●青森・波多野里奈(37) 休職中の夫と二人三脚の美人アナ [参院激戦区 小沢系候補を追う]
(日刊ゲンダイ 2010/7/1)


イメージカラーはピンク。改選1に5人がしのぎを削る激戦区で、唯一の女性候補だ。
97年から4年間、青森朝日放送でアナウンサーをした後、退社して東京へ戻り、ファイナンシャル・プランナー(FP)の資格を取得。政治・経済番組のキャスターも務めた。昨年11月、「働く政治家募集」と書かれた民主党の新聞広告で公募を知る。
「締め切り直前に、たまたまFPの仕事で青森を訪れたことが応募の決め手になりました。自分が働いていた9年前との変わりようにビックリ。地方の疲弊というものを肌で感じました。予定していた観光をキャンセルして、ホテルで論文を書き、その場でポストに投函(とうかん)。5月に長男を出産した直後で迷いはありましたが、夫が背中を押してくれました」(波多野)
公認と同時に、夫と長男、両親の家族5人で青森に引っ越した。夫の仲洋二郎さん(46)はミサワホームの社員。東京本社から青森に転勤を願い出た。投票日までの1カ月間は休職し、選挙活動を支える。
波多野は党本部主導で決まった「落下傘」。明大在学中にミス東京に選ばれた美貌(びぼう)が、地方ではマイナスに働くと懸念する声もあるが、スーパーを中心に遊説して、主婦層に気さくさをアピール。準備期間の短さをリカバリーしようと知名度アップに懸命だ。
自民党の山崎力(63)と事実上の一騎打ち。小沢前幹事長は公示直後の25日に青森入りし、弘前市から20キロほど離れた山あいの村で、わずか20人程度の住民を前に波多野支援を訴えていた。


●岐阜・小宮山幸治(47) 保守王国の刺客は自民議員の元秘書 [参院激戦区 小沢系候補を追う]
(日刊ゲンダイ 2010/7/1)


過去3回の参院選は民主と自民が1議席ずつ分け合った。小沢前幹事長の指示で、民主は初めて2人が立候補した。
小見山に白羽の矢が立ったのは、岐阜選出の自民党参院議員だった松田岩夫(73)の政策秘書を長年務めた経験を買われたからだ。自身の選挙区で元秘書が民主党から出馬することになり、松田は除名処分に。引退表明を余儀なくされた。小見山は、松田の後援会を足がかりに、自民支持層の切り崩しを狙う。
「25年間に及ぶ秘書生活で、自民党の良いところも悪いところも見てきた。これからの時代、古い自民党の手法ではダメだと痛感しました」(小見山)
民主・現職の山下八洲夫(67)は、衆院4期・参院2期を務めたベテラン。県連は組織を二分して両陣営を支援することを決め、連合岐阜も「山下6、小見山4」の割合で、初めて組織を分けて活動することになった。しかし、すみ分けはなかなかうまくいっていない。
「身内同士で足の引っ張り合いをやっとる場合じゃないのに、事あるごとに反目しあっとる。お互い焦りがあるんやな」(県連関係者)
小見山は、街頭演説で「若さ」と「新しい力」を連発。山下との違いをアピールして、浮動票の取り込みをはかる。



●[宮城]伊藤弘実(36) 大通りを避け狭い路地を歩く小沢流を実践 [参院激戦区 小沢系候補を追う]
(日刊ゲンダイ 2010/6/30)


