第12回弁論の報告 | 自転車に家族を殺されるということ

自転車に家族を殺されるということ

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2014年1月28日に判決が出て裁判は終わりましたが、私の交通犯罪遺族活動は続いています。

遅くなりましたが裁判報告です。


既にフェイスブックにはアップしていましたが、

さる9月17日に第12回目の訴訟がありました。


加害者が噴飯珍説を最後まで力いっぱい展開しているので、

通常のケースに比べて、大幅に長引く訴訟となってます。


こちらからは3点。


父の介護保険のケアマネージャーに意見書をもらい、

それを裁判所に提出したこと。

孤独な父がいかに悲惨な状況になっているか、

見たまま知っているまま、書いてもらいました。

私たちは、加害者の保険会社がやったように、

お金で虚偽作文を書かせることのできる輩はいないため、

あくまで良心ある第三者の方に対して、

「知っているありのままでいいので書いてもらえますか」

と頭を下げてお願いするしかありません。


そしてこれまでの加害者側の噴飯珍説に対して、

一通りの反論を準備書面で行ったこと。

一般常識の世界では、相手にする価値すらない戯言でも、

裁判所という世界では、少々勝手が違ってきます。

きちんと反論しないと「好き勝手言った者勝ち」が裁判所です。

「論評の値しない」と無視ではなく、反論が必要です。


またこれまでのあまりに不誠実な加害者の態度に鑑み、

そして父の壊れ方が当初以上に悲惨になっていることから、

損害賠償請求額の増額申請を行ったこと。


対して加害者側は、今回さらに爆笑ものの主張に出てきました。

(爆笑ものの態度や主張は以前からではありますが・・・)


こんな内容の準備書面を出してきました。


「搬送先病院で絶対ベッドから転落して死んだに違いない」

(カルテに母が床にしゃがみこんでいる記述があったのですが、

「この時に転落して頭を打って死んだから俺たちは関係ない」

との決めつけが加害者のほぼ全ての主張です・・・笑)


「病院の管理体制がしっかりしていれば起きなかったはずだ」

(「柵を設けたり、24時間目を離さない体制でないのが悪い」)


「だから病院を訴訟に巻き込むぞ!」

(「はいはい・・どうぞご勝手に」しか言いようがありません。

病院もいい迷惑だと思います)


・・・最早ここまでくると傑作です。


人はどこまで醜悪になれるかという見本を見せられています。


引っ込みがつかなくなってのただの破れかぶれなのか、

単純に自爆を自爆を重ねてくれたのか、

全く想定もつきませんが、見苦しい不誠実の典型例として、

後々まで語り継がれる判例になることは確実と思います。


ただ病院まで巻き込まれるとなると、訴訟自体、

かなり長期化することになるそうで、正直うんざりです。


加害者;「病院が悪い!お前も責任を取れ!」

病院;「は?お前○○か?関係ないだろ(苦笑)」


そんな不毛な(実に不毛な・・・)やり取りを、

当面はずっと横から見ていなければならないわけです。


半年なのか・・・1年なのか・・・


裁判官も大変だと思います。


こんな輩のこんな馬鹿げた茶番劇につき合わされて。


良心的に感じられる裁判官だからこそ思うのですが、

仕事とはいえ、裁判官もきっとうんざりしてると思います。


また加害者は結局法廷には立つことなく終わりそうです。


こちらからは加害者本人の証人尋問を求めましたが、

被告弁護士は「必要ない」と主張し、結局そのような結果に。


しかし私の場合は、それでよいと思っています。


「加害者が何を考えて過ごしているか聞きたい」


よくそんな声を加害者証人尋問を求める遺族から聞きます。


しかし加害者の場合は、もうわかりきっていることです。


自分の罪など何も考えず過ごしているし、反省も全くない。

子供でもわかる自明の事実です。


しかも、今回、再度の謝罪パフォーマンスをする機会すら、

自ら放棄したわけで、私としては今後の遺族活動において、

「加害者は法廷で頭を下げる機会を自ら放棄した」

と一生語り続ける既成事実を得ることができました。


加害者の破れかぶれ迷走のおかげで、

あとは証人尋問→結審→判決となりかけていた流れが、

一気に大規模延長戦になりました。


また私が法廷で語る機会も先になり、

非公開の弁論準備手続きが続いてしまうことになりました。


ここまで来たら、とことんまで加害者の醜さ、

人間という生き物は果たしてどれだけの限界まで醜くなれるか、

という実験に付き合い、のんびり構えるしかないと思います。


写真は台風一過の秋晴れを背景にした東京地裁。





自転車に家族を殺されるということ-20130917court