていった闇の向こうに自分が行くことはない。
 ずっと、ずっと、ここに居るのだ。
 ずっと、ずっと、ここに居たのだ。
 いつからここに居たのか、いつまでここにいる気なのか、自分が浮遊霊なのか地縛霊なのかさえも知らない。成仏の仕方だって教えてもらってない。
 ただただここに居て、ただただ一人でここに。
 それは何年経とうが、十二支がいくら世代交代を繰り返そうが変わらないコトで。
 
 だから。

 宙に浮いていたプラスチックでできた食器が積もっている雪へと崩れ落ちた。
 少女は、少年のつけた足跡を辿る。その先には行けなくとも。少女は思い出していた。

 あの生活感溢れた幽霊の少年を。

 箸の使い方も知らない少年を。

 想像力皆無の都会っ子な少年を。

 人を呪おうとしていた少年を。

 ノロウイルスの心配をしていた少年を。

 見知らぬ少女に年賀状をくれる優しき少年を。

 
 もしも。 

 もしも、少女が怨霊とか呼ばれる悪しき幽霊であったなら。

「首を絞めてでも、一緒にここに居てもらってたのかなあぁあ」
 
 涙なんて出ない。この寒さで凍り付いてしまった。でも震える声で言う。その声はすぐに冷たい風にさらわれてしまったけれど。

 あの少年が声をかけてくれた時は嬉しかった。
 この公園の片隅に居ることしかできなかった少女に、居ると言うことさえあやうい少女に、少年は話しかけてくれた。
 おそらく、少女が幽霊とかいうものになってから初めて交わす会話だった。死んでからの自分の声を聞くのだって初めてだったろう。
 少年と交わす、なにげない一言二言が嬉しかった。
 だから願える。来年の行方を。別れ際、尻を濡らしながらも優しい笑みを向けてくれた少年に。
 たとえ少年と交わしたあの時間が、今の自分のように儚いものだったとしても。
 ゆきごおりの雪の結晶の煌めきのように、あの少年のくれた優しき時間が。
 雪であれ、雨であれ、桜であれ、何でもいい。来年にはあの少年のもとに降り注いでくれますよう。
 ただ、少女は願う。
 勢い尽きた龍が蛇に呑まれようとしていた歳の瀬の夜のこと。
 何年かぶりの積雪だった。この公園にも真っさらな雪が積もっていた。
 ベンチの下では転がる何かの空き容器と年賀状が雪に埋もれゆこうとしていた。
 誰もいないはずのこの公園でただ一つ、雪で消えゆく誰がつけたか知らぬ足跡、その先で、今にも溶けゆきそうな少女はこちらへと振り返る。そして三日月を寝かせて嗤う。

「よいお年を♪」
 
 透きとおるような声が誰もいない公園に響いた。
 ふっと。さらに強くなった雪が、チラついていた灯りを消した。













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