長らくサボってしまいました。年末年始は、何かと慌ただしく、ブログ書きをしたいと思いながら、今日になってしまいました。
前置きはともかく、今年もよろしくお願いします。
今回は、千葉在住の友人と千葉市の風俗街、戦争遺構を訪ねる散策をした記録です。
まずは、千葉駅で待ち合わせて、ソープ街 栄町にむかいます。
大衆料金だそうです。ここは、実践経験ないので、総額相場などは不明です。
お城がありましたが、廃業のご様子
お城の中です
高層の大型店
また、廃業店。関東では、吉原、堀之内に次ぐソープ街と思ってましたが、あまり、景気はよろしくないようです。
お馴染みのお店
こんな古風な建物もありましたが、栄町は、戦後の焼け野原にできた歓楽街らしいです。
栄町のソープ街の川を挟んですぐ前に市民会館がありますが、ここは、かつての国鉄の千葉駅跡です。
今の千葉駅は、政令市の玄関口としては寂しい感じを受けましたが、なぜ移したんでしょうね。
昭和38年に移転したこと、スイッチバックなど運行上の問題が移転の理由であることなど、検索してわかりましたが、それだけではないと書いている方もいますね。
次回は、千葉公園などにある、戦争遺構をレポします。
iPhoneからの投稿
東京生活で、赤線跡などの遊里めぐりと、もう一つ、にわかに興味を持ち探索したのが、戦争遺構です。
当時住んでいたのが、北区で、もと軍事工場地帯だったようで、その赤レンガの倉庫を改修した見事な図書館で、一冊の本、「写真と地図で読む!知られざる軍都 東京」に出会ったのがきっかけでした。
その日は、松戸の遊廓跡を散策し、八潮にバスで移動し、つくばExpressで、柏の葉キャンパス駅で下車し、柏の葉公園に向かいます。
この公園などが飛行場跡です
現在も防衛庁の送信所があります
今日見たかったのは、ここから東に国道16号を越えて、30分程歩いたところにある、特殊地下施設です。
終戦間近に、B29迎撃のために、急遽開発されたロケット戦闘機「秋水」の燃料庫が異様な外観を呈して残っています。
燃料は、爆発しやすい過酸化水素が使われていたため、飛行場と離したようです。
まずは、目印の花野井交番を見つけて、裏に回ったらパイプライン状の施設跡がありました。
さらに、奥の住宅地をウロウロしたら見つけました。
畑の真ん中に斜めに突き出た通気孔
丘の中腹の格納庫搬入口跡
さらに歩くと燃料庫の出入口がありました。
特殊燃料の地下格納庫は、撤去もできず、眠り続けています。
まわりは、普通の住宅地だけに、かずかずの遺構は、異様でした。
現地では、展示物ではないので、何の説明看板もないのですが、戦争を語り継ぐ遺跡として、活用できないものかと思いました。
その日は、花野井交番前からバスで柏駅に出て、常磐線で帰途につきました。
iPhoneからの投稿
当時住んでいたのが、北区で、もと軍事工場地帯だったようで、その赤レンガの倉庫を改修した見事な図書館で、一冊の本、「写真と地図で読む!知られざる軍都 東京」に出会ったのがきっかけでした。
その日は、松戸の遊廓跡を散策し、八潮にバスで移動し、つくばExpressで、柏の葉キャンパス駅で下車し、柏の葉公園に向かいます。
この公園などが飛行場跡です
現在も防衛庁の送信所があります
今日見たかったのは、ここから東に国道16号を越えて、30分程歩いたところにある、特殊地下施設です。
終戦間近に、B29迎撃のために、急遽開発されたロケット戦闘機「秋水」の燃料庫が異様な外観を呈して残っています。
燃料は、爆発しやすい過酸化水素が使われていたため、飛行場と離したようです。
まずは、目印の花野井交番を見つけて、裏に回ったらパイプライン状の施設跡がありました。
さらに、奥の住宅地をウロウロしたら見つけました。
畑の真ん中に斜めに突き出た通気孔
丘の中腹の格納庫搬入口跡
さらに歩くと燃料庫の出入口がありました。
特殊燃料の地下格納庫は、撤去もできず、眠り続けています。
まわりは、普通の住宅地だけに、かずかずの遺構は、異様でした。
現地では、展示物ではないので、何の説明看板もないのですが、戦争を語り継ぐ遺跡として、活用できないものかと思いました。
その日は、花野井交番前からバスで柏駅に出て、常磐線で帰途につきました。
iPhoneからの投稿
その日は、友人と早朝、千葉県の津田沼で待ち合わせし、まずは、新京成に乗って松戸の遊廓跡を目指しました。
松戸は、何も遺構は残ってないようでしたが、その場は特定できるので、歩くだけでもと思いました。
えらく時間かかりますが、なぜか料金は安かった記憶が。(新京成)
駅の西口から出て、ほどなく歩くと江戸川の堤防に突き当たります。
そこから見える大学宿舎がある通りが遊廓跡で、この付近に西の大門があったそうです。
近くに神社がありますね
この柳の木は、かつての柳並木の生き残りらしいです。「赤線跡を歩く」によると、96年までは、この前に建物があったそうで、本には写真が掲載されています。
あまり情報はなかったのですが、この街灯の柱は当時のものではないでしょうか?安浦のものと似てますね。
個人の敷地内にも
戦後も営業したが、昭和29年に廃業し、学生寮に転業したようで、現在も鉄筋コンクリートの建物になってますが、学生寮は健在でした。
期待以上に当時を偲ぶものがあり、さほど期待しないで行ったので、思ったよりも満足できました。
今回の散策は、この後路線バスで、八潮市に出て、腹ごしらえをして、つくばExpressに乗車し、柏に向かいます。
iPhoneからの投稿
松戸は、何も遺構は残ってないようでしたが、その場は特定できるので、歩くだけでもと思いました。
えらく時間かかりますが、なぜか料金は安かった記憶が。(新京成)
駅の西口から出て、ほどなく歩くと江戸川の堤防に突き当たります。
そこから見える大学宿舎がある通りが遊廓跡で、この付近に西の大門があったそうです。
近くに神社がありますね
この柳の木は、かつての柳並木の生き残りらしいです。「赤線跡を歩く」によると、96年までは、この前に建物があったそうで、本には写真が掲載されています。
あまり情報はなかったのですが、この街灯の柱は当時のものではないでしょうか?安浦のものと似てますね。
個人の敷地内にも
戦後も営業したが、昭和29年に廃業し、学生寮に転業したようで、現在も鉄筋コンクリートの建物になってますが、学生寮は健在でした。
期待以上に当時を偲ぶものがあり、さほど期待しないで行ったので、思ったよりも満足できました。
今回の散策は、この後路線バスで、八潮市に出て、腹ごしらえをして、つくばExpressに乗車し、柏に向かいます。
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