「仕事にもどりましょう」 | ブリッジ エーシア ジャパン アジ子通信 ~ベトナムでのNGO活動~

「仕事にもどりましょう」

正治です。最近、暑いですね。
先月1週間ほど、ベトナム出張に行ってきました。ベトナムも暑かったです。

今回も地元農家と共に運営中の直売所「フエ農家の店」メンバーの畑を訪問しました。前回の訪問と同様、農家の方たちの自然への豊かな感覚や知恵を感じることのできる機会になりましたが、その様子は、支援者の方たちにお届けしているニュースレター(BAJ通信)に掲載予定です。




本ブログでは別のことを書きます。



ベトナム出張も終盤に差し掛かったある日、スタッフのDong氏から「河にいきます」といわれたとき、最初に思ったことは「気を遣わせて悪い」でした。
そもそも出張前に「河には行かなくてよい」と伝えていたつもりでした。しかし、改めてベトナム人スタッフから「河にいきます」といわれたときには「ノー!」といえませんでした。
「河にいきます」というのは、私の父の墓参りにいくという意味です。
2009年、父の遺志で遺骨の一部をフエの河に散骨しました。父の新石正弘はBAJの設立者です。

フエの町には大きな川が流れています。フォン河といいます。散骨した場所へ行くためには、木造船をチャーターして上流の方へ遡らないといけません。片道で小一時間は掛かります。めったに訪れることはありません。だからこそ「河にいきます」は、うれしい提案でした。しかしながら、正直戸惑ってもいました。というのも、実は前回の出張でも連れて行ってもらったからです。



前回の昨年11月の出張は少々緊張しました。新たに赴任する日本人駐在員とともにフエを訪れ、ベトナム人スタッフたちや農家メンバーへ紹介することが大きな目的でしたが、短い滞在期間のなかで何をするかは限られていました。
できたことは、ほんのわずか。ミーティングや食事会くらいです。新たな駐在員とともに皆でこれからがんばっていくぞという空気を作ること、事業の一つの節目を作ることを意識しました。現地スタッフは私の意図を感じ取ってくれました。とくに食事会では「はじめて販売員ふくめて農家もスタッフもメンバー全員が集まった」と喜んでくれました。「これからも任せてください!」といった力強い言葉をメンバーから聞くこともできました。これまた気を遣わせて悪いとも思いましたが、メッセージは伝わったんだろうと思いました。そしてその流れでDong氏から「河にいきます」という提案がありました。不意をつかれました。何となくあの場所には当分行けないだろうと考えていたからです。というのも、ベトナム人スタッフで新石を直接知る人はもういなかったからです。Dong氏もそうです。

だから余計にこのときはうれしく思いました。農家メンバーの人たちが2名同行してくれて、一緒に河を上りました。花を川面に浮かべて手を合わせました。「BAJの活動への感謝の気持ちを表したかった」と農家の方たちは語ってくれました。



そんなわけで、約半年前に行ったばかりなのに今回も行くべきなのだろうか。……そこが引っかかっていました。と同時に、そこで引っかかること自体が私自身の器の限界を示しているようにも思いました。自分は何を優先して生きている人間なのか。そこが気にかかりました。仕事の論理と家族の論理は違います。違うからこそ、切り分けることが大事なのではなく、融合させることが大事なのではないか。父は、私の父というだけではなく、BAJという組織の設立者でもあります。それをビジネスライクに切り分けられるふりをする方がそもそも違うのではないか。お前は何がしたいのか――

活動の中で迷うことがあったとき、団体のミッションを思い返します。企業も団体も「ミッション」を語ります。しかしそんなふうに明快に語られる言葉には実は違和感があったりします。違和感を大事にするからこそ、NGOの強みが出せるのではないかとも思います。
話があちこち迷走して恐縮ですが、私のなかではつながっているので続けます。
最近思うのは「ミッション」とは語るものではなく、持つものではないかということです。言い換えれば、ミッションを持つ人、メッセージを持つ人は必ずしも言葉を持っていないということです。言葉にならないミッションを抱えていて、伝えきれないメッセージを胸に秘めた人たちが、たくさんいます。そして、そういう人たちの思いを汲んで、ともに活動するのがBAJという団体なのではないか。そんなふうに考えるようになりました。そして、思い返せば父もそんな人でした。必ずしも弁が立つ人ではなく、佇まいや態度で語る人でした。

ベトナム出張にいくとき、毎回「ベトナム語 指差し会話帳」を買って行くようにしています。ベトナム語がしゃべれないからです。だけど、ほとんど使うことはありません。共有したいのは言葉ではなく、お互いが抱えている言葉にならないメッセージを共有したいからです。もちろん今のは言い過ぎましたが、私の根底にはそんな欲望があると最近思います。
その「指差し会話帳」の後ろの方に、ベトナム人の気質についてコラムが載っています。「何よりも家族を優先する」とあります。「河へいきます」といわれたときに、少しそれを思い出しました。彼の提案は、私への気遣いであることはもちろんですが、同時に「家族」を大事にするベトナム人の美意識を共有したいというメッセージなのかもしれないとも思いました。

長々と書きましたが、結局、今回も川へ連れて行ってもらいました。
今回は前回参加できなかった農家メンバー1名と、ベトナム人スタッフ3名と大学生ボランティアと船に乗りました。



「私も家族を大事にするんですよ」と言葉で答えるのは簡単ですが、そもそもベトナム人と日本人なので言葉を共有していません。ですが、たとえ言葉が共有できなくても、非言語的なメッセージは共有できるのかもしれません。そもそも言葉になる前の「何か」を共有しているからこそ、はじめて言葉が通じるのではないか。むしろ、NGOという組織は、そういう言葉にならないコミュニケーションを大事にできることが強みなのではないか。私たちはそのようなコミュンケーションこそ夢見ているのではないか。たとえば、ともに黙って一緒に木造船に揺られ、河を上って山あいの緑を眺め、川の空気を吸い込みながら故人に思いを馳せ、一緒に花を手向けることのほうが、よほどお互いの価値観やメッセージを深く共有していることになるのではないか。そんなことを今回、船の上で思いました。




花を川面に浮かべます。ヘンに厳粛になるのは苦手です。花がどんどん下流に流されていきました。Dong氏が言いました。「前回は花が流れていかなった。新石さんは心配だったのかもしれない。だけど今回は流れている。もう安心しているから、花が流れていったんだ」

「いや、早く仕事に戻りなさいといわれている気がする」

照れ隠しではありましたが、いま思い返すと、浅ましいことを言ってしまったかもしれません。ですが、みんな笑ってくれました。



 

正治

(今年の4月から事務局長になりました)


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