飯舘村といえば、
残されたペット達の給餌と
シェルター訪問に去年連れて行ってもらった。
無人の村は恐ろしいほど静まりかえり、
道路脇に置かれた除染物の黒い袋に驚きを隠せなかった。
ちょうど桜が満開の季節で
無人の庭先にはたくさんの花々が咲き乱れていた。
花を愛し、自然を愛した人の姿はそこにはなかった。
仮設住宅地の中でも一番大きな大野台仮設住宅には164戸、330人の人が暮らしている。
70%が高齢者だそうだ。
飯舘村は事故直後、避難先として1400人の人を受け入れた。
政府や東電からの情報をもらえなかったが、
この場所が危険だと思いもせず
学校や公民館を提供した。
危険なら連絡が来るだろうと信じていたんです。
そう語る人の言葉は胸に刺さった。
中年の人は様子を見ながら考えると言っている人や、子どもが独立したら戻りたい気持ちもあるが…今はなんとも言えないなぁ~と言った感じ
高齢者に関しては80%近くの人が帰りたいと話ているそうだ。
2年後には帰れると言われて、
2年たったらまた延ばされて…
28年には帰れると言われたが、
「諦めてくれ」と言われれば他の地を探して私達は生きるつもりです。と…
村がなくなって、住民がいなくなって困るのは村長や知事じゃないんか?
大丈夫か?
大丈夫か?
そう心配しながら生きるのも大変だしな~(笑)
除染作業だって、誰かが儲かるためにやっているだけだ。
私らはそんな事しても無駄だと思っている。
除染作業にかかる費用を避難者に分けてほしいと思うよ。
来る時に国道沿いで黒い袋見たか?
あれは皆が通る所にわざと置いて、いかにも除染してます。頑張ってます!ってパフォーマンスだとみんな言っている。
国と東電は私達の思いは無視だな。
考えが違う。
参加者の質問にも丁寧に答えてくださいました。
交流会の後バスの中では、
「みんな明るいね~
こっちが元気もらっちゃったよ♪」
そんな会話が交わされていました。