秋山巌画伯の証言~海軍の落下傘部隊 | Blog 安房国再発見

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世界的な版画家・秋山巌 先生を松戸のご自宅にたずねました。秋山先生は、棟方志功のお弟子さんで、著名な芸術家です。

  (右の作品は愛沢家所蔵の秋山作品です)


秋山先生のご長女・町田珠実さんと

NPO法人安房文化遺産フォーラム の池田恵美子は

在京時からの古いお付き合いですが、

昨年のお正月、久しぶりに連絡がありました。

お父上が海軍落下傘部隊に所属し、館山で訓練を受けたらしいので、一度行ってみたいとのことで、館山を来訪され、

落下傘部隊の慰霊碑などをご案内しました。

それ以来、珠実さんは、落下傘部隊の調査を

ライフワークとしています。


そのレポートは、「ギャラリー馬美のまみだより」 をご参照ください。


いつか、秋山先生にお会いしてお話伺いたいね、と思いながら

突然、天の采配が降ってきて、今日の日となりました。


ほんの数日前、TV番組の取材で館山の戦跡をご案内しました。

そのとき、誰か証言者を…という話になり、

一人は、海軍特別年少兵だった庄司兼次郎さん を紹介し、

もう一人…ということで、珠実さん経由で聞いていただいたら、

なんとご快諾くださり、今日のインタビューがトントン拍子で決まったのです。


TBSの『ドキュメントナウ』という番組で、12月14日(月)25:58~26:28放映予定とのこと。

 (録画する方は、15日1:58~2:28となります)      ※放映時刻変更に注意!

朝日新聞も同時取材となりました。 ともに、乞うご期待!


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「父の服はすべて4つポケットなんですよ。

 それは、落下傘部隊の装備がそうだったと知って、

 合点がいきました」 と、珠実さん。


88歳とはとても思えない秋山巌先生。

「落下傘は俺の青春」

と、当時を振り返ってお話してくださいました。


海軍初の落下傘部隊は、

今なお落下傘プールののこる館山海軍砲術学校 で養成された

と、私たちは思いこんでいましたが、

秋山先生の証言によると、昭和16年9月、

精鋭1,500名の落下傘部隊は、館山海軍航空隊 に召集され、

ここで寝泊りをし、訓練したというのです。

どうやら、館砲の落下傘プールは、

先遣の研究開発や指導者養成のために使われたようです。


落下傘のたたみ方や飛び出し方、着地方法など基本訓練を

館空の格納庫のような所で毎日何時間もおこなった後、

いきなり飛行機に乗せられ、200mくらいの高所から実践訓練になったそうです。

ときどき、館砲へ出向き、陸上戦闘の実戦訓練をしたようです。

12月には、南方の前線に送り込まれるわけですから、

たった2ヶ月程度の促成訓練だったのですね。


この間、初めは格納庫にワラ敷きの寝床だったけれど、

こんな待遇では厳しい訓練に体力が伴わないと、

秋山新兵が全員を代表して上官に申し入れしたところ、

受け入れられ、その後、兵舎が作られたとのこと。


当時の給与は、基本給に加え、1回飛ぶと10円加算され、

「かなり遊べた!」と、豪傑・秋山巌氏の言です。

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「こんな格好をして飛び出すんだ」


 … 昔とった杵柄のポーズは、

   当時の訓練写真そのままです。




 

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先生のプロフィールを、証言と各種資料から総合すると、こんな流れでしょうか。

次回、ご本人に確認しなくてはなりませんが。。。


大正10年(1921)生まれ。

昭和16年1月、佐世保で志願兵となる。

同年9月、落下傘兵候補生として館空 へ。

   11月、横須賀鎮守府第三特別陸戦隊(通称「横三特」)に編成され、

   12月、台湾へ。

17年2月、クーバンへ降下で苦戦の後、ティモール占領。

同年8月、ガナルカナル島の戦いに伴い、チューク(トラック)島、ミレ島の防備。

   11月、ミレ派遣隊が到着し、交代して日本本土へ。

18年3月、再度、館砲 にて

      横須賀鎮守府第一特別陸戦隊(横一特)と統合、唐島辰男中佐が着任。

   5月、アッツ島の戦いに伴い、300人の精鋭による「白菊部隊」が編成されるが、

      作戦中止となる。

   8月、サイパン島へ進出。

19年1月、潜水艦のコマンド部隊「S特別陸戦隊」に改編、山辺雅男少佐が司令となる。

      チューク(トラック)島やラバウルに進出

20年3月、サイパン島守備。

   6月、米軍上陸、夜間総攻撃するも翌朝までにほぼ全滅。唐島指令も戦死。

   8月、敗戦。豪州兵(米連合軍)の捕虜となり、占領軍の施設作りに動員。

21年   復員。


版画家になってからも、棟方志功、坂本繁二郎、柳宗悦らと交流があり、

面白い話に、時間のたつのも忘れます。

豪快な秋山先生の人生は、とてもとても書ききれません。

一度、館山にお出ましいただき、講演会でも企画したいものです。


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