「母の日」や「父の日」が無くなればいいのに。

私はそんなふうに小さい人だった頃から思ってきました。


図画工作の時間に「お父さん/お母さん、いつもありがとう!」の絵を描く時、

ひとり親家庭の子が画用紙を見つめたまま涙ぐんでいた姿を見たり、

「お母さん、ありがとう」という札の付いたカーネーションのブローチを買えず、いじめられた経験から、

「これは大人の仕組んだ、大人のための行事なんだな」と、子どもながらに思っていました。


これは本来、

「私に父親/母親という経験をさせてくれて、ありがとう」と

当の本人達が周りに感謝する日であれば幸せなのではないか、と。


つまり、父親/母親がパートナーや子供達、普段お世話になっている人達に改めて「ありがとう」を伝える日。

そして、チーム真由美として生きている私としては

「チーム〇〇(それぞれのお名前)」の、

自分に父親/母親を経験させてくれているキャラ達へも感謝する日☆


図画工作の作品や、カーネーションのブローチなんかなくても、

小さい人達は自分を世話してくれる人達を喜ばせるのが大好き。

そんなふうにインプットされて生まれてくるのですもの。

彼らの柔らかい心を、短絡的な、もしくは、経済的な思惑で穿つ機会などなくなればいい。

私はそう思っています。


これは「お父さん/お母さん、ありがとう!」をなくせ、と言っているのではありません。

それもあって然るべきだと思うのですが、
そちらが主になる風潮から移行すると、より素敵ではありませんか。


私の理想の「母の日」はこうです。

お母さんに「母の日」を挟んだ三日間(もっと長くてもOK!)の休暇を与えます。

お母さん達はその間「ハハ(母)パス」(日本国母親券)で、サービスが受け放題になります。

ゆるゆる、のんびり、キラキラ、ふくふく、るんるんしまくります。

「一人の自由時間が欲しい!」と思っていた新米母でさえ、

たっぷり眠って、ゆっくりご飯を食べて、美容院へ行き、爪までキラキラにし、家族に会いたくなる頃、

泊まっているオーベルジュに家族が現れます。

「やぁ、はにー」と、白い歯で笑う旦那さんに、再びふぉーりんらぶラブ

彼女はきっと、幸せぷりぷり状態で、「お母さんを経験させてくれて、ありがとう!」と言うことでしょう。

家族も、お母さんの有り難みをひしひしと感じた後の再会ですから

「お母さん、いつもありがとう!」の言葉の重みも自ずから違ってくる。

ちなみに、ハハパスで支払われたものは申請先へ国から全額支給されるが理想ですが、

それはちょっと夢物語すぎる今の世の中を想うと

基本的には半額で、ものによってパーセンテージが変わる、というのが素敵ラインかもしれませんね(笑)


でも、本音の本音をいうと……

やはり、そんな「〇〇の日」なんてなくても、

のびのび、るんるん、ありがとう、で生きられる世界!


なので、必ずしも国が発行してくれなくてもよいのです。

民がそれぞれ財を築き、家庭の行事としてやればよいわけですし。

国に頼る生き方でない方が自由なのは当たり前ですもの。


これから個人のありかたや、家族の形態も多様化することでしょう。

人の意識ほど、早く変わったり、また、なかなか変わりにくいものもありません。


私はそんな時代に生きられて、とてもラッキーだと思っています。

ということで……


お母さん、産んでくれて、育ててくれて

ありがとう!!

何年経っても、きっと「最後の晩餐のメニュー」を訊かれる度、

私はあの、奇跡的とも言える、

「お母さんの卵焼き」だと答えることでしょう。

お料理が好きではないのに、いつも栄養のあるご飯を作ってくれて、ありがとうございました。

食育だけでなく、

「変わった子やな」とか「理解してあげられへん」と悩みつつも

一生懸命育ててくださって、本当にありがとうございました!!


らぶ
真由美



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私がお花好きに育ったのは、母の影響に他なりません。

お母さんが、いつもお花に囲まれているよう、祈っているよ