バカ日記第5番「四方山山人録」

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 日中戦争初期にあって中国軍のボーイングやカーチス戦闘機を圧倒し、日本軍の快進撃を支えた傑作戦闘機、それが三菱の九六式艦上(陸上)戦闘機である。日本軍初の単葉戦闘機で、設計者の堀越二郎をして 「零戦より会心の出来」 と云わしめた。

 

 


 注目すべきは、九六式とは皇紀2596年(西暦1936年:昭和11年)採用のためこの名があるが、零戦が皇紀2600年(西暦1940年:昭和15年)採用なので、開発期間もあるが4年でこの進化を遂げていること。

 したがって、本来は零戦の開発中もしくは遅くとも完成間近くらいでもう後継機の開発に着手しなくては間に合わなかったのだが、三菱(堀越)が零戦に手いっぱいで新機開発の指示が混乱し、2601年(1941年:16年)にいったん頓挫、2603年(1943年:18年)に烈風開発を正式再指示というグダグダっぷり。結局、終戦の2605年(1945年:20年)にまだ零戦が第一線で飛んでいた時点で、後継機の開発は完全に失敗したことが如実に分かる。

 

 航空機発達の速度の速さに、実戦が追いついてこなかった悲しい好例ともいえる。

 

 九六式艦戦はうまく零戦へバトンタッチし、練習機として終戦まで役目を果たし余生を終えた。ある意味、幸せな飛行機と云えよう。

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 海軍の最終決戦機ともいえる烈風が試作8機で終わってしまったため、結局海軍の最終量産戦闘機は紫電改ということになるだろう。

 とはいえ、名前に「改」とあるとおり、ゼロからの製作ではなく、一種の改造機である。

 

 


 何度も書いてるが、海軍にあっては零戦が 「使え過ぎて」 なかなか後継機を開発できないでいた。そうこうしているうちに戦局はどんどんどんどんどんどんどんどん悪化していった。烈風と雷電の開発に手間取る三菱をよそに、海軍は川西航空機の水上戦闘機・強風を陸上戦闘機へ改造する案を採用し、さっそく川西へ試作させた。そうして生まれたのが紫電という局地戦闘機(乙戦)だった。

 ところが現実はままならないもので、この紫電という飛行機は問題だらけで、離発着時は事故多発なうえに飛べば速度は遅く、とうてい新鋭米戦闘機には歯が立たないという事態に見舞われた。水上機を陸上機へというのは単にフロートを取っ払って車輪を着ければよいというわけではなく、バランスがぜんぶ狂ってしまうので、難易度は高い。

 それでもめげずに改造に改造を重ね、主翼の位置すら変更し、なんとか生まれ変わったのが紫電改である。

 

 


 苦労した甲斐あってか紫電改は陸軍の疾風と同じ2000馬力級の誉エンジンを回して高性能を発揮し、極地戦闘機(乙戦)としても零戦のような軽戦闘機(甲戦)としても使えるダブルヘッダーの良機となった。海軍は開発中の烈風をさしおいてこの改造機を最優先量産機とし、戦争末期に1000機ほど生産されて本土防衛に活躍した。

 

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 中島の開発による陸軍最後の正式戦闘機にして、最終決戦機とすら言われた四式戦闘機・疾風。先日紹介した五式戦と異なり、正式採用され量産された最後の陸軍戦闘機となる。

 

 


 いつまでも零戦の需要に振り回され、烈風の量産が終戦に間に合わなかった海軍と異なり、2000馬力級のエンジンを積んだ4枚ペラの高性能戦闘機として陸軍はこの疾風を生み出した。

 

 が、肝心の日本の生産力(工業力)が終戦間際で劣悪な環境にあり、生産工場に動員された女工などによる部品製造の劣化、燃料やエンジン潤滑油の枯渇・劣化 (当時世界の航空機エンジンの潤滑油はアメリカ製が標準で、アメリカと戦争した日本は当然禁輸された。日本製の潤滑油は、けっきょく最後までアメリカ製に遠く及ばなかった。燃料油も同じ) などもあって、同じ機体でも生産工場や運用する基地によって天と地ほどの品質の差があったようである。

