Uジローさんに 簡単にレス  | 飛鳥カナ配列 ☆未来の子供たちへの贈り物☆

Uジローさんに 簡単にレス 

以下は、Uジローさんのブログでの彼と私のやりとりの続きです。 
Uジローさん以外は向こうに行って読むのは面倒でしょうから、途中からのやりとりを 
以下に貼ってからレスします。当該URLは 

http://ameblo.jp/ujiro/entry-10006261546.html#cbox です。 
 
簡単という割には例によって長いのですが、目と体が辛いので 
本格的な推敲を省いているという意味での「簡単」です。
完成度が低いので読みにくいのはお見逃しの程を。。 
 
ただ、私の本意は各自が得意なやり方でやればいいので、コンピュータでかなり良い配列を
作ることを可能にする方法を発見できたなら、それが得意な人はそれでやればいいと思います。 
 
では、最初に今までの引用から
 
以下私 
 
■飛鳥開発の過程においては逆成果しかありませんが。。 
 
まず、英訳添削。sing this song は「この詩を詠める」くらいでいいでしょう。 
まあ、結局何が将来役に立つか神ならぬ身の上では分からないから、目の前にある 
問題を成果が出るかどうかなどという功利的なことを無視して真剣に取り組めばいい 
というくらいでしょか。 
 
私だって、どうも最近は何の役にもたってない英語は、時間をかけてやり続ければ 
何か見えてくるという、配列を作るときの確信に繋がっています。 
片想いも何の報いを求めず思い続ける忍耐力をつけるのに役立っています。。。W 
 
まあ、相手が人ならしつこくすると最近はストーカーっていわれますが、 
相手が英語や配列なら、幾らしつこくしても訴えられないわけですし。。。W 
 
あと、効率云々は、車のような量産製品を将来に渡って継続的に開発していく際は 
必要なのですが、配列って一つ完成品を作ったら終わりなんです。 
ですから、誰か物好きが漫画家の卵や弁護士の卵が漫画や司法試験合格のために掛ける 
くらいの時間をかけて作ればいいんです。 
 
ありもしない配列作成プログラムなんかを夢想するより、試行錯誤が一番。 
だって、最高のプログラムだって何百と改良しなきゃまともなものは出来ないわけです。 
 
そして、そういうものが出来たとしても、一つ作れば終わりなわけです。 
なんたって、「最高の配列を作るプログラム」なんですから。 
 
そのソフトを使うと最高の配列が出来たとして、数時間で作れるとしても意味ないんです。 
Super pi なんかと同じで、結果はいつも同じなんですから。 
 
まあ、プログラム化は置くとして、配列作りは野球の上達なんかと同じで、泥にまみれて 
自らやらなくては見えるものも見えないものです。 
 
あっ!高田文夫先生も大爆笑の大田すせりの「ストーカーって呼ばないで」って歌、知ってます? 
Ray (2005-11-25 20:45:21)  
 
 
以下Uジローさん 
 
■究極配列が存在する? 
 
Rayさんが、「配列って一つ完成品を作ったら終わりなんです。」と仰るのは、ちょっと意外な気がしました。使う場面も、打ち込む文章も人それぞれ、しかも時と共に変わりますし、配列の歴史を終わらせる究極の配列、というのは、存在しないんじゃないかな、と思うんですよね。
 
 
で、実は、その見方の違いは、「最高の配列を作るプログラム」の存在意義の見方にも関わってくるんだと思います。πたる配列が存在しない以上、「最高の配列を作るプログラム」とは、ある入力パラメータに対して「最高の配列を作るプログラム」となるわけで、単なる円周率計算プログラムを超える意義があると思うんですよね。まあ、配列をそんなに頻繁に設計するニーズがあるかどうか、ということはありますが・・・。 
 
また、もし仮に究極配列が存在するとして、さらに配列設計プログラムにはそれが算出できなかったとしても、それでもなお、配列設計プログラムには次のような存在意義はあると思います。 
 