公示後初の週末。仙台市の路地でシンボルカラーのピンクのポロシャツを着た伊藤弘実に、老婆たちが手を振った。伊藤は「ありがとうございます!」と窓から笑顔を見せたが、車は老婆の前を通り過ぎた。その時だった。
「ああ言う時は、選挙カーを降りて、両手で握手を求めに行くんだ!」
身ぶり手ぶりを交えてはっぱをかけたのは、小沢前幹事長の政策秘書だ。後続車から一部始終を見ていた。
「小沢さんの辞任後も週に1度のペースで宮城入りし、選挙を支えてもらっています」(伊藤)
伊藤は東京生まれ。母と祖母の介護経験から介護用品メーカーを起業した。地縁は、母の実家が県南部の岩沼市にあるだけ。他の2人区“2人目候補”と同様に連合の推薦は得られなかった。
「3月下旬に街頭演説を始めた頃は、スタッフと運転手1人だけでした」(伊藤)
大通りを避け、住宅街の狭い路地をくまなく歩く。聴衆の見えない団地や、田んぼに向かって1回3分ほどの演説を繰り返す。「有権者は顔を出さなくても聞いている」という小沢流選挙を貫き、すでに仙台市内を5周した。公示前から立ち続けた見晴らしの良い高台では、伊藤の訴えに2階の窓から手を振って応える住民の姿が目立つ。
情勢は、民主現職の桜井充(54)が頭ひとつ抜け出し、伊藤と自民新人の熊谷大(35)が残り1議席をうかがう展開だ。
県連副代表の岡崎トミ子の呼びかけで、今や伊藤事務所には地方議員らが応援に詰め掛ける。伊藤は、枝野幹事長とのツーショット写真をチラシに載せるなど“脱小沢”を演出しているようにも見えるが、選挙戦術は小沢流のまま。伊藤が通れば民主の単独過半数が見えてくる。



●[福島]岡部光規(41) イケメン医師が自民の牙城を崩せるか [参院激戦区 小沢系候補を追う]

(日刊ゲンダイ 2010/6/30)

「2人目が立てば、すぐ党の支援体制も分担される、と思っていたんです。甘かったですね」

郡山市内の事務所で、トレードマークの青の医療着をまとった岡部光規は言う。写真のようなイケメン。しかし、選挙戦では苦労している。県連は当初、2人区に2人擁立を求める小沢戦略に反発。組織の融和を重視し、単独候補に固執した。比例代表に県連候補を送り込み、お茶を濁すつもりだった。
小沢が押し切り、2人擁立が決まったのは、3月中旬。須賀川市の病院に勤務していた外科医の岡部は、党本部が昨年11月に実施した全国公募組だ。しかし、小沢主導で決まった候補に、県連の反応は複雑だった。
「県連の人たちの戸惑いが肌身に伝わってきました。自分は受け入れられているのか、不安でした」(岡部)
見かねた小沢は、県連代表の玄葉光一郎を一喝したという。
「オレを批判するのもいいが、候補同士が競争しなければ、党の地盤は強くならない」
発奮した玄葉は、岡部の後ろ盾を買って出た。自分の秘書に命じて岡部といっしょに支援者宅を回るようにした。こうして県連内での支援の輪が広がってきたのである。
情勢は民主と自民の現職2人が抜け出し、岡部と、みんなの党の新人が追い上げる展開だ。岡部選対は玄葉の義父・佐藤栄佐久前知事の元後援会の支持獲得にも動く。佐藤後援会は、昨年の総選挙で敗れた自民党の根本匠の支持母体でもあった。
「2人の候補が競い合って、自民党の牙城を切り崩す」――小沢の狙いまで、もう一歩だ。



●テレビ常連の中東専門家は知名度アップに苦心・大野元祐(埼玉・46)
(日刊ゲンダイ 2010/6/29)

「選挙は本人の話を聞いてもらって、有権者に判断してもらうのが正しいあり方。時間が足りず、その機会が与えられない焦りはありますね」
埼玉選挙区の大野元裕は厳しい表情でこう語る。
昨年10月に出馬が決まったものの、公認決定は今年3月と大きく遅れた。さらに、中東の専門家としてメディアでは有名人の大野だが、その知名度は生かせていない。
「話を聞いてもらって、ようやく『あの時の』となります」
大野が政治家になろうと考えたのは、昨夏の政権交代がきっかけだ。変わることを好まないと思っていた日本人の覚悟を目の当たりにして、自分が役に立つチャンスが来たと感じたという。
地元の民主党の衆院議員から打診されたが、その場で受けず公募を選んだ。“民主党らしい”選挙にこだわった。小沢前幹事長からは、「大野さんなら、大丈夫だよね」と声をかけられたという。
街頭演説500時間を目標に続け、最近は集会にも力を入れている。選挙はおもに、地元国会議員や元川口市長だった大野の祖父の人脈が支えている。
埼玉の改選議席は3。民主の県連は、現職の島田智哉子(47)と大野の2議席獲得を目指し、自民の関口昌一(57)と公明の西田実仁(47)との戦いになっている。



●妹と2人だけでスタートの元厚労キャリア官僚・三橋真紀(兵庫・32)
(日刊ゲンダイ2010/6/29)

