カル-アのブログ

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大好きな乗馬の日誌と中村あゆみを応援するブログです。
感動した事を皆様にお伝えします。

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つい3日前、2014年のハリウッド版ゴジラの続編の予告編が公開されました。前回の映画からしてゴジラそのものの恐怖を描くのかと思ったら、中盤から別の怪獣が出てきて、最終的にモンスターバトルとしてしまったのが観る側にとっては評価の分かれるところでしょう。今回はさらにさらに多数の怪獣を登場させて、東宝が昔やってきたようなシリーズもののような展開のスぺクタル映画に仕立てているそうです。まあVFX満載で200憶円以上の製作費をかけた超大作とあれば見に行かざるを得ないのが僕の性ではありますが…

 

 

 

 

さて2016年に公開された日本のゴジラことシン・ゴジラは劇場でも見ているのですが、その当時はストーリーの半分以上を占める会議のシーンの連続に飽きてしまって今一つ感動することができませんでした。ところが先日ふと思い立ってDVDで見返してみたら、なかなかどうしてこれはゴジラが今の日本に現れたらどういいうことになるかを極めてリアルに描いた作品だと認識を新たにしました。日本のゴジラでは1954年の初代ゴジラが一番ゴジラの恐怖を描いていると僕は思ってきたけど、シン・ゴジラはそれ以上にリアルに怖い存在として描かれていて良かったです。2年前に劇場公開されて、1年前にはTVでも放送されているので、ゴジラファンは当然見ているものとして以下はネタばれ満載で話を続けます。

 

 

 

 

庵野秀明が設定したゴジラのもっとも特筆すべき点は、ゴジラが東京湾から上陸する当たって、海で生活するために必要だったひれの付いた第一形態から、多摩川河口を遡上して上陸する時には足の付いた第二形態へと姿を変え、地上を歩行ししていくうちによりしっかりととした足が形成され直立歩行が可能が可能な第三形態へと陸上の生物として進化し、いったん海に戻った後鎌倉に再上陸する際には第三形態からさらに2倍の身体に進化した第四形態へと次々に姿を変えることです。そしてこの第四形態のゴジラは足は岩山のようにがっしりとして太いですが、上半身にいくに従って細くなり、顔がこれまでのゴジラより小さめになっているので下から見上げると遠近法で体高がより大きく見えます。そして尻尾は異常に伸びていて体高の2倍以上ありますが、自在にくねらせながら行く手の街を壊しながら行く様は圧巻です。体表は固く黒い皮膚で覆われているのは従来の踏襲ですが、皮膚に刻まれた無数のひだは体内に抱える原子炉を示すように燃えるような赤で染められて、生命感にあふれています。さらによく観察すると、長い尻尾の先端はまるでエイリアンのように無数の牙の付いた口のようにも見えます。腕はほとんど使わないので恐竜のように退化して細くなっています。その結果今までのゴジラの中でも全体のプロポーションが最も整っていて迫力があるように僕には思えました。

 

 

 

 

 

さてストーリーはこの無敵のゴジラに対して想定外の災害として、政治家、官僚、自衛隊が一致団結すべく次々と会議を開きながら対応していくといういかにも現代日本らしい描写で淡々と進みます。しかし膨大な情報を一気に観客に流すために、登場人物のみんなが相当な早口でしゃべるのでついていくのが大変です。僕が劇場ではあまり感動しなかったのはこのせいです。しかしDVDで落ち着いて観ると、ハリウッドの映画ではありがちなヒーローと悪役との対立とか、愛しい家族との別れといった個々の人間ドラマは全く無く、ゴジラに巻き込まれた人間全ての群像形として描いていく様は、まるで昭和の猛烈に働く日本のサラリーマンを風刺しているかのようで痛快でした。そしてゴジラに蹂躙されがれきの残骸が残された街はまさに東日本大震災の被災現場のようでした。そして住処を奪われた人々が体育館等に避難し、自衛隊から炊き出しのサービスを受けているシーンは日本人としては他人事とは思えないものでした。

