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こんにちは♪
今日もブログ見て下さってありがとうございます
大阪府北摂(箕面市)のビーズアクセサリー教室Shanti(シャンティ)、アクセサリーブランドPrana(プラーナ)のデザイナー兼講師、足立あす香です♪
月が綺麗ですね。
フィットネスクラブから帰る道すがら、空を見上げると煌々とした月が目の前に飛び込んできた。
さすがスーパームーンの翌日の月は明るい。
しかも今日は昨日より空気が冴えわたっている。
旦那と、そういえば
「月が綺麗ですね」
という言葉は夏目漱石の
「I love you」
の翻訳だ、といった話をしていました。
英語の授業の時に生徒が「我君を愛す」と訳したのをきいて、「月が綺麗ですねとでもいっておけば十分伝わる」と漱石が言ったそうです。
日本人の奥ゆかしさ、恋愛をすると世界が生まれ変わったように感じ、瑞々しい感覚、それによって月の美しさをありありとそこに見る。その両方がうまく表現された名訳だなぁと思います。
恋人と自分との間に流れる奥ゆかしくも暖かい空気感、距離感もそこにあるように感じます。
明治の文豪二葉亭四迷は
ツルゲーネフの「片戀(かたこい)」を和訳したときに「ваша(Yours、私はあなたのものよ)」を
「私、死んでもいいわ」
と訳したと言います。
それにかこつけて、
「月が綺麗ですね」と思い人に伝えて
「私、死んでもいいわ」と返してくれたら、なんてエスプリのきいた素敵な愛のやり取りだなぁだんて妄想。
「愛」の訳のことについて考えていたら、昔学校の教科書で
「愛(アモール・ラブ)」という言葉が日本に初めて入ってきた時
訳を「愛」ではなく
「御大切」と訳したという話を読んだことを思い出しました。
なんの作品だったか・・・と記憶をたどって、たしか神父が出てくる・・・
神父と言えば
「ルロイ神父」・・・
ではなくて、神父ではあるんですが
「ラムネ氏のこと」の一節だったことが判明。
しかも私が高校~大学過ぎて好きになった坂口安吾じゃん!
中学の教科書からずっと心に残っていた一節が、後々好きになった作家の作品だっただなんて、ちょっと嬉しかったです(笑)
まま、話を戻しますと・・・
普通の「愛」の訳ではなく、神の「愛」の訳をするのに伴天連(バテレン)たちは困ったのです。
当時日本では「愛」といえば、愛欲、邪なものであり、不義へと通じ、その恋の燃える先の行きつく先は「清姫」、「法界坊」のように「死」への道という認識でした。
そこで神の愛、アガペーの訳を、愛欲、恋愛の愛とは違う
「御大切」
と訳すことにしたそうです。当時の愛という言葉の意味の中に清らかなものがないとすれば当然の発明だと坂口安吾は述べています。
現代の「愛」の中には清らかな意味が含まれつつあると思いますが、昔の
「御大切」
もいい訳だなぁと思います。
「私は貴方を大切に思います」
なんだかあったかい感じです。
「恋愛」という言葉について前々から思っていたのですが、現代の「愛」は与えるもの、「恋」は求めるもの、両方あって恋愛と考えています。
昔の「愛」は現代の「恋」のような意味合いだったのではないでしょうか。
現代の恋愛、ではなく、恋恋がその瞬間結びついたものが不義とされていたのではないかと思います。(もちろんそれ以外にも身分やいい名づけ的要素もあったと思いますが)
昔の
「御大切」の訳って、見返りを求めるでもなく、そっと与える、そっと見守る、心の中で思う、そうしたつつましやかで穏やかな「愛」を感じるな、とおもった良い月の夜でした。
青空文庫に坂口安吾の「ラムネ氏のこと」があったのでURLのせておきます。
『ラムネ氏のこと』 坂口安吾
↓これにも収録されています
月が綺麗ですね。
フィットネスクラブから帰る道すがら、空を見上げると煌々とした月が目の前に飛び込んできた。
さすがスーパームーンの翌日の月は明るい。
しかも今日は昨日より空気が冴えわたっている。
旦那と、そういえば
「月が綺麗ですね」
という言葉は夏目漱石の
「I love you」
の翻訳だ、といった話をしていました。
英語の授業の時に生徒が「我君を愛す」と訳したのをきいて、「月が綺麗ですねとでもいっておけば十分伝わる」と漱石が言ったそうです。
日本人の奥ゆかしさ、恋愛をすると世界が生まれ変わったように感じ、瑞々しい感覚、それによって月の美しさをありありとそこに見る。その両方がうまく表現された名訳だなぁと思います。
恋人と自分との間に流れる奥ゆかしくも暖かい空気感、距離感もそこにあるように感じます。
明治の文豪二葉亭四迷は
ツルゲーネフの「片戀(かたこい)」を和訳したときに「ваша(Yours、私はあなたのものよ)」を
「私、死んでもいいわ」
と訳したと言います。
それにかこつけて、
「月が綺麗ですね」と思い人に伝えて
「私、死んでもいいわ」と返してくれたら、なんてエスプリのきいた素敵な愛のやり取りだなぁだんて妄想。
「愛」の訳のことについて考えていたら、昔学校の教科書で
「愛(アモール・ラブ)」という言葉が日本に初めて入ってきた時
訳を「愛」ではなく
「御大切」と訳したという話を読んだことを思い出しました。
なんの作品だったか・・・と記憶をたどって、たしか神父が出てくる・・・
神父と言えば
「ルロイ神父」・・・
ではなくて、神父ではあるんですが
「ラムネ氏のこと」の一節だったことが判明。
しかも私が高校~大学過ぎて好きになった坂口安吾じゃん!
中学の教科書からずっと心に残っていた一節が、後々好きになった作家の作品だっただなんて、ちょっと嬉しかったです(笑)
まま、話を戻しますと・・・
普通の「愛」の訳ではなく、神の「愛」の訳をするのに伴天連(バテレン)たちは困ったのです。
当時日本では「愛」といえば、愛欲、邪なものであり、不義へと通じ、その恋の燃える先の行きつく先は「清姫」、「法界坊」のように「死」への道という認識でした。
そこで神の愛、アガペーの訳を、愛欲、恋愛の愛とは違う
「御大切」
と訳すことにしたそうです。当時の愛という言葉の意味の中に清らかなものがないとすれば当然の発明だと坂口安吾は述べています。
現代の「愛」の中には清らかな意味が含まれつつあると思いますが、昔の
「御大切」
もいい訳だなぁと思います。
「私は貴方を大切に思います」
なんだかあったかい感じです。
「恋愛」という言葉について前々から思っていたのですが、現代の「愛」は与えるもの、「恋」は求めるもの、両方あって恋愛と考えています。
昔の「愛」は現代の「恋」のような意味合いだったのではないでしょうか。
現代の恋愛、ではなく、恋恋がその瞬間結びついたものが不義とされていたのではないかと思います。(もちろんそれ以外にも身分やいい名づけ的要素もあったと思いますが)
昔の
「御大切」の訳って、見返りを求めるでもなく、そっと与える、そっと見守る、心の中で思う、そうしたつつましやかで穏やかな「愛」を感じるな、とおもった良い月の夜でした。
青空文庫に坂口安吾の「ラムネ氏のこと」があったのでURLのせておきます。
『ラムネ氏のこと』 坂口安吾
↓これにも収録されています
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