受勲の惑い(2)
叙勲の歴史
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★制度の歴史
▲:1875年
(明治8年)4月10日、勲等
と賞牌の制度が定められた。
勲一等から勲八等までの勲等を叙した者に、
それぞれの賞牌を下賜するとした。
▲:現行の生存者叙勲は、1964春から始まったが、
政府は法案でなく、閣議決定の形で決めた。
▲:小泉内閣 の2003年(平成15年)の閣議で、
新しい「授与基準」が決定。
数字を用いる「勲○等」形式の勲等 を廃止した。
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★受勲者:
▲:1875年に、有栖川宮幟仁親王
以下10名の皇族が、初めて叙勲された。
皇族
以外の者では1876年(明治9年)、西郷従道
が勲一等に叙された。
▲:生存者叙勲は、
[国の発展に寄与し、公共の福祉に尽くした功労者の顕彰]、
を目的として、1964春から始まったが、
「叙勲制度は人民の平等に反する」、とする社会党の反対で、
政府は法案を提出できず、閣議決定の形で決めた。
この時に法案に反対して、国会で法案の成立を潰した社会党の
代議士達の殆どが、その後、生存者叙勲を受けた。
(実施されると、制度に反対の筈の社会党議員が、
1996春までに、171人もの多数が受賞した)
▲:その中の一人である元社会党の村山富市氏は、
2006年春に桐花大綬章を受賞した。
毎年の叙勲で最上位は普通、旭日大綬章であり、それを越す桐花大綬章は滅多にない。
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★叙勲辞退者:
▲:城山三郎氏、自身が叙勲を拒否し、
同じ「志を持った人」として題材に選んだ財界人、
▼中山素平氏、▼石田礼助氏、
も受勲を拒否、
▼石坂泰三氏は
「後継の経団連会長が困るから」
と嫌々ながら叙勲を受けた。
▲:社会党でも、
議員は、▼河上丈太郎、▼浅沼稲次郎、
▼鈴木茂三郎、▼成田知巳、
党員以外では、▼太田薫、▼岩井章、
が叙勲を辞退していることを記憶したい。
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