日進月歩

日進月歩

病院やデイケアなどの日常を書いています。
双極性障害とうまく付き合うためのブログ。

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今日の札幌は20度以上の天候に恵まれてひさびさに何も予定のない日だったので

家でのんびりしてました。最近まで寒かったから秋冬物をしまわずにおいたけど

もう大丈夫かなと思って入れ替えました。天気のいい日の心地よい空気と

お気に入りの音楽をかけながらの掃除は気持ちよかったです。

鬱傾向強くなるとなかなか掃除もできなくなることが多いので

今日みたいに天候も気分も晴れてる日はきびきび動けていいな。

部屋の掃除が終わってから近くの公園へ花見に行ってきました。





3連休初日とあってたくさんの人と子供でにぎわってて桜の木にもたれかかって

楽しそうにしてる人を眺めたりしてました。



前ほどではないけれど、楽しそうにしている人を見るとあんなふうになれそうもない

自分と比較してしまったりしたけれど、ただの思い込みですね~。

何も実行に移してないからあんなふうになれなくて当然だと思ったりしました。

家に引きこもってた生活が長かった分だけ取り戻すのも時間かかるのかなと

普通の生活を普通に体験してこなかったことで他の人と分かち合えない部分多くて

どう埋めていったらいいんだろうとわからなくなることが多い。

何もできてない、何もしてないから何かをできるようになりたいな。



デイケアの友達にフットワークが軽いと言われました。

最近いろんなことに挑戦してるからそう言われたんだと思います。

実際は挑戦しようと頑張ってるだけで、継続はできてないこと多くて

外での空き時間の暇つぶしにやってるのを見てそう思ってるだけかもしれません。

でも以前よりは継続して何かを続けられるようにはなったかもしれない。

まだ何かをやろうとすると立派にやらなければならないと考えてしまって

簡単にはじめればいいだけのことを重たくしてしまったりすることが多いですが

できるだけ軽くできるように認知のゆがみを意識してこれからもっともっと軽くしていきたいです。



最近調子が悪い時こそ動いたほうがいいのかなと思うようになりました。

ピアノをやってた頃、調子が悪い時に弾いてたら気分が戻ってきたことがあったから

それと同じで調子が悪い時は寝てないで動いたほうがいいのかなと思って。

相変わらず午前中の調子が悪くて、夜になればなるほど調子いいですが

それもうまく付き合っていかないといけないですね~。

意外と掃除すると調子の悪さがいいほうへいくことが多いかもしれない。

部屋がきれいなほうが集中力も増すように思うし維持していけたらいいな。



最近映画をちょくちょく見るようになったけれど、自分の世界を増やすにはいいかなと思う。

本当は本とかも読みたいところだけれど、自宅ではなかなか本が読めないから読めてないです。

図書館で借りてはくるんですが、読みきれずに返却が多いです。

読んでみたい本はたくさんあるんですけどね。

部屋がきれいになれば読めないかなと思ってきれにしてみたけどどうかな?