妹と2人だけでスタート・三橋真紀(兵庫・32)
“もぎたて新戦力”のキャッチコピーに合わせたオレンジのシャツで演説をするのは、兵庫選挙区の三橋真記。他の2人区2人目候補同様、三橋も公募組だ。小沢前幹事長には、面接の場で「選挙は体力勝負だ」「演説は情感を込めて」とエールをもらったという。
東大経済卒業後、厚労省のキャリア官僚になり、兵庫・伊丹市役所に出向。「財政が厳しい中、誰に我慢させるかという暗い仕事しかできないのか」とうつうつと考えていた。そんな時、政権交代があり、第2の人生を決断した。
選挙活動は、地盤も支援組織もない中、妹1人の協力から始まった。その後、県連所属の3人の国会議員のバックアップを得た。
兵庫は、これまで議席を自民と民主で分け合ってきた。そこに挑む三橋は、医師会など元来自民系の団体をまわり、さらに無党派層を取り込む戦略をとっている。
街頭演説は1300回を超えた。当初の目標1000回はすでに達成したが、無党派層に訴えるには集会より辻立ちが合理的だと、スタイルは変えず、現職2人を猛追している。


●民主・社民「統一候補」の大学教授 福岡・堤要(49)
(日刊ゲンダイ 2010/6/28)

無所属での出馬となっているが、堤要(かなめ)はレッキとした民主・社民の「統一候補」。出馬のきっかけは、民主・社民が合同で行った新聞の公募だ。
九州大卒、5年間KDDIで働いた後、母校に戻り、九州国際大、九州女子大の教授を歴任していた。小沢前幹事長は、すぐにゴーサインを出したという。
小沢は6月18日、抜き打ちで事務所を訪れ、スタッフを激励、「選挙まで時間がない。とにかく外に出ないといけない」と直接指導している。
「小沢さんには頑張れと励まされています。秘書が何回も来られ、選挙の指導もしていただいています」(堤)
当初は無所属を強調してきたが、選挙戦術を転換。ここにきて民主党色を強めている。22日には石井一選対本部長代理が訪れ、「民主主導で選挙戦に臨む方針」を確認。社民党も了承し、翌日には民主の運動員を大量に動員できるように事務所を改装している。
「福岡選挙区は定数2に7人が立つ大混戦。常識的に考えれば、民主党現職の大久保勉(49)と自民党の大家敏志(42)の当選が濃厚です。しかし、自民党の大家は無愛想なためか人気がない。公明党との連携にも失敗している。堤は大学教授と思えないほど、気さくで腰が低い。陣営は、人柄が浸透すれば2位に滑り込めるとみています」(県政事情通)
小沢が指摘するように、時間との戦いになっている。
(取材協力=ジャーナリスト・鎌倉三次)



●県連が「破格」の扱いで支援する美熟女 [広島]中川圭(52)
(日刊ゲンダイ2010/6/24)

「政治家には『自分がなりたい』と『この人を出したい』の2通りのタイプがいる。中川さんは後者です」――。5日、広島市中区で行われた事務所開き。民主党広島県連代表の三谷光男衆院議員が挨拶すると、熱気ムンムンの支持者から拍手と歓声が起こった。
2人区の広島選挙区。国民新党の現職、亀井郁夫(76)が引退を表明し、急きょ、民主党は2人目の擁立を迫られた。小沢前幹事長が現職の柳田稔(55)に続く新人擁立を県連に指示したものの調整は難航した。5月中旬に決まったのが、乳がん患者友の会「きらら」の世話人代表、中川圭だ。
10年前に乳がんを患い、自らの治療とともに、同じがん患者の支援活動を続けてきた。政治とは無縁の生活を送っていたが、5月初め、三谷県連代表から出馬を打診され、思い悩んだ揚げ句、受け入れた。
「政治家なんて、冗談じゃないと思った。これまで築いてきた人脈や実績を失うかもしれない。そう思うと怖かった。でも、政治に携わることで、何かを変える大きな力が得られるなら……」
要請からわずか10日余りで出馬を決めた中川の心意気に県連も応えた。県の国会議員7人のうち4人が支援し、県会議員もベタ張りする「破格」の布陣を敷いたのだ。国民進党・亀井引退で突如白羽の矢
これにはジェラシーが出た。神戸製鋼労組幹部出身で、連合の全面支援を受ける柳田の陣営が猛反発。連合幹部も「中川を優先しすぎ」と不快感を示した。
「中川支援の方がなぜ手厚いかって? オモテの理由は『新人で支援組織がないから』だが、本当は現職の人気がないんだよ」(県連関係者)
そんな身内の“摩擦”にもメゲず、中川は連日、朝7時の街頭演説、8時のビラ配り、街宣活動――を黙々とこなす。
小沢とは出馬会見が初対面だったが、すぐに“小沢流”をのみ込み、地道な運動で支持を訴える。患者の会を引っ張り、司会などの経験も豊富な中川はシャベリはうまい。しかし、街頭演説は勝手が違うようだ。
「1~2時間ブッ通しで話すのは苦手じゃない。でも、選挙演説となると話は別。演説を聴いた知人から『あんたボロボロや』って注意されましたよ」(中川)
柳田のほか、自民党から宮沢喜一元首相のおいの洋一(60)も出馬する混戦区。
知名度の低い中川が勝ち抜くのは容易ではない。医療関係者だけでなく、一般有権者にどこまで浸透させられるかがカギだ。