 品質の差は性能の差に直結し、疾風は零戦、一式戦・隼に次ぐ生産数を誇ったが、そのスペックを充分に活かせたとは言い難い。特にエンジンの性能や整備状況が悪く、配属はされたがまともに飛べない機体もあったという。

 そうなると、旧式だがよく動いて整備もしやすい隼がいつまでも最前線で活躍することになり、これは海軍の零戦と同じ構造が陸軍にもあったことになる。

 ところで、アメリカに鹵獲されて性能試験の後、

 ↓

 

 

 飛行可能状態で大切に保存されていた疾風が、アメリカ側関係者の好意により日本に返却されたが、残念ながらその後(の、その後)に入手した博物館の保存がクソ杜撰でボロボロになり、今ではもう飛べない。アメリカの当事者は日本に返却したことをとても後悔したそうである。恥ずかしい話だが、徹底的に反軍事教育を施したのもアメリカだしなあ、という気も。

 返却される前? に日本で里帰り飛行した際に観客でいた方のブログを発見した。これはたいへんに貴重な写真である。本当に素晴らしい。

 インパルス・ブルー 2010年11月26日「疾風」

 あと、その際の模様を8ミリで撮影していた方が、YouTubeに動画をアップしていた。これはさらに貴重だ!!

 

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 1940年(昭和15年)より運用が開始された零戦は、性能が良かったというより、あまりに 「使い勝手が良すぎた」 ため、けっきょく終戦までの5年間に10種類以上もの派生型が生れたが、後継機は最後まで生れなかった。

 

 この時代の兵器の性能のアップは凄まじいものがあり、戦闘機なども3年で旧式と化してしまって、零戦も最後は最新鋭アメリカ機に手も足も出ず、特攻機となって散って行ったのはご承知の通り。

 

 しかし海軍も手をこまねいていたわけではなく、なんとか零戦の後継機を開発しようとしていた。

 

 だが、零戦が 「使えすぎた」 ために生産と改良に追われたのと、雷電の開発に手間取って、三菱の手が新機開発に回らなかった。

 

 それでもかの堀越二郎が設計して、零戦の後継機としてなんとか開発されたのがこの烈風である。

 

 

 

 2000馬力級エンジンを搭載し、零戦より一回り大きな大型戦闘機となった。翼面積が大きく、写真の通り逆ガルウィングっぽくなっている。

 

 残念ながら試作8機で終戦となった。

 

 当時の写真もほとんど無く、プラモデル等の写真などを各自ぐぐっていだければ、その大きさや主翼の特徴がよく分かるだろう。

 

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 液冷エンジンの生産の遅れにより、川崎の工場には機体のみの三式戦闘機・飛燕が余っていた。

 

 そこで、生産好調で陸軍にあっては一〇〇式司偵、海軍にあっては金星エンジンとして彗星三三型などに積まれたハ112エンジンを試しに乗っけてみたところ、これがびっくり玉手箱、予想外にめちゃくちゃ性能が良くなったというウソみたいな本当の話である。

 

 それが五式戦闘機(キ-100)だ。

 

 

 

 機体とエンジンの直径に差があって、段差がついているのがお分かりだろうか。これが、急遽、本来の設計ではない機体にエンジンを無理やり乗っけた名残だ。

 

 それが、関係者もびっくり、まさかの高性能となったというのだから、分からない。

 

 陸軍の最終戦闘機、四式戦闘機・疾風に勝るとも劣らない性能で、400機ほど造られ、少なからず大戦末期の日本において戦力となったが、なにせ急な設計・生産だっため、正式採用されておらず、五式戦闘機というのも通称で、キ-100という試作機の扱いで戦争を終えた。

 

 