外で読むのも考えたけれど、お金がかかってしまうし難しいことがわかりました。

デイケアで読もうとしても誰かきて一人にさせはくれないし

結局自宅で読むしかないようなそんな感じかな。読める場所を見つけたい。



今の自分でできる体験を多くして、自分の世界を広げることに一生懸命になりたいな。

そうしたらそれだけ人との接点ができるし、喜びにもなっていくように思う。

音楽をやって人前で歌うようになれば、人との接点はいっぱいできるけど

まだまだそこまではいってないからこれからどんなことでもいいから世界を広げていきたい。

これまで内にこもることばかりだったけれど、外に出る機会が増えて思うのは

自分を育ててくれるのは一人の時間なのかなということかな。

誰かと一緒にいる時は楽しいけど、そればかりだと何も残らない気がする。

だから自分一人の時間を持つことは、自分の成長のために大切なことなのかなと思った。

これまで自分一人の時間ばかりだったから、違うことを求めがちで軽視する傾向あるけど

バランスよくやっていければいいかなと思う。



いいことも悪いことも一気にやってきますが、なんだかんだ楽しいこともある。

そんな感じの毎日です。
今日は午後から音楽教室で作詞のグループレッスンを受けてきました。

作詞のグループレッスンはよく受けているので顔なじみのメンバーさんばかりで

ほとんど話したことがない人から話しかけられました。

人見知りを発揮してしまって顔がこわばってましたが頑張って話したかも。

作詞の先生から6月のライブに出る人って言われて手を上げたら

ずっとやってる人だと思われたみたいで驚かれました。

作詞にはよく参加してるけどライブとかやったことがないのでその反応には逆に驚きです。

落ち着いて見えるみたいで、ずっとやってるように見えるそうです。

やってみないとわからないけど、当日はたぶん緊張すると思います。

何人くらい来るかわからないし、人前で歌ったこともないから緊張するだろうな~。

まあ、楽しんでやりたいと思います。



作詞で人と話せたからか気分も晴れやかに終わってから

ブースをレンタルしてピアノの前で作曲してきました。

作曲してきたといってもAメロを作ろうとしただけですけど

サビだけできててAメロ、Bメロができてない状態だったので

Aメロを作ろうかと思ったけど、まだ1曲完成させたことがないので勝手がわからないし

サビならいろんなメロディが思い浮かぶのにAメロになるとさっぱりメロディがでてこなくて

どんなメロディならいいのかわからないです。だからほとんど進行しなかったです。

だからプロのミュージシャンがどんなAメロを作っているのか聴いて参考にしようと思います。

DTMの先生の言葉を借りればボキャブラリを増やすってことらしいですが

アウトプットできるようにどんなメロディを作っているのか自分が今作っている曲と

イメージが近いものから参考にする、もしくはパクるをやってみようと思います。



一日一コマ40分の作曲時間を音楽教室で作ろうと思ってやってみてますが

40分ってあっという間ですね。慣れてきたら2コマにしてもいいかなと思います。

自宅と違って他に何もないから集中できていいです。

土曜日は他の生徒さんの歌声とかも聞こえてきて賑やかで元気もらえる。

反対に平日の昼間に行くと静かすぎて落ち着かなかったりもしますが。

家にいても集中してやれないし作れないのでしばらく音楽教室で作るを実践してみます。



音楽教室が終わってから「レヴェナント 蘇りし者」を観てきました。

瀕死の重傷を負ったディカプリオが仲間に復讐するっていう本当にただそれだけの映画ですが

2時間半くらい飽きることなく観れました。ディカプリオが話すのは最初と最後のほうだけで

他はほぼうなり声だけでそれがかえって怒りや憎しみといった原始的な感情を表現することになって

台詞のない難しい役柄を見事に演じきっていて素晴らしかったです。

さすがは今年度のアカデミー主演男優賞だけある納得の演技でした。

映像もとても美しくて詩のような映像美でしたが、現実以上にリアリティがある

自然の風景だけでなくて、人間の野蛮さや醜さもリアリティあって惹きつけられました。

復讐される相手のトム・ハーディも素晴らしくて本当に憎たらしかったです!

