二人の息子と母ayumi

大学院生長男、医学部生次男。
母として、息子たちを見守る記録日記です。

テーマが雑多な私的ブログです。


2016年の3月までは受験ブログが中心でした。

受験ブログに関しては、ほぼ公開にしています。


以降は、子どもたちの大学生活のことを中心に

備忘録代わりに、アメンバー記事で書かせて頂くつもりです。

アメンバーさんは現在募集しておりませんのでご了承ください。




NEW !
テーマ:

子どもの勉強、ひきこもりなど親子間の悩み!

 

アドラー心理学はこの悩みにどう答えてくれるのか?

 

以下、『嫌われる勇気』本文からの

一部抜粋及び要約です。

 

**********

 

【 子どもを褒め承認することに潜む危険】

 

まずは、前置きです。

大抵の親は、勉強や運動など

子どもが頑張ったと思ったら

子どもを褒め、承認しようとします。

 

他者から承認されることは確かに嬉しい!

他者から承認されてこそ、われわれは

「自分には価値があるのだ」

と実感することができます。

 

他者からの承認を通じて、

劣等感を払拭することができます。

自分に自信をもつことができます。

 

親から褒められれば褒められるほど、

さらに親から認められたいと思い、

受け入れられたいと思うから

子どもは勉強を頑張るようになります。

 

しかし、この承認欲求を満たす為の

褒め育てには、

「賞罰教育」という罠が潜んでいます。

 

適切な行動をとったら褒めてもらえる。

不適切な行動をとったら罰せられる。

この賞罰教育には、

褒めてくれる人がいなければ適切な行動をしない

罰する人がいなければ、不適切な行動も取る

という危うさが背後に隠れています。

 

そして、褒められ承認欲求を満たされた子どもは、

親の期待を満たすために

さらに勉強をするようになります。

 

一方、そもそも勉強が苦手で

不得意な子どもは

親の期待に応えられないみじめな自分に

イライラを募らせ、さらにやる気を失い

時に非行に走ることにもなりかねません。

 

これが、承認欲求の罠です!

 

そもそも、人を褒めるということは、

上司が部下を褒める。

先生が生徒を褒める。

という場面のように、

褒める親と褒められる子どもの間には

まさしく上下関係が生まれている証拠なのです。

 

人間関係は、成人同士だけでなく、

親子といえども対等でなければなりません。

 

本来は、人は他者の期待を満たすために

生きているのではないのです。

 

ところが、

他者からの承認を求め、

他者からの評価ばかりを気にしていると、

最終的には他者の人生を生きることになります。

 

本人は承認されることを願うあまり、

他者が抱いた

「こんな人であってほしい」

という期待をなぞって生きていくことになるのです。

 

このようなことにならない為にも

「子どもは親の期待を満たすために

生きているのではない」

のだから、

子どもが自分の思い通りに動いてくれなくても、

親は怒ってはいけないのです。

 

カウンセリングを受けにくる相談者に、

わがままな人はほとんどいません。

むしろ、

自分本位に振る舞うことができない人のほうが、

親や教師の期待に応えようとして苦しんでいるのです。

 

 

【 課題の分離 】

 

たとえば、なかなか勉強しない子どもがいるとします。

授業は聞かず、宿題もやらず、教科書すらも学校に置いてくる。

さて、もしあなたが親だったらどうしますか?

 

あらゆる手段をつくして勉強させますか?

塾に通わせるなり、家庭教師を雇うなり、

場合によっては耳を引っぱってでも。

それが親の責務と考えるのではないでしょうか?

 

アドラー心理学では、上記に書いた

親の期待が子どもに過剰にかかりやすく

賞罰教育を内包する「承認教育」

を否定したうえで、

 

「この問題は、誰の課題なのか?」

という観点から考えを進めていきます。

 

われわれは、様々な問題に対し

「これは誰の課題なのか?」という視点から、

自分の課題と他者の課題とを

分離していく必要があるのです。

 

分離してどうするのか?

「他者の課題に踏み込まない!!」

それだけです。

 

 

あらゆる対人関係のトラブルは、

他者の課題に土足で踏み込むこと

あるいは自分の課題に踏み込まれること

によって引き起こされます。

 

課題の分離ができるだけで、

対人関係は激変するでしょう。

 

 

もう少し具体的に考えていきましょう。

 

子どもが勉強するのかしないのか。

本来これは「子どもの課題」であって

親の課題ではない。

 

そこに対して親が「勉強しなさい」と命じるのは、

他者の課題に対して、

いわば土足で踏み込むような行為です。

これでは衝突を避けることはできないでしょう。

 

(反論)

いやいや、子どもに勉強させることは親の責務です。

好き好んで勉強する子どもなんて

ほとんどいないのですし、

なんといっても保護者なのですから

子どもの勉強は親の課題でもあります・・・

 

誰の課題かを考える方法はシンプルです。

「その選択によってもたらされる結末を

最終的に引き受けるのは誰か?」

を考えてください。

 

もしも子どもが「勉強しない」という選択をした

その決断によってもたらされる結末・・・

たとえば授業についていけなくなる、

希望の学校に入れなくなるなど・・・

を最終的に引き受けるのは誰か?―

親ではありません。

間違いなく子どもです。

すなわち勉強とは、子どもの課題なのです。

 

