あいの会でのグリーフケアのワークショップ | 自転車に家族を殺されるということ

自転車に家族を殺されるということ

交通犯罪犠牲者の命が紙クズ扱いされる司法を変えていきます。フェイスブック・Twitterも発信中。
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2014年1月28日に判決が出て裁判は終わりましたが、私の交通犯罪遺族活動は続いています。

既にフェイスブックや、あいの会公式ブログには書きましたが、

先週土曜日(2013年9月14日)、

東京は池袋で、グリーフケアのワークショップを開催しました。

細かくは下記に書きましたので、よろしければ覗いてください。

https://www.facebook.com/azumin827

https://www.facebook.com/i.nokai0708

http://blog.livedoor.jp/i_nokai0708/archives/33010507.html


不必要かと思いますが、念の為、ネット辞書から引用します。

 グリーフケア=身近な人と死別して悲嘆に暮れる人が、

   その悲しみから立ち直れるようそばにいて支援すること。

   一方的に励ますのではなく、相手に寄り添う姿勢が大切。

ここ数回、あいの会は講演会形式で催しを実施してきましたが、

ワークショップという方式を取るのは今回が最初でした。

蓋を開けて、振り返れば、やってみてよかったと思っています。

有意義な催しを行うことができたと本当に感じています。

決して自画自賛ではなく、けっこうかなり大真面目に(^-^)

詳細は上記リンク先で書いた内容に譲ります。

ここでは個人ブログなので、個人の感想ということに特化して、

ところどころ思いを巡らせた箇所を書き出してみます。

被害者同士でも「自分のほうが大変だ」という被害比べをして、

お互いに傷ついているという素直な相互理解が難しい場合がある。

最初に、そんな話がありました。

あえてセンシティブな話題にも触れます。

例えば、あくまで一部の人に限った話ですが、

殺人遺族は、交通犯罪遺族を見下す態度に出ることがあります。

誤解のないように繰り返しますが、あくまでごく一部の人です。

交通犯罪遺族の中でも、これは悲しいかな皆無ではありません。

「私たちは特別な試練を経験をした、聖痕を有する者なのだ」

そんな「選民意識」に陥るパターンはゼロではないのです。

(ややユダヤ・キリスト教的な表現を取りましたが・・・)

もちろん、こんなのは勘違いです。

そこにはつい被害比べ、被害自慢をする人間の弱さがあります。

そして、そのような勘違いに陥ってしまうことによって、

奪われた生命は本来みな尊いものだったはずだ、

というあるべき視点が決定的に消失してしまっているのです。

家族を殺されて、悟りを開くわけでも、救世主になるわけでも、

聖人になるわけでも、特別な能力が授かるわけでもありません。

ただ辛く不条理な経験をしたということ、それだけなのです。

その試練を世の中に訴えることは大切で尊い使命です。

そして声をあげずに辛さが癒えるのを待つのも立派な生き方です。

ただ傷ついている人が、そこにいる。

そのことをお互いに認め合い、理解し合う。

その大切さと難しさについて、あらためて思いを巡らせました。

また私が失われたものの一つに、つまらないことで、

「逮捕されました」「実刑判決が下されました」

という報道ニュースを見ることができなくなったことがあります。

母を殺した加害者が、逮捕も刑務所収監もされなかったためです。

例えば、かつてのホリエモンや鈴木宗男をめぐる報道の時も、

まず思うのは「彼は人を殺したわけではない」ということでした。

ホリエモンや鈴木宗男に限らず、人の生命にかかわらない

経済犯や薬物犯のニュースをみるたび、同じ思いがよぎります。

おそらく歪んだ見方なのだと思います。

自覚はしています。

しかし、そのようにしかニュースを見ることができないのです。

これは私の明らかに失われた部分だと思っています。

他にも失われたことはたくさんあります。

このブログテーマに関する喪失についても、それ以外でも。

ここでは書けないこともあります。

誰にも言えず、墓場まで持っていくしかないこともあります。

かつて全国交通事故遺族の会で専門家のカウンセリングを受け、

いろいろと気づかされることがあったことを思い出しました。

一人で悩むよりも、じっとしているよりも、黙っているよりも、

とにかく外に出て、人と話して、本を読んで吸収することも含め、

とにかく前に前に進んで、何を少しずつ蓄積していくことが、

自分にとってのグリーフケアになるのだろうと思っています。

ファシリテーター役で来ていただいた方には、何度も、

「あいの会の皆さんを見ていると、その活動自体がすごく良いグリーフケアになっている」

と言っていただけました。

確かにその通り。


私にとって、あいの会の存在は、力強い支えになっています。


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