こちらのブログを整理したくて久しぶりにログインしたのですが、
なぜか自分の記事が読めません…。
マイページにはアクセスできるのに。

なんでだろう??

お問い合わせしてみたいと思います。

最近はプライベートでいろいろあったので

気持ちで処理できなくなったので記事にします。


記録のつもりで書きます。



気持ちが処理できないというよりは

現実にいろいろありすぎて

単に収集がつかなくなってます。




思えば昔から

親戚とか家族とかに

ゴタゴタの耐えない人が多くて

私はいつも

その仲介みたいな役割になってました。



実の祖母と父の仲が悪くて

それは父の大借金のせいで

祖母もまた

現実に存在するのが不思議なくらいの

意地悪ばあさんだったので

家の中はいっつも悲惨でした。



おだやかで我慢してばかりの母が不憫で

どうしてあげることもできない自分が

私は大嫌いでした。



母は何度も病気になり

家出もしたけど

結局戻ってきたのは

私や弟が心配だったからなのでしょうね。



「私が稼いで借金返して養ってやる!」

と、

小さいころ、何度も私は言いました。

けっこう本気だったけど

やっぱりそこまでの力はありませんでした。



今の、私の仕事への原動力は

確実にそこからきていると思われます。



今は祖母も死に

借金はあと2年を残して完済です。


父もバカだったけど頑張りました。



今後の人生の保障は何もありませんが

父と母自身はもともと真面目で働き者なので

借金さえなければ

穏やかに暮らしていけるだろうし、

あとは私と弟で支えていけるでしょう。



弟が結婚してくれれば

あとは思い残すことはないと

母は思ってるみたいですけど。



母は、弟二人も結婚しておらず

一人は鬱で、

一人はたぶん、その世話と仕事に疲れ、

現在、半分、

行方不明みたいな状態になってます。

(母は捜す気力もないようです)

いるときもあるみたいなんだけど

仕事をしているのかどうかも…。





父は昔の借金が原因で

親戚のほとんどに鼻つまみ者扱いされてます。


祖母が死んでから

遺した通帳がどうたらこうたら、

結論として

そんなものは存在しなかったのですが

金にルーズだった父は信用されず

私と弟は父をかばって

唯一のイトコと断絶しました。




夫は穏やかな人で

そんな私の事情を知って

いろいろとサポートしてくれます。


主に精神面で。



その家族もさぞかし穏やかかと思ったら

まあ、まあ(笑)



義父さんがクセモノですね。


義母さんとおばあちゃんも

穏やかだけど実はクセモノですけど、

まあ、

私も相当なクセモノだと思えば

普通の人なんて

きっとどこにもいないんだと思う。



穏やかで誰よりも優しいうちの夫でさえ

私との口論でかっとなれば

私を引っ叩くことだってある。


私だってやったことある。





さて。


今回は義父さんのほうです。


ただし今回は

私と義父さんじゃなく、

義父さん家族みんなのことです。




私と夫がここに同居してきたのは

義父さんが会社を追い出されたことが原因だったんですが。


追い出された、というか

そこは義父さんが作った会社だったんですね。



そして兄弟で経営してた。


実の兄から会社を乗っ取られ、

追い出されたわけです。



現実にこんなことがあるんですよ。


兄弟で商売はしちゃいけないと

私は小さいころから教わっていたので

夫と結婚するときに

義父さんが兄弟経営をしているときいて

ひそかに問題が起こるのを心配していたんだけど…。



でも、まさかこっちにまで火種が飛んでくるとは

さすがに思わなかった。




私の父方の祖母は前述したとおり

とんでもない性格でしたけど

商才には長けていて

人当たりもよく(外面だけいいのが私と同じ)

