金さん、その下手人は いってぇ誰なんですかい? | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

   
   
このところ、頻繁にリニューアルされ、
我々無料登録ユーザーのために、
素晴らしい機能を盛りだくさんにしてくれている、アメーバ・ブログ。
http://ameblo.jp/stopspam/  トラックバックスパム対策報告
トラックバックの管理画面にも、
自分のページへ送られたトラックバックを公開する前に確認できる、
「承認待ち」のタグが設けられ、
そこには、[ スパム通報して削除 ] という便利なボタンまで揃えてくれた。
おかげで、ずぼらでないユーザー(?)の
ほとんどのページがクリーンな状態に改善されてきて、
よかったぁ」という気持ちの人も大勢いる・と思う。
   
ところが、同じ輩からのトラックバックのゴミが、
その、「承認待ち」のシステム画面の中へ引っかかってることが、
まだ頻繁にある。
しかも、送信内容はほぼ同じで、送信時のIPアドレスだけを変えて
明らかに同一人物からの迷惑なトラックバックがそこにある。
「なんのためのスパム通報機能なのか?」
とも思ったりもしたけど、
『タダだから…』の損得感情が強い、他力本願な現代日本人…
無料登録ユーザーでありながらも、
自分の権利ばかりを主張したがる人間に、俺はなりたくない!
   
んで、こういうことをやってみた。
まず、
   
----------------------------------------
badlife さん
 
あなたのアメーバブログに、トラックバックがつきました。
 
日時 :2006-04-11 17:02:38
トラックバックをした人:
http://infobreak.biz/yvfh

記事タイトル :うっとりさせる身体
▼記事を見る▼
http://ameblo.jp/badlife/entry-10011185269.html
 
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http://infobreak.biz/yvfh
IP :210.165.101.66
 
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いつものように、俺のパソコンのメール・ボックスに、
こういうメールが届いたので、
そこにある、アホな「トラックバックをした人」のURLから辿って、
http://www.tokyobuddha.com/index.html
ここへアクセス。
して、そのページのいちばん下に、
   
   a href="javascript:newWindow('/contact/index.html','contact',400,400,'no','no','no','yes','yes','no');" ご意見/お問い合わせ
   
という記載ボタンがあった。
そこへ書き込んだ内容がこれだ。 ( 画面上を丸ごと コピー&ペースト
   
tokyobuddha : CONTACT FORM
   
本日は当サイトへお越し頂きまして誠にありがとうございました。
ご意見/ご感想/お知らせなどなどございましたらお気軽にお寄せくださいませ。
   
お名前:みなみ まさあき
E-Mail:
badlife@mindresolve.jp
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このURLのユーザーは、頻繁に、
サイバーエージェント社のアメーバブログ
各ユーザーのページへ
しつこく、迷惑なトラックバックを送信しています。
ご面倒をおかけしますが、
あまりにも人としてのモラルに欠ける行為なため、
その趣旨、どうか、ご理解頂き、
そちらのご判断により、
通告ないしは警告として当事者にお伝えください。
よろしくお願いいたします。
   
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ということで、俺らしくマトモな挨拶文も飾らないまま、ぶしつけに書き込んで、

返答は今のところはない…けど、
おそらく100%、
俺だけのページに送られているだけのトラックバックのゴミではないと確信しているので、
やってる本人も含め、そちら側の管理者にも問題ある…とも思って、
そういう通告をしてやったまでだ。
   
もっとも、世の中には、いわゆる“アダルト・モノ”のネタや商品を売り買いするための、
そういう人たちのための専門のブログ会社も幾つかあるので、
云ってみりゃぁ連中は、そういう枠から「ハミ出チャッテすいません」くらいの頭で、
自分の扱っているエロ広告で何とかアフィリエイト収入を右上がりにしたいというような、
ちんけな連中に過ぎない。
んでも、そういう仲間は そういう仲間同士だけで変態チックに交流してりゃぁいいんであって、
世間一般のノーマルな人(?)の交流の場にハミ出てきちゃダメだ。
犬を連れて公園を散歩してる人が自分の糞を片付けないことより悪い。
無責任な人間がどんどん野良猫を増やして、
ある日、公園の砂場で遊んでいた幼児の指の爪の中に
猫の糞が入ってしまって、
それを見つけた親御さんが困ってることと同じようなもんで、
巷の青少年…まだスレてない未成年が、もしも、そんな グロいページを開いてしまった日には、
脳味噌の中だけがハーレムになっちまう。
「教育上よくない」ということではなく、
そんな栗の花くさいページを
見る必要がない人に見せる機会をつくるなっちゅうことだ。
見たけりゃ見りゃいい。自分で探してな。
なんでもかんでもイッショクタになってしまった今のネット上で、
とくにアジアのインターネットはグチャグチャだ。
どれもこれも社会が平等な権利を主張させた結果がこれだ。
アンダーグラウンドってのは、表に出てきちゃうと、
もうそれはアングラでもなんでもなくなっちまう。
浮浪者は銀座の三越に出入りしないでしょ。
あの人達の方がよっぽどマナーがあるよ。
   
   
今後も徹底的に、草の根を別けて、
俺は薄汚れたアジア圏のインターネットがクリーンになる日を目指す!
   