マッド・マックスみたいな主人公もやれば、憎い役もやって幅のある役者さんですね。

他の作品も観てみたいなと思うようになりました。

自然の息吹は劇場のほうが臨場感があって楽しめると思うので興味ある方は是非ご覧になってください。

私はもう一回観に行こうかなと思ってます。






映画が終わってから下の階にあるレストランフロアで讃岐うどん食べてきました。

温かいうどんが食べたいなと思って注文したらでてきたのは汁なしのうどんで失敗でした。

美味しかったのでよかったですけど、次はだしのお汁のうどんが食べたいな。






今日はなんだかんだ気分のいい一日でした。

やっぱり人と楽しく会話できるとそれだけで一日が明るくなるね。

できるならそういう人達と付き合っていきたい。

そしてできることならそういう人達に元気を与えられるようになれたらいいなと

そんなふうに思った一日でした。
昨日カラオケで歌いすぎたのか今日も喉が痛いです。

午後からヘルパーさんが来て話してたら痛いのがわかって

カラオケに行って喉が痛いって話したら声がかれてると思ってたと言われてわかるんだと思った。

どうも自分の体の状態を知るのが苦手かもしれない。

知らず知らずの間に無理をしてしまっているかもしれない。

右手の腱鞘炎の時もたいしたことがないだろうと思って練習していたらひどくなってしまって

自分の体の痛みとか違和感のようなものに鈍感なのかもしれない。

あとこれをやろうと決めたらのめり込んでしまってやり過ぎてしまうように思う。

ピアノもやりすぎた結果、腱鞘炎になってしまったし今回もそう。

腱鞘炎ほどひどいものではないだろうからそのうち治るとは思うけどしばらく安静かな。


明日のカラオケのオフ会のために練習しに行ったのに大きな声で歌いすぎて

肝心のカラオケオフ会で歌えないという展開になるとは思ってなかった。

自分が思っているより体は弱いかもしれない。

考えてもみれば10年以上ほぼ引きこもりだったのだから

急にあれこれ体を使うことをしても痛めてしまうだけかもしれない。

自分が思っている以上に体は錆び付いている。

そのことを肝に銘じておかないとこれからも何度も同じことを繰り返すかもしれない。

残念なことだけど引きこもってきて体を使ってこなかった分だけ

体は錆びていてほんの少しのことでも痛んでしまうんだと思った。

せっかく動き出そうとしていろんなことをやっても体が追いつかない。

これまでの分を取り戻そうと頑張っても体がついてこないのだったら

細く長く続けられるように気長にやることにしていこうかなと思う。


いろんな感情に流されてしまったり戸惑ってしまったりするのは仕方ないのかなと最近思う。

去年まで自分には感情がないと思っていたし、去年初めて自分に人間らしい感情が芽生えて

その瞬間生まれ変わって、誕生してから1年しか経ってないのと同じだと自分では思っている。

赤ちゃんから1歳になるのと大人になってから1歳になるのとではまったく違うけれど

大人な分だけ入ってくる情報量も多くなるし、処理しなければならない情報も多くなる。

だからその分だけ戸惑いもする。いい大人だけれど初めてですか?と聞かれることがあるのも

感情を通じた経験がないためにこれまで経験してきたものと同じことを経験しても

同じにはならずまったく新しい経験として感じられたりするのが今の自分だと思う。

ヘルパーさんとが辞職して別れるのも、人との別れという意味ではこれまでにも

幾度となく経験してきているけれど、自分に感情があって相手への思いやらが絡んでくるのは

初めての経験だから病院の先生に話した時に同じように初めてですか?と聞かれた。

その時は年齢を重ねるごとに別れがつらくなると答えたけれど

私が言いたかったのは年齢を重ねてから感情に芽生えた自分にとっては

子供が別れを経験するよりもより大きな感情の揺れ動きがあってつらくなるの意味でしたが

年齢を重ねると経験を積み重ねるからそれだけ重くなっていくのだと言われた。


経験はどうなんだろうな。これまでの経験って自分ではない別の経験だから

所詮は他人の経験というか、自分の経験として克明に記録されたものではないから

参考にならないかもしれない。今とこれから私はまったく新しい経験をし続けてる。

この感覚を人に説明するのは難しいかもしれない。

それが私と人とを繋ぐ壁になっていたりもする。

私には経験がないから過去にあった出来事の体験を話すことができないし

あの時どうだったとか感情を話すことができない。なかったのだから話す内容もない。

ただただ無感動なだけ。それを埋めたいなと思うし、埋めたらもっと人と話せるのにと思う。

外で働いている人と出会う機会があるけれど、私よりもっと健全に生きてる話を聞くと

ああなりたいなと羨ましく思う。もっといろんな世界を見て感じて経験したい。

もう今はちゃんと経験できるだけの感情があるのだから。

ただ人を恐れることは変わらない。だからそこが変わらないと劇的な進展はないかもしれない。

でも今は一人ではないから聞けば答えてくれる先生がいるので聞いて確かめていきたい。

あと1ヶ月くらいしか聞けないけれど、少しでも参考になる話を聞けたら次に生かせるように思う。