どうやらその商才が

私には少し受け継がれているのは

昔から祖母が私に

「お前は大きくなれ」と、

なぜか男である弟よりも

私に商売の知識をつけさせたがっていたので

「兄弟で経営すると失敗する」

ってのは、かなり最初の段階できいていて、

そりゃそうだろうなって思ってた。



経営するならせめて夫婦単位。


じゃなきゃ別会社にしてそれぞれやらなきゃ

対立して共倒れになるのは目に見えてる。



そして私は自営業になっても

決して子供に継がせることはないって

今から決めてる。


そんな人生を用意してはやらない。

子供だって望まないだろう。




うまくやれる人ならいいんだけどさ。


義父さんっていうのはそういうのから程遠い人で

人と争うために生まれてきたような人だから

むしろそれまで何十年も

よく兄弟で経営してきたと思う。


私も同居して

ド肝を抜かれたもの。


(でも今は負けられないって思ってる)




義父さんたちも、背景にいろいろあって

今回は

夫から初めて聞いた話も含めて

記録の意味で残しておこうと思う。



義父さんは整備士の資格を持っていて

自分の会社を興して経営してた。


当時はバブル絶頂期だし

働けば働くほどに儲かったようです。


仕事をやめて5年たった今でも

趣味の車にお金をつぎ込めるくらいお金持ちだもの。


(生活費すら出さずに

家事も育児も手伝わず

のうのうとしているのがすごいと思う。

そして、それを容認して

さらに男の人だからというだけで

たててる義母さんとおばあちゃんもすごいと思う。

納得してるなら私に当たらないで)