 

 イギリスの空軍博物館に現存機がある。

 

 

 

 いつぞやのMe262の写真↓の奥に、実はこの五式戦が写っている。

 

 

 

 

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 ドイツの高級液冷エンジンをちゃんとお金を払って日本でライセンス生産して、そのエンジンを使って川崎で造った陸軍の戦闘機、三式戦闘機・飛燕。その最も日本軍離れしたフォルムは欧米でもファンが多いという。

 

 


 しかし、ドイツの科学力技術力はああああ世界一ィィィイイイ! を当時の日本の技術でコピーするのは無理があり、できたエンジンは複雑怪奇で、生産は難しい、性能はスペック通りに出ない、すぐ壊れる、修理できないと散々だった。

 従って配備されても現地での稼働率は悪く、戦っても本来の性能を発揮できずにアメリカ機にあまり歯が立たなかった。

 さらに、高性能バージョンのエンジンの生産はさらに難易度が高くなって生産がおっつかず、川崎の工場にはエンジン待ちの首なし機体が大量に余る結果となった。

 不幸中の幸いか、偶然の産物か、それが結果的に高性能最終戦闘機五式戦を生む。

 

 

 

 川崎重工創立120周年記念事業で復元された飛燕。 

 

 

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 中島の開発による、日本を代表する戦略偵察機が、一〇〇式司令部偵察機。当時としては、戦略的な視点で各地を積極的に偵察する専用の飛行機は珍しく、陸軍のムチャな要求に良く応えて、デザイン的にも素晴らしい偵察機が出来上がった。

 

 

 

 これは白黒写真をデジタルカラー処理したもの。 (かな?)

 

 この流麗なデザイン! 

 

 あまりに性能と成果が良かったため、普段いがみ合うばかりの陸海軍間においても、海軍が正式に偵察を要請し、海軍の作戦でも活躍した。また、正式に陸軍から海軍に引き渡され、海軍機としても活躍した。

 

  

 

 現存機を見ても、その流麗さやしっかりした作りがよく分かる。

 

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 世界初の実用ジェット戦闘機/爆撃機は、WW2末期に登場したドイツのメッサーシュミット社のMe262である。

 

 

 

 これは、博物館に実機も残っている。

 

 

 

 画期的で強力な飛行機だったが、当時のジェットエンジンはまだ性能が低くて、めちゃくちゃ燃費が悪い、スピードや高度が上がるまで時間がかかる、旋回性能が悪い、など弱点も多く、高性能レシプロ戦闘機に負ける事例も多かった。

 

 とはいえ、爆撃機を迎撃するのに理想的な戦闘機で、とうぜん、B-29の襲来に悩まされる日本にとっては、垂涎の的となった。

 

 ドイツ政府の協力を仰ぎ、BMW社のジェットエンジンと機体の設計図を供出してもらえることとなった。

 

 しかし、戦争末期だったため制海権も連合国軍にとられており、インドネシアで極秘任務Uボートから受け取った設計図を積んだ日本軍潜水艦はバシー海峡で沈められてしまい、設計図は失われた。

 

 かろうじて別ルートの空路で到達した設計図の断片や1枚の写真などだけで、日本軍は研究に研究を重ね、ほとんど独自技術でネ式ジェットエンジンを作り上げ、それを搭載して中島が海軍向けに開発したのが、日本のジェット戦闘機/爆撃機の橘花だ。

 

   

 これはモノクロ写真をデジタルカラー再現したもの。

 

    

 

 

 

 

 

 ほとんどMe262と同じ形をしているが、技術的な制約もあって主翼下エンジン懸垂型を採用した時点で、似るのは当たり前といえ、基本的に独自設計である。主翼の角度、胴体の形状、尾翼等に日本独自の工夫がみられる。

 

 終戦の8日前に記念的な初飛行を成功させたが、第2回試験でオーバーランして故障。修理中に終戦となった。

 

