対馬4 多久頭魂神社〜雷神社 | 佐賀ンもん

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対馬といえば神社。とにかく島内にはたくさんの神社があり、神道の源流は対馬にあるのではとも言われたりしています。

代表的な神社も見てみたいのですが、特に見てみたかった神社があります。
島の南端にある町、豆酘という場所にある神社、雷神社(いかづちじんじゃ)です。
とりあえず、豆酘(つつ)という町を目指します。


豆酘は赤米神事などで有名な町らしく、美女伝説などさまざまな伝承が残る、神話の島対馬の中でもとても興味深い町のようですね。

最初に寄ったのが、多久頭魂神社(たくずだまじんじゃ)。豆酘といい、なかなか読みづらい名前です。



多久頭魂神社の周りには、赤米の田が広がっていました。
赤米神事は、ここ多久頭魂神社で行われているようです。周りにある田は、この神社に赤米を奉納するための神田ということのようです。

入り口に近い場所には、薄い板状の石を積んで作られた、独特の階段がありました。
その先には、室町時代に改鋳されたという(初鋳は平安時代)釣り鐘がありました。
この板状の石積みは、対馬のあちこちで見られました。対馬の石積みの特徴なんでしょうか。



多久頭魂神社は、昨年話題になりました。
対馬で発生した仏像や経典の盗難事件のうち、ここ多久頭魂神社の大蔵経の経典も含まれていました。
仏像の返還に関しては、韓国との二国間問題にまで発展しましたが、残念なことに
多久頭魂神社の大蔵経は未だ発見されていません。

基本的に、対馬の文化財はそれぞれの寺社などで保管されている事が多いようです。
今回の盗難事件によって、文化財の保管方法などが問題になっているらしく、対馬に文化財を収集する博物館の建設の機運もあるようです。
盗難にあった寺社の警報システムなども、故障などで使えなかったなどという報道もあったようですね。盗難以外の部分においても、博物館は必要なのかなとも思いました。




お参りの社殿には、直接中に入ってくださいと張り紙がなされていました。
これもちょっと珍しいですね。
過去神仏習合の神社だったようで、見た感じもお寺のお堂のような雰囲気があります。

豆酘に関しては、神功皇后の対馬最初の上陸地、という伝承もあるようで、多久頭魂神社境内に行宮もありました。


さて、豆酘の一番の目的地、雷神社です。これがですね、本当に小さな神社で、探し当てるのに30分以上ウロウロしました。


小さな小川のそばにある、というヒントしかなく、同じ場所を行ったり来たり。
ようやく見つけたのがこちらです。
過去こちらを訪れた人のブログなどをみると、以前は鳥居すらなかったようです。まだ真新しいですね。



お社もたいへん小さな雷神社。
祭神は雷大臣。別名中臣烏賊津使主。中臣鎌足など中臣氏の祖先と言われています。

中臣氏に関連した神社の鹿島神宮や春日大社の祭神は武御雷だったり、中臣氏の祖先と言われる人物の名に雷がついていたりと、中臣氏と雷の関連は以前から気になっていて、それだけに見つけた時は嬉しかったです。



神社に表示されている通り、中臣烏賊津使主は亀卜を対馬で始めた人物と言われています。卜部として神社などの祭祀に関わりつつ、最終的には政権の中枢にまで至った中臣藤原氏のルーツということになるのでしょうね。
それにしても、なぜ雷なんでしょう。
雷神社と呼ばれる場所が、全国のあちこちにありますので、それらを訪れるのが夢でも有ります。