■ジャンルを問わず気ままに書いてます♪■家族構成:同棲中の彼女がいる長男はIT系社員、新婚の次男は専攻医2年目、私は夫と2人暮らし■時間を割いている興味は「心理カウンセリング」と「仏教思想」■好きなのは見る時間がなかなか取れないけれど「韓流ドラマ」
4年前に父は亡くなりました。昨年、父の再婚相手のAさんも亡くなり、父の子ども達3家族だけで、通夜と葬儀をして荼毘に付しました。『③私の結婚時と、父の若い再婚相手Aさん』■ド派手婚こちら地方の我々の時代の結婚式は、TVドラマ化もされているくらいのド派手婚で有名でした💦花嫁道具も、荷台の中身が見える透明なクリアケースのトラックに…ameblo.jp↑↑↑こちらのブログで、私が結婚した時の、父の再婚相手のAさんとのことを書きました。Aさんが父と結婚した時、Aさんは40歳、初婚で、父より14歳年下でした。私より18歳年上。■父とBさんとの縁談話実は、Aさんとの結婚が決まるよりも前に、父にはBさんとの縁談話もあったのです💦Bさんは、父より12歳若い独身女性でした。私より20歳年上。Bさんは、私が高校生の時からの知り合いで、同じ茶道の先生のお宅に通っていた生徒同士でした。まだ高校の制服を着て稽古に通う私にも、20歳も年上のBさんは、茶道世界のしきたりなど色々教えてくれる人でした。長年生徒でいるBさんのことを、先生は一番弟子のようにとても可愛がっていました。先生宅に、父は古くから何年間も往診で通っていて、お孫さんたちの喘息も治してあげるなど、先生だけでなく、先生の夫の男先生や、同居していた息子さん家族全員が父の患者さんでしたので、父は先生とも仲良しでした。その関係で、私も父から紹介され勧められて、この茶道の先生宅に通うようになっていたのです。その先生が、父の再婚相手にどうか?と勧めてきたのがBさんだったというのが、私の記憶でした‼️Bさんはその縁談話を断りました。そりゃ当然です(笑)当時私は社会人になっていましたので、こんな大きな子が3人もいる人のとこに、縁談話を勧めたら、先生失礼でしょ🤣と私は思いましたよ😅■細く続いたBさんと私のご縁私が結婚して先生宅での稽古を辞めてからも、Bさんとの年賀状のやり取りは続きました。父との縁談が実らなかった後、Bさんは、自分より少し若い男性と結婚し、私は新婚家庭のBさん宅に招待されて、美味しい手料理のご馳走にも預かりました。その後、Bさんは高齢出産で一人娘さんを授かりました♡時にBさんと私は、ご高齢となり茶道教室を閉じた先生の入院先にお見舞いに行ったり、退院した後も先生宅にお見舞いに行ったり、才能豊かな先生が書いた素晴らしい絵画を2人とも頂いたりと、先生を介してBさんとの関係は、細く続きました。そんなたまに会うBさんから、私は、Bさんの子育ての悩みなどの聞き役にもなっていたのでした。■茶道から離れた空白期間結婚してから8年くらいして舅が倒れ植物状態になってしまったので、舅に社宅として建てていただいた家を売却して会社にお金を入れ、姑が一人になってしまった夫の自営兼自宅の実家に引っ越し同居を6年間ほどしましたが、まだ若くひとり暮らしを謳歌したがっていた姑の家を会社の道路を挟んだお向かいに建て、我々も家族4人で、事務所と同じ敷地内にあった家から車で15~20分くらいの新築マンションに引っ越しました。この頃、舅は6年間近く意識が戻らないまま亡くなりました。長男を妊娠して以来 茶道から離れていた私も、同好会のような形の稽古場での茶道を、長男が6年生、次男が3年生になった時の引っ越した先で、気持ちに余裕が出来て茶道を再開することも叶ったのでした。このマンションに引っ越してから、姑ががんになってうつ病になる前の元気でいてくださった10年間が、私にとって最も平穏で幸福な日々でした。当時は、姑が元気でいて一人暮らししたがっていてくれる今に感謝し、幸せを噛み締めるようにして暮らしていたのです。この幸せが続いて欲しいと思ってしまった理由は、姑宅を2階建ての我々もいずれ一緒に暮らせる大きな家にしたからです。姑にはいずれ介護が必要になるときが来るから、その時は同居する予定でした。姑は死ぬまでこの家で暮らせると思っていたのです。ところがまさか、9年前のがんの手術の直後から姑が高齢者うつになるなんて、想像だにしませんでした。コロナ禍で、姑に、ゴミ出しへの強い拘りと、静坐不能、イライラ、1人で寂しくて居られない、出かけられない…という酷いうつ症状が出て、一人暮らしが不可能な状態になってしまった頃、「介護職をしてきた自分なら出来る」と踏んで専業主婦になり同居を名乗り出てくれた義次妹まで、がんきっかけとはいえ酷いうつになりました。私には、この義次妹の世話まで入ってきたのです1年半のうつ入院の間の試験外泊では、母親の顔を見るだけでうつ発作が出るようになって、同居のために母親宅に帰還するのを義次妹は断念したのでした。夫や叔母が交代で姑宅に泊まり込んではギブアップしていく中、私も姑とずっといると自分までうつになりそうで怖くて「同居するよ」と姑に言ってあげられませんでしたそれで姑は自ら介護付有料老人ホームに入ることを決断し、これも姑の決断により、姑宅は売却することにしたのです。170坪の敷地には大きな駐車場と、小さいながらも和風の庭と屋根付き待合があり、茶室になるように炉も切ってある純和風の数寄屋造りでしたから、売却を聞き付けたお寺により一発で買い手がつき、今は、若住職たち家族の住まい兼寺の分院として姑宅は使われています。姑宅にあった大きな舅の仏壇をお寺様に使ってもらい、我が家には、木製の阿弥陀如来様像とお輪を持ち出しました。■Bさんとのご縁師範の免許も持っていた私にとっては、ペーパードライバーのように持っているだけの免許が邪魔をして、茶道を再開したくても「滅相もない」と、若い先生から稽古場への入会を断られたこともありました単純に茶道に触れていられるだけの場所がなかなか無いことが分かり、気楽に茶道を楽しめる同好会のような場所を見つけられたのはラッキーでした。その私の茶道の再開を年賀状で知ったBさんは、私が通わせて頂き出した稽古場に、同じく、同じ茶道の先生の家に通っていて私も昔からよく知っていたCさんを連れて2人で見学に来て、2人とも入会しました。その時から私はBさんと月に2回はお会いしている仲なのです。Bさんは、旧知の仲の私には、今もご自分の家族の悩みを打ち明けてくれます。私の父の再婚相手Aさんとの苦労も少しは知ってくれていて、「あゆみちゃんも苦労したのね。辛かったね。きっとその苦労は実って幸せしか待っていないから」という優しい言葉をかけてくれるのでした。こういうとき私は、父の結婚相手がBさんだったら良かったのに…とタラレバを思うのでした。■先日判明した真相先日、私は、Bさんに、Bさんが父の再婚相手になってくれれば、私の人生も違ってたかなあ…🤔💭?!Bさんが良かったよ~(笑)と冗談めかしに言いました。そしたら、Bさんは私に言うのです。2人の会話はこう↓↓↓あゆみちゃん、あの時、先生が、私にお父さんとの縁談をすすめてきたと思ってるでしょ!?うん、そうだよ!先生も失礼なこと考えたものよね。笑笑実はね、先生から勧めたのではなく、お父さんの方から、「Bさんに私との縁談を考える気はないかを聞いてくれないですか?」と、先生に頼んだのよ!えっ〜!ウソ~!?そんなこと私お父さんから聞いてなかったよ💦そりゃそうよ。私も先生もその事はあなたに伏せてきたしね…お父さんもAさんも亡くなった今だから言ってもいいかな…と思うから教えてあげるね💦あゆみちゃんのお父さんは仕事一筋で家事が出来なかった人でしょ!?当時、お父さんは、自分が再婚しないと、子どもが父親のことを1人に出来なくなることを心配していたらしいわよ!子どもにはいい人ができたら、父親のことは気にせず自分たちの家庭を築いていって欲しいから、子どもの重荷になりたくなくて再婚を急いでいたみたいよ!それで、私(Bさん)はどうだろうと、お父さんの方から先生に聞いてきたらしいのよ!そんなはずないでしょ!お父さんはBさんに会った事もないはずだし…うん、会ったことはなかったけど、(お茶の)先生が、生徒の中に行き遅れている私という人がいることを、以前からお父さんに話していたみたいなのね💦(絶句)私に断られて、Aさんにその事をお父さんが笑い話として話したら「なら私が先生のお嫁さんになってあげる」とAさんからお父さんにプッシュがあって、あれよあれよと結婚が決まったことをお父さんが先生に話し、私は先生からその事を聞いていたのよ😅でね、なんで私がお父さんに会わずにその話を断ったか分かる?(笑)そりゃ、12歳も年上の子持ち3人なんて、誰でも嫌に決まってるでしょ!?(笑)違うのよ!あなたたちお子さんが3人とも優秀なのは知ってたから気が引けてしっかり者のあなたたちきょうだいの、いいお母さんになる自信がなかったからよ⚠ 私の姉も、大学生時代の短い期間でしたが、先生宅に茶道を習いに行っていて、Bさんは姉のこともよく知っているのでした😂!?工エエェ(゚〇゚ ;)ェエエ工!? そうなの~?!という会話のあと、Bさんのご家庭の、深い深い心配事を聴く私なのでした👂:( ;´꒳`;)