って、やっぱり俺のページも、そのうちのクズなんだろうけどな。
んでも、ゴミはゴミ。
ネット上も、しっかりとした“ゴミの分別”モラルを守って、
今後のそういった問題に対処していく所存だ。 俺はな。
卑屈な奴の卑怯で卑劣きわまりない行為は、世界中のテロリストと共に処罰すべきだし、
俺は許さない。
   
このところ、 AllaboutME というタイトルで、
様々な人のページのコメント欄が汚され、荒らされている。
   
AllaboutME ブログ アメーバ 
    
の、三つのキーワードで検索をかけると、
その被害()は100件にとどまらない。
藤田社長のブログまでも荒らされ、
これはどうやらアメーバに恨みを持つ奴のシワザと思うけど、
俺は、それが誰なのか、見当はついてる。
んまぁ、「馬鹿は相手にしない」という姿勢が懸命なのかも知れないけど、
もしもそいつが、こういうことを云っている俺のことを気に入ってくれて、  ラブラブ
今後は俺のサイトだけを対象に、“荒らし行為”を繰り広げてくれるなら、
みなさんのページはキレイなままで、俺のページだけに集中…。
俺はそうなってもいいと思ってる。
決して、気取って云ってるわけじゃない。
「やれるもんなら やってみな。」
って、挑戦的な気持ち、構えでいる。
俺は絶対に怯まない。
ともあれ、
できることなら早いうちに、
コメントの管理画面にも、その公開・非公開を自由に選択できる
「承認待ち」のタグをつけてもらえれば…とも思うけど、
んまぁ、ユーザーの声が反映されるまでには、
何事にも時間がかかる。
☂♨のスタッフはみんな忙しいんだ。
ヒマなのは、ブログ・ジャンル「日記」のトップ10にいる、あの人(?)くらいなもんで、
みんな仕事に追われ、サービス向上に努めてくれている。
有り難い。
   
   
   
また余談だけど、
…そいつ(AllaboutMEのスパムコメント野郎)は、どうも、
日頃、思ったことが何一つ実行できなくて、
肉体的にもかなり苦しい状態。
まず、頭痛がヒドイ。
脳天が割れそうなほど、近いうちに狂い死ぬかのように頭が痛い。
俺にはそういうことが視えて判っちまうんだけど、 (…なんでだか。)
性別は間違いなく男。20代後半から30代半ば。
やや中肉中背だけど、現在はかなり「躁」、の危険な状態にある。
まぁ、気持ちだけがチンピラみてぇなもんで、
男としての度胸はない。
食事の時は物をクチャクチャ喰いながら喋り捲る。
俗にいう精神障害の典型だ。
んでもパソコンの知識とかは異様に豊富で、
その必要以上に身につけてしまった知識を
どこにも活かしようがなく、たぶん、そのことを
つい最近までそうとう悩んでた奴だ。
ここまで云うと、アメーバ・ブログを隅から隅々まで大好き人間の人なら、
だいたい見当がつくと思う。
ヒント。過去に、日記のジャンルで消された奴。
んまぁ、そいつの登録情報は必ず、
ネット上のどっかに残ってるはずだから、
洗い出して突き止めたい人はやってみりゃいい。
引っ越してなけりゃ、まだ同じ住所で登録したプロバイダー会社の情報もあるはずだ。
世間の「個人情報の保護」のウンヌンがどうあろうと、
大勢の人に迷惑をかけてる奴は、
なにかしらの犯罪法にこじつけて しょっぴいてやりゃいい。
どうせ頭が変になってるから反省なんてことは もうできないだろうけど、
本人に、自分が人類を敵に回してることに気づく日が訪れまでの時間が
少しは短くなるし、今後もしも、
いつか俺を訪ねて来たときに、俺はそいつに
自分が持って生まれた能力を何処で使いこなせばいいのかを
ハッキリと教えてやる。
そういう覚悟もある。
要は、自分が何なのか? 
何の役割をもって この地球上に存在するのか? 
(…これは真面目な話だ
そういうことを、悪いこと・・・・他人に迷惑ばっかりかけてる人間にも
気づかせてあげられる方向にもって行けるなら、
世界の犯罪心理学も ちっとはマシな方向へ進んで行ける・とも思う。
「AllaboutME」なんてタイトルをつけてること自体、
奴には大声で泣ける場所がない。
今までもなかった。
何一つ誰も信用できなくて、今はもう、
自分がどうなっても構わないという、その一歩手前の、
そうい生き心地がしない場所にいる。
   