●本命の現職2人をまくりきれるか/茨城・長塚智宏(31歳)
(日刊ゲンダイ 2010/6/22)

昨年の知事選で26万票獲得
つくばエクスプレスの終点、つくば駅から徒歩5分。大通りに面したヘアサロンの2階が長塚智広の事務所だ。40平方メートルほどの一室は、選挙事務所によく見られるような党幹部や国会議員からの「必勝の為書き」が一枚もなく、ガランとしていた。
長塚は、党本部主導で選ばれた“小沢戦略”2人区2人目候補。やはり茨城県連の支援はない。選挙を支えるのは、他県の議員秘書やボランティアだ。しかし長塚はそれを逆手に取って、党名に頼らず個人名を前面に出す選挙に徹している。遊説カーにはキャッチフレーズの「もう一度、ニッポンにメダルを。」が掲げられ、「民主党」の文字とマークはない。 もっとも、長塚がそうした戦術をとれるのは、競輪選手で五輪の銀メダリストという知名度があるからだ。ただし、比例区に大勢いるような単なるスポーツ候補ではない。生まれ育った茨城県で昨年知事選に出馬し、完全無所属ながら、大方の予想を超える26万票を獲得しているのだ。
「民主党から参院選に出馬することになって、『知事選で投票したのに……』と、無所属じゃないことを残念がる人もいました。公認が決まった4月頃は民主党への風当たりが厳しくなっていましたから。でも菅新政権で支持率が上がって、やりやすくなりましたね」
長塚は安堵(あんど)の表情を見せた。
街頭活動は独特のスタイルだ。日の丸カラーの五輪ユニホーム姿で自転車に乗って遊説カーの後ろを走る。遊説カーのスピーカーからは、「自転車の長塚から政治の長塚へ挑戦中」と本人の音声。手を振ってくれる人がいたら、自転車で駆け寄り、チラシを渡す。
そのチラシも、他の候補のような当たり前の写真や政策集ではなく、「ながつか智広物語」と題してこれまでの経歴をマンガで紹介したものになっている。知り合いの漫画家の卵に描いてもらったという。ポスターも正面を向いたスーツ姿の写真ではなく、自転車で疾走する長塚のシルエットだ。
自転車で疾走する長塚のシルエットだ。
「若い人に興味を持ってもらえるよう、自分のカラーを出そうと思っています」
長塚と2つのイスを争うのは、民主現職・郡司彰(60)と自民現職・岡田広(63)。郡司は農協労組出身で現在農水副大臣、岡田は元水戸市長。ともに2期のベテランだ。民主と自民で仲良く議席を分け合う無風選挙の経験しかない2人にとって、長塚の若さと知名度は脅威。面白い結果が出るかもしれない。



●愛知・安井美沙子(44)/公募組だが、組織も2割つけてもらい、当落線上に急上昇中
(日刊ゲンダイ 2010/6/18)