■ド派手婚こちら地方の我々の時代の結婚式は、TVドラマ化もされているくらいのド派手婚で有名でした💦花嫁道具も、荷台の中身が見える透明なクリアケースのトラックに積まれ、花嫁道具をご近所に披露…なんてこともする人はしてましたし、大勢集まったご近所さんたちに菓子投げをするのも当たり前の時代でした。その時の出納簿を今でも取ってありますが、かなりの金額に今更ながら、当時のド派手婚の凄まじさに驚きます😳■辛かった、半日以上着続けた花嫁衣装嫁ぎ先の父親は商売人の自営業の社長父親関係の仕事上の招待客も多く、嫁側としては1人で大変な結婚準備をしなければならなくなりました自宅近所には、結婚式の少し前に、お菓子の袋詰めを準備して1人で配り、私はご挨拶をしに行きました。式当日は、街中のホテルで花嫁衣裳の着物を着付けて重いカツラをつけ、タクシーで仲人さんたちと1時間以上かけて彼の家に行きました。近所の人や隣の町内からも駆けつけた物凄い人だかりの道路で、道路に面して沢山ある家の2階の窓や屋根からも菓子投げが始まりました。それが終わったら、また1時間以上かけてホテルへ戻り、親族たちが集まるのを待ったのです。それから式、披露宴と続き、私は半日以上をカツラをつけた重い花嫁衣裳のまま過ごし、その後のお色直しも2回しました。■Aさんとの確執義理実家は新婚夫婦に家も建ててくれました。好きな間取りにすればいい、内装も好きに考えてというご好意は嬉しかったですが、私もまだ仕事を辞めていない中で、2階建ての家の建築準備と、家具やキッチン用品の購入、式披露宴の準備打合せと、休む暇なくこなしていきました。当時、父よりもひとまわり以上若い継母Aさんが、一緒に暮らしていました。当時Aさんは40歳で初婚。鍼灸師で往診をメインにしていた父の長年の患者さんで、腎臓病で透析に通っていました。透析患者と言ってもすこぶるお元気で、昨年亡くなりましたが、透析年数が長く、もう少しでギネスにのるとこでした。当時のAさんはテニスが趣味。結婚するまではご両親に可愛がられて大切にされており、母親に家事を任せて料理もしたことがない人。英語が得意なAさんはご実家で家庭塾を開いていました。透析病院が実家の前にあり、透析日の週に3日はご実家に立ち寄ることも出来ていました。父に引き合わされて、姉と私は初めてホテルランチをした時のAさんの印象は、良さそうな人に見えました。透析のことは父から聞いていて、そんな身体の弱い人と結婚していいの?と心配はしましたが、その心配はないほどモリモリ食べて元気そうだったので、父の為に再婚を賛成しました。まさかこんなに嫉妬深く難しい人だということは、同居してから分かってきたことでした💦父とAさんの結婚は、金屏風があったとはいえ、家族同士のみの高級料亭で開いたお食事会のみでした。子どもじみたAさんでしたが、ある意味その無邪気さと明るさに父は惹かれたのかもしれないです💦我々家族の家に入り込んできたAさんは、父が4年前に亡くなる迄、父のことを「先生」と呼び続けていました。父のことが大好きで押しかけ婚のような感じだったAさんは、父と私たち娘が暮らす家に入ってきて、私の亡くなった実母が愛用していた食器類を、趣味に合わないと言って捨てていきましたその捨てられていた食器を数枚 私はこっそり拾い、今も使っています。私たち子どものことを、夫からの愛情を取り合うライバルのような目で見てくる人でしたが、これ以上、父を好き過ぎる程の相手はなかなか現れないでしょうし、父の幸せの為に、我々子どもは父にAさんのことで告げ口をすることはしませんでした。父は死ぬまで子ども達から妻Aさんの悪口を聞くことはなかったのです。Aさんがいつか言ったことがあるのですが、Aさんも父の前では、子どもたちの悪口は言えない雰囲気だったそうです。私の姉は、そんな家庭環境が嫌で、自ら見合い相手を探し、2度目の見合い相手と出会ってから3ヶ月で結婚して、急ぐようにして家を出ました💦兄は他府県の大学近くに下宿していて、社会人になってからもAさんと暮らしたことは一度もありませんでした。Aさんも、姉と私よりも、一度も一緒に暮らしたことがない兄のことは苦手で、距離を感じていたようです。一番長くこのAさんと付き合うことになったのは私。姉が結婚後に3箇所引っ越した先は全て他府県でしたから、Aさんとは程よく距離を取れていて、Aさんが何かにつけて頼ってくる先は、いつも同じ市内で暮らす私でした今にして思うと、父の再婚と同時に自分も家を出ればよかったと思いますが、当時は、私がそれをしたら父は再婚を取りやめたことでしょうし、Aさんの嫉妬深さも、一緒に暮らしだしてからしか分からなかったため、家を出るタイミングを私も失ってしまったのでした1度だけ、私が結婚予定の彼のお義母さんからもらった外国土産の私の宝石のネックレスを見て、父の前でもAさんが嫉妬して泣いた事があり、父は後から本当に苦しそうな顔をして「許してやってくれな」と私に頼んできたことはありました。あんなに辛そうな父の顔を私は初めて見ました。妻と子どもたちとの板挟みになると父が苦しむことになるので、私とAさんは父の前では平静を装い、隠れたとこで確執を深める形になっていくのでした。Aさんも父の前といないとこで私に発する言葉が全然違っていたのです私が結婚後、実家に電話しても、自分のとこで用件を終わらせようとして、父になかなか取り次いでくれないAさんでした父も、仕事一筋過ぎて、仕事以外の家のことはAさんに任せすぎているからダメだったのです┓(*´゚ω`)┏父は、舅を亡くした後の私の姑のとこにも定期的に往診に来てくれていて、姑も父のことをずっと「先生」と呼んでました。私が結婚後に病気しても、心配して往診に飛んできてくれる父だったので、Aさんと再婚したことに関しては恨めしく思うこともありましたが、私は父を責める気にはなれなかったのです。■感情を押し殺して、いい子ちゃん炸裂だった私結婚時の事に話を戻すと、Aさんはよく泣く人でした。結納品の豪華さにも泣かれました結婚準備の様子にまで嫉妬されてしまうのが嫌で、私はAさんに継母の役目をお願いする気にならず、大きなストレスの中で、花嫁衣裳や引き出物などを全部、彼と彼の母親と3人で決めていきました。Aさんは結婚後は専業主婦になりました。私は父の財布を握っていたAさんに遠慮して、結納金でも足りなかった分は、亡き母からの少しの相続金とバブル期で株式投資でふくらませた預貯金で、式披露宴費用の足らずまいを賄いました。改めて、親からの援助を受けなかったのです。仕事以外の事に無頓着な父は、結納金があるから大丈夫だと簡単に考えていたのでしょう🌱当時は結納の儀式だけではなく、結納返しの儀式もしましたよ💦 Aさんには同席はしてもらいましたが、全部自分一人でやりきりました。この日、ホテルへ着物に着替えるために朝早く家を出た時は、父には田崎真珠がついたループタイを、Aさんには真珠がついたネックレスを贈りました。披露宴の時のお手紙も書きましたが、継母として列席しているAさんに配慮して「私には2人の母がいます…」と、心にも無いことを書き司会者に代読を頼みました。亡き実母の親戚たちは、早すぎる父の再婚に複雑な感情を抱いていて、私たち子どもにまでよそよそしくなっていくのを寂しく思っている私でしたが、実母の親戚に対しても、亡き母の事を私は忘れていないよ!