意外とアクセス履歴があるもんですね。
どうもyuzoです。お久しぶりな人はお久しぶり、はじめましての方初めまして。
もし夜に見たようであればこんばんは、以下略

えぇタイトル通り半年ぶりです。
その間何をやってたかというとナニですよ(意味深

最初から飛ばして下ネタなんかやってますが、至って健康的な証拠ですね。
FaceBookやらTwitterのせいでもっぱらブログなんか書かなくてもよくなってしまったのが運のつき。しかし久方ぶりにほかの方のブログを見ていたらこう創作意欲ですかね、自分もガンバローという気分になったわけですよ。

しかし本当に久しぶりすぎて何書けばいいか。ナニ搔いてるとか卑猥なことは言いませんよ僕は。
近況報告と言いますか、4月あたりから振り返ってみましょう。
4月 大学で新しい学年に代わり忙しい
5月 大学の部活でのリーグ戦忙しい
6月 5月のGWに京都へ行ったのですが、その時の風邪が約2か月ほど長引き忙しい
7月 代交代やらなんやらで忙しい
8月 夏休みに向けて遊びやら、部活やら、高校の部活の手伝いやらで忙しい
9月 一息つけたと思いきや学校が始まってまた忙しい
10月(未来) 多分忙しい
11月(未知) 忙しいと嬉しいな
12月(もう何も言うまい) 忙しくなれ

こんな感じでしょうか。時たま未来が混じってますが皆さんの気のせいですええ。

先ほど書くきっかけはほかのブログだーなんて言いましたけど、実はもう一つあってゴロウデラックスという番組でゲストが赤川次郎で、あの方の話を聞いてたらこうグググッと。
そういえば自分も文章書くこと自体が結構好きだな、なんて思ったり思わなかったり。今の今までこのブログ書いてたしたまには書こうかなと。

しかし意外と書き続けられるものですね。実際このブログ5年以上多分やってるんですよね。過去の記事とか見ると非常に痛々しいものも多いですが、そんな多感な時期が僕にもあったかと思うと苦笑気味です。

メモ帳とかにひっそり何か書き溜めてたりそんなはずかしことするわけないじゃないですかーあははー
止めよう傷口を掘り返してるだけだ、これ

そんな感じで忙しいソロ充なうをしてるyuzoさんであった。終わり。終われ
一概にスポーツと言っても難しい。楽しむためのスポーツとしてやっているのか、競い合うためにスポーツをしているのか、プロフェッショナルとしてお金をもらってやっているのか。
大別するとこの三種、だっけかな。
しかもその中で部活動、としてなのついているものなのだから価値観のコンセンサスはインカレだったり、リーグ戦の王座だったりするわけである。
少なくともそこからはぶれないはずだ。そのために何をするかは各々の道を作ったり、作られていたりする。

それらゴールを作り、現状を把握して、何が自分にできるか選択をし、これからにつなげる。コーチングの理論なのだけれども。
其れなりの選手になりたかったらコーチングの理論は勉強すべきだよなぁ、とつくづく思う。そればかりに囚われてもしょうもないが。
話がそれた。
つまるところ人にコーチングされるだけでなく、自分だけや、自分達でコーチングすることが重要だったりするのだよ。一流でも何でもないならな。
結果としてコーチングなんてしなくても成功するかもしれない。だが、成功する可能性を高めるために日々勉強してる人がいるわけで、それらを研究してるわけで。