 

 

 

 

 

さて人類の叡智を超えた無敵のゴジラをどうやって倒したかは、ここまでお付き合い頂いた皆さまご自身でご確認下さい。今までのゴジラ映画で登場したような荒唐無稽な兵器は登場せず、あくまで今ある技術だけで対応しているところがリアルです。

先週の土曜日は出掛けようとしたら冷たい雨が降ってきて、この寒空の下で乗って風邪でも引いたら大変とレッスンをキャンセルしてしまった。そのため今日は2週間ぶりの騎乗である。今日は11月を思わせるような陽気で、風も無く日向ではポカポカしていて、気温以上に暖かく感じられた。

 

 

 

今日は先週乗れなった穴を埋めるべく14時の中級馬場と16時の中級障害を取った。中級馬場では選定でテンテに当たった。テンテは馬場でも障害でも10鞍以上乗っているので、勝手知ったる我が家のような気分で騎乗することができた。

 

 

 

 

 

馬場のレッスンは昨年の8月以来なので、とにかく丁寧に乗ることを心かけた。最近やっと踵を下げて鐙を踏み込む癖がついてきたので、速足では上下の反動を下半身で吸収することができ、上体が弾むことが無い。駈足では当初テンポを上げるとお尻が鞍から離れる感覚があったので、上体を思い切り後ろに向かってそってみたら、鞍壺にぴったりお尻を張り付けた状態を保つことができた。おかげで本命の障害のレッスンの準備運動をばっちりすることができた。

 

 

 

 

 

中級障害では愛馬のレガートを専用馬にした。競技会は今年は4月まで無いので、選定でも良かったのだが、今日は早朝に担当のA指導員が運動させただけだと聞いて、ただでも平日は障害のレッスンが無くて厩舎でまったりしているので、この気温の低い季節に運動量が少ないとレガートのフラストレーションがさぞかしたまっているだろうと思ったので専用馬をとることにしたのだ。

 

 

 

 

 

今日の中級障害のメンバーは7名で、そのうち常連のベテランが6名、新顔が1名という構成だった。騎乗前に口の悪い仲間たちからは、「今日はレガートの元気が有り余っているから、ロケット噴射のスイッチが入って走られて、エアバックを膨らませたらいかんよ!」とおどされて少々不安になった。昨年の11月17日には指導員さんが下乗りをしてくれたのも関わらず、レガートのロケット噴射のスイッチを押してしまって、その様子を見ていたA指導員からポケモンに馬替えされるという不本意なことがあったので、今日は慎重に乗ることを心がけた。

 

 

 

 

今日はレガート担当のA指導員がレッスンの15分前からみっちり下乗りをしてくれた。乗り替わってみるとそれでもレガートは元気いっぱいで、常歩からとっとことっとこ前に出る。軽く脚を添えるだけで速足が出てしまうので、駈足になると抑えがきくのか心配になったが、いざ輪乗りをして駈足を出してみると、手綱を持っていかれるということは全然無く、詰めた駈足もできたので安心して乗っていられた。

 

 

 

 

さて今日の障害は3本の横木を間一歩と間二歩の間隔で置いたものを、右手前と左手前と両方で交互に飛んでいくものから始まった。最初の2走行は微妙に速すぎたり、遅すぎたりと障害に対して正確に踏切を合わすことが出来なかった。しかし3本のうち間二歩のところをクロスバーに換えてからの4走行は要領をうまくつかんで軽々と飛ぶことが出来た。左手前の時は障害の飛越後直線上で停止をかけることができたが、右手前の時は直線上で停止をかけることが出来ず、ややオーバーランしてしまう傾向があったが、いつも注意されている踵はしっかり下げていられたし、障害飛越後の体勢の立て直しのタイミングがばっちり合っていたとA指導員から褒められた。何よりも嬉しかったのは、馬場の外からレッスンの一部始終を見学していた昔からの知り合いの会員さんから「とても綺麗に乗れてましたよ。」と声をかけて頂けたことだ。レガートと組んで4年になるが、やっと成果が形になってきたということか。次の目標は乗りづらい馬でも同じ調子で綺麗に乗ることだ。今年も頑張っていこう。

