「南米エクアドルで縄文土器が発見?」


アメリカ・スミソニアン大学の博士は、エクアドルの太平洋沿岸のバルディビアで、
日本の縄文式土器に似た土器が数多く発見されるというのである。
その一つを年代測定すると5500年前のものだったという。
土器の模様は、九州の阿高貝塚や三浦半島の田戸遺跡から出土するものと似ていた。
しかし、出土する土器の成分は、日本の縄文土器とは違い、

エクアドルの土から作られたものであった。


アメリカ・スミソニアン大学の博士は、ある仮説を提示した。
それは、今から約5000年前に縄文人が南米エクアドルへ、
移動してきた可能性があるというものだった。
エクアドルで発掘されたものは、日本の縄文式土器そのものではなく、
その土器を作った人が、ここまで来て作ったとしか説明がつかないというのである。


もちろん、その時代に同じような文化が偶然生まれたとも考えられる。
しかし、日本の縄文式土器とエクアドルの作られた土器の時代を見ると、
日本の土器はおよそ1万4000年前に起こり、
簡単なものから徐々に複雑な模様に変化していった歴史がある。
これに対してエクアドルの土器は、バルディビアで発掘された土器は、
5500年前に発掘されたものが最古で、
しかもその土器はある程度発達した日本の土器と酷似している。
つまり、エクアドルで1番古い土器は、簡単なものから複雑化する、
過程の全くない複雑なものだったのである。
もし当時のエクアドル人が土器を作ったとすれば、
このような複雑な模様は生まれなかったはずだという。
このことからエクアドルの奇妙な土器は、日本から運ばれたのではなく、
縄文人がエクアドルへ移動してきて土器の文化を伝えたと考えればごく自然なのである。


だが縄文人といえば竪穴式住居に住み、森でシカやイノシシを追う狩猟民族のイメージがある。
当時は温暖化が進み、5000年前の日本は海に囲まれ、
陸づたいにエクアドルにたどり着くことは不可能であった。
だとすれば、どうやって縄文人はエクアドルにたどり着いたのであろうか。