んで、
これは本人だけが悪いだけじゃないんだけど、
そこいらのオヤジが呑んで歌ってる「みんな時代がわるいのよ♪ やってられないったらやってらんない
っていうことでもない。 (…そういう大人の嘘っぱちは流行らせるもんじゃない)
兇いのは戦後の日本社会を構成した教育そのものだ。時代ではない。
全面的に、今の、人間が人間として生きづらい社会常識をつくりあげた、
日本の戦後教育…学校教育も、闇雲な経済追求の社会も、
「お前にもやればできる」とか、
「人権尊重、どの人も平等、すべてにおいて男女平等」だとか、
これほど兇悪な思想はないというほど、
そういう偏った自由に支配された頭で、
世間一般の社会常識を重んじる人々の意識が、
この100年か そこいらの間に、日本人という人間をダメにしちまった。
若者はフヌケて、メディアの虜になってる。
その親のうち何人かは、必死になって働いてもバカらしいのか何なのか、
好き勝手に汚職、贈賄、捏造、詐欺に手を染めてみたり、
勝手に自分の人生を投げ出すように、
朝のホームを行き交う電車で肉片を飛び散らせてみたり、
そのまた親の戦争体験者は、無責任にも、殆どの者が、
自分達で過去に行った事実を包み隠したままボケ老人になっちまってる。
んで、そういう社会からエスケイプしたつもりでいるのが、
IT事業主さま御一行のみなさんだ。
とんでもない、教育によって滅びかけてる人間社会に
マトモに填められてるじゃねぇか。
どんなに成り上がったって、この日本からは出て行けないじゃん。
熱い風呂が嫌いな子供のように、
世界に出ても誰にも相手にされないでしょ。
どこにいる? 
ここ数年間に急激に のしあがったと言われるITビジネスの中で、
ロック・フェラーやカーネギーを越えられたか?
ロスチャイルドやデュポンから「仲間になってくれ」って招待状が来たか? 
イタリアン・マフィアとか、世界の武器輸出入貿易に携わる連中と友達になれたか? 
嘘じゃん、大金持ちじゃないじゃん。
小遣い稼ぎが巧くいっただけじゃん。
パチプロのラッキー人生と大差ないじゃん。
泡ガネだらけで使い道が判んねぇじゃん。
大紛争の跡地に地雷は伏せられたままじゃん。
そこで踏んづけてみりゃいい。
自慢のヘリコプターで折り立ってな。
死にはしない。か●わになるだけだ。
地雷ってのは、そういうふうに
生きてる人間の手足を不自由にさせるように造ってある。
「環境保護」がどうのこうの云ってる連中も同様、
嘘じゃん。
保護されてる部分より破壊の進行の方がまだ速いじゃん。
誰もそれを止められないじゃん。
どういうこと? なんの“お勉強”をみんなでやってるの? 
俺には人生 生き残りゲームにも見えねぇぜ。
勝手気ままなカネ儲け合戦なんだろ? 
大企業と世界ドル経済 の馴れ合いってのは。  
   
アホの骨頂で束ねられた新聞記事なんか読んでるから
マトモに北半球と南半球の地球の動きが見えなくなっちまうんだ。
どこが平等だ? 
世界各国、生きるために不必要な物を必要以上にみんなで生産・開発するから、
経済社会の頭だけは横一列で「世界は一家」かも知れないけど、
あとはぜんぶ、不釣合いで噛み合わないことばっかりだぜ。
人間の心なんて とくにそうだ。
みんながバラバラ。
「俺にもできる」「ワタシにもできる」って、権利の主張だけでしかない。
この地球上に生かされている人間の義務の遂行は後退の一途だ。
んでもって、中途半端に健康な身体を引き摺って、
そこに鞭打って働いて生きて、このザマだ。
   