という意味で、手紙を書きました。司会者も涙で詰まりそうになるのを堪えるような、私が書いた感動的な文章でした。お辞儀したAさんは、会場から大きな拍手をもらってました🌱私は、いい子ちゃん過ぎました。今でもそうです。他者を傷つけることに異様なほどの恐怖を覚え、怒りを表現するということが出来ないタチなのです夫にだけはそれなりに怒りをぶつけることはありますが、息子達に言わせれば、私の怒りの表現は甘いらしく、私が夫を甘やかしすぎるから、父親はお母さんに甘えて、自分で何もやろうとしないんだよ💦と、私に忠告してきたことがありました( •́ฅ•̀ )■行けなかったオーストラリアへの新婚旅行長時間着すぎていた花嫁衣裳と重いカツラ、それまでのAさんとのストレスの中で進めた新居と結婚準備式披露宴を無事に済ませたあとの私の脱力感は半端なく、私は過労でその日の夜に倒れて、翌日出発するはずだったオーストラリアへの新婚旅行に出発出来ませんでした点滴をしまくって回復してから、オーストラリアの新婚旅行代わりに、急遽、熱海と東京ディズニーランドに宿を取りました。一応新婚旅行代わりなので、新幹線のグリーン車のホームに並んでいたら、私の披露宴にも出席していただいた、退職先の上司がグリーン車に乗り込むとこに出くわしてしまいました。過労で倒れて、新婚旅行先を変更したことを説明せざるを得ませんでした💦旅行土産を持参した親戚の家でも、予定よりも早い訪問に、当時流行っていた?成田離婚したかと勘違いされてしまいました(笑) 成田離婚したら挨拶にお土産を持ってくるわけないのにね😅
『①子育てコーチング仲間』私には、月に一度の開催の、子育てコーチングの学びから始まった15年以上の付き合いの、勉強会の仲間たちがいる。子育て期に、母親として共に悩み、少しでもよい子育…ameblo.jp ↑上記ブログに書いた子育てコーチング時代の仲間たちそんな同世代の仲間たちだがまだ大学生だったり大学院生だったりのお子さんがいる人は極少数で、大半はアラフィフ、アラ還の お子さん方は全員が社会人になっている子育て終了組が多くなった‼️息子の大学受験期に知り合ったブロ友さん達も同様で、子どもたちが大学生になれたと思ったら、その子たちが社会人になり、中には結婚し孫までいる人たちもいて、光陰矢の如し!あれよあれよと家族の形態まで変わっていくのだから、諸行無常を噛み締めざるをえない休止中や、家族の都合で他府県に引っ越した仲間を除く、現在活動中メンバーたちの中で、息子が結婚し、姑の立場になった人が私含め現在4名いて、そのうち、孫がいるのは2名。私たちの3名のリーダーは、教育委員会の主催で、若いママさんたちに子育てコーチングの学びの機会を提供してきた人たちでもあるが、私たちグループ仲間のテーマはというと、今や、自分自身のセルフコーチングだけでなく、親の介護と、息子のお嫁さんとの関係に関心事は移りつつある娘婿との関係に悩む人が少ないのは昔も今も同じのようだ😅そんな我々だが、今日は親の介護について書いてみる。■「嫁の立場にいる」我々世代!仲間たちは全員が嫁の立場だが、その境遇は様々男女の平均寿命の差は大きく開いているが、やはり夫に先立たれた高齢の母親が残されているケースが仲間たちには圧倒的に多いアラ還世代は、90歳代の母親の世話をしている人なんて、そこら中にごろごろいる!まさにアラ還世代は介護世代!仲間たちの中には、幸いにも親の介護をしなくて済んでいる人もいるが、それはまだご自身が仲間の中ではまだ若いほうで、親御さんも70歳代のケースの人たちだけアラ還の人たちの親は80~90歳代になり、殆どが親たちのお世話に携わっている。私と仲間たちの事例を挙げてみる。●事例①私の場合、舅は早世。昔、姑と6年近い同居経験はあるが同居を解消した後しばらくは平穏な年数が過ぎ、次男が大学生になってやれやれと思った9年前に、癌からうつ病になってしまった75歳の姑の世話に入った。75歳にして私の付き添いがないと病院にも行けなくなったのだから、早めのお世話の始まりだった。姑は、1年9ヶ月前から老人ホームに入ってくれた。この頃の、ある事への拘りと、イライラが募り静坐不能になるという症状が強かった「高齢者うつ」を最大限まで悪化させた姑から同居して欲しいという期待を感じ取ってしまうことに関しては、同居したら自分までうつになる!と確信出来たのもあり、罪悪感を持つことはなく自分を守るために、姑からの期待に応えようとしない自分を許す事が出来た。今は、うつ病の84歳になった姑の通院や財産管理のお世話を、現在進行形でさせて頂いている●事例②一人っ子の夫は、独居していた母親を老人ホームに入ってもらうことを拒んでいる。高齢者うつで部屋から出てこない90歳代の母親が内蔵の病気で入院し退院した時を機に夫は自宅に引き取ることを主張した。と同時に、仲間はパート仕事を始め、自宅にいる時間を減らすことにし、母親のことはなるべく、退職して家にいるようになった夫にやってもらうようにしている。家事はやろうとしない夫なので、仲間は今まで通り家事をするが、最近は認知症も入ってきた母親が引きこもる部屋に食事を運ぶのは夫。●事例③ひょうひょうとした性格のその人は、コロナ禍以降は在宅ワークになってフルタイムで仕事をしている。自分で料理もして自立した形で離れに暮らす93歳のお姑さんと半同居をしている。「家事が苦手で頼りにならない嫁のほうが姑さんはしっかりできていいみたい…」とその人はいい意味の開き直りをしているが、全くその通りで正解この人には、家事が苦手でフルタイムで仕事する妻に代わり、家事もやり、母親のことも大切に思う夫がいて、羨ましい!●事例④「認知症ではないけど、我が儘で頑固な母親とは一緒に暮らせない…」と嘆きながら、一緒に暮らして欲しがる母親からの期待に応えない勇気を持っているその人は、自分の独居老人の93歳の母親のお世話で、自宅で作った夕食を持参し、食べさせてから帰宅するという生活を送る。●事例⑤2世帯同居で1階と2階に分かれて暮らしていた姑とは折り合いが悪く、仲違いしている中で、夫にも先立たれた。姑さんが他界するまで、世話は実子である娘さんに任せ、小姑との関係性も最悪になって今は疎遠。現在は、自宅に独身の息子たちを残し、認知症になってしまった90歳代の母親の家に入って一緒に暮らしながら世話をしている。●事例⑥一人っ子だった夫を亡くしている。一人っ子の娘さんも大学院進学と同時に家を出た。他府県で暮らすお義母様は頑張って1人暮らしをしてくれている。自分の94歳の母親も他府県で1人暮らしをしているが、2人のことを考えると今後のことが心配…●事例⑦社会人の子ども3人と5人暮らしをしてきたが、最近、長男が結婚して家を出た。夫の94歳の父親は、車で1時間くらいの地方の戸建てに1人で暮らす。デイサービスに6日通い、酸素をつけている障害者ということもあり、ヘルパーさんや看護訪問も介護保険をフルに活用している。年末年始のデイサービスがない数日は、近くの旅館で家族と舅の6人でゆっくり過ごすことにしていた。調味料も十分揃っていない舅宅だ。嫁が無理すると介護は長続きしないことをよく分かっているから、お金で解決出来るなら嫁も楽をする事が大切なことをこの人は知っている!何かあった時の鍵の隠し場所も隣家に教え、緊急時は連絡を貰うようにお願いもしてある。お世話になる隣家には中元歳暮は欠かさず、お礼を言いがてら持参する。姑が亡くなった後、高齢で障害もある舅を引き取るために、自分たちのマンション内にもう一部屋購入までしていたが、結局、舅が田舎の住み慣れた家に固執したのもあるが、街中のマンションに連れてきたらボケてしまう気がして、独り暮らしを頑張ってもらうことにした。嫁としても、舅に在宅で1人暮らしを頑張ってもらえば、夫の妹の手も借りて協力し合えるが、舅がマンションに来たら全面的に嫁の自分が世話することになり夫の妹の協力は得られなかっただろうから、この選択でよかった…と話す。もう一部屋購入した部屋は、今は夫婦の寝室として利用しているが、社会人の娘が、「いつか結婚したら親に子どもの世話を頼みたいからここで暮らしたい」と今から親をあてにする(꒪⌓꒪)と仲間は嘆く(笑)週末のデイサービスがない日曜日に、夫婦で、もしくは夫だけ、あるいは夫の妹が交代で遠方から通い、その日の昼食も持参して、冷凍庫に朝食の食材を入れてくる。