高齢者交通事故報道の違和感

テーマ:

ここ数ヶ月、高齢ドライバーが引き起こす

交通事故報道が目立っている。

 

高齢者の事故が目立っている。

また死亡事故が起きた。今度はひき逃げだ。

今度は民家に突っ込んだ。

免許更新には認知症チェックを入れるべきだ。

高齢者も自主的に免許を返納すべきだ。

 

などなどなど・・・。

 

しかし、ここ数年で(東日本大震災後は特に)、

広くバレバレになっていることは、

日本の報道機関は真実をそのまま報じるわけではない、

ということだと思う。

 

被害者や遺族になると、身近にそれを痛感する。

たくさん取材を受けても、きちんと報道してくれるのは、

本当に少数に過ぎないと知ることになる。

自分の描きたいストーリーの中で動かす駒としてしか、

遺族を見ようとしないところも残念ながら存在する。

 

体制のバイアスがあり、スポンサーのバイアスがあり、

視聴率を求めて瞬間風速を追い求める構造があって、

それにすぐに乗せられる民々の弱さもあると思う。

 

一人ひとりの記者の方と接している限りでは、

使命感を抱く素晴らしい人たちがたくさんいることは、

とてもよく知っているのだけれども、

組織として見れば、お寒い事情は隠しようもない。

 

そのようなことをわかった上で、

最近の高齢者事故報道に接してつくづく思うのは、

「本当に高齢者の事故が最近急増したの?」

ということ。

 

私は違うと思う。

 

急増したのは事故ではなく報道だけだと思う。

 

高齢者事故は「今の旬」だから、

視聴率を稼げるうちに稼ぎたいだけではないか。

 

先日参加したハートバンドでも、

高齢タクシードライバーの話が出ていた。

 

タクシードライバーは大手の会社を定年になると、

今度は中小のタクシー会社に再就職し、

そこも定年になると零細のところに再就職し、

そこも辞めると最後は個人タクシーをやって、

実質定年のない世界であることが問題視されていた。

 

これは日本が貧しい国になったこともあると思う。

 

しかし最近になってそうした高齢タクシードライバーが、

急にたくさんの事故を起こし始めたとは考えにくい。

少なくとも数年以上はそうした状況が続いていたと思う。

 

こうした活動に関わっていると、

たくさんの悲惨な交通遺族の話を知ることになる。

 

しかし報道されて話題になるのはごく一部に過ぎない。

 

どんなに悲惨な死に方であっても、

どんなに悪質な運転による交通犯罪であっても、

死者1名であればベタ記事にもならないのが現実だ。

(遺族が必死に声を上げ続けた時だけ例外が発生する)

 

旬のものをむさぼり食らうように、

流すマスメディアも、視聴者・読者も瞬間的に加熱し、

1ヶ月も経たずに、きっとパッタリ何も報道されなくなり、

ほとんどの人の意識からもきれいに洗い流されている。

そして、また不倫だか麻薬だかの次の旬が出たら、

今度はそっちを一生懸命むさぼり食っている。

 

そして数年前も、今も、数ヶ月後も変わらず起こり続ける

悲惨な交通事故の問題は何も解決されないまま。

 

そんな無限ループを思うと、やはりため息が出ます。

 

次に高齢者事故が旬になるのは3年後か、5年後か・・・。

 

遺族一人ひとりができることはわずかかもしれないけれど、

人生に刻み込まれてしまった悲劇を一生抱えていく中で、

「命を大切にしてほしい」

「自分のような悲しい思いはしてほしくない」

という、単純な思いを愚直に訴え続ける人たちの存在は、

少しでも良くないことを良くしていく要石になっていると思う。

 

あいの会に参加したり、他の被害者や遺族と会ったり、

先日のハートバンドで集まっていた人たちをみて感じるのは、

そんな世相の瞬間風速の右往左往など関係なしに、

少しずつできることを続けている人たちの尊さだと思う。

 

感動ポルノではない感動が、そこにはあると思っている。

 

ちなみに高齢者事故が問題ではないとは思っていません。

あくまで旬の時だけ取りあげて、あとは忘れてしまい、

結局何も問題が解決しないことが悲しいと考えました。

AD

ハートバンド2016私記

テーマ:

あいの会ブログでも書きましたが、

先週末、犯罪被害者週間全国大会2016

(ハートバンド2016)に行ってきました。

 

 

あいの会ブログ

http://blog.livedoor.jp/i_nokai0708/archives/50090187.html

 