「AllaboutME」のスパム君も酒鬼薔薇くんも
オウムにハメられた優秀な大學出の若者も、
そういう現代教育弊害社会常識の犠牲者なわけ。
  
俺の場合は運よく、
そういう雁字搦めの世の中からドロップ・アウトできたつもりだけど、
逃げはしない。
立ち向かうぜ、昨日も今日も明後日もな。
見えちまうんだから仕方ない。
・・・・いっとくけど、気をつけた方がいい。
もう想像もつかないようなヤバイことがまた起っちまう。
最近そういう胸騒ぎが止まない。
具体的にそれは…って、ここで云うとまた話がこんがらがるけど、
んまぁ、そういう予言めいたことはやめとこう。
人は十年先、百年先を読めば馬鹿か気血害で、
明日を読めば成功者だ。
死んだ“カツオ爺さん” (またでたよ)は、よく そう云ってた。
俺は今、一月か一月半、二週間くらい先の世の中が断片的に視えてしまう。
それが何なのかは判らない。
んでも「やっぱりそうだったか…」て思ってから口を開いても、
それは あとの祭りだ。
そのヘンの口達者な信仰宗教の教祖さまなら誰でもやってる。
問題は、そのあと…そういう事件、惨事、災害のあとの処理がどうなるかってことだ。
政府がどうとか地域社会の取り組みがどうとかってことじゃなくって、
そういう何か何者かの誰かに責任転嫁する無責任な問題じゃなくって、
自分たちで見失ったことからはじまっている原因についてを理解、判断が可能かどうか、
自分の心に嘘いつわりなく生きた結果に起った事実なのかどうか・・・・・
また理屈っぽい云いまわしだけど、そういう落ち着いた物の見方・判断を
自分ができなくても、自分の周りやスグ隣近所にいるかどうかが大事だよ。
(別に俺がソレではない)
その本人はまだ、自分が指導者であることに気づいてない場合もあるけど、
一応まだ、何人かいるみたい。そういう心身共に余裕のある人が。 
   
余裕のない人は、自分が生きて生かされている人生の謎に、何の分析力もなく、
必要以上の知識が頭にいっぱい詰め込まれ過ぎててフィルターが被さってる状態。な。
問題発生時には逃げ惑うだけ。
当たり前に見えるようだけど、
もっと手に負えないのが開き直っちまうタイプだ。
開き直った人ってのは、ただ開き直って、そこで終わらない。
危険人物に変貌する要素を持ってる。
たとえば、AllaboutME君のように。
まぁ、そのくらいの程度の低さなら大したこともないだろうけど、
危ない奴は危ない。
今、この日本で、最近の現代社会で、
普通の人の頭や神経では理解不能に思えるような事件を起こしているのは、
ぜんぶ、60代以下だ。
その中心に、20歳代半ば~30代後半という、
全国市区町村の義務教育現場、小中学校における、人体実験のような学校給食が
完全に画一化された時代に幼年期を過ごした人たちに多い。
これが何を意味するか? 
戦後の義務教育の中でとくに、1980年代ってのは、
恐ろしいまでに、ある意味、思想教育化されたものだった。
偏差値とか「終身雇用採用バンザーイ!」とか、毎日の喰い物までもがな。
自由があるようで、実は自由がどこにもない。
「やれば」できないし、分らなければ排除される。
刃向えば抹殺に近い現代社会教育システムの諸々の常識。
塾も習い事も、何の資格取得も、
自分が自分ではないように思えてきた人達には
何一つ役には立たなかった。
そこから、もうどうしていいか判らなくなった人のうち、
もの凄く立派に勉強して完成させられた頭で、
ある日突然、開き直った翌日に、とんでもないことをしでかしてしまう。
登校拒否も、出社拒否も、引き篭りも、
心にバリケードを張る犬や猫の飼い主も、
自分の肉体を思うようにコントロールできない心が
狭い場所へ押し込められているだけのことに気づけない限り、
自分の中で「立ち直りたい」という葛藤が、
間違った方向(…とも云えない場合もあるけど)へ進んでしまう。
全国の、ニートでオタッキーな連中の中にも、
そういう危険要素を持たざるべくして持たされたような格好の人が大勢いる。
それはまず、肉体に問題がある。
産まれる以前、母親の胎内にいた時の状態が
まったくもってして自然界の道理に叛していて、
全身の筋肉(心の容器)が、今生に産み落とされ、産まれ出でてから
何一つ不自由なくコントロールできるように配備が整っていなかった。
これについては、ある程度もっと判りやすく解釈してるページもあるので、
今日はそっちをまた捲って読んでくれ。すまん
) 
   
要するに、自分の「心」が使って動かす道具としての肉体がままならないわけ。
ほんでこんで自由が利かない。 (どこの方言だ、こりゃぁ?)
   