それを舅はレンジで解凍して食べる。昼食はデイサービスで食べ、夜ご飯は仕出し弁当を食べる。平日の通院付き添いは、夫の妹か、嫁の自分が担当。入浴もデイサービスでしてくる。最近はデイサービスに持っていく着替えも用意出来なくなってきた舅なので、デイサービスの人が1週間分の着替えを用意し、事前にデイサービスの施設にまとめて運んでおいてくれる。✧• ───── ✾ ───── •✧事例⑦は特に、酸素までつけている高齢の夫の父親の独り暮らしを支える工夫が分かって参考になる為、詳しめに書かせてもらった。行政サービスのお陰と、近隣の人たちの見守りがあってこその舅の独り暮らし。人づきあいが濃い地域で、人付き合いを大切にしてきて近所の人達に好かれている舅だから見守ってもらえることだと、仲間は話す。このように、アラ還の人たちは介護世代で、当然ながらその様相も色々だが、大変なのは自分だけではない…とつくづく思う💦私も姑と暮らしたことがあるから分かるのだが、お姑さんと同居している同世代の方々のことは尊敬しかない。仮にお姑さんがどれだけ良い人であったとしても、やはり嫁の立場では色々なことがあって大変であることは間違いないだろう。子育てが終わったと思ったら、次は親たちの介護が待ち受けていた💦自分のことだけに集中できるのは どうやら概ね70歳代だけで、80歳代は如何に人様に迷惑をかけずに元気にいられるか!?ということが課題だと、仲間たちは口を揃える。そんな我々も、いずれは介護される側になる仮に施設に入ったとしても、誰かの世話にならずに生きていける人はまずいない。順送りだと思って、大変な中でも、自分が潰れない工夫をしながら、皆頑張っている❣️
私には、月に一度の開催の、子育てコーチングの学びから始まった15年以上の付き合いの、勉強会の仲間たちがいる。子育て期に、母親として共に悩み、少しでもよい子育てがしたい…と学び合ってきた仲間たちだ。それは、勉強が出来る子にしたい…というコーチングの勉強会ではない心理学を利用したコーチングには技術的スキルは当然あるが、それよりも心構えが肝心❣️母として未熟な自分たちを自覚し、子どもとどう接すればいいのか?という人間関係の学び。子どもを変えようとするのではなく、自分が変わることを考える内省の場であり、“頑張っている自分を褒めてあげられる自分” になるための勉強会でもあった。自己肯定感が低い人に、子どもの応援なんて出来っこないから…子どもの応援と言うが、結局は、子どもをまるごと受け止め信頼してあげられる親になる…そのことに尽きる…だから、子育てコーチングを学ぶ人たちは、親バカになっていく(笑)息子の受験ブログを書いていたとき、親バカ万歳をテーマに掲げることが多かったのは、そういうわけ😅✧• ───── ✾ ───── •✧子育てコーチングの会では、子どもたちの学校は違っていて、子ども同士の接点がない分、ママ友とは違い、守秘義務も守られやすい丁度よい距離感を保てる仲間でもあった。この距離感はホント大事だと思う。特にママ友集団ともなると色々な人がいて、噂をしあったり、マウントを取り合ったりしがちだが、お互いの子どもを知らないからこそ噂話をされる心配もなく、安心して互いに悩みを打ち明けられるのだ。また、人間的にも尊敬できる人たちで、ある人に慶びごとがあっても嫉妬したりするような人はおらず、安心して子どもの自慢も出来、慶び事を心から喜んであげられる関係だ。そういった点では、旧知のブロ友さんとの関係にも似ている。互いの子どものことを実際には知らないが、他の誰よりもブロ友さんたちが自分の子どもの事を知ってくれているようなものだと考えればいいおすすめ本↓↓↓【中古】 子どもを伸ばす5つの法則 やる気と能力を引き出すパパ・ママコーチング/小山英樹(著者),佐々木喜一楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}電子書籍版↓↓↓子どもを伸ばす 5つの法則 やる気と能力を引き出す パパ・ママコーチング【電子書籍】[ 小山英樹 ]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}
昨年に続き、いやそれ以上に9月になっても猛暑日が続いている今年TV報道では、農家では9月に今まで通りの白菜等の作付をしても、暑さで根腐れしてしまうため、暑さに強い野菜である夏に収穫したトウモロコシですが9月にも2回目のトウモロコシを植えて、秋トウモロコシとして育てているという、猛暑を逆手に取って生き残りをかける農家のニュースがあった。昨年、試験的に9月にもトウモロコシを植えたら、夏のトウモロコシよりも秋口に収穫する秋トウモロコシは甘くなる…という発見もあるようだ🌽🌽🌽また、季節を先取りして販売するアパレル業界では、例年 9月に入ると秋物を展示販売していた慣例に従い、昨年の9月に秋物を出し全部を長袖にしたら、猛暑で売れ行きが大きく落ち込んだ ⁀➷昨年の反省を受けて、今年は9月に入っても半袖の洋服も展示販売することで、昨年9月より今年は売上を大きく伸ばすことが出来ているというニュースだった。春夏秋冬という四季の概念から、これからは春・夏・猛暑・秋・冬の五季として数えていく!と話すアパレル店の店主だったが、それ言うなら、古(いにしえ)より中国大陸から文化を流入してきた日本なのだから、春・夏・長夏・秋・冬の五季と言って欲しいなとひとりでツッコミを入れた(笑)マジで、これからは日本の四季ではなく、日本の五季への変化を受け入れ、季節表記を変えていくのもありだと思う💦✧• ───── ✾ ───── •✧ちなみに、中医学では昔から季節を、春・夏・長夏・秋・冬の五季で表してきた。中医学のことを知らなくても、映画『陰陽師(おんみょうじ)0』とかを見た人なら、陰陽五行(いんようごぎょう)という言葉も何となく聞いたことある気になるかな?イヤ、陰陽師とは、平安時代に呪術や占い、天体観測などを行っていた官僚集団で、映画『陰陽師』を出すと、ここではミスリードになるかな!?💦中医学は近代医学でも証明されうる れっきとした医学知識で、昔の人たち凄い!となります(笑)でも、山﨑賢人さんは、好きな俳優さんなので(特に顔が) 無理矢理こじつけて 貼っておきたくなる(笑) ↓↓↓陰陽五行説の陰陽とは、中国古代の自然哲学で、天地間にあり、互いに依存し合いながら万物を形成している陰と陽の2種の気のこと。例えば、「月は陰・太陽は陽」「寒は陰・暑は陽」「下は陰・上は陽」「安定は陰・刺激は陽」etcというぐあい「女は陰・男は陽」「右は陰・左は陽」とされていますから、雛人形は、男雛は左(向かって右)、女雛は右(向かって左)に大抵は飾り付ける。中国の自然哲学も文化と同様、昔から日本に伝承されてきた。五行とは木火土金水(もっかどこんすい)のこと。五季に当てはめると、春は木・夏は火・長夏は土・秋は金・冬は水ということになります。(追記)昨夜書いたブログの続きを書きたくなった😅春に木は芽吹き、夏は火のような暑さで木は燃やされ、長夏に燃やされた灰は土になる。秋に灰になった土は鉱物(金)と化し、水を通さない鉱物は冬に水を蓄える。そしてまた、春に芽吹く木へ水は還っていく。自然哲学の摂理は、このように生々流転を繰り返し、自然の一部でもある人間も同様に、肉体が滅んでも灰となり一部は空気中にも漂う目に見えない物質となって生々流転を繰り返す。自然界の一部でもある人間も、この生々流転に抗って生きるより、自然に身を任せてその摂理を受け入れる…こういう自然哲学に触れていくと、自分の命の運命すら受け入れて、命に執着しない生き方になっていく。それは命を大切にしない生き方ではなく、自分の命を大切に生きるが命に執着しないことから、死ぬことは怖くないという心穏やかな心境になっていくから不思議です。いざとなるとジテバタするとは思うけど、それでも、この心境が日頃からあるとないとでは、余命宣告されたときの生き方に大きな違いが生まれると思うのです。