現在2歳児を抱える身としては、

がっつりフルで参加というわけにはいかず、

いつもは最低限、講演⇒車座トーク⇒懇親会、

まではいたのですが、今回は懇親会も出ず、

車座トークまでで帰ることになりました。

 

後ろ髪を引かれるとはこういうことだなと・・・

おそらく来年もこんな感じになりそうです。

 

ですので他の人とも、合間のわずかな時間で、

簡単に挨拶するだけになってしまいましたが、

それでもやはり1年に1回だけであっても、

毎年会える人に会える安心感でホッとします。

 

車座トークで出た財産犯よりも生命犯が軽い

日本の司法の矛盾についての議論には、

「そうそう、そうだよな・・・」と感じました。

 

これは火付け・強盗を秩序を乱す重罪とした

江戸時代からの流れもあるみたいですね。

そんなものに今も大切にする価値があるのか。

 

お金は返せば済むけど、奪われた命は戻らない。

それを日本の多くの裁判官はわかっていない。

 

また大阪教育大付属池田小学校で、

15年前に起きた児童殺傷事件のご遺族の話は、

細かいたくさんの部分で「自分だったら」と考えました。

 

殺された娘様を「そこに置いてください」と言われた話。

もし怪我だったら「置いてください」なんて言わない。

「そこに寝かせてください」と言われていたはず。

 

そして司法解剖をされた後、

「頭は解剖しませんでした。それが最大の配慮です」

と解剖した医師から言われたという話。

 

司法解剖は通常は頭を解剖するもので、

(そうでないと、公判になってから加害者の弁護士が、

「その時に脳卒中を起こして死んだ可能性がある」

などとトンチンカンな主張を始めて紛糾するので)

頭を開かれた後の遺体がどれだけむごたらしいか

知っているので、確かに「配慮」だったのだとわかります。

 

しかし言い方というものがあります。

 

頭を解剖するのが通常なんて普通は知らないわけで、

不必要な情報はただ伝えなければいいだけの話です。

 

これは解剖医の個人的な未熟に限定される話ではなく、

きっとこんな無理解や想像力の欠落が、

まだまだ世の中に蔓延している証なのだと感じました。

 

娘様は心臓を刃で貫かれて、即死だったはずなのに、

そこから学校の廊下を68歩、歩いていたそうです。

 

お話をしてくれたご遺族は、何度も何度も、

娘様を想いながら、その廊下を歩いたとのこと。

 

そこから命の尊さ、生きることことの意味を考え続けて、

苦しんだ最後の娘様の姿だけでない、

笑顔の娘様もイメージできるようになったとの話でした。

 

「優しい」という字は、人偏に「憂う」と書く。

悲しむ力、苦しむ力・・・そんな話をしてくれたその方は、

今は精神対話士・児童指導員になられているとのこと。

 

事件で人生を永遠に変えられてしまった方ですが、

きっときめ細かいケアをされているのだろうなと感じました。

 

また来年もハートバンドには行くつもりです。

AD

あいの会のグリーフケアワーク

テーマ:

先週末の土曜日(10月22日)、

あいの会で講師をお招きして、

グリーフケアのワークを行いました。

 

 

詳細はあいの会ブログに書きましたが、

やはり体を動かしたりイメージしながら、

物事を考えることは大事だなと実感しました。

 

あいの会ブログ

http://blog.livedoor.jp/i_nokai0708/archives/49845136.html

 

 

どうしても寝ながら考えると鬱々しがちです。

現実もどんどんマイナスになってしまうことも。

 

よく考えることと悩むことは違うといいますが、

無駄に悩まず、正面から考えるツールとして、

いいものを教えてもらえたと思いました。

 

その後の懇親会では、瀬戸内寂聴への失望や、

最近遺族の相談が多くなっていることなど、

いろいろな話題が出ましたが、

2歳児のいる我が家としては、育児の先輩が多く、

そういう面でもためになる話が多々出ました。

 

AD

瀬戸内寂聴氏の弁明

テーマ:

日弁連の人権・・・否、「加害者」擁護大会に

ビデオメッセージを寄せて、死刑擁護論を

「殺したがるバカども」

と発言して物議をかもした瀬戸内寂聴氏。

 

前回、私のブログで触れましたし、

実際に知っている多くの被害者遺族は、

「信じられない・・・」

と瀬戸内氏の発言に唖然とさせられました。

 

そんな瀬戸内氏も、自らの発言が、

「舌禍事件」になったことは知っていたようで、

10月14日の朝日新聞でコラムを書いていました。

 