1. 手設計では究極配列がまだ発見できないないのなら、究極に近い配列を与えるものとしての意義 
 
2. 手設計で作成された究極配列の妥当性を確認するための客観的な思考過程を与えるものとしての意義 
 
3. 作成される過程が説明しやすく、「優れた芸術作品」ではなく「優れた工業製品(または商品)」としての配列を与えるものとしての意義 
 
究極の配列を作成するためのプログラム、というものも、試行錯誤なしにできるものではなく、同じ手間をかけるなら配列そのものに努力を注いだ方が良い、という考えは、もちろん健全な価値観ではあるとは思いますが、芸術作品そのものよりも、芸術作品を作る過程(の一般化)の方に興味がある人間も世の中にはいるものでして、そういうある意味、「無駄な」知識の体系化こそが科学技術を発展させてきた原動力だと思います。 
 
以上、かなり大げさに書いていますがw 
 
 
↓から私の今回のレスです。 
 
まずUジローさんの意見を読んでいると、既存のメジャーな日本語入力法が、 
皆んな飛鳥のように手作りでこつこつ何年もかけて作られているので、そこで 
コンピュータによる配列設計という新機軸を主張しているような感じがします。 
つまり、 
>1. 手設計では究極配列がまだ発見できないのなら、究極に近い配列を 
>与えるものとしての意義 
は、そういう手作り配列が百家争鳴で混乱状態に陥っている状態の時だったら 
正当性を持つものだということです。 
 
ところが、実際は大手の配列、ニコラ・新JIS・トロンともコンピュータを作って 
作られているのです。だから偉いというような主張がよく見られるのですが、私に言わせたら 
それだからこそ、配列界の幼稚園児が作ったようなものになっているんです。 
 
私が、前回「どう」に関して書いたようなややこしい思考がコンピュータには不可能な以上 
言葉という複雑な体系を相手に、人間の頭の中の言語感覚と、これまた指や手の感覚という 
きわめて人間的なものを扱うのにコンピュータが向いているというのは、コンピュータが 
理論的にも飛鳥を越す理論を自分で見つけだして配列を組み立てたことがない以上 
説得力を持たないでしょう。 
 
そして、配列理論というものは自らの膨大な言語生活の経験と配列作りの試行錯誤から 
しか生まれないのでプログラムにその基本的な理論を与えるのはあくまで人間です。 
 
試行錯誤には、最低でも丸一年朝から晩まで頭の中が配列しか存在しないような生活を送ることが 
必要なのです。これはIMEの基礎を築いた九州大学の何とかという教授でも、あの田中主任 
でも同じことで、プロジェクトXでよくある場面です。 
 
そういうことをプログラムを作る前に何もしていないから、「コンピュータによる最適化」を 
謳っている既存の配列はダメなんです。 
何たって、人には「利き手」があることすらもコンピュータは言われないと気がつかないんです。 
 
コンピュータに与えるパラメータに「利き手」の問題が入っていないのは、プログラムを組む人 
自身がまるまる一ヶ月も配列と泥まみれになることをさぼった証拠というしかありません。 
 
拗音や語尾、また「ですが、あるが、」のような節末?は速いので、カナの出現頻度はある 
程度無視しても、良い運指を与える必要があるのも、私は三ヶ月目くらいの段階で気がつきました。 
 
それなのに、そんな配列作りのイロハのイでさえ、コンピュータによる最適化とかを 
謳っている既存の配列では一顧だにされていないのです。 
 
コンピュータは「指の移動距離の最小化」のような超原始的な尺度で配列を決めます。、 
「親指シフトにおいては感覚的にBはRより近い」というような、人の手の構造と 
関連した事実はプログラムを作る人間が実際にキーボードと格闘しながら発見しな 
ければ無視されるのです。 
 
そして、コンピュータに与えるパラメーターを発見し尽くした一万時間とかの配列の格闘を 
済ませたときは、すでに配列はできあがっているのです。 
ですから、わざわざ複雑怪奇になるであろう配列作成プログラムは、配列と格闘しながら何年も 
かけて理論を作った人がいくら優秀なプログラマーであっても作る必要を感じないでしょう。 
 