僕は4日から仕事だったのですっかり正月ムードは抜けていたのだが、街ではまだ正月気分の名残が残っていた。あちこちで門松が残っていたし、僕がクラブに行く途中必ず通る川越の商店街ではこれから初詣に行く人で、いつもより人通りが多かった。うちのクラブでは普段はあまり季節感を演出しないのだが、クラブハウスの入り口には正月飾りが控えめに設けられていた。

 

 

 

 

 

 

今日の初乗りは4時の中級障害をとったのだが、安全面を考慮して、一番信頼できる相棒のレガートを専用馬にした。レガートとは4年の付き合いになり、トータルで68鞍目と障害馬では一番騎乗回数が多い。今日のレガートは珍しいことに毛刈りをされており、すっきりとした姿で厩舎で僕を待っていた。

 

 

 

 

 

 

お尻にはレガートとアルファベットの文字が浮き出るように毛刈りされていてビックリした。誰がこんなお洒落なことをしたんだろう?

 

 

 

 

 

さて今回のレッスンは久しぶりにベテランが6人と新人が1名という大所帯で行われた。当然一番軽いレガートが先頭になった。フラットワークの駈足では、3ポイント、ハーフシート、2ポイントの乗り方を変えるようA指導員から指示された。3ポイントでは鞍の中央から前に腰を滑らせ、ハーフシートでは鞍の後ろから前に腰を滑らせるよう指導された。今日のレガートは落ち着いて走ってくれたのでそれぞれの乗り方にメリハリをつけることができた。

 

 

 

今日の障害は横木を4本並べて、最初の3本は間一歩のバウンスで、その後の一本は間2歩で来るよう指示された。昨年末レガートに乗った時指導されたように常歩からゆっくり駈足発進をかけると、レガートは軽快に走り出した。おかげで落ち着いて自分の姿勢だけに注意して走り抜けることができた。

 

 

 

次いで4本のうち最後の二本をクロスにして飛ぶことになった。これも難なくクリア。その次は今まで左手前だったのを右手前で逆から来るように指示された。レガートは面白いように飛ぶ瞬間が分かるので反射的に随伴をとることができた。最後に3個の障害を全て間一歩のバウンスにして飛ぶよう指示された。レガートは一発で決めることができた。他のメンバーはバウンスが乱れるともう一周と言われていたので、2周馬場を周ることができて少々羨ましかったが仕方ない。

 

 

 

 

とにかく今年の初乗りは無事終わることができて良かった。記録を見ると昨年は鞍数は35鞍と少なかったものの落馬は0である。今年も安全第一で乗って、落馬0で終わりたいものである。レガート、今日もありがとう。お疲れさま。

皆さん、平成最後の正月をいかがお過ごしですか?天気は良いけれど、風強くて寒い正月ですね。僕は1日にボヘミアン・ラプソディをもう一回見たかったので、IMAXで今度は見ました。やはりラストのライブシーンはYou Tubeでも見れるのですが、映画の方が臨場感があって思わず手拍子したくなりました。

 

 

 

 

それ以外は予定が無かったので、家にこもって懲りずにまた大好きなプラモデルを作っていました。今回作ったのは2年前にも作ったヤークトパンサーというドイツの戦車です。以前作った模型の写真はこちら。

 

 

 

 

 

これはこれでまずまずの出来なのですが、キャタピラの爪のところがぎらぎらさせすぎたのと、三色迷彩がいまいちはっきりしていなかったので、今回一から作り直しました。下の写真が今回作り直したものです。微妙な違いが分かりますか?車体下部の白く見える部分は泥跳ねを表現したつもりです。

 

 

 

 

 

車体番号は以前のものが102だったので、今回は131にしました。

 

