第9回日中韓青少年歴史体験キャンプ
学習① 安房の戦跡
フィールドワークは、赤山地下壕と
かにた婦人の村で「噫従軍慰安婦」碑と「128高地」戦闘指揮所壕
はじめまして。6日間、よろしくお願いします。
◆◇◆ かにた婦人の村:天羽道子施設長のごあいさつ
皆様ようこそおいでになりました。
中国と韓国と日本の三国の次代を担う青少年が、共に歴史を体験されながら語り合うというキャンプの意義に心から賛同し、その実りを深く期待いたします。
ここで私自身のことをお話して、皆様方をお迎えするぬあたっての個人的な思いを申し述べたいと思います。
私は旧満州で生まれ、女学校卒業まで満州で育ちました。しかし時代は、5歳の時に満州事変(1931年)が始まり、太平洋戦争へと続いた戦争の時代でした。当時は、満州が日本国の「侵略」の地であったことや、朝鮮が日本の「植民地」とされていたことなど、知ることもなく、疑うこともなく、満州の大地に育まれながら、中国や朝鮮の方たちとも仲良く暮らしていました。
しかし、戦後刻々と知らされた日本国の犯してきた加害の歴史の前に、私は罪責の念を抱かずにおれませんでした。先ず知らなかったということに対して。日本国民の一人として、日本国が犯して来てしまった加害の事実に対して。
この度、この両国の方々をお迎えすることは、私にとって全く無関係ではなく、親しい思いさえ持ってお迎えすると共に、私は心から謝罪の思いを表明したいと思います。一方、いまもなお満州は私の心の故郷であることもお伝えしたいと思います。
かにた婦人の村は売春防止法による婦人保護施設で、全国唯一の長期施設です。1965年4月1日に開所し、45年経ちました。現在、18都道府県から来た79名の女性が生活しています。社会の中で一人で生活していくことのむつかしい人たち、知的に或いは精神に障害をもった弱い人たちが助け合って、共に生きる施設です。大自然に癒されながら、自分に出来る仕事、農園、パン作り、洗濯、陶芸、不用品のリサイクルなどの作業をしながら、役立つ喜びを持ち、生き生きと村づくりに励んでいます。
その中の一人の女性に、「慰安婦のために慰霊塔を建ててください。それが言えるのは私だけです。こんな恥ずかしいことは誰も言わないでしょう」との勇気ある発言によって、戦後40年の1985年8月15日に1本のヒノキの柱が山頂に建てられ、翌年石の碑になりました。
この碑は、二度と繰り返してはいけないというメモリーです。
その2年後、韓国から慰安婦にされた一人の方の声が発せられ、次々と声が上がり、更に中国、台湾、フィリピンなどからも次々と続き、その方々の証言集会も開かれてきました。
この方たちが唯一求めておられる「日本の国家としての謝罪」に対して、日本の国はいまだ国家としての謝罪と補償を行なっていません。
慰安婦にされた方たちが求めておられるのは、謝罪によっての「破れてしまった人間回復、人間尊厳の回復」なのです。この方々は年々高齢になられ、希求しておられた謝罪の声を聞かずに亡くなっておられるのです。
戦争は絶対にしてはなりません。戦争がもたらすものは何でしょう。悲劇であり、碑さんです。日本の国は大いなる被害を受けた、世界唯一の被爆国です。しかし加害国としても負の遺産も負っています。
日本の若い方々には是非この事実と真実を知って心に止め、このままでいいのか考えていただきたいと思います。