まあ、プログラムが作れれば、自分の作った配列の優秀性を客観的に実証する 
ソフトが組めるので、こういう長々とした言葉の羅列のみでしか説得できない 
私なんかよりは説得力が大分増すんでしょうが。。 
 
Uジローさんも認めたようにプログラマーはヘルプ作りは苦手というのと同じで、 
配列作りという「言葉」と経験を元にする文系の作業とプログラム作りというのは 
一人の人のなかに共存することはなかなか難しいと思いますが。。 
 
あと、「究極の配列」は存在します! 
これは、二万時間くらい配列作りをやったら感覚で分かることなのでここでは簡単に書きます。 
 
最初の頃の一日数十回配列を変えるようなことは今は全くなくなりました。 
月に一回変えるかどうかくらいで、それもどんどん間が空いてきます。 
もう、飛鳥の理論による配列の改良はほぼ限界に来ているようです。 
今後改良があったとしても、それは打鍵効率や打鍵の気持ちよさを0.1%よく 
するかしないかの程度で、どこかが大規模に普及させてくれるというのなら 
もう止めてもいいと思っています。 
 
もちろん、飛鳥と全く異質の理論に基づいていても、打鍵しやすい配列というのも 
あり得るかも知れません。 
ただ、親指シフトに限ると、私はそういう理論は発見できなかったので、ないかもしれません。 
 
とにかくあるとしても、そういうのを見つけ配列に生かすには同じくらいの時間が 
かかりますし、私は発見できなかったので、他の人に任せるしかありません。 
人間の寿命も限られているわけですから。。 
 
ただ、一つだけいえるのは、3.の「作成される過程が説明しやすく」というのは 
人間がその理論を作らないでコンピュータが勝手に作った配列には存在しないはずです。 
 
私は、既存の配列で配列自身が作られる過程や理論が何万字にもわたって 
詳しく書いてあるものを読んだことがありません。 
 
人が作ってないから、いくらニコラの擁護者のぎっちょんさんのような人でも、配列自体 
を、一つ一つのメジャーな言葉の運指ごとに詳しく解説するのは不可能なんです。 
 
 
それから、「時代にあった配列」というのは平安時代の言葉と現代語くらい 
かけ離れていると同じ配列で済ますわけには行かないのですが、今後百年とかは 
大丈夫という意味での「究極」です。 
 
英語だってSholesさんが百年以上前に配列を決めてから英字の続き方が大幅に異なる 
単語が増えたということはないわけなんで、百年やそこらでは日本語も全く新しい 
配列設計が必要になるほどの大変化はないはずです。 
千年とか先のことは言う必要もないと思いますし。 
 
また、人によって使う言葉の傾向が違うから適した配列も異なると言い出したら切りがありません。 
ですから、ここは最大公約数をとるしかありません。 
 
ただ、今回の「だけど、」を打ち易くするというようになるべく打鍵の実体と合わせる 
ことには腐心しています。 
 
しかし、私のように「~けど、・・・」という表現をまずしない人には今回の「どう」が 
E裏D表になる配列は改悪になります。 
 
としたら、前のバージョンを「けど、」を使わない人向け、今回のものを使う人向けと 
併存させなければならないことになります。 
しかし、それを言い出したら何百何千もの配列がそれぞれの個人向けに作られる必要があります。 
 
でも、そんなものが普及するでしょうか? 
というか、ある程度の普及率をもって、PCや配列自体には興味はなくても毎日結構な 
文字入力をしている一般人の目にとどまるような状態に何百ものバージョンを持つ 
新配列がなれるでしょうか。 
 
超マイナーなくせに何百ものバージョンがあって、その中から自分にあったものを選ぶというような 
作業は、とても普通の人にはできないし、そんな面倒そうなものは遠ざけられてしまうでしょう。 
 
学校で教えるにしても、教師の打てる配列が生徒が選んだものと大きく違っていて当然ですから、 
教えにくくて困ってしまいます。 
 
ですから、飛鳥は一個でいいんです。また、そうすべきなんです。 
 
で、今「飛鳥は一個」といいましたが、これ長くなって主張が見にくくならないための 
「レトリック」です! 
 