 

 

 

 

キャタピラはだいぶ控えめにシルバーを入れることによって、よりリアルになっています。車体後部のエンジンのマフラーはオレンジを塗って錆を表現してみました。

 

 

 

 

 

 

今回の車体には前回無かった牽引ロープを車体側面の両側に取り付けてあります。

 

 

 

 

右側の車体側面です。転輪は今回は三色迷彩にしてあります。キャタピラがだいぶ控えめになったのが分かると思います。ちなみにこの戦車は重量が45tもあり5人乗りです。砲塔がありませんが砲身を左右上下に動かすことができました。前面装甲板は120㎜もあったので、当時の連合軍の戦車のほとんどはよほど近くまで寄らないと打ち抜くことが不可能でした。

 

 

 

木部の塗装が未了なのですが、前回よりリアルにできているので、自分の中では満足しています。ここまで塗装するのにまる3日かかりました。

 

 

 

昨年は多くの方にぺたやコメントを頂きありがとうございました。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

12月27日に母方の叔父が亡くなりました。大阪に住んでいたいたので、毎年大阪出張のついでに叔父の家に遊びに行かせてもらっていて、今年の1月に会ったときには元気で、「庭木の手入れのためにはしごに登っていたら足を踏み外して落ちたわ」なんて言ってたのに、まさか今年亡くなってしまうとは残念でたまりません。お通夜が28日だったので、あまりにも急でそれには間に合わなかったので、28日の晩になんとか新幹線のチケットと取って大阪に行き、ホテルで一夜を過ごして29日のお葬式には参列することができました。寒かったですが、透き通るような青空が広がったのが幸いでした。家族葬ということでほんとにささやかな式でしたが、ずっと会っていなかったいとこたちと楽しく近況報告をしあうことができたので、悲しみを和らげることができました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

先週の障害サーキットでは、凍りつくような寒さのせいもあって思いがけずレガートに走られて怖い思いをしたので、土曜日には障害のレッスンを二鞍取り、レガートに再び乗って基本に立ち返った練習をしておいた。レッスンでは思い切りスピードを上げて走行するのではなく、適度なスピードを一定に保って、行きたがるレガートを抑えて乗ることが求められる。レガートは障害を越えるとその後勢いがつくが、そのまま行かせないで一度キャッチして駈足を立て直して走らせることができた。余裕のあるスピードなので、馬上では上体を真っ直ぐの状態を保って走ることができたし、鐙にかけた足はしっかり踵を下げて乗ることができたので、レッスンを見てくれた指導員さんからは、「今日のカルーアさんの乗り方はすごく良かったと思いますよ!」と太鼓判を押して頂けた。おかげで失いかけた自信を取り戻すことができたので、とても実りのある練習となり、レガートに対する信頼と愛情の気持ちが強くなった。やっぱり僕にとってレガートは最高の先生であると同時に恋人でもある。

 

 

 

 

さて今日は朝から抜けるような青空が広がった。ときおり強風が吹いたが日向に出るとポカポカな陽気である。馬場はしばらく雨が降っていないので砂がさらさらして絶好のコンデションである。

 

 

 

 

さて今回のコースは準備馬場から出ると洗い場側まで馬を引っ張っていき大きく左に旋回して馬場の中央付近に斜めに置かれた第1障害を飛んだら右に回転して第6障害の奥を回って間4歩の第2・第3障害を飛び、そのまま右に回転して馬場中央に縦に置かれた第4・第5障害を間3歩で飛び、今度は左に旋回して第6・第7障害を次々に飛んだらそのまま左に旋回してラストのダブルの第8障害を間1歩で飛ぶというものだった。

 

 

 

 

下見では馬場の真ん中のダブルの第4・第5障害と、最後のダブルの第8障害さえクリアすればそう難しくないコースだと思われた。

 

 

 

 

 

 