偉そうに見られるのが反省点
3人区の愛知選挙区で、民主党は04年以降、2議席が指定席。今回も男女1人ずつを擁立し、2議席死守が命題だ。2人の候補はともに新人で、早々に出馬が決まった斎藤嘉隆(47)は元愛知県教組委員長というバリバリの労組出身者。もうひとりが党本部の公募で決まった安井美沙子だ。
落下傘候補の安井は、東京出身。シンクタンク「東京財団」の元研究員だった。2人の息子の母親で、「食の安全」の専門家でもある。大阪府の参与などコンサルタントの経歴が長く、「どうしても偉そうな態度に映ってしまうところが自分でも一番痛い。反省の連続」と話す。小沢からは「とにかく握手」とアドバイスされたという。
愛知では当初、現職の木俣佳丈が出馬の意向を示していた。しかし過去に、地元の飲食店で酔って女性店員にケガを負わす暴力問題を起こしたこともある木俣に対し、連合愛知はNO。結局、小沢前幹事長は木俣を外し、公募候補擁立に舵(かじ)を切った。
「昨年の衆院選で15人全員を当選させた組織力がある愛知の労働組合に、小沢さんが配慮した」(県連関係者)
そんな愛知では、小沢は全面に出ることはなく、選挙を地元組織に任せた。だからダブル辞任にも、地元に動揺はない。安井の選対本部長は内閣府副大臣で地元選出の大塚耕平参院議員。大塚の秘書らが総出で支えるほか、地方議員や連合も支援する。組織は安井2割、斎藤8割の比率で分けられている。
安井は、無党派狙いで駅頭やスーパーなどの前に立つと同時に、市議や県議とともに支援者回りに力を注ぐ。地元密着の議員と一緒なら、普通は入れないショッピングセンターの飲食店や電器店を回って、顔を売ることができる。
2議席死守の民主を脅かすのは、みんなの党の薬師寺道代(46)だ。大学教授で、2男1女の母。年代やインテリ系母親というキャラが、安井とかぶる。みんなの党候補に決定する前、民主党は薬師寺に出馬を打診していた。その点でも安井とは因縁の対決だ。
3つのイスを巡り、民主2、みんな1、そして自民新人の藤川政人県議(49)の事実上の戦い。菅新政権発足で事務所と安井は、「厳しいヤジが減った」「ビラを受け取ってくれるようになった」と安堵(あんど)する。みんなの党の支持率が急降下していることもあり、民主2確保の可能性が高まってきた。



●夫婦そろって地元人気アナ、5万人握手選挙

(日刊ゲンダイ 2010/6/17)

[島根]岩田浩岳(34) 青木幹雄を出馬辞退に追い込む

小沢一郎前幹事長が、自民党参院のドン・青木幹雄(76)の刺客として擁立した岩田浩岳。もともとは、地元の民放テレビ局「山陰中央テレビ」の人気アナウンサーだった。民主党の島根県連が「地元のテレビ局にいいタマがいる」と小沢一郎に推薦。岩田のことを調べた小沢は「彼なら青木を倒せる」と目を輝かせたという。
実際、夕方のニュース番組「スーパーニュース」の地元キャスターを務めていた岩田の知名度はバツグン。イケメンということもあって、主婦の人気も高い。
勝ち目がないと考えたのか、青木は体調不良を理由に5月14日、突然、不出馬を発表。長男の一彦(49)が代わりに出馬することになった。
岩田は人気アナウンサーだが、選挙のやり方は、典型的な小沢流だ。
「小沢さんからは、“徹底して汗をかけ”と言われています。1日50回の街頭、辻立ちを100日間で5000回やるつもり。5万人との握手を目標にしています。すでに手がパンパンですよ」
岩田の強みは、同じテレビ局で岩田以上の人気アナウンサーだった美知夫人(33)が、二人三脚で選挙区を回ってくれていることだ。親しみやすいキャラクターの美知夫人が街頭に立つと人が集まる。青木陣営は、夫人の参加に愕(がく)然(ぜん)としたらしい。
岩田が出馬したことで4期24年つづいてきた「青木王国」は音を立てて崩れはじめている。後継の一彦は追い込まれつつある。もともと、直近の県議選で青木が支持した候補者が落選するなど、青木の力が落ちはじめていた。しかも、一彦の評判がよくない。後援会幹部が「地味で暗くて政治家としての華がないんや」と愚痴をこぼす。出無精なのか、地元大社町の住民でさえ「めったに見たことがない」「しゃべったこともない」と不満たらたらである。
岩田に死角があるとすれば、島根出身でないことだ。
「岩田夫婦は、たしかに地元の山陰中央テレビの人気アナウンサーだった。でも、夫は鳥取出身、夫人は京都出身です。島根は地元意識が強い。果たして外様に票を入れるのか。青木陣営もそこを攻めてくる。地元の大物議員だった桜内義雄の甥、桜内朋雄(41)が、みんなの党から出馬することも波乱要因です。岩田の票を食うのか、一彦にマイナスになるのか」(県政事情通)
最後の自民党の牙城を切り崩せれば大金星である。
(取材協力=ジャーナリスト・鎌倉三次)