 アメリカ軍に接収され、スミソニアン博物館に実機がある。

 

 

 

 悲しいかな、じっさいに連合国軍と渡り合ったMe262と比べると、いかにもベコベコの急造品というのがわかる。

 

 

 

 また、橘花はMe262と比べて、一回り小さな小型戦闘機だった。これは技術的に小型ジェットエンジンしか造れなくて、その推力で飛ぶには機体を小さくするしかなかったため。逆に、低出力でも小型の機体だと充分に飛ぶことができるし、小回りもきく。

 

 中島飛行機は、これとは別に陸軍向けに火龍というジェット戦闘機も設計していた。それは設計のみで実機は無い。逆に、Me262より一回り大きな大型戦闘機だった。

 

 橘花と火龍がB-29をボッコボコにする未来も、あったかもしれない。

 

 

 

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 昔の日本軍には空軍が無かったので、陸軍と海軍でそれぞれ航空隊をもっていた。両者は完全に別組織の別運用で、戦術思想的に飛行機も求められる性能が異なっていた。

 

 やっぱりゼロ戦のある海軍の戦闘機の方が高名だが、陸軍にもかの隼があった。

 

 陸軍の主力戦闘機は分かりやすくて、一式戦闘機、二式戦闘機、三式戦闘機、四式戦闘機、五式戦闘機と五種類あった。

 

 一式が隼、二式の単座がこの鍾馗、三式が飛燕、四式が疾風、五式は終戦間際の急造だったので、特に名前が無く五式のままである。

 

 ゼロ戦の性能が良すぎて、けっきょく終戦までずーっとゼロ戦だった海軍に比べて、陸軍の方がフレキシブルに色々と開発していた、というか、できていたのが興味深い。

 

 この鍾馗は、現在のSUBARUの中島飛行機においてかの糸川博士が設計した、日本軍には珍しい傑作重戦闘機。先週の雷電と同じく、見るからに重厚で質実剛健な感じに、ファンも多い。

 

 ところが、当時の日本軍の求める戦術形態に合わず、航続距離の短さや操縦のしづらさで、初期は不評だったという。戦争初期はどんどん敵地(東南アジア)へ侵攻するため、足が短いと思うように使えなかった。

 

 しかし、戦争末期に空襲が激しくなると、本土防空用の強力な迎撃機として活躍した。決定的に高高度では対応できなかったが、低空侵入するB-29とは、まずまず渡り合えた。

 

 アメリカ軍で戦後に接収した戦闘機の試験でも、鍾馗は雷電よりも「インターセプター(迎撃機)として最適」との評価だった。

 

 なお写真は白黒写真をデジタルカラー再現したもの。

 

 

 あと私は、ファンのレベルではありますがマニアではないので、Wikipediaにある程度の知識しかありませんので悪しからずw

 

 

 

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 猫の写真もネタがきれてきたので、ネットで集めた飛行機の写真でも。

 

 私は海軍の飛行機ではやっぱり雷電が好きなのだが、これはなんと戦後すぐに進駐軍が撮った貴重な雷電のカラー写真。


 雷電は防空用迎撃機(局地戦闘機)として開発され、特に東京横浜方面へ爆撃に来たB29をかなりやっつけた強力な機体。迎撃戦闘機用の強力なエンジンを開発する余裕の無かった日本軍が、余っていた爆撃機のデカイエンジンを使って無理やり戦闘機を開発した。

 

 従って雷電は日本軍の戦闘機にしては珍しく、マッチョなずんぐりした胴体をもっている。

 

 色々問題点があり開発は難航したが、結果としてかなり強力な、零戦の次の世代の一撃離脱的戦闘を行える戦闘機ができあがった。

 

 零戦乗りには感覚が異なり、操縦がかなり難しかったようだが、その上昇性能と強力な武装でB29部隊を苦しめた。

 

 GHQの指令もあり、日本では全て廃棄され、現存機はアメリカにしか残っていない。 

 

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