大学業界のトレンドのひとつ、リベラルアーツ。

一般的な認知度では、かなり低いと思われる。そもそもリベラルアーツとは何かをちゃんと説明できる人はどの程度いるだろうか。自分自身、言葉で説明をしろと言われると、、つらい。


近年は秋田の国際教養大学や早稲田大学の国際教養学部、首都大学東京の都市教養学部など、「教養」という言葉がよく使われる。では、こうした大学が皆、リベラルアーツを掲げているかといえば、そうではない。ホームページで見る限り、早稲田の国際教養学部はリベラルアーツという言葉を用いているが、首都大学東京の都市教養学部には、そうした言葉は見当たらない。


一方、そのまま学部名にしたのが桜美林大学。リベラルアーツ学群を来年立ち上げる。学部名には出てこないが、横浜市立大学は3学部を国際総合科学部へ統合してリベラルアーツを掲げるようになった。


つまりリベラルアーツを訳すと教養かもしれないが、教養=リベラルアーツではない。


ここでアメリカのリベラルアーツ・カレッジを考えてみると、日本でのリベラルアーツの展開は、かなり印象が異なる。アメリカの場合、リベラルアーツ・カレッジは大学のカテゴリーとして認知されており、ハーバード大やコロンビア大といった大規模な大学とは区別された上で評価を得ている。


その特徴はWikipedia に書いてあるので詳しく書かないが、郊外にある全寮制で小規模な大学が典型と言えるだろう。

それに対して日本のリベラルアーツを掲げる大学を見てみると、規模も大きい大学が目立ち、また学部単位で掲げているなど、ちょっと違うんじゃないか、と考えてしまうのだ。


「教養」を教えるだけであればカリキュラムを組めば、それで事足りる。しかしリベラルアーツの根底にあるものは、座学だけで身につけるものではない部分があると思う。アメリカのリベラルアーツ・カレッジが全寮制であることが多いのも、同じ飯を食らい、夜な夜な議論を重ね、大学の4年間という時間すべてを使って身につけさせるという部分があるのだと感じられる。また、そうした教育スタイルは規模に限界があるというのも確かであろう。つまりリベラルアーツには、カリキュラムを組むだけでなく、環境も相応に用意する必要があるのではないかと思うのだ。


そうして考えると日本でリベラルアーツを実現できる大学は限られる。そうした中では、やはり国際基督教大学は頑張っている方だろう。


まだまだ定着しているとは言いがたい「リベラルアーツ」という言葉。これから日本ではどのように理解されていくのだろう。

「AO」が、ベースとなったアメリカと全く異なるものとなっていったように、リベラルアーツも日本独特の理解がなされるのかもしれない。