スポーツ選手においてある程度のプライド、優越感、これらは必要だと思う。
しかし、多過ぎてはダメだ。
これらが多い選手の方が一流は割と多い気がするけども。インタビューとかじゃ言わないだろうけどさ。
ここが大事。
言わないで自分の中で思っていたり、結果が出たときに自分を褒めるだけにとどめる事。
そうするだけで自分の不安などが払拭される。自画自賛できる事はスポーツ選手には大切だ。
もちろん、調子の悪いときには人それぞれ放って置いた方が良かったり(この場合そこから這い上がれる人間は相当強いと個人的には思う)何気ない事でも良かったと褒めたりした方が良かったり、様々である。
だが、プライドが高過ぎて自分のやっていること以外認めたくなかったり、優越感に浸り過ぎて、自分の全能感に酔い痴れて、他人を貶めるのはそれ以外にやっている人のやる気を削ぎかねない。
現に先日がっつり削がれた。その次に点数とった時は逆転したが。
俺みたいにこなくそー!となって奮起する人はよほど負けず嫌いくらいだろう。いやその負けず嫌いですらだいぶやる気が削がれたのだ。
だからプライドや優越感が多過ぎるのは考えものだ。自分を褒めることに使うにはいいが、あり過ぎては確実に他人を貶めるために使ってしまう。

話は変わって精神論でなく、物的資源の実際だ。
只今侵入部員が入るには部室が狭すぎる。そこで、毎月ランキング戦をして上位10名ほどが快適に部室を使えたり、弓をわざわざ分解しなくても良いようにしようかと考え中である。
むしろ他の部活がどうしているのか気になるところだ。
そこから落ちた諸君は部室のロッカーなど使えなかったり、弓をわざわざある部分を外してもらって収納性を上げて武器庫にいれてもらったり多少の不便を生じさせてしまうかもしれない。数に限りがある物は難しいのだ。全員平等にというのであればロッカーすべて出したりしなければならない。
あるいは先輩たち優先で、後輩たちには不便がかかるかもしれない。しかしこれだと俺あの先輩より点数だしてるし、環境悪いのは納得いかないとか下からきそうなもので考えものである。
このようなことするから点数出てる=地位の高さだと勘違いさせてしまうのかもしれない。
そりゃあ成績よければ自信もつくよなぁ。だけどそういうやつは一回の挫折で折れるんだ。折れろ。ごふんごふん。聞かなかったことに。

成績で人格や言っていることを貶めるのは差別だ。しかし成績によって環境をよくしたりすることは区別だ。それこそ下手なれば工夫すれば良い。悪環境で練習してるんだから本番じゃいい成績出せる!とかポジティブに行こうぜ?
もしくはそこでなにくそーとなり努力すればいい、そうなって欲しいがゆえの悪環境だとも思ってくれれば幸いなのだがな。まぁ、成績いい奴らがいい思いしたいんだろ?と言われたら否定はしないが。良い思いできるように頑張れよ、と。
全員が平等かと思ったか?才能とか努力とか金銭とか、生まれた時点で、今までどれだけ努力してきたかの差くらい生まれんだろ。
こんなこと言ってるけど俺は「持っていない」側の人だよ。「持っている」ならこんな卑屈になるわけないだろ。
出来ないやつはいつまでも出来ない、だから努力の天才になれ。「持っている」奴らに勝つにはそいつら以上の努力をしてから卑屈になるべきだ。そんで努力だけじゃ埋められない差があると自覚した上で努力しろ。そこからだよ。

と、綺麗事言ったところでまとめたら、才能を持っていて死ぬほど努力してるやつにはどうしたって勝てない、ってのと、良い選手には良い環境をという差別的視点である。
これは要約しすぎだがな。しかしどうしようかねぇ。新入生多いのは歓迎だけども弓が入る場所ないのと、人も結構飽和してるってこと。
一応案としてはこんな感じだけど、部員の人で文句ある人言って頂戴。

