ADHDな私、小5〜中学卒まで
喘息自体は中学生時代まで続いていて、小学生時代よりは休む日が減り学校に通えてはいたけど、中学1年あたりに私は左側だけ顔面神経麻痺を発症した。。。発症前にクシャミにより首が寝違えたみたいになり、自分で首を左右に動かせなくなった事があった。首が動かせなくなる前は喘息と風邪を繰り返していて小刻みなセキがで続けていて、セキをする度に首あたりに違和感があったのを覚えている。今でこそ色々な不穏要素がタイミング悪く発症して、なるべくしてなったように思っているが当時はただただ絶望でしかなかった。またイジメられると、、、クラス内で授業中に手紙が回されてきて心無い内容が書かれていたり、遊ぶ約束をしていたのに突然無しにされたり、放課後の掃除の際は班ごとに決められたエリアを清掃するが、絵に描いたような話だが塵取りで集められたゴミを雑巾で床を拭いてるところに突然頭上からバサっとかけられたり、使ってる机が汚くされたり、階段を登って教室に向かう途中でサッカーボールを私めがけて蹴り飛ばしてきたり上履きも隠されたり普段絡まないのに「着いて来て〜」と言われて着いていったらラブレター入ってるよ!と言われ着いて来て言った奴の取り巻き含むグループの前で内容を確認されたり、、、目に見えてな感じではなくバレるかバレないかな感じで陰湿な事をされ続けていた。それでも成績が凸凹している自覚はあったため、高校受験を考えると内申点で稼ぐしかなかったので手足が麻痺してるワケじゃない、今ここで通えなくなったらもっと未来の選択肢が狭くなってしまうの一心で卒業までを過ごしていた。保健室登校もあったがまだそこまで浸透していなかったのと元々私の他にも嫌われていたKちゃんというコがいてこれまた振り返るとKちゃんは成績はズバ抜けて良いのだが同性に嫌われていてASDの気があったのだと思う。そのコと一緒だったのも何とか卒業出来た理由の一つと思う。(Kちゃんはその後大人になってからも交流は続くのだが多感な時に境遇が似ていた同志というだけだったため自分の中では不思議な気持ちで一緒にいたように思う。)ちなみに、部活は吹奏楽でしたが麻痺してからは美術部に変えて過ごしていました。続く