まず、利き手に特化する飛鳥には、レフティー飛鳥は欠かせません。 
また、、ニコラ味も圧倒的にニコラユーザーが多い以上移行を促すには重要なものです。 
123並びも、ヘンな数字並びのために敬遠されるのを防ぐ意味で欠かせません。 
 
と、こんなことを飛鳥HPをよく知ってるUジローさんには言う必要はないと思うんです。 
また、飛鳥は一個としても各自の指の具合や使う言葉の傾向に合わせて自分向きのMy飛鳥を 
奨励していることもUジローさんはよくご存じのはずなんですが。。。 
 
何しろ文章は短い方がインパクトがあるんですね。 
純ちゃんの大勝利も「民のできるものは民へ」と単純化したのが良かったんです。 
 
今回の事件じゃないですが、「民ができるようでも同じ業界で利害関係が対立しないので 
民同士だとなあなあで偽造なんかがされるので公がやった方が良いものは除いて、 
民ができるものは民へ」などと、長たらしく言ったら最後まで聞いてくれる人は殆ど 
いないですからね。 
 
だから、あのコメントは私には珍しく短いので「力があるな」って、後から読んで感じたものです。 
まあ「究極・一個」は読み手がUジローさんなら省略部分は分かってくれるはずなので「えいや!」 
で言い切ってしまったわけです。 
ローマ字で打つしかなくて、使う時間も30分限定の市のPCだったということもありますが。。。 
 
 
 
>ちなみに「ストーカー~」は知らないですねぇ。もしかして、Rayさんは、関西の方でしょうか? 
 
いや、高田先生は江戸落語を中心とした東京の演芸界の大御所ですから 
太田すせりも東京で活動している人です。 
落語は勿論、ツービートや爆笑問題などお笑いは関西だけではないんですから。 
 
なんでも、太田すせりは新風亭しょう太(漢字わからず)の明治とかの落ち研の後輩だそうです。 
まあ、彼女は落ち研(面倒だ!「落ち研」登録しておこう。。(^^;;)は 
長続きせずに演劇の方に行ったようです。 
 
あの歌結構長いんですが、TBSとニッポン放送で私の聞いた限りでも三回フルコーラスで 
流されたんですね。それなのに、CD売ってないんです。。 
 
両方とも全国ネットだったと思いますが、昼間のAMリスナーじゃないと知らないはずです。 
私もTVで彼女を見たことないですから。 
CD自体、彼女自身が自分のPCでシコシコ焼いて手渡しで売っている100枚とかしかない 
ものを二人が渡されて流したものなんですね。 
 
ニッポン放送のは高田先生が月金の11時半から90分やってるラジオビバリーヒルズです。 
TBSのは永六輔先生がやっている5時間とかの番組(土曜ワイドラジオ東京)なんですね。 
 
二人とも(CD売ってないんですから)別の機会に他の芸人のを見に行ったついでに、前座 
で出ていた彼女の舞台に偶然に出くわして、受けたので番組で取り上げたというわけです。 
 
あれって、エンタの神様辺りでやれば受けそうなんですが、彼女ルックスに 
問題ありなんでしょうか?大女でブスだってことはしょうた 
(ううん、「諸歌」になってしまう。。登録しようにも字が分からない( ;_ ;) 
の証言でもそうなんですが、TVのお笑いでも受けの悪いブスってのもいるわけで。。 
 
まあ、お笑い感度の高そうなUジローさんだったら大受けするのは確実です。 
ちょっと検索したのですがネットにはまだないようです。 

 
そのうちファイルが転がっているようになったら聞いてみるといいと思います。