   
さて、昨日 書いた内容よりも幾分、話の筋がマトモにはなってきているように思えるのは
今の俺だけかも知れないけど、
俺は今、こういう話が幾らかでも通じて、色々と意見を出し合える…友達がほしい。
以前は、俺の周りにも何人か そういう人はいたけど、
ほとんどが死んでしまったか、あるいは生活に追われる仕事が忙しすぎて、
「そんなヒマな野郎をいつまでも相手にしてるカネも時間もない」というようなことから、
一緒に酒を酌み交わす機会もなくなってしまった。
…ちゅうか、みんなが大人になったのか? 
   
ここのところ読者は増えているけど、
やっぱりみなさん警戒模様なのか、普通にうれしいコメントも乏しく、
書くパワーが漲ってこないような気がする。
   
それでも、「俺は俺なんだから」と云い訊かせるように、
「おいおいちょっと待てよ。大丈夫かよ、そのパラノイア頭は。」
というところと、平常心がスレスレぎみの精神状態にある。 (…昨年末よりは、かなりいい
んで、そういう俺自身には、
何か自分と他人を比べてみたりして、
「羨ましい」とか、「嫉ましい」という気持ちは、ほとんどまったくない。
また、「こんな自分で恥ずかしい」という思いは、全然ない。
そういうことは、かつて10代~20代前半までは少しはあったように思うけど、
本来、人の世の中ってのは、
この世に産まれてくるときにも、必ず、
「引っ張る人がいてくれて、押してくれる人がいる」
という、物事の道理、自然界の決まり(恵み)の中で、
すんなりと事が運ばれて生きてゆけるようになってたはずなのに、
今日のような社会の、人々の足の引っ張り合いや小競り合いの数々…。
そういうギクシャクして、義理人情や侘びさびの古めかしい常識に
雁字搦めに縛られてしまうことが、好きな人も世の中にはいる・らしい。
それはそれでいいとは思うけど、そういう人と友達になりたくなかった俺が、
最近は、そういう人と幾らか会話が交わせるようになってきた。
   
それでも今の俺は未だ、
誰かが誰かを悪者にしないと一つに纏まれない集団意識ってのが大嫌いで、
どうも、そういう世間一般、心貧しき馴れ合い社会には溶け込めない。
もしも、そういう人たちの仲へ我慢して混じっても、
そこにどうしても、成り行き任せな、どうにも成長しようがない人の集まりもあるので、
かつては、都会のそういう職場の中でも、
ちょっとでも俺に俺の心を開かせるような問題が発生すると、
たとえば、
折角も、こんな俺のような人間を雇ってくれて、
「仕事があってありがたい」という気持ちでいながらも、つい、
「本人のいないとこで陰口たたいてもショーがねぇじゃん、
言いてぇことがあるなら面と向かって云わねぇと何も変わらねぇだろ」
「カネ貰ったら素人じゃねぇんだ!
時間から時間までいりゃぁ カネになるってもんじゃねぇだろ!」
などと強く心に感じる瞬間に、その通りに相手方に云ってしまったりしたもんだ。
今はもう、そういう憤りを感じる場所が少なくなったけど、
子供の用事で、保育園とか市役所とか病院へ行ったりして、
一度そういう許せない部分が見えてしまうと、   
そこに燃え盛る炎を自分では消すことができない。
消火器が必要だ。
腹の中はおろか、胸も掻き毟られるほど、ファイトしてくる。
   
冬空の厳しい海風にもめげず、
荒れ狂う波の上を飛び交う鴎とかがいる佐渡では、
全体が、そういう海に囲まれているので、
どうにも気持ちが治まらないときは、
そこへ、軽トラックで出かけて煙草を吸ってみる。
するってぇと、2時間くらいで、明日の人類をいとおしく思える気にもなってくる。
自分と他人の区別、
自分の中にあるモノのデフラグ。
   
な、人間も、最近の大容量のハードディスク同様、

デフラグすることが必要だ。
   
別に、海で青春の黄昏に酔いしれるってことじゃない。
常に、
「お前は何者か」
ということを自分で自分に問い詰めて、
それが判らなくても、   
今日の問題で苛んだ自分を明日へ引き摺らないようにした方がいいってことだ。
心も身体もな。
   
んで、世間一般の単に結果だけを診てる常識の範囲内で言われる「精神病」
と呼ばれてしまってる人は、それが病人だろうと犯罪者であろうと 
心、精神ではなく肉体に問題が多い。
反対に、身体が弱い人、肉体的な健康に欠けてると思ってる人は、
それ以上に、心に問題を抱えてる。
どちっが先とかの話じゃなくて、
筋肉でできている人間の身体は心の容れ物なんだ。
いつも同時に生きて動いてる。
生きて呼吸をして細胞が動いている間は、
その心も身体も、決して別々のもんじゃない。
   