朝日新聞 2016.10.14朝刊

 

結論から言えば、残念ながら、

多くの被害者遺族の疑念を払拭するどころか、

自らの欠落を鮮明にしただけだと思いました。

 

まず発言対象は死刑制度を維持する国家や、

現政権だとしながら、

「「バカども」は当然、被害者のことではないと

聞けるはずである」

と釈明している点がとても苦しいと感じました。

 

いえ・・・「当然」どころか、

どこをどう読解しても、加害者の極刑を求める

被害者遺族に対してと読めてしまいますが・・・。

 

また国民の圧倒的多数が死刑制度支持だから、

これまでの国家や現政権も維持しているわけで、

これは何党の政権になっても変わらないと思います。

 

加えて、「バカは私」というタイトルを出しながらも、

「恨みを繰り返さぬために」という見出しも表示し、

法句経という仏典に釈迦の言葉として伝わる

「恨みをもって恨みに報いれば、

永遠に恨み尽きることなし」

を引用してコラムを締めくくっている点。

 

普通に読めば、被害者遺族に対して、

「加害者への恨みを捨てなさい」

と勝手な意見を押し付けようとしている

ようにしか読めないと思います。

 

結局、被害者遺族が加害者の死を望む感情に、

理解を示す言葉は一言もありませんでした。

 

そうした被害者感情には否定の立場なのでしょう。

 

とても残念に思っています。

 

「耄碌(もうろく)のせいだなどと私は逃げない」

とも書いていますが、やはり耄碌もあるでしょう。

 

「自分は絶対に正しいと思い込んでいることが、

一番正しくないことだ」

は戦前の政治学者の吉野作造の言葉だったか。

 

死刑廃止論を声高に叫ぶ人たちを見ていると、

「自分は絶対正しい」病に罹っていると感じます。

あえて報道がひと段落ついてから書きます。

 

先週、日弁連の人権擁護大会が福井県であり、

全国の弁護士のうち、ほんのわずかしか集まらず、

委任状での意見も認めないという珍奇な方法で、

死刑廃止宣言を掲げたことが議論になりました。

 

 

あいの会がお世話になっている高橋正人弁護士も、

これに反対する意見を出して、各紙で報道されています。

 

瀬戸内寂聴が死刑擁護論を「殺したがる馬鹿共」と呼び、

全国犯罪被害者の会が反発する場面もありました。

 

私も含めて、多くの犯罪被害者遺族は死刑擁護論です。

 

というか、「死刑には廃止です」などと言う遺族なんて、

今まで会ったことも、聞いたこともない。一度もない。

 

理由は単純明快だと思います。

死をもって償うべき、許されざる罪は存在すると思うから。

家族を殺されたら、加害者の死を望むのは当然だから。

 

遺族は理不尽に無惨に、家族を奪われたにとどまらず、

加害者に寛大な司法にはらわたを煮えくり返され、

能天気な加害者にもはらわたを煮えくり返されています。

 

個人的には、絞首刑ですら生ぬるいと感じています。

サウジアラビアのように、公開斬首刑でやってほしい。

そしてYouTubeで誰でも自由に見られるようにしてほしい。

(Saudi beheadとかで検索すれば、誰でも見られます)

希望する遺族がいれば、刀を振り下ろす役もさせてほしい。

自分だって加害者の首を落とせるなら、ぜひさせてほしい。

あるいは散弾銃で頭を吹き飛ばす中国式でもいい。

 

とにかく加害者には、尊厳のない無様な死を迎えてほしい。

 

ここまで具体的にイメージする遺族は少ないとしても、

加害者に死んでほしいという遺族の感情は自然なものです。

司法に関わる人は、遺族の心情に思いを馳せてほしい。

 

屁理屈をつけて、死刑判決を回避しようとする裁判官、

今回、死刑廃止を掲げた弁護士たち、

そしてそれに便乗した瀬戸内寂聴のような目立ちたがり、

彼らに共通するのは、遺族の気持ちに思いを馳せる努力、

他人の痛みへの想像力の、致命的な欠落だと思います。

 

少なくとも日本は、いろいろ問題も抱えた国だとは思うけど、

秘密警察に家族を連れ去られて、そのまま帰ってこない、

(どこかでひっそり殺されている)そんな国ではないし、

無実の人が死刑になる可能性は限りなくゼロの国だと思う。

戦前の大逆事件のようなこともまず起きないでしょう。

 

そんななかで冤罪という扇動的なレトリックを活用して、

死刑廃止を訴えることのどこに正義があるのか問いたい。

 