義父さんはお兄さんを雇ったんだか

お兄さんが事務系をしていたのか

お兄さんは整備士の資格がないんだけど

ともあれ一緒に会社をやってたんです。


ところが義父さんが30代で発病。

1年生きられないと言われたくらい

絶望的な状態だったらしい。


お兄さんはそれを支えるどころか

義父さんが病気でごたごたしているうちに

会社の名義を勝手に変えて自分が社長に。


突然死んだら

社長の名義変更が難しいとかいう

もっともらしい理由をつけて、

でも、事実上の乗っ取り。


でも、そこからも兄弟経営で会社は続く。


工場の隣では

弟さんとやらが板金屋さんをやってます。


そういうのはいいと思うのよね、

別会社なら。



夫は最初ずっと

その工場を継ぐつもりでいた。


お兄さんが社長になったことと

かなり不景気な時期だったこともあって

迷っていたけど

それでもやるつもりでいたみたい。


私はそれなら役に立つよ、と

そろそろ見限りをつけていた

車のディーラーの

会社の事務の仕事を続けて

書類関係はマスターした。


私と夫が結婚して数年後。


突然、義父さんが解雇された。


自分が作った会社を乗っ取られて追い出されるって

どんな気分だろう。



義父さんもツイてない人生だけど、

主に自分が招いてる事態だと

厳しいけど私は思う。


体を壊したのは不摂生のせい。


濃い味のものも大好きだったみたいだし

異常な高血圧も当時からあったらしい。

酒、煙草。


いろんな人に裏切られてきたのも

結局は自分が悪いんだと思う。



でも、もちろん

それでも見限らないのが家族だから

夫のその気持ちを受け止めて

私だって同居を決心した。


まあ、その後の顛末は

こっちのブログではおなじみだよね。


最近はお仕事ブログで

かなり本音を押し殺して書いていたので

こっちには書きたい放題書こうと思う。



今になって、

突然、義父さんのお兄さんからの連絡。



義父さんはここ数ヶ月

透析を受けるようになって

ある人と再会したらしい。


それは、

義父さんが昔、かかってたお医者さん。


義父さんは実はけっこうその人を恨んでて

というのも

ずっと高血圧だったりして具合が悪かったのに

その医者が見つけてくれなかったからだって。


それってけっこう筋違いだと思うんだけど…。

違うと思うならセカンドオピニオンしなきゃ。

医者っていう職業も因果なものだよね。


うちの父方の祖父も

確かに

信用してたお医者さんに

10年間も脳腫瘍を見逃されてて

死んじゃったけどさ。


でもさ、それを人のせいにしても…。



ともあれ義父さんも、

倒れてからそれっきりだったそのお医者さんと、

再開して話をして、

お医者さんもそのことを申し訳なく思ってることを知り、

それは水に流すことにしたんだって。


うん。よかったよ。

根に持つタイプのお父さんが

逆恨みだとしても人を許す場面があるなんて

私は知らなかったから。


私との同居問題にしても

私が謝れば許してやるっていうスタンスなのかもしれないけど、

さすがに謝らないよ。

さすがにそれはしない。

そしたら私、壊れる。

筋違いだもん。

あっちが謝って

これからちゃんと普通に家族するっていうならまだしもさ。

義母さんやおばあちゃんが

義父さんに進言するとか

ダンナが義父さんに

私に対して謝ってくれって言うとかいうことすらないし。


まあ、その話はおいといて。



そのお医者さんは義父さんのお兄さんとも知り合いだから、

兄弟が断絶していることを知り、

仲人役になってやる、といったみたいなんだよね。



そしたら、お兄さんから

夫の会社に電話があった。

(直接、義父さんに話をしろよ)



なんとね。


会社を継いでくれる人を探している、という話。



継いでくれる人!?