僕の出る90㎝級の参加者は21名と多く、レガートが5名、家康が4名、デメルが3名、エーユームーンが2名、その他が7名という構成になっていた。僕が出るのはレガートの4番目、全体で17番目に設定されていた。僕の前にレガートで出た選手の一人目と二人目は第4障害で障害を落下させ、三人目の人は第4障害はクリアしながらも第8障害で障害を落下させたりと波乱が続いた。そこで僕は全力で走らせながらもできるだけ小回りのコースどりをして、鬼門の第4障害へのアプローチだけは少し長めにとってレガートが障害を落とさないように十分気をつけた。第4障害手前まで真っ直ぐ誘導し、踏切をぴったり合わせたつもりでいけると思ったが、意外にもレガートは後ろ脚をひっかけてバーを落下させてしまった。しかしその後は気を取り直して思い切って猛スピードを出しながらも障害を飛越時には随伴を綺麗にとって飛んでいくことに成功し、一番高い第8障害も難なく越えることができた。走行が終わって告げられたタイムは42.60秒とレガートでは最も速いタイムであった。

 

 

 

21人の選手の走行が終わると、今回のコースはそう難しいものではなかったのに三反抗を食らったり、障害を落下させたりする選手が続出し、減点0で帰ってきた選手はたった7名という波乱に満ちた結果となった。表彰式ではエーユームーンが39.32秒で1位、デメルが2位、フウジンという新馬が3位で表彰台に上がることができた。

 

 

 

僕は障害を1個落としているので勝負にならなかったが、優勝タイムの39秒に対して42秒とさほど大差ないタイムで完走することができたので、いつも障害のレッスンを見てもらっている指導員さんからは、「なかなか絶妙な走行だったと思いますよ。」とねぎらいの言葉をかけてもらえてまずまずの満足感を得ることができた。今年は6月と12月の4回しか本番の競技会に出てなかったので、来年はできるだけ多くの競技会に参加して上位入賞の経験を積もうと決心するのであった。

 

 

おまけの画像。今日はクリスマスイブなので、レガートにサンタの帽子をかぶってもらった。頭の上に邪魔なものをのっけられてもじっとしている姿はカワユス。お疲れさまでした。

 

中村あゆみ姉さんの30年近い相棒だったギタリストの鎌田ジョージさんが先日亡くなられたことを知りました。享年58歳という若さでこの世を去ってしまったジョージさんは、あゆみ姉さんのライブでは、決して人目を引くようなパフォーマンスをせずに、あゆみ姉さんの引き立て役に徹していらしゃったのを昨日のことのように思い出されます。あゆみ姉さんが2004年頃に復活されてからはいつもすぐそばでギターを弾かれていました。今アルバムを見返すと数多くのあゆみ姉さんの名曲の作曲と編曲を担当されていたことが分かります。非常に才能に恵まれた人だっただけに、その早すぎる人生が惜しまれます。久しぶりにあゆみ姉さんのアルバムをかけてみると自然に涙があふれてきます。ジョージさん、これまでお疲れさまでした。これからも天国からそっとあゆみ姉さんを支えてあげて下さい。

 

相変わらず風邪がすっきり治らない。昼間はまだいいのだが、朝晩気温が下がってくると調子が悪くなる。しかし今週は楽しみにしていた障害サーキットがあるので、土曜日は無理を押してコース走行のレッスンをとり、レガートを軽く走らせてみた。この日のレガートは落ち着いていて、ゆったりとしたペースで走ってくれたので、なまった身体を立て直すにはうってこいだった。

 

 

 

 

早めに休んで迎えた障害サーキットの当日は、天気は曇り、最高気温が6度ととても冷え込んでいて、アウトドアジャケットを着ていても外に出るとじっとしてはいられないくらいの寒さとなった。競技の準備が始まったのはいつも通り3時過ぎからだったので、実際の自分の出番は5時過ぎになることが予想された。今の季節5時を過ぎると外は真っ暗である。寒さと暗さという悪条件での競技会を前にして、持ち前の自信は萎えた。

 