そんな当たり前の簡単なことを心理学者や全世界のカウンセラーの人は解らないから、
人を救えるような顔つきで生きている自分にも常に嘘をついている。
精神病院の医者なんてのも同じだ。
クスリを呑む人より呑ませる人のためにあるのが病院のクスリであって、
連中は、患者以上に、クスリに頼って生きている。
もしも世の中に、精神安定剤がなかったら、医者の精神が安定しない。
不安だらけだ。
なぜなら、人間について何も解らないから。
解らないから治せないし、治そうと思うから酷くなる。
   
これについては、今後ももっと具体的に話を進めていくけど、
今後の世の中では、先天的に健常ではない人のための施設と、
立派に大学まで出た人が社会に出たあとスグに入ってしまうような病院だけが増える。
あとの小児科とか産婦人科とか、旧い看板の耳鼻咽喉科は消えてなくなる。
んで、原因不明に肉体が病んでしまう奇病も、今よりもっと増える。
一家庭に何人の高齢者がいるのか、
子供も大人も、そういうところに費用がかさむと、
そっから
先の家計は、どこも火の車だ。 
ペットの老後なんて世話してる間もない。
   
決して最初から醜い心で産まれた人はいない。 絶対にいない。
それでも、醜く筋肉が変形した肉体には、醜く見えてしまう心に汚れが多い。
それは、いつ汚したのか? 
何の知識が必要以上だったのか、
何の美貌や経済の追求が邪魔をして妬みや恨みを芽生えさせたのか?
権利と、見栄と体裁が、本当に生きるために中心なのか? 
   
痩せすぎや太りすぎであっても、
そこに本当に、栄養学や学問のようなダイエットの知識や道具が必要なのか。
そういう喰い物や呑み物の流行に乗っけられることが、どこまで重要なのか。
そういう物を呑んで喰って寝て起きる、今だけの自分を考えて生きる自分が、
常に筋肉の中へ流れる血液を汚しながら、徐々に徐々にゆっくりゆっくりと、
汚れた血液が流れる血管が張り詰められた全身の筋肉を変貌させてゆく。
皮膚なんてスグ、もうドロドロだよ。
産まれたばかりの赤ん坊が全身アトピーなんて当たり前だ。
つくって育てる場所が汚れてるんだからな。
少子化の世の中で、どんどん増えてる。
その子供がどこまで、陽心、陽気に、明るく楽しく元気で過ごして生きていけるのか。
生涯、ステロイド剤とか、抗ヒスタミン剤の塗り方を工夫して生きて行く。
そして本人は常に思う。
「どうして私に、こんな人生が用意されたのか?」 
「私は何なのか…」
もうその思いは、頭がおかしくなるほどだ。
そこまで皮膚が痒いという苦しみは、産んだ親にも解らない。
でも本人は、まったく正常だ。
自分の身体にどんなにカネが掛かっても、
そういう自分が悪いと思って、
親に兄弟に「申し訳ない」という気持ちで生きてる人もいる。
だから、絶対に狂いたくても狂えないし、
どんなに痒くても死ぬわけにはいかない。
なぜなら、納得がいかないからな。
「これはどうして痒いのか」
常に自問自答して、自分自身の追究は止まない。  
    
   
全身の皮膚の下には筋肉がある。
全身の筋肉の中には血管がある。
全身の筋肉の中の血管には血液が流れている。
全身の筋肉に流れるすべての血液は、人間の腰にある腎臓が濾過(掃除)している。
その腎臓の機能は常に、腰の筋肉に守られて働いている。
その腎臓の仕事のうち、血液中の汚れは、膀胱へ送られ、

膀胱は尿として身体に必要ではないゴミを
尿道を通して身体の外へ出す。

その尿道が通っている場所は、男女共に生殖器で、腎臓と膀胱と密接な関係にある。
従って腎臓という臓器は、子供をつくるためにも大切な臓器だ。   
普通なら誰もが、腰に二つ背負って生きている。
また、全身の骨密度、塩分調節をしているのも腎臓の役割にある。
だから骨は、カルシウム以前に塩分を必要としてる。
腰が弱いとか、腰痛とか、腰の筋肉が張って、硬く冷たくなっている人ほど、
しょっぱい物を口にしたがる。