ほいでは これから19~21 22~30のバイト頑張るゆーぞーくんですよ、と。
基本的にはテンションとか高いのですが、一回落ちてしまうとしばらくどうしようもない期間ができてしまう。
これは割と皆あると思うのですけどねぇ。
お久しぶりです、先日お酒飲んだ時にgdgdっと文章書こうとしたら何も思い浮かばなくてダメでした。
文章書くこと自体は好きだったんですけどね。久々に文章を書こうと思ってもかけない気分になってしまったのですね。
ここ最近ギターを弾かない理由も、歌わない理由も、文章を書かない理由も、何かを作るっていうことをしないのも、全て今の自分の立ち位置を把握してしまったが故なのかもしれません。
以前の自分なら誰が何と思おうとも我を通すクソガキでしたから。
こういって大人ぶっちゃってますが、個人的には昔の方がはるかに楽しかった自信があります。
勝手におセンチになってるんじゃないよとお叱りいただければ何とか這い上がれそうなんですけども、あ、いやMじゃないですよ?叱咤激励(使い方が微妙に違うけれども)されたいだけですね。期待されたいんですよ。

本音を話したりする場所がネットという自分の事をすべて知っていそうでまる分かっていないものに吐き出してしまうのも一端かと。動けなくなってしまった理由。
年数を重ねるうちにこの身に薄皮が増えていき、手足には枷が重く伸し掛かっているような気分です。
1年前とかまでは何も考えないでもこうして文章なんてかけたものですが、ここ最近は書こう!!と言って気合いを入れて書かないとろくに書けません。
所謂何かのプロでもなんでもありませんがスランプ、なのですかねぇ。
何をやるにも裏目に出る気がして動けず、何をやっても誰かから否定される気がして、卑屈になって行く。
コンプレックスの塊なんですね。自分。以前から知っていましたし、わかっていたことですが。
だからこそ褒められたいし、ちやほやされたい。実際その方がいい結果が出るからなんとも。普通の人ならそうか。

文章量的にはそこらのブログとここくらいでさして変わりはないとは思うのですが、いかんせん行間はなるべく開けずに書く癖、と言いますか、がついてしまっているので。実際きちんとしたレポートだったりそのようなものを書くときはスペースやら改行やらで稼げませんしね。
しかし、語尾をこうしてみてみると~~ですかね、と否定的な言葉が目立ちます。こういうところに人の癖と言いますか、文章の癖が出てきますね。ほら。
自己分析するに~~ねと使うのは他人からの目を気にしていたり、同意が欲しい、共感してほしいのです。否定的なのはもうその人の人格でしょう。否定してから肯定するからな。
精神論だったりする場合は文章を長くすることはなかなかに難しいですから。
情景であるならば割とごまかし、もとい詳しく書きすぎるに越したことはありませんからね。詳しく書きすぎて本論が見えづらくなってしまうのも小説などの一興。評論じゃだめだがね。
そういう意味では絵や写真、動画は非常に自分の見ている世界を表現しやすいものだと思う。
だからと言ってそれらが文章より下等なものだということはない、そもそもジャンルが違う。アクションか、ホラーか、サスペンスか、それくらい違う。表現方法という根本にあるものしか共通見解としてはないはずだ。

筆が乗ってくるとすらすら文章が出てくるな。
やはり何事においてもスロースターターなようだ。興が乗らないとやる気も出てこない。

明日は高校の同期と飲んだりうったり。お金がやばいのが心残りです。来月少ないだろうし。困った。
筆が乗ってきているのにここでおかせてもらおう、タイピングがつかれたのと体調が芳しくないから早めに寝るのだ。


そう言って考えをそこで止めてしまう人が嫌いだ。
それこそ今のFFみたいなのむりっしゅ節炸裂みたいなのは流石に、かなり、引くけど。
そこまでいかないまでも、少しそういう気がある人に対して叩くのはなぁ。

いうたら、BUMP、RAD、9mmとか全開だしな。
まぁ確かに好きそうだよなぁ、中学二年生。
今時ならワンオクとかUVERとか。

厨二病が分からない人にはパルスのルシがコクーンとパージみたいな?余計分からねーよな、これ。
俺の完全なる個人的偏見だけども、ククク我が眷属め、とか、取り敢えず難しく表現しすぎていろいろ何がなんだかわからなくなってる状態だよ。授業中に校庭を見てもしテロリストに襲われて、運良くその時トイレにいて、みたいな。
あるあるになりそうなのは流石に定義から外れそうだけどなぁ。
つまるところ、定義としては人とは違う自分を演じてしまったり、そうなりたいと思う事なんだよな。

