2015年12月31日(木曜日)
【岡山県】 川上町
岡山県の内陸部は日本昔話のような土地だ。
瀬戸内海沿いの笠岡から北にのぼり、井原市というささやかな町を通り抜けさらに北上していく。
しだいに山の谷間に入っていき、道が細くなり、民家はもうほとんど見えない。
いくつもの峠を越え、谷をかけぬけ、どんどん文明からかけ離れたような中国山地の中へ。
いくつかの集落がポツポツと山の中に散らばっている。
それらの民家はどれもとても大きく、とりわけ屋根の形に目を引かれる。
これらの時代劇に出てきそうな民家の屋根は、トタンで覆われているがその下は茅で葺かれたものだ。
今の時代、茅葺の民家なんて重要文化財に指定されるような貴重なものだけど、この地域では当たり前にそれらで人が暮らしている。
築100年、200年の豪壮な田舎の屋敷。
ここは川上町という町。
俺の母方の婆ちゃんの家は、この川上町のさらに奥地にある。
山の風景ばかりで目印がなく、道に迷ってしまう。
婆ちゃんちどこだったかな。
昔は、この辺りに来るずっと前の時点でケータイの電波はとっくに圏外になっていたけど、今はまったく問題なく電波を受信しており、おかげで山のど真ん中にいる自分の位置をグーグルマップで確認することができた。
世界はどんどん進歩している。
今この手の中にある小さな機械で、世界中の町の家々を覗くことすらできる。
かつてこの川上町の山奥に住んでいた人たちは世界のどれだけを想像することができただろう。
しばらくクネクネ道を走り、標高の高い峠で車を止めて外に降りた。
冷たい風が吹き渡り、遠く幾重にも連なる山並みの向こうは鳥取県か。
大晦日の晴れ渡る空の下、風が気持ちよかった。
何も聞こえなくて、俺だけがそこにいた。
世界はこんなにも近いところに存在しているんだよな。
道に迷いながらも山を越え谷を越え、なんとか婆ちゃんの家にたどりついた。
「ただいまー!!」
「おー、帰ったかー。」
前と変わらない様子で爺ちゃんと叔父さんがコタツに入って年末の特番を見ていた。
懐かしいこの家。
金丸家の年越しはいつも岡山の婆ちゃんの家と決まっており、子供の頃からここに来ていた。
俺も年取ったなぁ。
裏に行っていた婆ちゃんが戻ってきて、あんたもう外国ばぁいっちゃえけんでぇ!!と肩を叩いてきた。
婆ちゃんはとても明るい。
お母さんと同じように。
「あらー、着いたねー。あんたインドはダメやかいね!!」
すでに宮崎から里帰りして到着していたお父さんとお母さん。
お母さんが俺の顔を見るなりインドはダメ!!と言ってきた。
相変わらずだなぁ( ^ω^ )
でも前みたいに、もし行ったら勘当やからね!!みたいな勢いではなく、まぁ仕方ないかといった雰囲気が表情にある。
すでに無事一周してきたことで少しは海外に対して免疫もついてくれているみたいだ。
「あんたが世界一周できたのは運やからね!!運!!もう使い切ったんやから行ったらダメよ!!ねぇお父さん!!」
「おう文武、このフェイスブックのいいねってのはなんか?どうやるとか。」
「あら、私も知りたかったんよー。教えて教えて。」
ほのぼの家族の金丸家。
なんだかんだ言いながら俺を見て嬉しそうなお父さんとお母さん、そしてお爺ちゃんお婆ちゃん、みんなで大晦日恒例のすき焼きを食べた。
お父さんが作るすき焼きは金丸家の味つけで濃く、お母さんはいつもそれを薄くしようとする。
俺はお父さんの味つけが好き。
俺と兄貴が家を出たのは高校を卒業してからだけど、帰省した時にお父さんが食後の食器洗いをしていたのを見たとき、少し驚いた。
きっと子供たちが巣立ったから、家のことはキチンと分担しようと話し合って決めたんだと思う。
お父さんはゴルフ、お母さんは山登り、2人とも友達が多く、いつも好きなことを好きにやっており、明るい。
そしてなにより健康でいてくれてることが、最近になってとても誇らしく思える。
それなりに厳しく、優しく、社会のルールをキチンと守り、働いて働いて2人の子供を育て上げてくれた。
少し頭は固いけど、はっきり言ってどこに出しても恥ずかしくない親だ。
お、俺がそう思われてるかは怪しいところだけど……………
年越しの瞬間が近づいてきて、色んな人からケータイに新年メールが送られてくるのを見て、婆ちゃんがiPhoneを覗き込んでくる。
「今のワケェ人はぼっけぇそればぁ見とろう。何がきよるん?」
「メールが来てるんだよ。」
「あら、私もスマホ使ってるとよ。ラインとかお母さんもやったらいいのにー。」
「はぁ、そがぁなもん使っとったらキチガイなってしまう!!いらんいらん!!」
石油ストーブの熱が部屋の中に立ち込め、窓ガラスに水滴がびっしりと張り付いている。
すき焼きはいい感じに煮込まれ、味が濃くなり、甘い醤油の匂いが湯気とともに立ち昇っている。
