2021年2月26日金曜日

デカたまが2度目の自殺未遂をしました。

 

あれから一週間。

彼女は生きています。

この一週間は私にとってとても濃い時間でした。

 

今回病院からもらった薬を大量に服用したデカたま。

薬を飲んだ直後に学校の先生とショートメールをしてて、そのまま連絡が途絶えたと

電話をもらってから一時間で私は帰宅した。

案の定意識を混濁させていたデカたまを見て即救急車の要請をして

考えられる限りのものを持ち同行しました。

そして幸い一命はとりとめて私はたくさんの人に事情を話したくさんの人に頭を下げ

たくさんの人と今後の話をした。

 

原因というか引き金になったのは前日にデカたまに向かって言った義母の一言。

「汚らしい」

それは冗談だったのかもしれない。

確かに私たちが寝て食事をするリビングは掃除が行き届いてないし

整理整頓ができてないかもしれない。

けれど3人が物を保管する場所はこの家には少なすぎるのも確かだ。

一人一階の居住区を占有し、日中時間がある義母からしたら汚いかもしれない。

けどその言葉は言っていい言葉だろうか?

 

救急搬送した翌朝、私は義母に呼び出されて話すことになる。

 

「私は言った覚えはない」

 

そんなことは知らない。

私はその場にいなかたのだから・・・

けれどデカたまにとって義母の言動、行動そのものがストレスだったのは確かだ。

だから私はハッキリと言いました。

 

「別居します。最悪離婚させていただきます」

と・・・

 

義母は別居はしかたないかもしれない。けれど1年ぐらいで戻ってきたら?

これからが夫婦大事な時じゃない。そんな酷いことを言わずに一旦別居してみて

子どもたちも良くなったらまた一緒に暮らしましょう。

 

え?

別居中、子どもが一番つらい時にあなたがケアして心身ともに健康と取り戻したら

また息子と暮らして面倒をみてあげてよ。

そう聞こえました。

 

それで私の人生は果たして幸せなんだろうか?

 

コロナウィルスのため今は入院患者さんとの面会はできませんよね。

その日特別に面会をさせてもらった私は彼女と少しだけ会話して決心を固めました。

やっぱり絶対別れよう。

夜、オレさまの部屋を訪ねて状況を話すと彼も言いました。

 

「もうどうでもいいや。ダメなら出ていけ」と。

 

それでもチビたまの父への思いもなんとかしてやりたいから

私は現状考えられる離婚へのプロセスを伝え

彼の了承をもらい3月中旬には引っ越し開始。家の片づけ等を5月中に完了

のち、離婚とするつもりです。

 

あれ見通しできたんじゃない?

いやいや、ここからがまた大変。

とにかくオレサマと義母の手助けは一切なし。

 

入院しているデカたまと相変わらず不調で学校に行けないチビたま。

会社の勤務先の移動と引っ越し準備。

これに追われることになりました。

 

仕事しながら

チビたまの耳鼻科と脳神経クリニックの受診

デカたまの退院と通院先のクリニックの受診

家の引っ越しの準備と職場の引っ越し作業

これを一週間(苦笑)

 

誰の助けなく

こなすのは必死だった。

今学期の学校の登校は取り消しされちゃったし

退院してきたデカたまを一人で家においておくのも心配だ。

チビたまはもらってきた薬がなかなか効かずに学校を休むことが多い。

 

引っ越し準備もちっとも進まないし

今後のことを考えてお金を残しておきたいから自分たちだけで引っ越しをするつもりだし

はてさて無事に終わるかな。

 

次の土曜日3月13日から入居ができる。

「家具、食器、家電全て運んでください。何ひとつ要りません。

最終的に不要なものは全て処分でお願いします。」

彼から来たLINE。

これは優しさだろうか?

引っ越しも片付けも何ひとつ手伝いもしない人が言うこの言葉は

私には酷くきついプレッシャーにしか感じない。

 

からずっと片付けをしていて体中が痛い。

そして6時間後には出勤だ。

がんばれ私。みなさん、娘たちも私も生きています(笑)

 

 

かおにゃ。