ある程度年を取るとそれが恥ずかしくなってきて、空気を読み始めたり、あるいは同じような奴らとつるんでそう言うコミュニティ作って想像したり妄想したり、後でまくらに顔をうずめて足をバタバタしたくなるようなものを作ったり、書いたり。
後半全部当てはまるあたりアレだよなぁ……

スポーツマンにとってはある程度のそう言う人と違うから俺を天才みたいな事を思う事、自惚れは大事だと思う。
てかそれがないスポーツ選手ってスポーツしてて楽しいか?
競い合って結果出すことが一番の楽しさだと思うけども、あくまでこれは自論、自分だけかもしれない、と感じてる。あ、今の部活でね。

話がそれた、人と違うことを厨二病と断じて、否定して理解しようとしないことは嫌いって話だったな。
そうじゃなくてもそのコミュニティで斬新な提案や、奇抜な方法は嫌われる傾向があるしな。
そう言うのが世の中動かしてるのにね。
Appleだっけか、まぁどっかの知らない誰かさんが言ってた言葉には、創造ってのは新しいものを作るというのではなく、未来にある当たり前のものを作ることだ、だそうだ。
発想や考えもそこなんだよなぁ。基本的な事を踏襲(これ使い方あってるか?)しつつ、そこからの発展型を作り、そこからどうするかだよなぁとしみじみ感じる今日この頃。

どう見ても自分自身は非凡じゃないし、天才でもない、平々凡々だし、凡才だよ。
だから努力するしかないかなーと。
の割には人と違うからこうしろあーしろ、と言われるがな。自分の認識と、人の認識に差がありすぎる。普通だよ俺は。

話題が毎回毎回飛ぶなぁ。完全に何も考えず深夜の割りと頭がスッキリしてる状態で思ってふこと感じていたこと書いたりしてるだけだからな。

きちんとした文章では一貫してるんだよ?
変な目で見られている気がするが気のせい気のせい。変なところで一貫してる気がしてならない。

大体そうやって思考停止する奴らは個人的に偏見だらけで言うと、出世できそうにもないよなー、と。良くて管理職か。そうはなりたくねーなー。考えることは人間の得た最高で最大の能力だよ。
ドラクエ的に言うなら それをすてるなんてとんでもない!! だろうな。
それを捨ててる奴らが沢山いるから俺が拾ってやるよ、感謝しろよ?←

話は30°ほど変わるけども、今の少中学生の夢は公務員が割と高順位だそうだ。俺調べ。
夢?それ夢かー?
メジャーデビューしたいって夢を謳ってるミュージシャンがレコード会社に勤めたいって言ってるようなもんじゃねーの、それ。
夢は夢で、職業はそれの手段だぜ?勘違いしてるんじゃね?可笑しいよな。わらおうぜ。
会社でリーマンやるのも、起業も、夢のための手段にしかすぎねーんだよ。
最近よく言う言葉が、手段と目的ごっちゃにしてんじゃねーよ、だ。
高校生の時に俺もわからなかったし、別に今すぐ別れなんて思わないさ。
今ならほぼ断言出来るな。これ。
スポーツの練習にも言えて、練習は手段だ。
練習してて、今は時間当たりのノルマを課して居るのだが、部員の中でもそのノルマ超えたら後なぁなぁってのが多いんだよな。
そうじゃねーだろ、と。やったならやったなりの結果を残さなきゃ意味ねーんだよ。
そのノルマまでやることが目的じゃなくて、それは週に何射っていう基準を作りたいがため、自分がこれだけ射っても大丈夫、調子は整えられる、っていう指標でしかないし、それ以上でも以下でもない手段だよ。