 

 

今日のコースは運動馬場を出て本馬場入場するとすぐ前に第一障害があり、そこから大きく左に回転して斜めに置かれたオクサー障害を飛び、運動馬場の前まで引っ張ってから大きく右に回転して、馬場中央に間4歩で置かれたダブルの第三障害を飛び、ラストの七番障害の奥を回って大きく右に回転しながら第四障害と第五障害を間5歩で飛んだら、今度は左に回転して第三障害の間を通ってオクサーの第六障害を飛び、第四障害の手前で右に回転して第七障害を飛んでゴールというものだった。コース自体は今までのものと違う難しさは無いが、馬場を大きく使って右に左と回転の多いコース設計になっていた。

 

 

 

 

 

僕の出る90㎝級のメンバーは全部で10名。そのうちレガートが3名・家康が3名・デメルが2名・エーユームーンが2名という構成になっていて、僕はレガートの3番目の9走行目に当てられていた。寒さに震えながらみんなの走行を見ていたが、今日は珍しく2名も家康に反抗され、僕の前にレガートに乗った選手はあろうことか第三障害のダブルを飛んだところでバランスを崩して落馬するというハプニングが続出したので僕は急に怖くなった。本来ならばライバルが減って優勝を狙いにいくところであるが、落馬は何よりも怖い。こわごわレガートにまたがったが、待機馬場から運動馬場に出て行くと、強気でレガートを動かそうと心を決めた。

 

 

 

 

今回のコースでは入場してから第一障害までの距離が短いので、十分な助走をつけるべく運動馬場で駈足を始めると、レガートは猛然としたスピードが出た。待機してくれていた指導員さんからは「速い!速い!」と言われたので、一旦スピードを抑えて輪乗りをした後再度全力で駈足発進して本馬場入場したが、第一障害までの距離の近さに仰天した。それでも何とか第一障害を越えて回転に入ったところでレガートがいつもと違うことに気付いた。いつもならどんなにスピードを出しても抑えるべきところでは戻せたのだが、今回は手綱をどんどん持って行かれる。そのせいで鐙を十分踏み込むことができなかった。思い通りバランスバックができずかなり不安定な走行になったので、いつ落馬してもおかしくないという恐怖感で胸がいっぱいになった。障害を一つずつ越えるごとにレガートの勢いが増したので、コースを誘導することだけで精一杯であった。第六障害を飛んだところでショートカットを入れるはずが、レガートの勢いを手の内にすることができず大回りせざるを得なかった。もう最後はレガートの上にいることだけを保ちつつ第七障害をなんとか飛んだ。その後猛然とした勢いで走られたが大きく輪乗りをしながらなんとかレガートの火のついた勢いを止めることができた。レガートに乗ってこんなに恐怖を覚えたのは初めてである。とにかく落馬しなくて済んでほっとした。走行を終えて告げられた結果はなんとダブルの第三障害の一つ目を落としていて減点4、タイム54.48秒だった。今までで最もスピード感があったので、もしかしたら40秒台がでているのではないかと思っていた自分はひどくがっかりした。

 

 

 

表彰式では40秒台でゴールしたデメルが一位と二位をとり三位に50秒台の家康が入っていた。6月の時と同じように、またしてもデメルにやられるという結果となった。

僕がクイーンと出会ったのは、80年代の最後にノエビアのCMで飛行機が飛んでいる映像のバックに I was born to love you が流れたのを聴いたのが最初でした。この曲はその後ビールのCMや木村拓哉が主演の月9ドラマの主題歌にもなったので、たぶん聞けば覚えている方も多いと思います。その後この曲を求めて収録されているメイドインヘブンというアルバムを購入したのきっかけにクイーンのファンとなり、3枚にわたるベストアルバムを持っています。ところがその4枚のアルバムの中にはこの映画のタイトルになっているボヘミアン・ラプソディは収録されていないので、くしくもこの映画を通して初めて聴くことになりましたが、一度聴いただけで強い衝撃が全身に走り、聞き込むほどに感動を覚えるほどの名曲でした。