酷い高齢者うつの治療で電気けいれん療法を検討してきたお義母さんは、ふたつの大学病院でやった認知症の長谷川式簡易検査では殆ど同じとこでつまづいていた。計算が出来ないとか、覚えたはずの3つの物を会話の後で質問されても思い出せないとか、他にも ちょこちょこ答えられなかったのだ。父のときを思い出さずにはいられなかったこのとき、A大学病院の精神科医は「お義母さんは認知症の入口に立っている」とハッキリ言った💦B大学病院ではハッキリ言われなかったが、「入院したら、高齢者の方に電気けいれん療法を施術する前は、詳細な認知症検査をすることになる」と言われた。このことを受けて、普段通院している病院の精神科医に、お義母さんは認知症の入口に本当にはいっているのかどうか?の詳細な検査をすべきかどうか?質問してみた。主治医は言った(青字)アルツハイマーとかレビー小体型認知症とか、他にも認知症の種類は色々あります。歩き方を見る限り、パーキンソン病っぽさもなく多分レビー小体型ではないと思います。また、認知症全体の6~7割を占めるアルツハイマーですが、お義母さんの話しぶりからは、今のところ心配ないと思います。高齢者になれば、多少の脳の萎縮や物忘れはあります。 ↑↑↑※高齢者うつの転院で、3年前にこの病院に初めてお世話になったとき、最初にMRIによる画像診断が行われた。脳の萎縮は認められたが、年相応の萎縮とされ病的なものとは言われていなかった。以降は一度もMRIを撮影していない。特にお義母さんのような不安症やうつ病があると、仮性認知症と言って、あたかも認知症のように見えてしまうことはあり、そもそもうつ病だとクリアに頭が働かなくなりますから。この病院でも、脳の中のアルツハイマーの原因物質であるアミロイドβという異常なタンパク質を特定する検査は出来ますが、背骨と背骨の間から脳脊髄液を採取する検査になり、その検査は痛く、体への負担が大きいです!その他、実施施設は少ないですが、自己負担3割だとしても費用が1回7万円くらいかかるPET検査もあります。はたして身体にも費用的にも負担がある大変な精密検査をして、仮にアルツハイマー型認知症だと特定されたところで、認知症の進行を遅らせる薬を、抗うつ薬に加えて更に追加させるか?ということになり、薬を増やすリスクはついてまわります。なので、お義母さんには精密な検査をしないで、静観していたほうがいいです。と、こういう話だった✧• ───── ✾ ───── •✧※私は、アルツハイマー初期なら早めに診断をつけて、初期の人にのみしか処方してもらえない薬を飲む機会を逃したくない!と思って質問してみたのだ💦けれど、現状では、進行を2から3年遅らせるだけの薬でしかないだけに、それ以上に大きなリスクもあるなら、大変な検査をしてまでして、薬を増やせばいいというものでもないようだ。お義母さんは甲状腺機能低下症の薬も飲み続けている。お義母さんに限らず、高齢者は他の病気の薬を飲んでいる人は多いから、薬同士の飲み合わせも考慮しないといけない!主治医は抗不安薬や抗うつ薬に関しても、今までも増薬に対しかなり慎重に処方してくれている!高齢者は身体機能が落ちていて若い人より薬の副作用が出やすいからだ!私も調べたが、高齢者の薬の副作用は若い人の2倍以上のリスクがあるようだ。✧• ───── ✾ ───── •✧おりしも、羽鳥慎一モーニングショーに、アルツハイマー研究の第一人者の岩坪威教授が出演していた!出演時の話の内容↓↓↓ ■アルツハイマーの診断確定する最近の東大などの研究最近の研究では、血液検査だけで、脳内のアミロイドβタウが溜まっているか、いないかを90%の制度で推定できることが分かってきている。異常タンパク質のアミロイドβタウは、認知症の症状が出るまでに10年から20年くらいかけて脳内に蓄積されていくが、血液にも入り込んでいるというのだこの研究が進めば、血液ならどこの医療機関でも採取でき、体への負担も少なく、いくつかある認知症の種類の中でも最も多いとされるアルツハイマー型認知症の早期診断が可能になる。研究者の話では、血液採取による早期診断が可能になるまで、あと3年くらいは かかるだろう…との話!
長男から、こんな案内がLINE送信されてきた ↓↓↓今や9人に1人が乳がんになる時代。乳がんは、50歳前後から70歳前半までがピーク。”乳がんは40歳以上から”と言われているが、最近では食生活などライフスタイルの変化の影響から、40歳以下の女性も乳がんの危険性が十分にあり、実は、乳がんは25歳~39歳の比較的若い世代で罹患数が増加している。・40歳以下のため、毎年の健康診断で乳がん検診を1回も受けていない・40歳以上だが、毎年の健康診断で乳がん検診を受けていない・50~70代の乳がん罹患ピーク世代のお母さまが、乳がん検診を受けていない・奥さまが家事育児に追われ忙しく、病院に行って乳がん検診を受ける時間がない上記に1つでも当てはまる方におすすめの検査が、広島大学発のミルテルが開発した、自宅で簡単にできる唾液の乳がんリスク検査「スキャンテスト 乳がん ハイリスクサポート+」というもの早期発見でほぼ完治する乳がんだからこそ、早めの検査が必要!痛くない、自宅で簡単にできる乳がん検査 「スキャンテスト 乳がん」は、”忙しくて検査を受ける時間がない””マンモグラフィは痛い””まだ健康だから大丈夫”と検査を後回しにしている女性のために開発された。この、株式会社ミルテルの「スキャンテスト 乳がん ハイリスクサポート+」の社員限定クーポンで、通常価格14,300円のところ、優待価格の9,900円で申込み可能。もしもスキャンテストの検査結果がハイリスクであった場合、ミルテルに乳がん検診の診断結果を提供すれば、検診費用相当額(一律1万円)を受け取ることができる早期発見支援サービス付き!※スキャンテストはリスク検査であり、確定診断をするものではなく、あくまでも乳がんの早期発見をサポートする検査として活用し、高リスクと判定された場合は、医療機関にて乳がん検診を受診いただくことを推奨しています。※ミルテルの検査サービスは、全国800超の医療機関で採用されている実績の高い検査!✧• ───── ✾ ───── •✧私の血筋は消化器系のがんに罹患する人が多く、胃がんや大腸がん検査は定期的にするように意識しているが、乳がんは、義妹やブロ友さんがなったことを機に、検査の必要性を思って一度は検査に行ったものの、以降は検査に足が向かずに遠のいている。血筋に乳がんになった人を知らないから横着になり、予約して行くのが面倒くさいのだ義母の病院付き添いは行けるのに、自分のこととなると腰が重くなるのは、あるあるだろうか?!だから、息子からの案内で、唾液検査なら自宅で簡単に出来るから、いいかも…と思った😸💦検査費用を息子が立て替えてくれたようだったので、勿論自分で支払うつもりだった‼️いつまでも健康でいてほしい!ご家族へのギフトにも …乳がんは、50歳前後から70歳前半までがピーク。”ちょうど乳がんのピークに差し掛かるお母さんが心配…。” そんな思いがある方は、是非この機会にギフトとしてお母さんに贈られてはいかがでしょうか。との案内付きだったようだ。息子よ ありがとう ︎💕︎なのだが、このような案内を息子たち会社の社員にしてくれた株式会社ミルテル、ありがとう♡ꉂ😂息子たちから母の日のプレゼントを貰う習慣は我が家にはないけれど、母の日が習慣化している人は、乳がんの唾液検査キットを贈るのもいいかも…なんて、思った(´-`)oO