お兄さんに子供もいるんだろうけど

車関係じゃないんだろうね。


継ぐなら確かにダンナが適任だ。



まあ、その話をきいて面食らうのはダンナ。



というか、スジが違うだろうと。


義父さんと直接話をしてみないと

そんなことどうにもならない。



そもそもダンナも私も

もう継ぐ会社はないのだから

これからどうする、と

先の見えない中を歩いてきたのに。


ダンナがあんまり考えずに

ずっと会社員をやってることで

私が主に考えてきた。


年収300万もない会社で

ボーナスは5年間カット、

休みも年々減っており、

土日は用事があっても月1回しか休めず

子供たちとの団欒もあったもんじゃない。


義父さんの病気、

義母さんだってもうすぐ60歳。

おばあちゃんも80歳になった。


義母さんが定年したら

私と夫で大黒柱になって

養っていかなければならないのに。


介護や入院は必ず来る事態なんだ。


子供たちも成長して

どんどんお金が必要になる。



だから私が、って

がむしゃらに仕事して。


最近は仕事をもぎ取ってこれるようになって。


かなり自由度の高い仕事だから

自分の采配でいろいろやれる。



パートや会社員をやってたら

20年たっても給料はあがらず

土日も休めず子供たちをほったらかしで

しかもいつ

仕事を失うかわからない状態になるのが目に見えてるから

私は多少、体や心がキツくても

自営業を選んだ。


あっちのブログは穏やかに書いてるけど、

そもそも

4年前の自分の状態から

ここまでこれるとは思ってなかった。


でもずっと、

いつかせめて

そこまでは這い上がってやるって思ってた。



ともあれ。


今日の夜、その話し合いがもたれる。



それが終わるまで

私は何も動けないと思って

ここ数日は思考が停止してる。



お兄さんが義父さんに謝るのか。


もしかしたら義父さんのお母さんも

家に来るかもね。


ずっと交流がなかったから

三女が産まれているのを知って

きっとびっくりするよ。



会社を継ぐことはどうするのか。



そのことに関しては私はすでに

ダンナに条件を出してある。


夫は優柔不断だから

やるもやらないもうやむやになる。



まずはお兄さんが義父さんに謝るのが大前提。


その上で会社をお願いするというのなら

ダンナはやってもいいって言ってる。


ダンナの気持ちはなんとなくわかってる。

やりたいんだ。


やりたいっていうように

私もちょっと仕向けちゃったかも。


だって私はもともと

夫と一緒に仕事をするのが夢なんだもの。


そのために私は仕事を以前やめなかったのだし

夫の夢のお手伝いをしようと思って

経営も勉強してきた。


今ではもっぱら

自分のための知識になってるけどね。


夫が稼がないつもりなら私がやるしかない、って。


だから夫は

私がいるならやれると思ってる。


実際、やれる。


私がここ数年やってきた仕事のつらさに比べたら

夫婦で町工場なんて

それなりのつらさはあっても

むしろ楽になれる。


それさえ頑張ればいいという人生は、

大変、楽だ。


農業に関しては

本当に一から作り出してきた。


知り合いもいない、当然、仕事もない状態で

1年間、無から全てを積み上げた。


自分しかいないと思って

霧の中をもがくような状態の今、

その道は本当に魅力的だよ。



ダンナがやりたいと思うなら

阻むものは何もない。



そうそう。


お兄さんが会社に残るならやらない。

義父さんが経営に口を出してくるならやらない。


完全に私と夫だけで継いで

社長名をダンナにするのでなければ

私は絶対に手伝わない、

先が見えてる、とダンナに言った。



私にはやっぱりけっこう先が見えちゃうんだよ。


石橋を叩き壊して歩いてる人間だからさ。

あんまり自慢にならないか。



私とダンナでやるなら大丈夫。

きっと成功するよ。


成功って別に

お金をたくさん稼ぐことじゃない。


お互いが好きな仕事をして

無理のないペースでやって

協力して家事育児も完全分担して、

分担というか

手の空いたほうが片方をやって。



会社員の何がイヤって

能力があっても報われないとかいうのは当然のこと、

無駄な仕事を延々とやること、とか

時間を拘束されることかな。


仕事は終わってるのに他の人を待って帰れないとか

残業代のために仕事をダラダラするとか

無駄な会議とか

無駄な研修とか試験とか、

そういうのがイヤだ。


手には技術だけがあればいい。

資格や肩書きなんて人を幸せにしてくれない。

会社を辞めちゃったら何が残るの?


技術だけはなくならない。

だから私はエンジニアをすごく尊敬する。

農家を尊敬する。

学校の先生や保育所の先生も同じ。

現場で汗水たらして働いている人。



夫婦で自営業をすれば

私の望む働き方が待ってる。


手の空いたほうが子供たちを送っていったり

お迎えしたり、

日曜日も休みにしようね、って言った。


私と夫は仕事に対して真面目なのは

お互いわかってるから、

仕事のときは仕事にがむしゃらに専念できる。


夫は仕事が誠実で丁寧で

今の会社でも評判。


正確さと誠実さは、

本当に大事。

泥臭さみたいなものも。


だから絶対にやっていけるって私は思ってる。


事務関係は私がサポートできる。

やっと昔とった杵柄が役に立つときが来た?


時には早朝から、

時には深夜まで仕事をするときもあるだろう。


でも、子供たちのことは最優先にしようね、

って

当たり前のことが自営業ならかなえられる。


それに自営業だと

親が働いている姿を子供に見せられる。



いいことばっかりではないけれど

大変なことだって、もちろん背負う覚悟。


今度は責任を会社に押し付けることは出来ない。


でも、私も夫も

押し付けたりはしてこなかった人間。


むしろ押し付けられて迷惑かけられる側の人間。


なら、私と夫が組めば大丈夫。


今までずっとバラバラだった。


私がやってる農業の仕事のほうも忙しくて

一緒に動いてくれる人がいればって

思ったこともあった。


会社を作って誰かを雇えば

仕事がもっと広がるかもって思ったこともあった。



っていうことを、

夫に語っちゃった。


だから夫も

会社を継ぐことにかなり前向き。



私も夫も

人の尻拭いみたいなことばっかりしてきた人間。


振り回されるだけ振り回されて

(主にそれぞれの家族に)

