僕のユニット、モダンガァール&スナイパーの相方ヨシナリミチコに、近頃こんな話をした。
「まるで根拠はないのだけど、これからは音楽を始めたばかりのあの頃の気持ちに戻る事が、すごく重要な気がする」
あの頃の僕はと言えばとにかく知り合いや、知らない人にも音源をタダで配ったり。
それこそクラブのフロアや街中で、かなり場違いな宣伝をしていた。
いやいや、宣伝じゃないんだ、とにかく聴いてもらって反応が知りたかっただけだった。
家には作りかけの曲たちが常に何人かいて、僕は家に帰るたびに「愛しいあいつらが待ってる!」って言う気分で帰宅を急いだ。
当時の一部のクラブ(※1.)はフライヤーで宣伝しておきながら、ハコの所在地を頑として教えない、憎っくきあんちくしょうだった。
つまり、関係者の知り合いの知り合いの知り合いの・・・とかの、とっても特別でスペシャルな人種しか行ってはならない場所だった。
案の定、僕はその多くのクラブにたどり着けず、自宅で「愛しいあいつら」と一緒に涙酒に濡れまくった夜もあった。
そんな僕もいつしか、少しづつ音楽でお金を貰うようになり、それで家賃を払うようになり。
アーティストとしても将来の夢が少しづつ、少しづつ〝目の前の現実〟に姿を変えて。
分かっちゃいるけど、だんだん〝すれて〟いく。
それが悪い事だとは思わないけれど、心の隅っこではそれをじっと眺めていたもう一人の僕もいた。
今は2011年。
一部のクラブはとっくに居場所を明らかにし、その中の一部は閉店とかもし、音楽はパッと見のキラキラを完全に失った。
大物も小物もオーバーグランドもアンダーグラウンドもいわば、茨城県土浦市のファストフードの時給を切った対価で、一流の音を作り続ける宿命を負ってしまう。
じゃあ、なんで音楽するの?と尋ねたら、僕はやっぱり「聴いてもらって反応が知りたい」んだ。
そんな訳で、安い居酒屋と安い志と(※2.)安い機材と安いラブホのボディーソープの香り漂う、1994~5年頃にアクション。
で、その頃一人でよく足を運んだ千葉県浦安市付近の、やはり安い海辺へ。
埋め立て地でも、やっぱり海は良い。
でも実は道を間違えて、川に出てきてしまった。
川でも、やっぱり水場は良い。
色々洗い流してくれた上に、新しい流れも与えてくれる。気がする。
混沌をきわめた脳味噌がじょじょに、ほどけてく。
排気ガスの香りとギラギラしたネオンが、初心へと誘ってくれる。
近頃の僕は、色んなモノを飲み込むつもりがすっかり飲まれてしまっていた。
他人の顔色なんて、気にならないはずだったのに。
この年齢になって、もうひとつ余計な荷物をしょって、わが道を行こうとこの夜景に誓いましたとさ。
※1.当然ですがDJとかが居る方の。
※2.何かパッとブレイクとかしたら、辺見えみりと●●●出来るかもって考えてた。
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