久々に個人のブログを更新します。


昨日車道3STARにて、僕個人での弾き語りライブでした!
ずっとギタリストとして活動してきてので、実に10年ぶりぐらい?に人前で歌ったのかな。

all that jaz:の曲やカバー、僕個人が歌うためにつくった曲を歌ったり…。


ボーカルってすごいね。
歌い回しやライブの流れを考えたり、歌詞覚えたりと大変。改めてすごいことだなって思います。


誤解のないように読んでもらいたいんだけど、自分でつくった曲を自分で歌うということがすごくナチュラルな行為なんだなと感じました。
自身の思いをストレートに届け、伝えていける行為なんだと。
と、同時に昨日はカバー曲も歌いました。
中島みゆきの『糸』。歌いなれてるというだけの理由ですが、歌の意味もわかりやすく『共感』できる曲です。
自身の心を通して、誰かの歌を歌う。『共感』さえあればそれは何の無理もないことだなと知ることができました。

all that jaz:というバンドで曲をつくり僕の代わりに崇泰君が歌う。
それに『共感』と強い『思い』があれば何もおかしいことではないのだと、『理解』ではなく、心の深いところで『感じる』ことができました。

僕はバンドを続けていくためにも歌っていかなければいけない。
僕と僕等が持っている『音楽の形』を誰かに届けていくために。


5/20(火)車道3STAR
セットリスト

街と光と藍色の空
糸(中島みゆき)
810(all that jaz:)
モトウタ(仮)


次の弾き語りライブは決まってませんが、またどこかしらで歌えたらと考えております。
その時はまたお知らせしますので閲覧してやって下さい!
では!!
ほんの少しのことで腹を立てたことがあった。
何気ないことで傷ついたことがあった。
喉から弱音が飛び出しそうになった。

でも、それが「格好悪い」ことだっていつしか思うようになった。
理想の「大人像」に寄り添いたかった。

そういう「在り方」はもしかしたら間違ってるかもしれない。
本当は我が儘に感情を振り乱したいのに、無理矢理、「理想像」に押さえ込んでいるのだから。
でもその「在り方」のおかげでイタズラに人を傷付けたりしなくてすんでいるし、孤独にならなくてすんでいる。


僕は1歳の頃から「正教会」と呼ばれるキリスト教の一派の信者だ。
理屈とかではなく「経験」から、その教えが身体にすり込まれている。
何かにつけてすぐ十字を切るしね、ライブ前とか。(笑)
そういった身体にすり込まれたキリスト教の教えが僕を今日まで生かしてきたような気がしている。
どんだけ辛いことがあっても「死にたい」だなんて思ったことはなかった。
それは「自殺は罪」という教えがあったからだと思う。
小さい頃は「なんで日曜で学校がお休みなのに僕だけ教会なんて行かなきゃいけないんだ」なんて不満たらたらだったがね。(笑)
今はクリスチャンで良かったって本当に思う。


人は何かに「すがって」生きる対象が必要だろう。
それは、「誰か」でもいいし、「なりたい自分」「理想像」でもいい、僕にとってはどうやら「神様」らしい。







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