凡人が「天才」たちと肩を並べる方法 - 書評 - 究極の鍛錬 | 知磨き倶楽部 ~ビジネス書で「知」のトレーニングを!~

凡人が「天才」たちと肩を並べる方法 - 書評 - 究極の鍛錬


グローバル経済が進展し、今後ますます多くの人たちと、国籍を問わずに競争していかなければならない時代になりました。
激しい競争の中で、傑出した成果を上げ続けなければ、いつ蹴落とされてしまうか分からないという不安が常につきまといます。

グローバルな情報をベースとして相互に地球規模での結びつきが強まった経済においては、企業も個人もよりいっそう世界最高レベルと競争しなければならない。真に偉大であることの報酬がますます高まり、世界クラスと比べ、劣ることになればその対価は、ますます高くつくことになる。(p.30)
だとすれば、こうした状況下にあって僕らに必要なことは「どうすれば傑出した成果、偉大な業績を上げられるのか」ということになるでしょう。

そうは言っても、傑出した成果や偉大な業績を挙げられるのは、一握りの「天才」だけだと諦めていたりしませんか?
決してそんなことはありません。
本書で、アメリカ「フォーチュン」誌で編集主幹を務める著者が、様々な事例や研究成果を元にして、「天才」ではない僕らでも、傑出した成果をあげられる方法を明らかにしてくれています。
ただ、誰もが傑出した成果を上げられる、とは言いません。
それだけの代償を払う覚悟がなければいけません…。


「偉大な業績」の大部分の要因を説明するように思えるものは、研究者が「deliberate practice」(本書では以下、「究極の鍛錬」と訳すこととする)と呼ぶものだ。(p.19)
結論から言ってしまえば、この「究極の鍛錬」こそが、僕らが傑出した成果を上げるために必要なことだということです。
これは、マルコム・グラッドウェル『天才! 成功する人々の法則』の「一万時間の法則」や、マシュー・サイド『非才!―あなたの子どもを勝者にする成功の科学』の「目的性訓練」と同じ概念だと言ってよいでしょう。

なんだ、それなら知ってるよ……と思った人もいるかもしれませんね。
僕も最初はそう思いましたから。
しかし、本書の優れている点は、この「究極の鍛錬」の特質を、僕らが実践できるように解説してくれているところにあります。

究極の鍛錬の特徴的な要素:1. 実績向上のため特別に考案されている
2. 何度も繰り返すことができる
3. 結果へのフィードバックが継続的にある
4. 精神的にはとてもつらい
5. あまりおもしろくない
先に挙げた書籍でも言われていましたが、単に一万時間の経験を積むだけでは、もちろん傑出した成果には繋がりません。
時間の積み重ねだけで成果をあげられるのであれば、僕だってもう「成功」していてもいいはずです。
上に挙げられた「究極の鍛錬の要素」を見ると、残念ながら、僕のやってきたことのうち「究極の鍛錬」だったことは少なかったように思えます。

「つらくて、おもしろくない」と言われているような鍛錬を、何度も何度も繰り返すというのは、一体どれほどのことでしょうか。
傑出した成果をもたらしてくれるくらいのものですから、今やれていない僕らの想像を超えたものであることは間違いありません。
では、そんな鍛錬ができるようになるために大切なことは、いったい何でしょう。

まず自分のやりたいことを知る必要がある。しかし、そこで成功のカギとなる言葉は、「やりたいこと」ではなく、「知る」ということだ。(p.157)
自分の「やりたいこと」でなければ、「つらくて、おもしろくない」ことをずっと続けられるはずがありません。
だから、何となく「この分野でやってみようかな……」程度では成功はおぼつかないのです。

僕自身は、経営企画と呼ばれる仕事がしたくて転職までして今に至っているわけですが、「つらいけど、おもしろい」ことに打ち込んできたとは言えますが、「つらくて、おもしろくない」こととは一体なんだろう、と思ったりもします。
そんなとき、スポーツ選手のモデルとして挙げられていた例にドキッとしました。

どんな分野でも、フットボールのラインバッカーがレッグプレスを使って足を鍛えれば常に報われるように、読めば常に報われると定評のある手引書がある。違いはどのラインバックの選手も高校からずっとプロフットボール選手になるまでレッグプレスをやっているのに、ビジネスの世界では驚くくらい少人数しか仕事を支える基礎となるコンディショニングの訓練に時間を使っていない。(p.165)
確かに、こういう基礎的な部分に時間を割けていない気がします。
例えば、思考法の本を読んだら、地道にワークをやらなければいけないわけです。
それも、一度きりではなく、常に訓練し続ける必要があるはずです。
身につけたと思っているフレームワークだって、ふと見かけた新聞や雑誌の記事を、フレームワークに落とし込むといった訓練を日常的にやらなければいけないのです。
これは僕にとって、まさに「精神的につらくて、おもしろくない」訓練です。
全然できていないんですが……orz

情熱自体、生まれつきのものではなく、むしろ高い水準の技能と同じで、努力して身につけていくものだ。これは我々の実生活にも当てはまる。世界クラスの人たちは自己の能力を向上させるための動機づけする力をもっているのだ。(p.276)
個人的には、「究極の鍛錬」を続けられるということ自体が一種の「才能」じゃないかと思っていたのですが、それもあながち間違いではなさそうです。
この「動機づけする力」が、あまり強くないような気がしているので(汗)、成功したいのなら何とかしなければいけません。

本書で明らかにされた「究極の鍛錬」を実践できれば、「天才」と呼ばれるような才能はなくとも、「天才」と呼ばれるような人たちが挙げている成果を手に入れることは可能なのです。
そう信じられるか否かが、「動機づけする力」を生み出せるか否かにも繋がってくるかもしれませんね。
正しい努力、訓練をして、望ましい成果をあげたい若手から中堅のビジネスパーソンに読んで欲しい一冊です。
決して楽な道ではありませんが、「才能」で振り分けられてしまうよりも、よほど望みがあると思いませんか?

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■ 基礎データ

著者: ジョフ・コルヴァン
訳者: 米田隆
出版社: サンマーク出版 2010年4月
ページ数: 298頁
紹介文: モーツァルト、タイガー・ウッズ、ビル・ゲイツ、ジャック・ウェルチ、ウォーレン・バフェットなど、天才と呼ばれる人たちに共通する、ある「訓練法」とは

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