疾風 | バカ日記第5番「四方山山人録」

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 中島の開発による陸軍最後の正式戦闘機にして、最終決戦機とすら言われた四式戦闘機・疾風。先日紹介した五式戦と異なり、正式採用され量産された最後の陸軍戦闘機となる。

 

 


 いつまでも零戦の需要に振り回され、烈風の量産が終戦に間に合わなかった海軍と異なり、2000馬力級のエンジンを積んだ4枚ペラの高性能戦闘機として陸軍はこの疾風を生み出した。

 

 が、肝心の日本の生産力(工業力)が終戦間際で劣悪な環境にあり、生産工場に動員された女工などによる部品製造の劣化、燃料やエンジン潤滑油の枯渇・劣化 (当時世界の航空機エンジンの潤滑油はアメリカ製が標準で、アメリカと戦争した日本は当然禁輸された。日本製の潤滑油は、けっきょく最後までアメリカ製に遠く及ばなかった。燃料油も同じ) などもあって、同じ機体でも生産工場や運用する基地によって天と地ほどの品質の差があったようである。

 品質の差は性能の差に直結し、疾風は零戦、一式戦・隼に次ぐ生産数を誇ったが、そのスペックを充分に活かせたとは言い難い。特にエンジンの性能や整備状況が悪く、配属はされたがまともに飛べない機体もあったという。

 そうなると、旧式だがよく動いて整備もしやすい隼がいつまでも最前線で活躍することになり、これは海軍の零戦と同じ構造が陸軍にもあったことになる。

 ところで、アメリカに鹵獲されて性能試験の後、

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 飛行可能状態で大切に保存されていた疾風が、アメリカ側関係者の好意により日本に返却されたが、残念ながらその後(の、その後)に入手した博物館の保存がクソ杜撰でボロボロになり、今ではもう飛べない。アメリカの当事者は日本に返却したことをとても後悔したそうである。恥ずかしい話だが、徹底的に反軍事教育を施したのもアメリカだしなあ、という気も。

 返却される前? に日本で里帰り飛行した際に観客でいた方のブログを発見した。これはたいへんに貴重な写真である。本当に素晴らしい。

 インパルス・ブルー 2010年11月26日「疾風」

 あと、その際の模様を8ミリで撮影していた方が、YouTubeに動画をアップしていた。これはさらに貴重だ!!