■電気けいれん療法について定期的に通っているお義母さんの精神科付き添いの日主治医には事前に相談員さんを通じて、電気けいれん療法の入院に関し、せっかく主治医が繋げてくださったB大学病院が秋口には受け入れてくれると言うのに、本人が、1ヶ月、人によっては2ヶ月以上になることもあるという入院の長さを嫌がって「もっと短期間で効果がでる治療法が1~2年もしたら開発されるでしょうからそれまで待ちます」という言い方で断ってしまった事を伝えてあった。私たち夫婦の意見もB大学病院の医師に聞かれたが、無理強いしないで本人の意思に任せたこと。病院側も「無理強いしないが、本人の気持ちが変わるかもしれないことを想定して、その日のうちに入院説明を聞いてから帰るように」と言われ入院予定を白紙にはしていないこと、入院中も患者の為に面会制限はしておらず、院内のCafeに自由に行ってくれていいし、週に2回の施術日以外は外泊してくれてもいい!という事を言ってくれたこと❣️A大学病院では、せん妄が出たら治療は即中止と言われてガッカリきていたが、B大学病院では、せん妄が出た原因にもよるが、通常はせん妄が出たからと言って治療出来ないということはない!と言ってくれたこと❣️大学病院の医者もスタッフも、思いやりがあって優しい応対をしてくれたことを主治医に伝えた。主治医は、「それは柔軟な対応を取ってくれましたね!」と、B大学病院の対応に驚いていた。✧• ───── ✾ ───── •✧お義母さんが電気けいれん療法を断ったのは、まだまだ快方途上とはいえ、藁をも掴みたいくらい辛かった状態が、改善されてきたからだと考えていて、果たして、B大学病院にこちらから入院予定の断りの電話を入れておかなくていいのか?そうでないと、次の待機患者に迷惑をかけることになるのでは?という疑問を主治医に投げかけた。主治医からのアドバイスはこうだった。電気けいれん療法は入院出来るまでの待機期間が長いため、その間に薬治療と時間経過というものが介在し状態が良い方向へ変化してきて、入院日が決定した頃にはキャンセルする人もたまにはいる。それは仕方ないことと大学病院側も理解している。次の待機者に急に順番が回ることにはなるが、私からもそういう事があると説明していたように、それも含めて他の患者側も承知していることなので気にしなくてよい。また、不安症を伴ううつ病には良い時と悪い時の波があります!なので、B大学病院から入院日連絡があった時の患者の状態次第で、入院の有無をその時に返事すればいいです!と言ってくれたので、B大学病院から入院日連絡があるまで待ち、こちらから断りの電話を入れないことにした。■スモールステップの勧めうつ病を悪化させてからは外食できなくなっていたお義母さんが、B大学病院で、自ら「うどんを食べてから帰りたい」と言い出し、大学病院内の食堂でうどんを美味しく食べて完食できた!このことは、静坐不能が改善しつつあり座っていられた事を意味する❣️その後も食後の珈琲☕️を飲もうと、喫茶店に誘ったら行けた事また、一昨日の土曜も、主人と叔母さんが、最初嫌がっていたお義母さんを老人ホーム近くの喫茶店に連れ出すことに成功した事を報告した。これらの事を主治医は喜んでくれたが、我々のはやる気持ちに釘をさした!本当に良かったですが、大学病院でもうどんだけにしといたほうがよかったですよ!そのあと喫茶店にまで行ったのは少しやり過ぎです💦一昨日の喫茶店も、本人を説得して無理に連れて行くのではなく、本人が行きたいと言ってはじめて行くのがいいんです!やれそうと思って急に動き出す患者もいます。けれど、本人も周りも出来るかもと思うことの半分くらいに加減して丁度いい病気!そうしないと、後から疲れてうつが悪化する事もあるので、ご家族の方も焦らない事を心得ておいてください。はーい!了解🙋 と心得た😸💦分かっちゃあいるけど、もっと良くなれ!と、周りが焦るのよ😅
皆さんは洋服類やカバン、靴など衣類関係の処分をどうしていますか?私は断捨離して、なるべくスッキリとした環境で暮らしたいという気持ちが強い一方で、「まだ使えるのに勿体ない」という気持ちも強いほうです!まだ状態が綺麗で価値があると思える物を捨てる気にならないのです(>_<)だけど、自分の手元からは手放したい💦そういうとき私は、二束三文でもタダでもいいから、なるべくリサイクルショップに持ち込みます。高価な着物類も、二束三文だったのは残念だったけど、かなりの枚数を引き取ってもらいました。リサイクルショップで引き取って貰えなかったら、ニーズが無いものとして諦めもつきやすい(笑)吸水性のある布地なら、使い捨て雑巾にして切り刻んだりして悪あがきし、リサイクルショップでも引き取ってもらえなかった食器類等々は捨てるしかないのかな?!✧• ───── ✾ ───── •✧もうひとつの方法は、以前もブログで書いたことがある、「古着でワクチン」を利用しています。いらない服を寄付・整理して、お部屋と心もスッキリのSDGsなサービス! | 古着deワクチンいらない服・古着・バッグを寄付し、リサイクルするSDGsなサービス。引っ越し、結婚、卒業、成人祝など人生の転機や衣替え・模様替え・サイズアウト、大掃除、遺品・生前整理、失恋・離婚などの断捨離はもちろん、ストレス解消や気分転換にも!洋服・古着・バッグの寄付・回収なら送料無料の注文専用電話番号:0120-126-316まで!furugidevaccine.etsl.jp困っている人たちに利用してもらえるかもしれないと思うと、断捨離にも弾みがつきますし、ブランド品でなくてもいいのが有り難い❣️しかも小さなボランティアも出来て、Win Win 途上国や難民キャンプの人たちに寄付する形でお金を振り込むと、かなり大きな袋が届くので、その中に詰め込んで、配送業者に引き取りに来てもらうシステム!袋が大きいから、ある程度溜まってから頼まないと、いつまでも袋が邪魔になるから、そうそう簡単には袋を購入する気にならないのが難点でした。どうせなら袋をいっぱいにしたいと思ってしまうから(笑)古着でワクチンのホームページを見たら、あら、私のような声に応えて、3サイズ展開になっていた🤞先日、次男から連絡がきた。「古着でワクチン」の袋にまだスペースがあるから、着なくなった服があったら持ってきてくれていいよ」私が古着でワクチンを利用していたことを知ってる次男も「古着でワクチン」を利用して洋服類を断捨離していることに、嬉しさを覚えました♪早速、次男宅に届け物があったので、ついでに、断捨離予定だった自分ちの服を置いてきましたよ。息子宅の玄関に、デンと鎮座していた大きな「古着でワクチン」の袋「確か、袋が届いてから配送に出すまでの期限があったはずだけど、大丈夫?」と聞いたら、「イヤ、期限切れ💦 」「でも、問い合せたら、期限が切れていても送る時にその旨を連絡してくれれば送ってくれていい…と言われたから大丈夫だよ!」とのことでした😊ホームページを確認したら、着物の回収も始めていた!いらない服を寄付・整理して、お部屋と心もスッキリのSDGsなサービス! | 古着deワクチンいらない服・古着・バッグを寄付し、リサイクルするSDGsなサービス。引っ越し、結婚、卒業、成人祝など人生の転機や衣替え・模様替え・サイズアウト、大掃除、遺品・生前整理、失恋・離婚などの断捨離はもちろん、ストレス解消や気分転換にも!洋服・古着・バッグの寄付・回収なら送料無料の注文専用電話番号:0120-126-316まで!furugidevaccine.etsl.jp
先日の同好会の茶道稽古の日、80歳代になった途端に高齢者であることを強調するようになってきた、現在81歳のAさんが9月の午後からある稽古用菓子を購入してくる当番月だった。一人暮らしのAさんは、私が父親や父親の再婚相手、姑や義妹と、次々と世話をしてきていたことを知っていて、「お姑さんが羨ましい!娘なんて、私がどうかなっても絶対にあゆみさんほど親身になって私のことを看てくれるとは到底思えない🥺」と、私が世話をする姑のことを何かにつけて羨ましがる💦稽古日は、Aさんのマンションで、在宅していなければならない排水管掃除の日で午後に回されてしまい、午前中に買った稽古用のお菓子を午後一番に持参できないから困った(>_<)という相談があった。私は、相談されると、「なら私の方で買っとくよ」と言ってもらうことを勝手に期待されている気がして気が重くなる。代表の私は、他の人の何倍も皆さんの為に茶道グループの仕事をしているのだから、なるべく自分の担当のことくらいはサクサクと動いて欲しいのに、なぜ、お菓子を購入する事に対して、いちいち私に相談してくるの?私にお菓子も買ってきて欲しいのかな?という被害妄想的感覚に陥ってしまうのだ😸💦以前の私なら期待を感じて手を差し伸べてしまうとこだが、今の私は、「代わりにお菓子を買ってきてください」とは言われていないという事実に焦点を当て、期待されている妄想に打ち勝ち、「排水管清掃を午前の部に変更できないか業者に聞いてみたら?」