入試における公平性。

大学が最も大切にしてきたことの一つだと思う。特に日本では。


しかしながら、その公平性というものを測るものさしが変わってきている。


AO入試の広がりで面接重視という選考方法が一般的に認知されるようになった。

日本のAO入試が本人の人物重視、やる気重視という姿勢を示していることでわかるように

そこに客観性を求めることは難しい。むしろ主観的に各大学が求める人材像と一致する人材を求めている。


そのために以前からAO入試では、合格基準が不明確であるという指摘が高校現場からは上がっている。

しかしながら、それに大学は明確な答えを示してきていない。

履修漏れで話題になっているが、大学受験というハードルは高校生にとっての一つの目標であり、

その目標が「面接」というフィルターを通すことで、不明瞭になることは教育にとってプラスであるとは思えない。


当然近い将来、選考基準についての不明瞭さから

選考過程についての情報開示要求がされることは自明であったが

少し意外な形で、それに近いことが起きた。


それが群馬大学医学部の不合格訴訟。

56歳の受験者が昨年の入試で不合格になったのは年齢差別によるものだとして訴えていたものだ。


そして先月、その判決が前橋地裁で出た。


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高齢理由に不合格? 群馬大医学部入試訴訟、訴え退ける

http://www.sankei.co.jp/news/061027/sha007.htm

産経新聞 2006年10月27日


年齢を理由に不合格にしたのは不当として、東京都目黒区の主婦、佐藤薫さん(56)が群馬大学(鈴木守学長)を相手取り、医学部への入学許可を求めた訴訟の判決が27日、前橋地裁であり、松丸伸一郎裁判長は、原告の請求を棄却した。

 判決理由で松丸裁判長は「面接の評価は裁判所が審理するに適さない」としたうえで、「年齢により差別されたことが明白であるとは認められない」と述べた。

 判決などによると、佐藤さんは昨年1月に大学入試センター試験、同2月下旬に個別学力試験(2次試験)に不合格となった。その後、情報開示を求めたところ、センター試験と2次試験の点数が合格者の平均点を約10点上回っていた。

 佐藤さんは大学側から「卒業時の年齢を考えたとき、社会に貢献できるのか」などと、面接で年齢が問題になったとの説明を非公式に受けたと主張。大学側は「年齢を理由に合否を決めることはない」と否定していた。

 判決後、佐藤さんは「誠に残念。私の年齢が(医師として)不適格かと問われたらそうは思わない。何歳になっても社会貢献は十分できる」と語った。

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記事で取り上げられている「卒業時の年齢を考えたとき、社会に貢献できるのか」という部分が

今回の年齢差別という争点のベースになっているが、

それ以上に大学として問題なのは、不合格の根拠を示せていないことではないかと思う。

年齢差別ではないと言い切るのであれば、相応の資料を提出すべきであろう。

少なからずセンター試験、2次試験という客観的基準をクリアしているのであるから

面接という主観的基準がどのようなものであるかを明確にする責任が大学にはあるはずだ。


「年齢により差別されたことが明白であるとは認められない」という裁判所の判断も良くわからない。

つまりは「証拠不十分」で無罪、みたいなカンジなのか?


これでは、たとえ人種、信条、性別などの差別があったとしても、「面接」というブラックボックスを通すことで

その判断を司法ができないということになる。


その後、佐藤さんは判決を不服として控訴したという記事が出ている。
今後の高等教育のためにも徹底的にやってもらいたい。


追記:大学としては一人を不明瞭な理由で不合格としたことで、非常に大きなマイナスを背負ったことになる。「群馬大学医学部」という名前は、この訴訟により広まったネガティブなイメージを何年もかけて払拭する必要が出てくる。仮に合格していれば、逆に主婦のサクセスストーリーとして取り上げられていたかもしれないことを考えれば、不明瞭な選考基準が与えたダメージは大きい。