いかんいかん、つい自分のやっているスポーツだと暑くなってしまう。
この温度差がキツイ、しかも否定してしまうとそこで相手がそれこそ思考停止してしまう。
考えて欲しいのに思考停止してしまう、どうにかしてーなー。どうすりゃあいいのよ。
悩む。

悩むことはいいんだけど、面倒臭くて、つい疎かにしてきまう。猛省。

今日はこんなもん、残りのバイト頑張る。

iPhoneからの投稿
頭の中でグルグルグルしてるので。
大体こうやって文章起す時は考えがまとまってない時。
まぁ悩んではいるのだけれど。
何が正解かわからなくなって臆病になってるだけ。
正解なんてないんだよ、自分が善かれと思った事をやりなって言葉はかなり突き放してるよな。相談してる相手にこう言ったらなかなかいい印象を得づらい気がするな。
だけど、相談するときなぞおおよそはただ自分が誰かに話して、それを聞いてもらいたいだけだ。
いい意味でも悪い意味でも自己満足の延長線上で敷かない。
そもそもそこで答えなんか求めて居ない。スポーツ心理学的に言えばオートクライン、自分で喋ってそれを話して始めて自分で理解して解決方法を見つけるだけだ。
で、ここで今ここでの議題に戻るけども、そう考えると最初に言ったら逆効果だけど、最後に言うなればかなり有効だよなぁ、と。
言葉って流れを意識しないとやっぱダメだよな。効果的な時に言わないと半減どころか逆効果だもんなぁ。
タイトルから離れている気がする。
と言うか触れすらしてねぇぞ。
そんな精神論割とどうでも良くて、文章化したらひどく陳腐だけども、いう必要もない事かもしれないけど。
だいたいこうやって自分のコンプレックスについて触れたり、改善しようという時は色恋沙汰なんだよなぁ。単純だ。
健全な大学生だもんなぁ。
見持ち硬いけどなぁ。
硬そうには見えないけどなぁ。
やってらんねー。
悩むのはいい事だけど、自分の場合自分の中で相談して自己完結してしまうからたちが悪い。うむぅ。
こういう時だけ嫌いになってごめんな自分、的な状態である。
こういう時は自分と喧嘩するんだよな。

さてと雑文雑文。明日から頑張ろう。
物書きをば。
ここずっとmixiの方で書き書きしてたせいかこちらを放置気味でした。たまには書かねば。

と、言うよりもレポートとかテストとかいろいろ終わって文章書かなくてもよくなったから書きたくなっただけ。
短文ではTwitterやfacebookでぶつぶつつぶやいているけども、結局あれらじゃ短く自分の言いたいことを伝える訓練用にしかならないしなぁ。あれ?それいいんじゃね?

実際問題物書きをしたい人なので、実は詩を書いたりだとか、小説まがいの者は書きたいと思ってたり。
これに関しては趣味で。
恋物語での貝木さんが言うには、人に語る夢なんか夢じゃなくて現実だ、夢なら誰にも言わず秘密にして自分のうちに秘めておくものだ、まぁこんな感じの事が書かれていたわけで。
実際そうだよなぁなどと思ったり。結構自分結婚願望あったりするのですが、こういうのも言わないで秘めておいた方がいいのかなぁなどとよく思います。
普通はそんなことおおっぴらに言わないけどな。

だから、というわけでもないが、最近は情景をそういう風に書く練習をしている。説明する時楽だし。わかりやすく自分の見たものを伝えるのは意外と難しい。考えを吐き出す術は身に着けているのに(これも怪しいが)見たものを伝える術を身に着けていないのも考え物かと。
なるだけ分かりやすく想像できるように書いているのだが、どうだろうか。
これ関連であるならば、小説家が主人公の後ろで爆発があった際どういう風に書くかというのがあった。
あれは地味にいい問題というか、考えというか、わかりやすかった記憶がある。
ためしに書くのもいいけども、それを書くにはこのブログの記述欄の白紙が足らない、誠に遺憾である。