●孤独な戦いを支える「親父」の教え [京都]河上満栄(39)

(日刊ゲンダイ 2010/6/16)


辞任後も小沢ポスターを張り続ける

「いちげんさん、お断り」
「口では『応援する』と言っても、誰も私を支援してくれません。2人区で自民と民主が議席を分け合う“談合選挙”から抜け出そうとしない。あの人たちは本当に『いけず』です」――スタッフ1人だけの選挙事務所で、河上満栄はそう訴えた。「あの人たち」とは、民主党京都府連の面々のこと。京都は反小沢派の急先鋒、前原国交相のお膝元だ。今回、改選を迎える福山哲郎官房副長官(48)も、前原グループの所属である。
宇治市出身の彼女に、地元組織は冷たい。象徴的な“事件”は、12日に起きた。
福山が岡田外相を応援に迎え、京都市の中心、四条河原町交差点で街頭演説を開いた。府連所属の国会議員が後援会員を動員し、約500人の聴衆が詰め掛ける中、街宣車の上に同じ選挙区の河上の姿はなかった。
同じ時刻に河上は、半径500メートルも離れていない中京区の錦市場を練り歩いていた。比例区出馬の落語家・桂きん枝と一緒だったが、同行した選挙スタッフは3人だけ。福山の演説場所から支援者が合流することもなかった。
「府連から福山陣営の演説の連絡はありません。同じ民主党なのに、まるで野党のような立場。“いちげんさん、お断り”の世界です」昨夏の衆院比例近畿ブロックで初当選した河上が、くら替え出馬を決めたのは3月末。府連は2人擁立に反対したが、小沢前幹事長が押し切った。
連合京都も福山のみを推薦。組織の協力を望めない河上の支えは、小沢流の「川上から川下戦略」で出会った山間部の有権者だ。
「政治家が来ただけで、涙を流す人もいました。現職の政治家が、いかに地方の声を見捨ててきたかを痛感しました」
政治に目覚めたのは、わずか3年前。全日空のスチュワーデス時代の同僚が「アンタやったら、政治家になれる」と、小沢一郎政治塾の塾生募集の新聞広告を見せた。それから「怖そうだけど、ホンマもんっぽいな」と感じていた小沢の著書を読み漁った。
「この人は誰にもこびず、ひたすら国のことだけを考えている」――こうして小沢塾の門を叩いた。
「私にとって父親同然」と、小沢のことを話す河上。選挙カーには、幹事長辞任後も小沢とのツーショットポスターが張られたままだ。
京都選挙区は福山と、自民現職の二之湯智(65)が頭ふたつ抜け出し、河上の付け入るスキは少ない。
「今でも落ち込んだ時には『日本改造計画』を開くんです」
逆風下でも河上は“親父”の方針を信じて、1日50回の街頭演説を続けている。



●北沢防衛相と水面下でバトル応酬/長野・高島陽子(42)
(日刊ゲンダイ2010/6/15)