それは、腎臓という臓器が自分の仕事をまっとうするために要求している。
その腎臓は、本来、キレイに濾過した血液をすべて肝臓へ送る。
肝臓は、すべてが血管で出来ているほど、
全身の筋肉が生きるために必要な大量の血液を常に蓄えている。
だから、全身の筋肉は肝臓の管轄にある。   
その全身の筋肉に流れる血液が通る管、つまり血管。   
そのすべての毛細血管にまでも、肝臓から送られてきた血液を回しているのが、
心臓の仕事だ。
全身の血管のところどころ、その27箇所ある脈の心拍数も、
心臓の鼓動によって司られている。
そしてその心臓は、肺が呼吸しない限りは、
人が正常に、口で吐き出した息を、二つの鼻の穴で吸うという呼吸がない限りは、
正常に機能されない。
その肺という臓器が正常に呼吸の出し入れをしない限りは、
全身の筋肉の上へ覆いかぶさっている、とてつもなく薄い皮膚も、
皮膚呼吸ができない。
   
だから、人間の身体は血液が汚れていれば、皮膚は汚くなるし、荒れてもくる。
全身の筋肉全体が重く、身体が疲れてくる。
とくに、脚の方の筋肉へ血液の循環が鈍くなる。
膝を曲げ、猫背になり、足を引き摺るように歩く。
足腰の筋肉に正常な血液の流れがなければ、
硬く冷えて、痛くもなってくるし、背中を丸め、そういう痛みや辛さを堪えることにもなる。   
なおのこと、肩で呼吸をするように、肺の仕事も満足に運行されない。
呼吸が浅く、まったく腹式呼吸ができない状態。
だから腹筋に力がない。
そのために、腹の中にある臓器を支えられず、下腹部が膨れる。
中で下垂した臓器は、やがて尿道と肛門筋肉を圧迫する。
出口が塞がれれば出る物も出ない。
便秘や残尿感は、そうして起る。
出ない物は決してそのままではなく、
便は腸壁に吸収され、尿は尿道筋肉に吸収され、また再び体内を巡る。
なおなおに血液は汚れるし、必要以上の水分が、
尿道や太腿の内側(四肢)、腰の筋肉を冷やしてしまう。 また常に残尿感。ゴミが溜まれば尿道狭窄。
(…もう、踏んだり蹴ったりだな。)
ところが、それだけでは済まない。
   
人間、自分の目に見える部分の形の変形は気にしても、   
自分の内臓が自分の正常な位置にあるのかどうかは気にしない。
間違いなく、下腹部が膨れて大人なのに幼児体形の人は、
胃ばかりでなく、大腸も、小腸も、膀胱も、胆嚢も、

女性の場合は子宮もすべて、
下腹部の狭い骨盤の中へ押し込められるほど下垂している。
その下垂した内臓は、両足の付け根にある(人間の上半身と下半身を繋ぐ)
非常に大切な太い動脈と静脈を圧迫することにもなる。

地球に引力があり、人間が二足歩行をする限り、
そのような体形の崩れ方や筋肉の変形は、決して避けられないし、
そのために、血液の流れが滞った場所で、
しこりが出来たり、変色が起ったり、部分的な痛みも、
身体の節々に出てくる。
それはすべて、筋肉に血液が流れにくくなっているだけであって、
とくに人間の足の付け根には、一旦しこりが出来てしまったりすると、
心臓に負担が掛かることにもなる。
そして、
   
   
ああ、この先 続けるとまた長くなるな。   
とりあえず、ここまでにして・・・・
ここに俺が書いたことの全部が当てはまる人もいる・かも知れないけど、
誰がそのように、壊れやすく、それでいて精巧な人間というものを創ったのか?  
決して人間が造作した物じゃないし、ましてや人間の造った学問で解るモノでもない。
そういう物の見事に繊細で精密な全身の肉体、筋肉で出来ている身体を動かしているのが、
人間の心、魂、精神だ。   
決してそのすべてを脳が支配しているわけではないし、
「皮膚は皮膚」「臓器は臓器」とかっていう部分的ではないの、わりぃけど。人間の身体は。 
それを医学ってのは、人間の身体を あらゆる「科」に切り別けて、
あたかも部品と部品の組み合わせのように診て、考えてる。 自分自身の身体も一つなのに。
(…子供の頃はプラモデル好きだったのか? 今でもガン・プラのコレクターなのか?)
しかも、そのように精巧に創られている人間の身体を、自分自身を、
「全身アトピー」と言われる人も、
全身筋無力症と診断された人も、
「その肉体が何なのか?」ということを、
その肉体を動かしている心で悩み苦しんでいる。
そしてその、本人が感じている事実を絶対に医学は解らない。
人間の創られ方の道理や基礎を知らない、教えることのない医学は、
今後も もっともっと複雑に解らないようにしてしまう傾向が強い。
   
   
   
