川越(埼玉県)を散歩していてお目にかかった珍しい建物です。市役所前の四つ角に建っています。

 

正面から見ると洋風3階建てですが、横から見ると木造一部3階建ての3階部分までを囲ってあることが分かります。「つり具」と大きな字があるので、最初は釣り具店として建てられたのでしょうが今は蕎麦屋になっています。(昭和初期の建築か?)

 

 

 

 

 

 

 

なによりも目立つのは壁の部分が魚の鱗のように銅板で覆われていることでしょう。今は落ち着いた色になっていますが、できた当初はさぞ光り輝いていたかと思われます。

 

窓の上の軒の形・造りが三者三様、2階の窓には神殿の円柱のような柱が4本もついています。防火を兼ねた遊び心一ぱいの建物ですが、「看板建築」と言われます。建物の正面を大きな看板に見立てて、構造とは関係なく自由にデザインをするところからきているのでしょう。

 

江戸時代から明治にかけて何度も大火に見舞われた東京(江戸)ですが、その対策として出されたのが市街地建築物法(1920 大正9年)で、木造家屋の外壁を土・モルタル・タイル・金属板といった不燃材で覆うことが強制されるようになりました。

 

そのために1923 大正12年の関東大震災後には東京を始め各地にこうした木造商店が軒を連ねるようになったと言います。その後の戦災で多くが失われましたが、それでも想像以上に建物が現存しているので、街の散歩の楽しみの一つです。

 

こうした当時の大工や左官・飾り(錺り)職らの遊び心が今は失われてしまい残念です。下の写真は少し離れた場所の建物ですが、遊ぶ余裕のない場合でしょう。伝統的な町屋と並んでいます。