金谷 石のまちシンポジウム | Blog 安房国再発見

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我上にふりし時雨や上総山  小林一茶

春風や鋸山を砕く音       正岡子規



…スペインのモンセラット(のこぎり山)は

 もともとの形状が奇岩で、その姿に

 天才建築家ガウディはインスピレーションを受けたといいますが。。。


 日本の房州・鋸山もまた、

 多くの文人墨客に愛され、啓示を与えた山だったようです。…


2009年5月16日

【金谷 石のまちシンポジウム】  が開かれました。


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         =鋸山(標高329.5m)=

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鋸山の房州石切丁場は、江戸時代後期から採石業が営まれ、

平成の直前まで200余年にわたる歴史があります。

その功績は江戸城下の街づくりや横浜港の建設、

ひいては石釜などの材料として庶民の生活を支えてきました。

同時に、重厚な鋸山の景観は奇景として広く今も親しまれているところです。

近年、現地に残る遺構や採石の痕跡の状況は、

全国に類をみない事例との見解を

各地の研究者や学識経験者から多く寄せられ始めました。

全国に誇れる最大級の石切場遺跡の可能性を探っていきます。

     *主催フライヤーより*


 鋸山の石切職人たちは、こんなノミやツルハシを使って石を切りだします。

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blog 安房国再発見 1本約80kgの石を3本載せ、

「車力」と呼ばれる女性が、

山の石切場から石を運びおろしました。

3本載せた石は、バランスをとるため、

上の1本を、前寄りの位置にします。

湊まで石を運んだ後、

「車力」は空のねこ車を背負い、

再び山を登ります。
金谷の8割の世帯が、採石業に携わり、

女性も重要な労働力だったのですね。


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    鋸山の名所「地獄のぞき」は

    こんな生活の歴史のなかから

    生まれたのですね。
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