長文を仕上げる、というのはしかし難しい。所詮短いセンテンスの集まりなのだから得意の短文バンバン書けばいいって思うかもしれないが、前後のつながりとか、これから書くことを想像しながら書くのは意外と難しい。
それこそTwitterやFacebookは全く違う話題でどんどん変化していく。いうなればそれらをまとめたら文章における段落が非常に多くなってしまう。しかも脈絡がない。
簡単ならば誰でも出来てしまう。難しいから、難易度が高いから、敷居が高いから(使い方が違う)、やることに対するモチベーションも保てるのだ。
それが不相応だったりするとモチベーションを保ち続けるのは無理だけど。

誰でもできるが難しい、と言えば歌、だ。
これは本当に難しい。多分ボイトレやそういうのを意識し始めてからもう4年近くたつと思う。
それでも人並みにはうまいが、それだけだ。それだけで、誰でもできる域でしかない。
そこからどれだけ伸ばせるか、そこが問題だ。
本業でやるつもりは全くないけど。そこは無駄に堅実なのも性格なのかねぇ。
趣味では歌や物書きはやるかもしれないけども、これらをずっとしたいわけではない。所謂趣味を仕事にしたいわけでは、ない。
とはいっても3番目くらいに好きな趣味が仕事になりそうではあるけども。
これくらいがいいよ。
将来的には夢を夢のままだとか、そういう生産性のない事はしたくないから、色々オーディションやら、投稿してみたいなぁなんて考えていたり。
恥ずかしい話、小説書く上でのプロットを考えたり、作詞したりなんかは割とよくするしていた。黒歴史続行中なのかもしれないなぁ。20にまでなって黒歴史ならそれは黒くなんかなくて正史なんじゃないか。と開き直るのはありかもしれない。
それこそこれら夢は語るものでもないし、大言壮語したいものでもない。こうひっそり書いているのがふさわしい。
開き直るのは個人的には時間のある今なのかもしれないしね。

さぁ明日もアーチェリー、頑張ろう。
最近mixiの方に浮気してました。この間はTwitterですしね。浮気性ですね。ま、そもそも彼女なんかいませんけどね!がはははは

空しくなる話はやめて。あれだ近況。
とりあえず最悪ですね。

良いこと……良いこと……ねえ?
図書館で真夏の太陽が来て嬉しかったです。くらいかな。あ、あと今日綺麗な夕日の写真撮れた。それくらいか。あ、あとねー今日二郎行ってきた。うまかった。

はぁやってられねー

無気力で、適当で、やることなす事それなりで、それでも真面目ぶってると言ったところでしょうか。
前はすべて自分でやらなければイライラしてしまいどうしようもなかったのですが、最近は他人に任せるということを覚えました。進歩っすね。

今でも最終確認はすべて自分で行うようにはしてますがね。
他人に任せるのは非常に楽ですね。相手がミスってもこっちは怒るだけですから。そこからなぜ失敗したのかを考えれるようになったのも進歩ですね。
失敗した際に お前を信用してたのに…… という言葉の便利さは異常です。前述通り適当になったって部分はここでしょうね。そして自分でガツガツしなくなったのは良い意味でいえば他人を信用してるからこそ、悪い意味でいえば無気力なだけです。

短所と長所なんて紙一重で所詮言い方なんですよ。如何に悪い点をポジティブにとるえるか。
紙一重と言ってもそれを超える為には多少の努力をしなければ、短所と捉えられないような振る舞いをしなければならないのかもしれませんね。難しいものです。
やる事為す事を其れなりにやるっていうのも、相手を信用、信頼できるようになった証拠ですかね。肩肘張って頑張るのはいつもではなく、対応した場合でのみ発揮すればいいんです。
疲れたら少し休んでみりゃいいさ。