俺がよく口にする、
「自分は何なのか?」
ってことは、そういうことにも厳しく関わってくる。
   
見てみぬフリ、解ったフリ、出来ないのに出来るフリ…
そういう鼻の裏側が むずがゆくなるような人々の生き様が
どうにも臭い・・・・って、許せなくなっちまう俺自身も、
自分を自分でコントロールできる時間が少ない。正直なところ。
だから、
だからってこともないんだけど、
全身の筋肉が硬い俺は、それを自分で自覚していながらも、
肝臓が常に燃え盛って短気…、ことあるごとに木炭をカマドにくべてる状態で、
その火を抑える水としての腎臓機能に負担がかかるほど、
腰の筋肉が重く張って、息苦しいときもある。
かつては立って歩けないほどの腰痛に悩んだこともあったけど、
今はなんとか、他の部分の筋肉との関係で補って、
この足腰を自分で動かせるようにはしている。一応な。
   
   
   
何事も原因や、そこに至るまでの過程や構造がちゃんと解ったなら、
問題の解決は難しくなくなってくる。
   
心にしても、身体にしてもな。
だから、心ある医者、医学者のうち、
本当にシンミになって、その人の身体を理解してあげたいと考えるなら、
「治そう」なんて思ったり考えたりする以前に、
また、明後日の方角にあるようなことを深く研究する暇は捨てて、
まず、自分という人間が何なのかに気づいてみりゃぁいい。
他人ではなく、自分だ。 自分自身。
   
自分とは何なの
か? 
   
果たして人間なのか? 
   
そのくらいの位置からでないと、もう治せるものなんてないよ。
治せないし、治らない。
   
治すことが医者の役割じゃなくても、
「治りたい」   
「これ以上 悪くなりなくない」
って、考えている人の心で、世の中はいっぱいだ。
   
そこに応えられなくたっていいんだ。
解ってあげようとする気持ちさえあれば、
それだけでじゅうぶん救われて、
治らないと思っていたことも治る方向へ進むかも知れない。
   
それをいきなり、「癌の疑いがあります」なんて平気な顔で言うなよな。
もう世間では死亡率が高いとか、
「煙草が悪い」とかっていう浅はかな考えしか持てなくなってんだから、
もう言われた本人や家族は絶望的だ。
医師の医療行為で最も重要な問診を医原病に換えてどうするよ。
   
まぁ、その話はいずれまた詳しく…な。
   
  
とにかく、自分は何なのか? 
解らない人は解る人に訊いてみる。
必ずいたはずだ。 つい最近までは…。
   
でも、いなくなっちまったために、世の中 おかしくなっちまった。
   
昔とは違って、今はもう、寺の坊主も頼りにならない。
医者でもないのに何でも治してくれるような、
お助け婆さんも、厳格なオマジナイ爺さんもいない。
指導者らしい指導者はどこにもいない。
海にも川にも山にも谷にも、町や村落のどこを探し回っても。
   
みんながみんな、自分の将来に不安を抱えて、
ヘンな機械の使い方に悩んでるような接骨院や治療院を回り巡って、
宗教にまでも無駄ガネ払い込んで、
また新しい理学療法の看板を見つけると、そこへ厭きるまで通いつめる。
あるいは、新聞・雑誌やネットをひっくり返して、

そういう情報を探しまくる。
スゴイ努力だ。
   
   
でも、招いたのは自分だ。
どんな病気や怪我も、やったのは、やってるのは、他人じゃない。
自分自身の心が使ってる自分自身の肉体でやってるだけだ。
んじゃぁ、その“自分自身”てやつを突き詰めて考えてみりゃいい。
   
自分は何なのか? 
   
そんなの、どこの本や経典であろうと答えは書いてない。
なぜなら、そういう大そうな本を書いたのは自分じゃないからな。
他人の知識だ。
   
何事も他力本願なままでいると、治癒力なんてのは絶対に働かない。
   
どんな怪我であっても、自分だけの権利を主張して、
会社や相手業者の責任だけを考えてりゃぁ、

治るもんも治りはしない。
まず、その心が治らない。
   
   
やってるのはすべて、己。 自分自身だ。 他人ではない。
   
だから、過労死も過労自殺もPL法も、アスベストの馬鹿騒ぎも、姉歯のイタズラも、
人権、平等、権利の主張ばっかりを先に立てれば、問題は拡がる一方だ。
   
やってるのは自分だ。 はめられたのも自分だ。   
   
重要なのは、
   
        自分が何なのか? 
   
   
なぁ、AllaboutME くん。
   
さぁて、この時間は何発 書き込んでくれたかな?