おデブ母ちゃんの独り言

おデブ母ちゃんの独り言

長年の不妊治療で2人の子宝に恵まれたけど夫婦関係破綻。
母と息子達+まかろにまうすの生活( ¨̮ )
38歳2022年4月から看護学生になります☆

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祖母が逝ってしまった


ハロウィンの日に救急車で運ばれて
88歳の誕生日は病院で迎え
オピオイドによるせん妄で昼夜問わずに
「苦しい…もう死にたい…」と電話が鳴った

仕事中に電話に出れない時は
留守電に「どうしたらいいの」とか細い声が入れられてた

スマホに変えて使い方がわからず
電話に出れない日もあった

テレビ電話する時は看護師さんにお願いした


最期は自宅で看取ろうと決めた時にはもうかなり弱ってた


それでも「帰りたい」と最後まで言い続けた祖母


退院の日の朝に一気に意識レベルが落ちた


死戦期呼吸…


病院から自宅まで高速で40分


無理かもしれない


けど、最期の最期まで
「帰ろか」の声かけに「うん」と応えた


車の中で亡くなるかもしれない
主治医にそう言われたけど
連れて帰ると親族みんな意見一致


迎えに行ったのは
祖母の子どもたち

長女が一緒に車に乗り
長男、次男が後ろからついていく

私たちは自宅で待機

その間に祖母の兄弟姉妹を迎えに行った
高速で片道2時間のところまで


祖母、自宅へ帰宅


帰宅した祖母はもうほぼ意識なし
話しかけても反応ない


下顎呼吸になり
苦しそうな表情


子ども、孫、ひ孫が一斉に声をかけると
表情は穏やかになり
涙が流れてきた


声は届いてた


ひ孫(私の子ども5歳)が
「おばぁ〜!◯◯くん自転車買ったよ!見に行こ〜」というと頷いたように見えた


ひ孫(私の子ども2歳)が
「おばぁ〜!起きて〜!朝だよ〜!」と言うと少し口角あげて涙を流した


ドラマのような出来事やけど
これが事実


帰宅して10分


祖母は穏やかに逝ってしまった


親族一同が集まるまで頑張ってくれた


コロナ禍で面会もできず
叔父の働く病院に転院して
叔父が毎日会いに行った


ターミナルということで
特別に1日2人まで面会できた


私は毎日テレビ電話はしてたから
会わずに他の親族優先で会った

私は最期の瞬間だけ会った


色々と後悔が残ったけど
最期を看取ることができてよかった


通夜、葬儀の日も仕事行った
葬儀の日は早退した
こんな時にまで働かないといけないくらい
職場も人手不足


葬儀の次の日から出勤


ほんとは出勤なんてできるメンタルではないけど、人手不足やから仕方ない

働いてる方が何も考えずに過ごせる


夜になると
「おばぁから電話鳴らんかな〜」と考えてしまう


88歳
覚悟はしてたけど
やっぱり辛い


子ども達がいてるので
辛いと落ち込んでるヒマもない


落ち込んでても
祖母は悲しむだけ


祖母が逝ってからまだ数日


葬儀の次の日から休みなしで年末まで突っ切る


年明けたらゆっくりしたいな


おばぁちゃん
ありがとう

おばぁちゃんと過ごした時間は私の宝物


上にはお母さんもいてるし、お父さんもいてるし、おじいちゃんもいてる

みんなでワイワイしてね!