最近の自分の薄さが半端ないと自分では思っているのですが(他の人から見たらどうなのかというのはおいておいて)、どうでしょうか。
16校関連や高校のOBOG連中の方達と会う場ではなかなか俺色とでもいうのでしょうか、出てるとは思うのですが、大学の方は非常に面倒臭いです。
特に そんな頑張らなくても…… という空気があったり、頑張ることが恥ずかしいと言ったものを非常に感じます。
環境のせいにはあまりしたくはありませんが、無気力というのは少々ですが、それらのせいかもしれません。

先日16校関係での社会人の方には自分の道を作るとおっしゃっていましたが、結局ああいうのは一人では成し得るのは難しいのだなぁと痛感している限りです。
少しづつ少しづつ変えて行きたいとは思いますが、なにせ最近人間関係的にいろいろ面倒臭くどこで例の無気力が発揮されて(?)やらなくなるか定かではありません。
癇に障ることが多々ありますが頑張って行きたいと思ってます。
自分を変えたければ環境を変える努力をしろ。

自分のせいもあるかもしれませんが、人格形成において、正直環境に恵まれたと思ったことは一度もありません。
感謝をすることはあっても、それが根本にある自分を変えたか?ということはないと思います。飽くまで、自分が思う範囲のみで。
年を取るにつれて自分を変えるのが難しくなってきています。軸がぶれないと言えば聞こえはいいですけど、とどのつまり頑固ということです。

重ね重ね言うのは心苦しいですが、自分で言うのもなんなんですが、捻くれてると思います考えが。倒置法。
所謂厨二病と言うやつですね。自分が他人とは違うと思い込んでしまうあたり。大きく分けたら、所謂自分でいう捻くれてるなど普通の範囲内のことでしかないです。あぁ大二病でしょうか、いいえこだまです。

他人と違うと思いたいというのは自我の発達だったりするのでしょうかね。知りませんが。

根が真面目で素直で打たれ弱いので、ぼこすかたたかれたら、結局いくら自我云々、軸がぶれない云々言ったところで変わってしまいそうだと危惧しています。そういう人が幸いにも今までいなかったのでこういう性格になってしまいました。どうしてくれるんだ!!←

それと最近先輩に言われます、(ここら辺まで書いておいて本当に言いたいことを書いたりするあたりは性格の悪さが滲み出ている) 「上から目線だよな」の言に関して思ったことがあったのでつらつら書いて行きましょう。本人を前にして言うと俺が面倒くせーとなって結局何を伝えたかったかわからぬまま終わってしまいそうなので文章で思いを綴ることに関して申し訳ないと思います。
ま、正直な話他の人は言わないで、思っているかもしれないからこそこういう場で書くのですが。
個人名を出さないのはAmebaの方でもあげるつもりだからとでも思っていただければ幸いです。
高校時代においての上から目線だと感じたのであれば、いうのは憚れますが、自分自身の泳力に自信はありましたし、言っていることに関して俺は間違っていないという、今から考えれば他人のことや感が見ないで自分勝手なやつにしか見えませんね、という自信からきていました。
最近の、大学へ入ってからのそういう発言に関してはそういったものではなく、なるだけ客観的事実でのみ語っているつもりです。もちろん根本には多少なりとも、自分のフォームや考えに自信があるからなのは言うまでもないかもしれませんが、記述しておきます。
元来上から目線なのは性格のせいかもしれませんし、そうなると今までの環境のせいだとキリがなくなるのでこの話はやめておきましょう。水掛け論?

