自己PRが上手な人っていらっしゃいますよね
その人の自己PRを聞くと、為人(ひととなり)がよく分かったり、興味を持ったり、共感できたり、感心したり…全体を通して好感を持ってしまいます
これは読み物(書き物?)であるブログでも言えることですね。
ですが、同じ自己PRなのに、なぜか興味が持てなかったり、共感できなかったり、違和感を感じたり…全体を通してうんざり感を持ってしまうときがあります
その違いって何でしょう?
それは、自己PRのつもりが、実は強い自己顕示になっていることではないかと私は思っています。
ここで2つの言葉を辞書で引いてみました。
すると、
自己PRとは、 自分のいいところをアピールすること
そして自己顕示とは、 自分の存在を必要以上に他人に目立つようにすること
と記されています。
似てるようですが、全然違いますね
“いいところをアピールする”ことと、“必要以上に目立つようにする”こととは、全然違います。
正直最近は、“自己PR”を“自己顕示”と間違ってなされていることが多いように思うんですよね…
例えば、芸能人であれば、自己顕示欲がそこそこなければ表舞台に立つことができないかも知れません。
ですが、普通に生活している人であれば、自己顕示はほどほどが良い気がします。
それは、必要以上に目立つ必要をあまり感じないから。
自分の良いところを知って欲しいのであれば、必要以上に目立つ行動をするより、自己PR力を磨いてPRする方が断然よいと思うのです
その昔、仕事でご一緒した方で、こんな男性がいらっしゃいました。
普段は特に目立つ特徴もない、ごくごく普通の感じのよいサラリーマン。
ところが、お酒が入るとものすごく体育会系気質が出てきて、元気になります。
そして、学生時代(もう10年以上も前のこと)に応援団長だったことを誇らしげに語りはじめます。
話の枕詞にも、“俺は昔応援団長だったんだけどね~”が必ずつき、それは毎度毎度、うんざりするくらいに“応援団長で一目置かれていた俺”の話を聞かされました。
もちろん毎度笑顔でスルー
そんなあるとき、周りの同僚たちに言われました。
“彼、あなたに気があるから、いつも自己PRしてるんよ”
なるほど、彼は私に自己PRしていたのか…
ですが、残念ながらそれは、
自己PRではなく、自慢か過去の武勇伝を語っているだけ
私の心には響きませんでした…
人は、自慢や過去の武勇伝など自己顕示欲が滲み出ている話には、嫌悪感を抱くことがあります。
なぜならそこには、必要以上に目立とうとする気持ちや虚栄があり、“私が”“俺が”という、強い我を感じるから。
“等身大のその人”を見たいのに、“現在のその人”を知りたいのに、自己PRではなく、必要以上に自己顕示されると疲れますよね
そして、接触したくなくなってしまう…
自己顕示は、度が過ぎると人が離れていってしまう要因となるのです
また、自己PRのつもりが自己顕示になっていること、そしてそれが自己顕示であることに気づいていないことも往々にしてありますね…
自己PRはどんどんした方が良いと思います
ですが、自己顕示はほどほどが良いと思います
自己PRか自己顕示なのかの判断は、自分が自己PRだと思っている内容が、無意識のうちに自慢や武勇伝になっていないか?をチェックするのが一番です
そうですね…自己PR文の最後に“すごいでしょ?”という言葉を入れたくなったり、入れたとして全く違和感がない場合は、自慢や武勇伝になっているかな
自慢や武勇伝を書くときは、最初からそう謳ってしまう方が、さっぱりしていてよい気がします
これはブログなどSNSを書くときにも、気に留めておくとよいと思います。
もちろん、誰にだって少なからず自己顕示欲はあります。
ブログなどSNSを活用していることも、活用していない人から見れば、ひとつの自己顕示ですからね
それに、誰だって人からよく見られたい
ですが、どんなことでも程よい度合いというものがありますからね…
自己PRと自己顕示。
自分の行動が、必要以上に目立つようにする“自己顕示”に偏っていないか、ときおり振り返ってみることも大切な気がします…
本当にすごい人は、自己顕示なんかしなくても周りが勝手に評価して、賞賛してくれるものですよ…ふふふ、毒舌