紅白が終わり、年越しそばを食べる。
ゆく年くる年で日本中の初詣の様子が厳かに映し出されている。
今年も終わり。
今年も色んなチャレンジをした。
でもそれらのすべてが本当にやりたいことだったのか。
プレッシャーで吐きそうになったことが何度あったか。
ストレスのせいで肌が荒れてボロボロになったりもした。
男にはそんなプレッシャーに揉まれる時期が人生で必ず3年あると聞いたことがある。
今年がその1年だったのかどうか。
今年の1番の事件といえば、パリでの同時多発テロだと思う。
あの惨事によってイスラム国が世界を脅かす脅威だということが100パーセント証明された。
しかしイスラム国のテロによってアメリカ、フランス、ロシア、日本など、今までいがみ合ってきた世界の強国がひとつの敵を持って同じ方向を向き、団結している様子に、何かしらの意図を感じずにはいられない。
世界は今、大きな転換期にあるんだと思う。
これからの3年で、きっと何か大きな世界規模の出来事が起きるんじゃないかな。
多くの人が血を流し、涙を流し、これから人間がどんな道を選んでいくのか。
きっと、人間はより良くなれる。
あらゆる煩悩を乗り越えて、人が人を見捨てない世の中は続いていく。
世界に生きる人間の愛を心から信じよう。
2016年、1人でも多くの人が心穏やかでいられますように。
1秒でも多く、笑顔でいられますように。
静寂の山奥に除夜の鐘は届かない。
デジタル時計が00:00になった。
新しい年がやってきた。
婆ちゃんが言った。
「また年を越えられたのぉ。」
その言葉がやけに重かった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
こんばんはみなさん!
あけましておめでとうございます、と言ってもリアルタイムではすでに数日経って、正月の余韻の中で日常が戻ったころですよね。
健康に2016年を迎えられていますでしょうか。
お知らせしていた通り、このブログは今日を持って終わりです。
日本一周から帰ってきてからだから、もう9年もこのアメブロを続けていたことになります。
早いなぁ………
このブログのおかげでどれだけ多くのかたとお知り合いになれたかわかりません。
人生の友と呼べるような人や、僕の人生を変えてくれたような人との出会いもありました。
ブログってのはすごいもんです。
このブログを始めた最初のころは1日にだいたい150アクセスくらいでした。
まぁ身近な人が近況を知るために見てくれていただけのもんでしたが、それが世界一周に旅に出てからとんでもない変化になりました。
1日のアクセス数が数千、そして数万となり、毎日のように来る読者申請、メッセージの対応に追われました。
ブログは僕にとって旅日記です。
最初の日本一周の時はまだインターネットもそこまで普及しておらず、ブログも一般的ではなかったので、アナログにノートに手書きで日記をつけておりました。
それはブログを始めてからも同じで、旅の中で起きた忘れたくない素敵な出来事や、感動した時の心情などをできるだけ細かく綴るようにしておりました。
金丸のブログは長いってよく言われますけど、あの時のあの風景はこんな風が吹いていてこんな色だった、それに対して俺はどう思ったのかを書いていたらまぁこれくらいになります。
楽しかったー、美味しかったー、だけなんて寂しすぎます。
そんな日記がどんどん多くの人の目に触れるようになっていったのは嬉しいことだったのですが、それにともなって批判をする人も増えてきて、僕だけじゃなく、まったく関係ない僕の親しい人のことも罵倒するようなコメントも出てきてしまい、やむなくコメント欄を封鎖したりもしました。
僕はできるだけ正直に、その時思ったことを自分の言葉でここに綴ってきました。
しかしそれが時に人を傷つけてしまうこともあって、ブログを書くということの責任を痛感しました。
僕を批判をする人もいるけども、そんな人を作り出しているのはまぎれもなく僕自身。
それを自覚しながら、ずっとブログを書いてきました。
ネチケットってものがありますし、なるべく気を使ってはいるんですが、やっぱりどうしても書きたいことは書きます。
それでいいと思っています。
やっぱり綺麗事ばっかりの日記なんてつまんないもん。
これからもそれは変わらないと思います。
これまでずっとこのブログを読んでくださっていたみなさん。
本当に本当にありがとうございます。
明日からは違うブログに引っ越して、新しい気持ちで次のインドの旅に向かって行きたいと思っています。
そしてこれまで以上に、読んでもらった人にワクワクしてもらえるような面白い旅をしていきます。
どうぞ、これからもよろしくお願いします!!
ありがとうございました!!!
2016年1月2日
金丸文武
新しいブログはこちら!
↓