※ケータイ大喜利に関するこれまでの経緯や想いをつらつらと綴ります。
そこそこ長文となりますので暇な時にでも御覧いただくと幸いです。
【其の壱~大喜利ライフは突然に~】
お笑いは大好きで子供の頃からずっと観てきました。
欽ちゃんやドリフ・ひょうきん族からダウンタウン・ウンナン・とんねるず・ナイナイ(敬称略)などなどその時代を代表するお笑いはおおよそ全て観てきたという自負はあります。
というようにお笑いは「観るもの」でした。
(それは基本的に今でも変わりませんが・・・)
その日の土曜日は体調を崩し昼間は寝込んでいました。
深夜12時頃に目が覚め、ぐっすり寝たせいか体調も戻り「テレビでも観るか」と何気なくチャンネルを合わせてちょうど始まったのが「ケータイ大喜利」だったのです。
番組は当然知ってましたし観たこともありましたが投稿した事はありませんでした。
「送ってみよっかな」
ほんの軽~い気持ちで3つ4つ送ったと思います。(内容は覚えてません)
すると
ルーキー・オオギリーグ
『映画の主役が「ここのスタッフ、ダメだな・・・」何があった?』
のお題の最後に
「愛媛県 セッドあとむさんの作品です」
とコールを受けました。
「お、俺だ!」
(答え)「言い争いのシーンで止めに入る」
三本判定でメジャー昇格!
まさか読まれるとは到底思っていなかったので録画もしていなければその場のMC御三方の反応もよく覚えていません。
この日をきっかけに私の投稿生活が始まりました。
【其の弐~ツイてるねノッてるね~】
ビキナーズラックとはよく言いますがその幸運は立て続けに起こりました。
10月にメジャー昇格したその直後「全国ツアーin松山」が開催されました。
当時、四国にはメジャー・オオギリーガーは5人ほどだったと思います。
(レジェンドは無し)
のちの全国ツアーでは無くなったようですが松山の時は番組からメジャーの方にメールが届き、観覧のご招待を受けたのです。
(家から歩いて行けるほどの場所にある会場でしたww)
このタイミングでメジャー昇格し、直後に住んでいる場所で全国ツアー開催、そして番組からのご招待、特等席とも呼べる席での観覧、このときばかりは「運があるな~」と思いました。
番組への過熱ぶりが上がるには余りある出来事が重なったのです。
【其の参~採用されることの難しさ~】
私の初採用は第150回目の放送です。
最終回が300回目だったので、メジャー以来すべて投稿したことを考えると番組の半分に参戦したことになります。
ケータイ大喜利で最大の難関は何といってもルーキーからメジャーになる初採用なのではと今は思っています。
数万件と投稿されてくる作品の中から選ばれる確率は計り知れない訳です。
そういう意味では病み上がりでひょいとメジャーになれた私はこれ以上ない「強烈な運」を持っていたんだと感じずにはいられません。
メジャーになってからは、やはりそう簡単に採用されるもんじゃないという現実を知ることとなります。
降格しないことが一番の目標でしたし、正直レジェンドになれるとは到底思ってもいなかったです。
先般Twitter上で皆さんにならい自身のケータイ大喜利戦績をまとめてみました。
(以下が主な戦績)
最終段位:レジェンド二段
初採用:2012年10月6日
採用回数 15回
アンテナ3本 11回
アンテナ2本 4回
最優秀作品 1回
ゲスト賞 1回
秀島史香さん・ジュニアさん結婚イラスト採用
広島おこのみ大喜利週間大賞
※あってぃさんのデータが参考になりました。ありがとうございます!
約150回の参戦で15回の採用なので10回に1回の採用、月3回の放送と考えると3ヶ月に1回のペースで読まれるかどうかって感じでした。
私もコンスタントに読まれた方ではないので8ヶ月ほど不採用期間がありましたし、その期間は「本当にちゃんと作品が届いてるのかな?」と疑心暗鬼にもなったものです。自分の未熟な作品にもかかわらずです。
みなさんも多かれ少なかれそういう経験をしていると思います。
そこで自分に言い聞かせたことがあります。
「自分の作品が読まれるに達していない未熟な作品だった」
決して自分を過信しないこと、そして
「読まれること自体が奇跡」
ということです。
そう思うことで随分と楽になりましたし、加えて後ほど触れる当ブログに寄せていただくコメントが何よりモチベーションになりました。