ただ勘違いした正義感に酔っているだけの輩だと思う。

 

人権擁護大会という名称がそもそも間違っている。

加害者擁護大会と素直に言えばいいものをと思います。

 

想像力の欠落は、本当にあちこちに散らばっているな・・・

ということをあらためて今回の騒動をみて実感しました。

あいの会9月度定例会

テーマ:

1週間遅れで書いていますが、

先週土曜の9月17日は、あいの会定例会でした。


しかし今回ばかりは仕事で参加できず・・・。


ただ、定例会の場所と同じ池袋にいたので、

1時間足らずだけでしたが、ちょっと顔を出し、

あとは懇親会からの参加となってしまいました。


定例会では、顔を出した時に記者さんが来ていて、

その方のテーマが自動運転のことでしたので、

その議論のところで、ちょっとだけ参加しました。




そのあとも国土交通省への要望内容の検証など、

次から次にずっと話が尽きなかったそうですが、

次回はやはりフルで参加したいと思いました。


その後、私は懇親会から参加・・・。


遺族ならではの「ここでしか話せないこと」を、

話すことのできる時間とつながりがあることは、

やはり恵まれたことなのだなと実感しました。


実際には、そうでない人のほうがはるかに多く、

そしてそういう人たちの少なくない人が、

病んで落ちていく現実を考えると特にそう感じます。


今回は断片的でしたが、出られただけでよかった。

高畑裕太絶叫のデジャヴ

テーマ:

芸能界のことを書くのはあまり気が進みませんが、

強いデジャヴ(既視感)を感じたのでちょっと書きます。


タイトルの通り、高畑裕太が前橋警察署を釈放後、

マスコミの前で絶叫したあのシーンのことです。




あの絶叫の仕方・・・

私の母を殺した加害者と全く同一だと気づきました。


リハーサルをしたであろう間の取り方、発声の仕方・・・

どれをとっても、見事なくらい全く同じでした。



※プロフィールにも書いていますが、

加害者は公判で下記パフォーマンスを演じました。


弁護士:「東様に今ここで謝りたいと思いますか?」
加害者:「はい!思います!」
弁護士:「では今ここで謝りますか?」
加害者:「はい!謝ります!(ここで私の方を回れ左して、90度お辞儀し)東様!このたびは!東令子様を死なせてしまい!申し訳ございませんでしたぁぁぁああっ!」



不起訴決定となれば、後から訴追される恐れはないし、

マスコミをにらみつけたあの表情も納得がいきます。


もう失うものもなければ、今さら演技する必要もない。

最低限の儀式さえ終えれば、本心も顔に出るわけです。


そんな風に普通の人は、ごく当たり前の感覚で、

「あーあ、こいつは何も反省していないな」とわかります。


しかし裁判官の世界はそうではありません。


しつこいですが、わかりやすく戯画化した例を繰り返すと、

「うるせえな!悪かったって言ってるだろ!」

こんな発言を被告人がすれば、普通の人は普通の感覚で、

「こいつは何も反省していない・・・ふざけているのか?」

とわかりますが、少なくない裁判官は、

「あ、謝罪の発言あり。被告人に1ポイントプラス」

と判断して、情状酌量の判決文を書く場合があります。

(もちろん人としての普通の感覚を持つ裁判官もいます)


実際、私の刑事公判時の裁判官はそんな典型例でした。


普通の人がみて、普通にわかる、ごく当たり前のことを、

少なくない裁判官は理解しない(できない)ことがある。

そして被害者や遺族は、驚きと怒りと深い絶望を味わう。


そういう裁判官は1人でも減ってほしいと切に願います。


またはそういう裁判官は、きちんとマイナス査定や処分で、

降格もありえる人事制度を整えてもらうことはできないか。

普通の企業なら、当たり前に実施していることです。


私が、例の絶叫シーンを最初にテレビで見た時に感じた、

なんとも説明できない嫌な感覚は何かと考えていましたが、

加害者との同一性だったと気づいた時に納得しました。


反省していない単なる演技は、声と表情でわかります。


どうしようもなく醜い魂の持ち主というものも存在します。


しかしせめてそんな醜い魂がゲラゲラ笑うことのないよう、

裁判官には普通の感覚を身につけてほしいと思います。

8月が終わる

テーマ:

気がつけば今日で8月も終わりですね。


ブログではフジテレビの報告しかしませんでしたが、

そんな私も、それなりに平穏な夏を過ごしていました。


お盆は炎天下のなかをお墓参りに行ったり、

妖怪の展覧会に行ったりしました。




2歳を迎える娘はとにかく何でも手伝おうとします。

けなげです。




この2枚目の写真は町田市民文学館で開催していた

「妖怪がいた!ここにも、そこにも、町田にも」展です。

普段読み聞かせている妖怪絵本の原画展示もあり、

娘もかなりはしゃいで楽しんでいました。


また稲川淳二の怪談ナイトに行ったり、

その翌日には近くの調布花火大会に行ったりもしました。






今年は妖怪や幽霊画などの展覧会や怪談イベントが

世間ではとても充実した夏になっていましたが、

小さい子どもがいると、なかなか如意にはなりません。


そんな地味で平凡(?)ながら趣味も織り交ぜた夏でしたが、

夏と言えばお盆でもあり、そう思うと感じることもありました。


お盆連休だからと、海外旅行に行く人は身近にもいますが、

ふと「被害者遺族」に限定して見渡してみると、

お盆に海外に飛び立つ人は、全くと言っていいほど聞かない。


やはりお盆は、死を想い、死者を追憶し、

同時に生の尊さを実感する特別な時間と空間だと感じます。


うだる熱気のなかで静寂を感じる不思議な感覚があります。


あいの会のメンバーとも話して、会のブログにも書きましたが、

この静寂は誰にでもあるのか、特に遺族は感じやすいのか、

以前には戻れないけど戻る必要も感じない肌触りがあります。

BPO決定通知後のフジテレビの対応

テーマ:

あいの会ブログでも報告しましたが、
当事者として自分のこの個人ブログでも、
BPO決定通知後のフジテレビの対応を報告します。


結論を言えば、フジテレビは喧嘩腰な態度に終始し、
「謝罪なんかしない。反省も改善もしないぞ!」
という表明をした結果となり、大変失望しました。


予想通りの結果ではありましたが・・・


以下、時系列の経緯を書き出します。


***


「お詫び」と題されながら、シャチハタ捺印の上、
弁解ばかりの文書が届いた経緯は、
既に下記で報告した通りです。


フジテレビから届いた非礼な文書
http://ameblo.jp/azumin827/entry-12171818719.html


***


その後、私たちは下記返書を出しました。


【6月14日付で私たちが出した返書】


前略
平成28年6月6日付の謝罪文を拝見いたしましたが、
一旦、返信させていただきます。
理由は以下の通りです。
また、改めて以下のとおり、
要望させて頂きますので、ご検討の程、
宜しくお願い申し上げます。草々


1.謝罪文を送るときに、シャチハタによる捺印というのは
聞いたことがありません。あまりに非礼ではないでしょうか。
当方を小馬鹿にされているのですか。
2.謝罪文は制作担当局長名によるものですが、
貴局の代表者名で、かつ社印ないし

代表印の押捺のある謝罪文を求めます。
3.本件はバラエティ番組ではありません。

情報バラエティ番組ですので、

その点、訂正されることを求めます。
4.謝罪文は郵送するものではなく、直接持参されることで、
より相手に気持ちが伝わるものではないでしょうか。
貴局のしかるべき責任者及びライスの●●氏双方が

直接持参されることを求めます。
日程は調整させて頂きますので、

候補日を3日ほど頂きたいと存じます。

以上の点をご検討頂いた謝罪文を

送付頂きたくお願い申し上げます。
その上で、今後のことについては

建設的な対応をさせて頂きたいと存じます。


***


すると6月23日付でフジテレビより下記の返書が届きました。


【掲載①】0623付フジテレビ返書1


【掲載①】0623付フジテレビ返書2


【掲載①】0623付フジテレビ返書3


条件を多数付与した上で、謝罪文だけを一方的に読み上げ、
会話もせずに退出するという不可解な申し出でしたので、
私たちは下記の通り、返答させていただきました。


【7月8日付で私たちが出した返書】


前略
6月23付回答書を受領しました。
スタンプ印ではない局長印を改めて押捺して頂けるとのこと、
及び、面談の上、謝罪文を持参して下さるとのことについては、
いずれも当方の希望に添うものであります。