とまずは提案してみた。「電話してみるわ」と話すAさんだったが、「数日前に言ってくれたら午前と午後の清掃時間の変更が出来たが、もはや間に合わない」と断られたらしい。「早めにお菓子を自転車で購入に行って、マンションから近いとこにある稽古場に置いておき、一旦マンションに戻って、排水管清掃に立ち会ってから稽古場に遅刻して行きます」という連絡が入った。ここでも、「そのくらいなら私の方で買ってこようか?」と言うのを堪え「マンションと稽古場との2往復をさせてしまいますが、よろしくお願いします🙏」という返事をLINEした。すると、Aさんから、「大丈夫!12時半に和菓子屋で買ってそのまま稽古場に届けます、自宅迄は他の皆様に比べると近くて申し訳ないくらいですので~、今朝の業者の話では後2~3日早ければ変更出来たと言われました、😄どんなお仕事も大変ですね、81才、若い方に感謝をしながら生活していきます_(._.)_(´▽`)ノ」とのLINEが返ってきた。✧• ───── ✾ ───── •✧その日の帰りしな、茶道の稽古場で、次回もお菓子の購入当番のAさんは、「次回稽古の日、雨だったら自転車に乗れないから、お菓子を買いに行くのどうしたらいい?(>_<)」と私に言い出した。次回の稽古日は2週間後である。何故、2週間も後の天気のことまで今気にするの?今まではどうしていたの?と首を傾げたくなる私お稽古用の主菓子は、生菓子は稽古日当日に購入しなければならない!という固定観念に陥っているAさん。Aさんは、日々活動的で、普段も自転車に乗ってはお出かけしている。お菓子だって、天気予報が数日前から雨予報なら、少し日持ちするお菓子を事前に購入する工夫だってしていいし、ねりきりの生菓子が買いたいなら事前に買って冷凍保存して、稽古日当日に持っても来れるはず。それを言ったとて、「それでもやっぱり、当日に買ってくるのが一番でしょ!?」と言い稽古日近くになって雨模様と分かっても、事前に工夫の余地があるよ…と提言する私の言葉に聞く耳をあまり持ってくれそうになかった!20年来の稽古仲間のAさん。今までのお菓子当番ではどうしていたの?年齢的に融通が効かなくなってきてる?…🤔💭この日も、自分の車を持っていて常日頃から運転して快適に移動出来る私から、「雨だったら私が買ってくるからいいよ」という言葉を言ってくれることを期待されているような気がまたもやしてきた💦それでも私が「なら買ってきてあげるよ」と、敢えて言わないようにしていることを感じ取ったに違いないのはBさんだった。夫に稽古場まで車で送迎をして貰っているBさんが、「雨だったら、車で来るついでに和菓子屋に寄れるから買ってくるよ!」と助け舟を出した。「さっき、ご主人の抗がん剤治療が始まったら送って貰えないかもしれないし、孫の世話も突然入るかも。だから次回の稽古は休むかもしれない…と言わなかった?」と私「そうだった:( ;´꒳`;) でも、まだ次回はどうなるか分からないから…」とBさんは言った。Aさんも「雨ならデパートまで電車で買ってくるから大丈夫」とBさんに言った。「そんなの大変じゃない💦」とBさんそれこそ、私より20歳年上のBさんはAさんと同じ年齢。私が高校生の時からの茶道仲間で、Bさんは私にだけは人様に言えない家庭の悩みを打ち明けてくれる。茶道の稽古場で、私に仕事が集中しがちなことに対しても気にかけてくれていて「何も手伝えなくてごめんね」と話す。Bさんもステージ4のがんから生還した人で、家族のことでも心配が尽きなくて、「茶道に来ることだけが唯一の自分を保つ息抜きの場」だと私にだけは打ち明けてくれている。これらの3人のやり取りを聞いていた、30歳前半くらいに見える独身の若いCちゃんが口を挟んだ「AさんとBさんの問題だから、2人で話し合って貰えばいいですよ(笑)あゆみさん帰りましょ!」Cちゃんは入会してから10ヶ月で、新人さんの部類。「皆さんのあゆみさんへの頼りすぎに驚きました。あゆみさんは忍耐強過ぎます」と言ってくれたことがあった。もう1人しっかり者の賢そうな、会社を退職してすぐに入会してきてくれた男性もいる。Cちゃんか、この男性なら、本当に熱心に稽古をしているし、私の代表の跡をいつか引き受けてもらえるかも…と密かに思っていて、その時期まで、今年で13年間も続けている代表の仕事を頑張るしかないと私も腹を据えているところ。この男性は、毎回、私が帰るまで自分が先に帰るのを留まってくれていた。それくらい礼儀正しい人他人からその事を知らされ気がついた私は、「私の事なんて待たなくていいですよ~!」と逆に待たれると困るからと、先に帰るように促した(笑)✧• ───── ✾ ───── •✧Cちゃんから、2人に任せればいいと言われ「そうだね。2人に任せればいいね(笑)」と私「そうそう、その時に2人で話し合うわ」とAさんも言った。★ゲシュタルトの祈り★私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。という『ゲシュタルトの祈り』の一節は、他人からの期待を勝手に作り出してしまいがちな私の思考グセを、心を鬼にして軌道修正するバイブルみたいに、私の脳裏の片隅に埋め込まれつつある
2018.10.27『嬉しい届きもの』4月から社会人になった長男9月に長男の会社のファミリーデーで東京へ夫婦揃って一泊で行ってきました。社内で行われたハッカソンで上位に選ばれた息子たちグループは…ameblo.jp2022.1.3『社会人になった次男からのプレゼント』親族たちと年始の中華会食をして、参加出来なかった長女さんの店に皆でサプライズ訪問した後は、親族と解散して、我々家族4人は就職以来初めて帰省した次男から私への…ameblo.jp2018年、長男が社会人になった年度に、私に買ってくれた2リングの指輪2022年、同じく次男が社会人になった年度に買ってくれたネックレス私は、この指輪とネックレスを、外出の時はお守りとしても頻繁に身につけている︎💕︎私は他にも指輪やネックレスは持っているけれど、息子たちからの指輪とネックレスには別格の価値がある。同じ物であっても、そこには、社会人になった息子たちが貯金したお金で、母親への感謝の気持ちを込めて買ってくれたという物語があるからだ♡♡母と息子たちとのストーリー物語が加わることによって、物はプライスレスの何ものにも替え難い物になる。『私たち夫婦の死後の供養について、息子たちと今現在の気持ちを確認しあった』我々夫婦と長男と次男夫婦の5人が揃う機会はありそうでなかなかない為、今年のお盆休みの5人旅行のホテルでの夕食どき、我々夫婦の死後の供養について、私たちはどうし…ameblo.jp先月のお盆休みの、長男、次男夫婦と5人の家族旅行の時も、私は息子たちから貰った指輪とネックレスをつけていた。ホテルでの夕食どき、自分たち両親が両方とも死んだら供養をどのようにしていって欲しいか!?ということを、次男夫婦と長男に話したときのこと…昨年 次男と結婚したTちゃんは、私が身につけていた指輪とネックレスにまつわる「母と息子たちの物語」を初めて知った。人は必ず死ぬ!それがいつなのかを誰も知らないだけで、そのいつかは必ずやってくる!私は仏教にふれるようになってから、益々「死」を意識するようになった。死ぬことは別に怖くもなんともない。病気で苦しんで死ぬのは嫌だな…とか、怪我で痛い思いして路上で死ぬのは嫌だな…とかは思うけれど、それだって、親たちの最期を見てきた年齢になると、そんなに楽に死なせてもらえないこともわかる💦だけど、延命治療だけは絶対にして欲しくはなく、運命に逆らわずに死にたい!このことも息子たちには伝えてある!死にゆく人の延命を望むということは、死にゆく人の身になって考える心を失っているとも言える。親には一日でも長く生きて欲しいという愛情に見えるけれど、やはりそれは自分中心の「執着」であり、少しでも長生させたという自己満足でしかない…と私は思うからだ。この延命治療をめぐっては、父親の身体をどこまで痛みつければ気が済むのか?父は十分頑張った。