(反論)

いやいや、全く違います。

そんな事態にならないためにも、

人生の先輩であり、保護者でもある親には

「勉強しなさい」と諭す責任があるでしょう。

これは子どものためを思ってのことであって、

土足で踏み込む行為ではありません。

「勉強すること」は子どもの課題かもしれませんが、

「子どもに勉強させること」は親の課題です。

 

たしかに世の親たちは、頻繁に

「あなたのためを思って」

という言葉を使います。

 

しかし、親たちは明らかに自分の「目的」―

それは世間体や見栄かもしれませんし、

支配欲かもしれません―

を満たすために動いています。

 

つまり、「あなたのため」ではなく、

「わたしのため」であり、

その欺まんを察知するからこそ、

子どもは反発するのです。

 

(反論)

じゃあ、子どもがまったく勉強していなかったとしても、

それは子どもの課題なのだから、放置しろと?

 

ここは注意が必要です。

アドラー心理学は、

放任主義を推奨するものではありません。

 

放任とは、子どもがなにをしているのか知らない、

知ろうともしない、という態度です。

 

そうではなく、

 

子どもがなにをしているのか知った上で、

見守ること。

 

勉強についていえば、

それが本人の課題であることを伝え、

もしも本人が勉強したいと思ったときには

いつでも援助をする用意があることを伝えておく。

 

けれども、

子どもの課題に土足で踏み込むことはしない。

頼まれもしないのに、

あれこれ口出ししてはいけないのです。

 

親も精一杯の援助をした結果

子どもがどのような決心をくだすのか、

ライフスタイルを変えるのか、

それとも変えないのか。

これは子ども本人の課題であり、

親はそこに介入できないのです。

 

本人の意向を無視して

「変わること(勉強すること)」を強要したところで、

あとで強烈な反動がやってくるだけです。

 

馬を水辺に連れていくことはできるが、

水を飲ませることはできない。

ということわざがあります。

アドラー心理学はまさに、このスタンスです。

 

繰り返しになりますが、

勉強しないという問題やひきこもりの問題でも

「これは子どもの課題なのだ」と考える。

子どもの課題に対し、親は介入しようとせず

過度の注目することをやめる。

その上で、困ったときにはいつでも

援助する用意がある、

というメッセージを送っておく。

 

そうすると、親の変化を察知した子どもは、

今後どうするのかについて

自分の課題として考えざるを得なくなります。

援助を求めてくることもあるでしょうし、

独力でなんとかしようとすることもあるでしょう。

 

子どもとの関係に悩んでいる親は、

「子どもこそ我が人生」

だと考えてしまいがちです。

要するに、

子どもの課題までも自分の課題だと思って

抱え込んでいる。

 

いつも子どものことばかり考えて、

気がついたときには人生から

「わたし」が消えている。

 

しかし、どれだけ子どもの課題を背負い込んだところで、

子どもは独立した個人です。

親の思い通りになるものではありません。

 

進学先や就職先、結婚相手、

あるいは日常の些細な言動でも、

自分の思い通りには動いてくれないのです。

 

当然、心配にもなるし、

介入したくなることもあるでしょう。

 

でも、先ほどいいましたよね。

 

「他者はあなたの期待を満たすために

生きているのではない」と。

 

たとえ我が子であっても、

親の期待を満たすために生きているのでは

ないのです。

 

家族でさえ、そこまで線を引けと?

 

むしろ、距離の近い家族だからこそ、

もっと意識的に課題を分離していく必要があります。

 

いいですか、信じるという行為もまた、

課題の分離なのです。

 

子どものことを信じること。

これは親の課題です。

 

しかし、親の期待や信頼に対して

子どもがどう動くかは、子どもの課題なのです。

 

そこの線引きをしないままに

自分の希望を押しつけると、

たちまちストーカー的な「介入」になってしまいます。

 

自分を変えることができるのは、

自分しかいません。

 

たとえ相手が自分の希望通りに動いてくれなかったとしてもなお、

信じることができるか。

愛することができるか。

 

アドラーの語る「愛のタスク」には、

そこまでの問いかけが含まれているのです。。。

 

 

*********

 

 

以上要約でした。

 

いかがでしたか?

 

「課題の分離」・・・

 

アドラー心理学の言わんとする

「課題の分離」の理屈はわかるのですが、

感情のほうが追い付かないという側面があります。

 

それでもなお、

子どもが勉強やひきこもりなど

なんらかの問題を抱えているとき、

親は感情的になることを乗り越え、

この問題は子ども自身の課題である!

と冷静かつ論理的に考えることができるのか?

親子の分離をしっかりと図ることができるのか?

 

アドラー心理学は、

かなり厳しい姿勢の思考方法であるとともに、

シンプルかつ真髄をつく思考方法でもあると感じました。

 

なかなかうまくいかないかもしれませんが、

「課題の分離」の思考方法のソースだけでも

意識的に自分の中に取り込んでみると

以外にも、親としては

子どもに対する呪縛を解き放つというか

程よい距離感を取ることが出来て

案外楽になるかもしれませんね^_^;

どうでしょう??

 

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