だからこそトレーナーを目指そうと思ったというのもあります。単純に偉そうにしていても不思議ではないという単純な理由から。
という冗談は置いておいて。半分くらいは事実ですが。
まぁ、他人の意見も伺えない人がトレーナーやなにやらになるというのもちゃんちゃらおかしな話です。そこらへんは改善点であるのかもしれませんね。多少は残して置いた方が多少はいいやもしれませんが。

自信のない人には誰もついてこないと思いますし、使う方向を間違えなければ良い武器になるとは思うのですがね、なかなか使い方は難しいです。あからさまであってはいけないという。
1時間近く黙々と文章打って疲れました。今日のところはこれくらいにしてやる!!もうしばらくこんなことしないけどな!!

糸冬
と、いうわけで!あの花見終わりましたーわーい。
このブログだけ見てる人にとっちゃなんのこっちゃですよね!ね!

風邪治りかけの無駄なハイテンションである。まぁなんと言うか風邪と言うか食中毒にかかってましたてへぺろ☆
僕の心残りと言えば木曜日の単位がやばいとのこと。それだけです。
必修15回中3回休むとかね!!もうね!!

話を戻そう。いやパンピー向けな話では前段落の話の方がいいのかな。
まぁいいや。
久々に一気に見たくなるアニメでした。
最近はどうも時間ないのも合間見えて、なかなか毎週楽しみだったりするのがなかったりする。
今期、冬のアニメに関してはわりかし毎週楽しみなものが多いのでそういう思いをすることはなさそうだ。今ははがないを見てる。わからなければわからないでよろしい。エア友達俺も欲しいです。
それこそ幽霊と喋って……はっ!!
あの花のセリフで「もし死んでなかったらお嫁さんになりたかったな」というのがあって、それにはわりかしキュンとくるものです。男なんてバカなんです。ころっと騙されるんです。騙さないで下さい!!←
騙してやろうか!!!!!!くそぅ涙がちょちょぎれる。
さっきのセリフ、前後のシチュエーションを考えるとキュンとくるよりも、ウルッとくる場面なんだけどな。
説明めんど。
何も知らない人に自分が既知の情報を教えるというのはなんと面倒臭いことか。
こういうネットの場では相手のリアクションがわからないというのが一番のモチベーションが下がる要因やもしれない。
反応が分かれば話しようというか書きようもあるのだがなぁ。



単純に未来を夢みたいだけなのかもしれないね。
iPhoneで書いてるから、色々と普段とは違う感じの文章になりそう。所謂、脳内垂れ流しである。いつもと変わらない?そう思うならそうなんじゃ無い?お前の中ではな!!!←
サイエンスフィクション、科学が、科学の出来そうな事が好きなんだろうなぁと言うのが結論かもしれない。少し不思議の方も好きだけど。少し(s)不思議(f)。
アンドロイドは電気羊の夢をみるか?はSF作品、20世紀末から今までのSF界の基礎らしい。もしくはブレードランナーといった方がなじみ深いかもしれない。ブレードランナーを見た後、それ以降の作品を見るとびっくりするほど画一化されている。
リアルの世界がこうなる事を望んでいるのか。
寝て起きたら死んでしまったらどうしよう、などと中学生が考えそうな事をつい考えてしまう。
未来に対する希望を持ち過ぎると言うのもダメなのかもしれない。
過去をいくら重んじようとも変えられないのだからしょうがないとも思う。縛られず生きて行こうと思う前向きな考えなのかもしれない。過去とは、過ちを去るとかくだろう?←
所で、縛ると言う漢字、糸に専プラス点 この点は何なのだろう。漢字を説明する時に非常に困りそうである。滅多につかわねぇよ。
と書いている所でA.I見終えた。何でこんな事書いているかの原因だったり。
次に何故軍事物が好きかでも考察してみよう。考察も何も自分の事じゃないのか。ちっちっち、そんな事だから君は成長しないのさ。自分の事は自分が一番わかってないとよく言うじゃ無いか!!キャラが定まらなくなるのはご愛嬌。眠いから寝る。電気羊の夢でもみよう。びりびりー。中学生。