これ以上の延命はやめてあげて欲しい…という私の死生観からくる考えと、自分の夫への執着の為に、何がなんでも一分一秒でも長生きしてもらうことを望み、瀕死の状態の父に胃瘻を施そうと医師に詰め寄る再婚相手のAさんの、一見愛情に見えるものが、私には「夫が苦しんでも、自分さえよければいいのか?」という自己満足というエゴイズムにしか見えなかったが、延命治療に反対する私は、冷たい娘だとなじられた。兄と姉も延命治療には反対していたが、父親の面倒を見ていた私に、兄と姉は、Aさんとの話し合いを任せていた。感情の塊のようなAさんは、まるで、愛情が自分の方が上!とでも言いたげな言葉を私に浴びせ、私は傷ついた。結局私が折れたが、父は胃瘻手術を控えた目前に亡くなった。夫の父親の時も脳内出血で脳幹が完全にやられて、手術しても意識はまず戻らない!戻ったとしても家族の顔すら分からない状態だろう!と言われた。この時に、子どもたち3人は手術をしない選択をしたが、妻である姑が手術を選択した。この延命手術によって舅は6年間近く植物状態のまま息だけをしていた。私は父親と舅の時で分かったことがあった。子どもよりも妻に延命の有無への決定権があり、多数決ではないということを!こういった経験が我々夫婦にはあるものだから、配偶者に生きていて欲しいのはやまやまであったとしても、互いに、本人が苦しむか苦しまないかを基準に考えて、本人のために延命を諦めよう!心を鬼にして執着を捨てる努力をしよう!と既に話し合っている。✧• ───── ✾ ───── •✧人間は誰もが死ぬのであって、その事実を前に「死そのもの」を恐れるなんてことは私にはない。唯一「死」を恐れるとしたら、それは、まだ子育て中でこの子たちの為に死ねないとか、まだ自分にはやり残した使命がありその使命を全うするまでは死ねない…などという、そういった理由だ。「死」を意識するからこそ、今をどう生きるかを強く意識するようになり、「生」が輝いてくる。私が死んだときに、指輪やネックレスがまだ輝きをはなっていたらでいいけれど、指輪は長男のいずれ結婚するであろう同棲中のパートナーに、ネックレスはTちゃんに使ってもらうか、ブラチナやダイヤ部分がくすんでいて使えなかったら、息子たちの引き出しにでもしまっておいて欲しい🍀と、少し身勝手な気がしつつつも、これくらいの我儘はいいだろう…と、遺言めいたことを、先月のお盆休みの旅先で、話しておいた😸💦こんなことを息子たちに話すようになった私は、もうじき死ぬのか?(笑)😇というのは冗談ですが、「死」を頭の片隅で意識して「生きる」って、よりよく生きていく為にも大切な事だと思うんです
『姑の高齢者うつと、電気けいれん療法の検討から治療を見送るまでの流れ』⚠毎度ながら長文です!高齢者うつに関心がある方だけお読み頂けると幸いです💦✧• ───── ✾ ───── •✧高齢者うつのお義母さんの電気けいれん療法を検討…ameblo.jp電気けいれん療法の入院申込の為に行ったはずなのに、この治療をお義母さん本人が断ってから10日経ちました。タイミング的には、薬を増やしたから急激によくなってきたとしか思えないお義母さんです。電気けいれん療法を勧めてくれた主治医に、以前お義母さんがSSRIの抗うつ薬で劇的によくなったことを受けて、今回も違う薬を追加することでよくならないかを期待しますが…と私から話したところ、主治医は2度目はまずないようなことを仰って、電気けいれん療法を勧めてくれたのでした。けれども、大学病院の医師も「まだ薬で工夫する余地はある」ようなことを仰っていた中、お義母さんの主治医も薬を色々と工夫してくださった結果、またもや良い結果となりそうです。お義母さんの酷い、静坐不能、イライラマックスの症状が治らないなら、このままこの状態で生き続けるのは気の毒すぎて、私まで徐々に鬱々としてきていました自分までメンタルをやられないように自分自身とも向き合ってきたこの2から3ヶ月。電気けいれん療法の検討は、私自身にも光明が欲しくて、この間を耐えるための手段のひとつであったとも言えました。他者の心の内は知りようもありませんが、それは、ほかの親族たちも同様、もしかしたら私よりも更にもっと鬱々としてきていたかもしれなかったです。そういうわけで、いつもはお義母さんの実子3人と、お義母さんより4歳年下の妹さん(夫の叔母)と5人のグループLINEで報告するところを、祖母のことを心配しているであろう孫5人も参加している10人のグループLINEに報告をしておきました。 ↓↓↓■お婆ちゃんさて、お婆ちゃんの様子について、普段は孫抜きの5人LINEで報告しあってますが、今夜は、こちらにて書いておきますね😊5月末の急性虫垂炎手術からの3週間の入院によって、うつ病を悪化させていたお婆ちゃんでした(>_<)「誰にも会いたくない」という状態になっていた事で、お盆休みも会うことも叶わず、皆さんも心配していたことと思います😥そんなお婆ちゃんですが、結論から言うと、新しい抗うつ薬が効いてきたのか、元に戻りつつあります😊今日は、お婆ちゃんのほうから、我が家に電話がありました。〇〇〇(入居先の老人ホーム)では、コロナ患者が出ていて、毎日あったピアノ合唱が中止になっており、やることが無さすぎて「つまらない」ということでした。「ついこの間まで、誰にも来て欲しくないと言っていたけど、今は来て欲しい?」と聞いたら、YESでした😁また、うちの会社にも〇〇を少し買いに来てくれた事があり、その昔、たまたまレストランでもばったり会ってご挨拶したこともある、お婆ちゃんの小中学校の同級生 〇〇君夫妻が〇〇〇(老人ホーム)に見学に来たところ、玄関先の廊下でばったり会い、入居してくる事が分かったそうです。幼なじみの知り合いが入居してきてくれて、お婆ちゃんの環境も変わりそうだと話してました😊まだ外に出ることに少し不安や迷いはあるようですが、誰か会いに来てくれたら、外の喫茶店とかへ出かけてもいいような、そんな気持ちに少しなりつつあるような様子でした😉⭐️「明日、〇ちゃん(お義母さんの妹)来てくれるかなあ?」と言っていたので「天候次第で電車が止まってたりするかもしれないし、雨の中無理はいけないからどうなるだろうねえ?」と言ったら「そうだねえ」と返事してました。声も普通の声に戻っていましたよ😉この1週間で急激に回復してきたようですので、ご報告しておきますね((ヾ( ◍´꒳`◍ )マタネー 👋✨✧• ───── ✾ ───── •✧お義母さんの小中学校はクラス数が少なく、70歳代になっても、〇〇会という会を作って、月に一度は会う機会を設けたり、旅行したりと、私から見ても羨ましいほど、それはそれは仲のよい同級生たちの集まりでした😊私もその昔、お義母さんと同級生の旅行帰りに駅までお迎えをして、同級生を家まで送るなどしたこともあり、何人かの同級生のことを知っていて、名前も知っています♪ 写真をいつも見せてもらってましたしね📸それなのに、比較的仲の良かった〇君は、お義母さんのことが分からなかったのか?反応してくれず、〇君の奥さんとだけ立ち話をしたら、近々入居してくることが分かったのだそうです。夫婦で入居してくる…とお義母さんは言いましたが、よく聞くと、それはお義母さんの予測でしかなく、〇君のほうだけかもしれず、まだ本当のところは分かりません。また、このばったり出くわした〇君には無視されたようなことをお義母さんは言うので、私からは「もしかしたら、年齢的にも〇君は認知症になっていて、お義母さんのことを思い出せなかった可能性もあるから、お義母さんも、〇君が入居してきたら、その点は注意深く対応してあげた方がいいかもよ」と伝えたら、「来れば分かることだね」とお義母さんも冷静な返事。「2人とも、綺麗な格好をしていて品もあって、自分の姿が恥ずかしかった」と卑下していたので「お義母さんも綺麗だよ。他の人と比べても全然見劣りしないよ」と伝えておきました😊お義母さんはうつ病になってから化粧をしなくなりましたが、顔にシワも殆どなく、シミひとつないのはホント😁私からの褒め言葉に対し、いつもは「あゆみさんは口がうま過ぎる(>_<)」と、素直に言葉を受け止めてくれませんが、今回はこの反論をしませんでした。また嫁は、口達者なこと言って~…と苦虫を噛んだような顔をしていたかもしれませんが、電話では表情は分からないので(笑) 😅