東京修学旅行。夜行列車で好きなKちゃんと同じ向かい合わせのシートに座っていた。

図書委員長。毎日図書室昼休みと放課後と過ごすようになった。えみちゃんの図書の貸し出し数は、半端ではなかった。私は、明智小五郎など図書室にある推理小説は、読破した。

・・・中断・・・

 担任は、まきちゃん。国語の先生。実は、家がご近所だった。また、国語文法の先生が、大平先生。次のステージで、大変お世話になることになるが、このときは、なにせ「文法」の先生として教えていただいた。

 やはり中学1年生と同じ生活だった。朝と昼にはみんなでサッカー。放課後は、陸上部。


 やはり、健康な日々だったのだろう。

 他には何も覚えていない。

 入学するなり、クラブ勧誘があった。特に何も考えていなかったが、近所のお兄さんがさそってくれたからという理由だったと思うが、陸上部に入部した。夏休みは、近くの医科大学のグランドまで走ったり、大きな氷が入ったヤカンから冷たい水を飲むのが嬉しかったことを覚えている。また、冬の帰り道一緒のクラブの健ちゃんと自転車で夕暮れの道を変えるときに、家に着く途中の店の前に置いてある豚まんの入れ物から湯気が出ているのが大変おいしそうと思いながら、毎日家路を急いだ。

 クラブの担当は、ごといっちゃん。もう一人大学をでてきた西口先生。この先生も、次のステージでは、県の保健体育課でお世話になり、子供のいる高校の校長ということで世話になることになる。まあ、世間は狭いものだし、ありがたいものだ。

 1年生の担任は、加太に住む美人先生。大学を出たばかりで体育の中井先生。テニスの顧問であった。夏休みに、何人かで、先生の家に遊びに行き、加太の海でガンガラ採りや水遊びで1日過ごした。なんと、その先生との再会があった。私が勤めてから隣の学校の先生として合同会議でご一緒した。なんと恩師はありがたい。時代がゆるされる時代だったのだろうと思う。小学校6年でも先生所に遊びに言ったが、中学校でも遊びにいけた時代。本当にお世話になりました。

 学校の毎日は、早朝に学校に行き決まって休み時間はサッカーをしていた。いわゆるスニーカーを履いていたが、毎日つま先でボールを蹴っていたので右足の靴だけ傷み、すぐに新しいのを買ってもらッテいたことを思い出す。今にして思えばこんなに靴を履きつぶしていたのに、親はひと言もグチを言わなかったなあと思う。

 朝と昼休みにサッカーをし、放課後は陸上部。

  

 いったい何を考え、どんな生活をしていたのか、あまりにも少ない記憶に自分がびっくりしている。