 

 

 

 

 

さてこの映画は、フレディ・マーキュリーが後のメンバーと出会う1970年から世界的なアーティストととなった1984年のライブエイドまでを、その時代の代表曲を織り交ぜながら描いていきます。前半は知らない曲が多いのですが、ストーリーが進むにつれておなじみの曲が流れだして、ライブのシーンになると、曲に乗って自然と身体を動かしたくなりました。ミュージックビデオと割り切って観に行ったので、フレディ・マーキュリーと仲間との熱い友情と葛藤、そしてどんなに人気者となっても振り切れない深い孤独感があったことを知ることができて、なかなか映画としても楽しむことができました。公開されて3週目になりますが、初めてクイーンを知る若い世代も取り込んで劇場は熱気に包まれています。

実は2週間ほど前から風邪を引いており、今週は咳がひどくて参った。昨日の金曜日は祝日だったがほとんど寝込んで過ごす始末だった。今日も身体にだるさが残っていて、馬に乗れるかどうか分からない状態だったが、先週のようにレガートが昼走ってないとしたら運動ができなくて困ってきるだろうと思い、レガートのためには何としてもクラブに行かなくてはならないという気持ちで、身体に鞭打って出かけることにした。

 

 

 

 

クラブに着いて1時のコース走行のメンバーを聞くと、その中にレガートに乗った方がいてほっとした。今日は先週より気温が低いが担当のA指導員がレガートをレッスン前に入念に動かしてくれたそうで、レガートはロケット噴射することなくちょうどいいペースでコースを周ることができてたと聞き僕はほっとすることができた。

 

 

 

 

僕が予約を入れていた4時の中級障害はいつもの常連さんがいなくてたった4名だった。おかげで自然とレガートの僕が先頭をつとめることになった。

 

 

 

 

 

序盤の軽速足では僕がペースメーカーとなったので気が抜けず、A指導員に伸ばすよう指示されると、渾身の力をふり絞ってペースを上げてみた。馬場を3周もすると息が切れたが、駈足になれば楽になれると思って我慢して続けた。10分くらいで止めてくれたので、なんとか身体が温まって身体の力もいつものように入るようになった。いよいよ駈足を蹄跡上で始めると、発進の際いつもの癖で軽くレガートの腹を蹴るとぎゅんと出てしまった。しかし先週ほど勢いは強くなかったので、戻すことができて良かった。一度駈足が出てしまえばオートマチックに走ってくれるので、馬上の僕はできるだけ姿勢がブレないことを気をつけるだけで済んだ。

 

 

 

今日の障害は間3歩で置かれた二つの障害を飛ぶだけという簡単なものだった。第一走行目は発進の合図が強すぎてレガートを走らせ過ぎたので障害に入る前に巻き乗りを入れざるを得なかった。それでちょうどいいスピードになったと思ったら、障害間では4歩入ってしまい失敗した。しかし第二走行目からはレガートと息をぴったり合わせることができた。

 

 

 

次に障害を飛んだら奥の馬場で輪乗りをするようにA指導員から指示された。一度コツをつかんでしまえばレガートはここ数年で一番多く乗っている馬なので楽勝だった。

 

 

 

最後に蹄跡を2周して障害を二度飛ぶよう指示された。長蹄跡上では速くなりがちなところをぐっと我慢して同じペースを維持することを心がけた。おかげで一周目も二周目も障害飛越時の随伴はばっちり決まった。

 

 

今回は参加者が4名だったおかげで障害を6回も飛ぶことができた。レッスンの序盤では少し苦しい思いをしたが、終盤では身体が軽くなった。すっかり先週のリベンジができた思いで下馬することができ、無理してクラブにきた甲斐があった。来月は12月16日に障害サーキットがあり、12月24日にはジャンピングホースショーがある。この調子で今年の最後を飾るべくなんとか入賞を狙いたいものである。