“殺し文句”は目を見て「頑張ります」

7人の候補者が出馬の意向を示し、まれに見る大激戦区となっている長野選挙区(改選定数2)。98年以来、補選を除いて自民、民主が1議席ずつを分け合ってきた無風区だが、今回は状況が一変している。
「2人区2人擁立」の方針を打ち出した小沢前幹事長に対し、民主党県連は当初、ダンマリを決め込んだ。「現職大臣(北沢防衛相)を落選させるような事態は絶対に避けたい」(党県連関係者)との思惑からだ。シビレを切らした小沢は独自候補の擁立に動く。白羽の矢は、県議1期途中の高島陽子に立った。
長野市出身で、地元テレビ局に務める夫との間に4人の子どもがいる。奈良女子大を卒業後、公立中学、高校の保健体育の講師、地元紙記者などを経て、07年の統一地方選で党公認候補として県議選に出馬。当時、東京で開かれた党大会で、全国の公認候補代表としてあいさつに立った。
「物おじしない度胸のよさと親しみやすさがウリ」(支持者)で、初挑戦ながら3番目の得票で県議に当選した。順風満帆の県議生活を蹴って今回、国政転身を決意した理由は一体何か。高島の答えは単純明快だ。
「もともと国政に関心があり、無所属の出馬も考えていました。立候補の打診があった時は後援会長と相談してすぐに出馬を決めました」
1日50回が目標の“小沢流”街頭演説では、一言一句をハッキリ短く、かみ締めるように話す。終わると、すぐに支持者に駆け寄り、まっすぐに目を見て「頑張ります」。これが“殺し文句”だ。
党本部は高島、県連は北沢を支援し、うまく「すみ分け」されているように見えるが、水面下は激しいバトルの応酬だ。「北沢大臣の地元で高島のポスターを配ったら猛抗議を受けた」といった声も聞かれる。北沢にとって、高島は普天間移設に難色を示す沖縄県民と同じくらい難しい相手と映っているようだ。
長野選挙区ではほかに、自民党から、前代未聞の代理投票で議員辞職した若林正俊前参院議員の長男、健太氏(46)、みんなの党から、元厚相の井出正一氏のおいの井出庸生氏(32)がそれぞれ出馬する見通し。浮動票狙いの高島にとってツワモノぞろいだが、女性票をうまく取り込めれば面白い。


●県連のイジメに耐え「1日50回」の辻立ち県内一巡
(日刊ゲンダイ2010/6/14)

静岡・中本 奈緒子(31)

◇ダブル辞任後も小沢秘書が支える
2人区に2人擁立――。小沢一郎前幹事長が打ち出した“原則”の象徴となったのが静岡選挙区だ。「現職が落選しそうだ」と県連と連合静岡が猛反発。2人目候補に中本奈緒子が決まって2カ月経った今も、県連は中本を一切支援しない。それどころか、菅新執行部が発足すると、「2人擁立見直すべし」と真っ先に声を上げ、8日、安住淳選対委員長に直接申し入れた。
党本部の公募で公認が決まった中本は、勤務先こそ静岡だったものの、兵庫県出身、大阪府立大大学院工学研究科の博士課程修了で、落下傘候補に近い。ただし、夫が地元の大企業「スズキ」の社員なのは強みだ。組織の支援がないため、選挙事務所は両親や夫など家族運営でスタート。見かねた小沢は、4月中旬に事務局長を、5月初めに若手の私設秘書を送り込んだ。
以降、中本は小沢秘書の指導の下、徹底した“小沢選挙”を行っている。
「『国民の生活が第一』の政治を前に進めてまいります」
軽ワゴンで数百メートル進んでは、2、3分の演説を繰り返す。小沢から、「選挙は地道な活動から始まる。大変だぞ。1日50回やれば勝てる」と言われたと中本は話す。山間部から始めた毎日50カ所の辻立ちは、1カ月かけて市街地へ下り、県内を一巡した。いわゆる小沢流の「川上から川下戦略」である。
県連が反発すればするほど、中本イコール「小沢の候補」という看板が強調される。党内対立は県民の間でも有名で、大組織が若い女性を“イジメ”る構図に、事務所へは同情の声が届き、ボランティアが集まった。運転する軽トラックを止めて、中本の辻立ちを眺めていた高齢者は、「昔からの小沢さんのファンなんだ」と声をかけてきた。
突然のダブル辞任で、事務所は小沢や鳩山とのツーショットポスターをはがすのに追われた。しかし、50回の辻立ちなど選挙のやり方は変えない。小沢の秘書も引き続き中本を支える。

事務局長も「今まで通り淡々とやるしかない」と引き締める。
静岡選挙区は、民主の現・新2人のほか、自民新人、みんな新人の事実上4人の戦いになる。みんなの候補は全盲のパラリンピック金メダリストで県内では有名人。組織力のある民主現職が頭ひとつ抜けているが、女性候補は中本ひとりだけ。同情票もあるだけに、ドンデン返しがあるかもしれない。