よろしくお願い致します。
ただ、謝罪文を一方的に読み流すだけで、その場で一切、
お話もできませんなどという場の流れをあらかじめ

設定されることは、謝罪の場としては強い違和感を感じます。
また、謝罪される側が、受ける側の出席者をあらかじめ指定し、
条件をつけるなどというのは聞いたことがありません。
残念ながら、私たちには理解困難です。
つきましては、謝罪の場で、きちんとお話ができること、
及び当方の出席者は当方で決められることを前提に
(但し、出席者名は事前に通知させて頂きます)、
謝罪に来ていただくことを了承させて頂きたいと思います。
上記の私たちの要望をご承諾頂けるか否かについてのみ、
回答頂ければ、十分かと思いますので、貴社でご判断の上、
2週間以内にご回答を頂ければ幸いです。
最後になりますが、録音の可否については、相手から事前に

指図を受ける性質のものではないと私たちは理解しております。
ただ、自由に話をし、建設的に前に進むことこそが、私たちの

真意ですので、録音を取らないこともやぶさかではありません。
また、双方の弁護士が立ち会うことについても了解いたしました。

草々


***


それに対して、フジテレビからは、

7月15日付で下記書面が届きました。


【掲載②】0715付フジテレビ返書1


【掲載②】0715付フジテレビ返書2


私たちの要望への回答がなく、

「人権侵害なし」と繰り返すのみでしたので、

下記返書を出し、要望への回答を確認しました。


【7月27日付で私たちが出した返書】


前略
平成28年7月15日付回答書を受領しました。
残念ながら、平成28年7月8日付けの当方からの打診に対し、
正面からお答えになっていないと理解しました。
つきましては、当該打診に貴社が応じられるか

否かについてだけ2週間以内にご回答頂ければ

十分ですので、再度、打診させて頂きます。
なお、貴社は、人権侵害がなかったことばかりを

強調されておられますが、BPOの決定を踏まえた

本件の焦点は、放送倫理上問題があったという点にあります。
人権侵害云々を前面に押し出す論調は、問題の核心から

意図的に目を背けて誤魔化そうとするものであり、
一層、当方の不信感を招くものであることを付言させて頂きます。

草々


***


それに対して、フジテレビからは、

8月4日付で下記書面が届きました。


【掲載③】0804付フジテレビ返書1

つまり謝罪するつもりはないという内容です。


一方的に文書を読み上げて会話せず退出させてもらう、

などということが謝罪という言葉の意味するところからは、

ほど遠い行為であることは言うまでもない話です。


フジテレビは謝罪することを拒否したという結論になりました。


***


一連の書面が語る通りです。
それ以上、補足の必要もないと思います。


・謝罪は拒否する
・反省なんかしていない
・BPO決定通知の場で言った「真摯に受け止める」は、
その場をやり過ごすためだけの偽りだった
・BPOの決定内容も軽んじる
・今後も改善なんかしない


これがフジテレビの最終的な態度でした。


いやはや・・・


もう既にマスコミ被害者を出しているようですし、
今後もマスコミ被害者を出し続けるのでしょう。


そしてまたBPOに訴えられ、問題あり裁定され、

「真摯に受け止める」とテンプレートを繰り返し、

真摯に受け止めず、次の被害者を出していく。

・・・これを延々繰り返していくのでしょう。


私たちがフジテレビに対してできることは、
「観ない」「関わらない」
ということしかないようです。


その話題しか出ない凋落も、必然の話だと思います。


とても残念で、悲しく、腹立たしいことですが、
今できることは、フジテレビの非常識を記録し、
次回の「事件」の時に、言い逃れをさせないため、
「初犯ではない」との証拠を残すしかなさそうです。


またBPOにおかれては、フジテレビの態度を鑑み、
儀式的に報告書だけ受け取って本件完了とせず、
「放送倫理・番組向上機構」の名称の使命の通り、
フジテレビの放送倫理向上のために、
(絶望的ではあっても)できることはしてほしい。
そう願っています。

全国交通事故遺族の会のトライアルの会同窓会

テーマ:

昨日(7月16日)は、2012年に解散してしまった

全国交通事故遺族の会のグループの一つで、

トライアルの会という集まりの同窓会でした。




過去に何度か書いていますが、

トライアルの会は裁判傍聴支援グループです。


その同窓会が数年ぶりにあって行ってきました。


トライアルの会には、私の事件の裁判傍聴で、

ずっと支えてもらっていたので大きな恩があります。


私は既に内々で解散が検討され始めていた時期に、

全国交通事故遺族の会に入会したので、

解散後の今回、初めて会って話す人もいました。


また、お互いの事件は知っているつもりでも、

あらためて色々話して、自分が認識していたよりも、

はるかにつらい話だったと知ることもありました。


私が遺族になって、遺族活動を始めた出発点は、

全国交通事故遺族の会への参加でしたので、

その集まりに出ると、どうしても感じるものがあります。