小説の永遠のテーマは 愛 らしい。

まぁ小説に限らずマンガ、映画でも愛がテーマのものは腐るほどある。
特に女性は恋愛小説や恋愛映画が好きらしい。少女マンガでは恋愛モノがメインだろう。

恋愛のエピソードは人それぞれとは言え、
好きになったりならなかったり→告白したりしなかったり→付き合う→分かれるor結婚
の工程に違いはそうそう無いと思われる。
その辺、やはり共感しやすい所が魅力なのだろうか(恋に恋する乙女は除く)。

逆にアクションやサスペンス、ヒーローなんかが男は好んで、非日常を求めたりする
のだと思われる。

どちらにせよ、自分がなりたい姿や、自分の姿を登場人物に重ね合わせることで喜びを得るのは同じなんだろう。

メインは自分なのだ。それぞれの自分の体験が違うから好みも違ってくる。


私の場合はどうだろうか。


とりあえずミステリー小説やバトルマンガが好きだ。
自分が辿ることのない思考工程を追体験し、考えたこともないような発想に触れ、
「もしこれが自分だったら」と想像するのが特に好きだ。

「こんなことをするなんてなんて心が弱いんだ」と思ってしまう登場人物や現実のニュースは嫌いだ。
感情の高ぶりを耐えられずに開放してしまうなんて、信じられない。自分なら絶対にしないのに。と。


私は、人に自分のことや自分の内側を見せるのは恥ずかしいから、私を知っている人に自分の内面的な部分を晒すのは稀だ。
自分を理解してもらいたいが、自分を深く知られるのは怖いから、自分の内側を晒すのは余程仲の良い人か、昔からの俺を知っている人だけだ。
昔そうして自分のこと(趣味とか好きな人とか)を知られるたびにからかわれ、嫌な思いをしたことが多いから、いつの間にか自分に一枚皮を被せたのだと思う。

こんな考えに共感する人はいるだろうか。
ここでは私は自分の内面がどういうものかあまり書いていないが、自分の内面を知られ、人にからかわれ、嫌われることを怖れている。
それなら最初から見せなければ嫌われたところでダメージはない。
そうして私の心には一枚の皮をまとった。

果たして皮を脱いだ私を受け入れてくれる友人は、どれ程いるのだろうか。
殆どの友人が「あんま変わんねーじゃん」と一蹴するか、「お前本当はそんなんだったんだ」と軽蔑するかだろう。

結局私が嫌う心が弱い人物は、私の弱い中身と同じだから嫌いなのだろう。
私は自分の弱い中身を奮い立たせて生き、誰かがその中身をさらけ出すのを嫌うのだ。


しかし、自分の弱さにはホトホト呆れることがままにある。
就職活動、アルバイト、人間関係、彼女。
私は中身の弱さを思い知り、その度に叩き直す。

私の最大の欠点は、中身の強さを人に強要し、嫌ってしまうことだ。
嫌うときには中身が剥き出しになってしまうのが最大の弱さだと思う。
これから私は皮を厚くすることよりも、根本たる中身を鍛えねばならない。
皮を厚くすればするだけ、私の目指す「私」から遠ざかる気がする。


恋愛小説が永遠のテーマなのは、「弱いのは自分だけじゃない」ことが分かるからなのではないだろうか。
あえて自分の「皮」という表現を使うならば、皮の中身が同じであることが嬉しいのではないか。


人は弱い。


私も、やはり弱い。


中身だけではどうしようもなくなることもある。

しかし、外に救いを求めて危ないものに嵌ってしまうこともある。
誰かの言葉はそれだけ甘いものだろう。
外に向かえば感情の扱いかたばかりが上手くなり、皮の厚さを増してしまう。
細い芯の補強が進むだけだ。


強くありたい。
しっかり自分と向き合いたい。

ショックなことがあっても、私はあまり誰かに頼ったりはしない。
大抵のことは一人でどうにかする。単純に、非難されるのが嫌いだからというだけだ。



今日、それは悲劇に酔っているのだけなんじゃないかと思った。
そう思うと、結局「強くなりたい」と言いながら「自分かわいそう、自分すごい」
と、自分に酔ってるだけのような気がした。




どう、自分と向き合えばいいんだろう。