でも、そろそろもう、落ち着きたい。


そろそろ安心したいよ。


お互いの取り巻きがどうあれ、

私と夫が本当に協力したら

絶対に強いってわかってるんだから。



さて。どうなるかな。



自分の仕事でもいろいろあったのに、

これ以上、自分が背負えるのか、

不安と言えば不安…。


でも大丈夫。ナントカなる。

昨日は一日、私と子供たち4人ですごしました。


子供たちのことを怒鳴り散らして、

あれじゃ八つ当たりだ…と反省。


自分の中に溜まったフラストレーションを

うまく発散できなくて、

手近な子供たちに当たっちゃってた。


はあ~~、

自己嫌悪。



ここ一週間、

どうにも疲れがとれなくて

喉が痛いんだけど風邪ってほどでもなくて、

何となく体調が悪くて、

寝れば治るだろうと思って

毎日、22時から7時まで布団にいました。


おかげで朝はてんてこまいだし

自分の時間なんて一秒もないわけだから

むしろ悪影響だったかな。


でも、起きれなかった。

4時おきの平気な私が。


昨日と一昨日は

昼寝まで子供たちと一緒。

それでも疲れが取れない。


1月末あたりから2月はじめくらいまでの

異常な集中力が

ここにきてぷっつりと途切れた感じ。


お義父さんの入院だなんだって

いろいろあったからなあ。



昨日は子供たちと「あじまん」を買いに行こうね

っていっていたのに

出かけることができなくて

子供たちは不満気味。


私が動かなければ子供たちが動くわけないのに、

でも、

「買いにいくって言ったのは君たちでしょ、

どうして片付けしないの、

どうして着替えないの」

なんて、怒って。


その言い方じゃ、子供たちも反論できないってわかってて。


ごめんね。


寝顔にいってもしょうがないんだった。


目を見て、

今日はママ、プリプリしすぎちゃった、って言えば

子供たちも許してくれる。


私が手を伸ばせば、

どんなに怒られた後でも、

どーんと体当たりして抱っこしてもらいに来る。


この素直さをなくさないでほしいな。



その素直さを失わせるのもきっと大人なんだろうな。


怒られて、その理不尽さにだんだん気づいていって、

そのうち

怒られた直後になんか

腕の中に飛び込んできてくれなくなる。


それからじゃ遅い。


反省、反省。



怒ってしまうことをやめられないから、

せめて

怒った後は

「キツく怒ったこと」は謝ります。


でも、すぐあとに

ご機嫌をとるみたいに優しくしたって

そのうち子供たちは

その胡散臭さに気づいて

大人を信じなくなっちゃうかな。


反面教師にでも、してくれりゃいいけど。



私自身、

全くブレのない母親に育てられたので、

私の子育てでいいのか、疑問です。

これで正しい、という確信が持てない。


母親のようになりたい。


優しさを振りまき過ぎなくてもいいから、

感情で叱ったりしない、

包み込むような穏やかな母親に。



難しいな。


ダンナに言わせれば、

黒砂糖はおやつだそうです。


私に言わせれば、

黒砂糖は調味料。



お菓子に使おうと思って

黒砂糖を瓶に入れておくと、

一週間後にはなくなっています。



今回も

何の料理にも使わないうちに

ぺろりとなくなっていました…。


ジュニ子までつまみ食いするようになり、

ついにはジュニ子3も

瓶の中の黒砂糖を「んー!」と指差すように。


え~。

かもしかに行く前や、

健診に行く前に

中途半端な時間があったので

来年の保育所の振込み依頼に郵便局、

バレンタインのチョコの材料の買出し、

ジュニ子2の

乳幼児医療証の更新などに行ってきました。


明日からは3連休。


ダンナはずっと仕事だし

今日もまた雪が積もりそうな感じ。


こもるしかないな…。


一応、スキーウェアは持ってきたけど、

私一人で子供3人と行き遊びは

億劫過ぎる~。


でも、せっかくの3連休、

何かはしたいなあ。


1ヶ月遅れの健診。


かもしかが終わり、

ちょっと買い物をしてから

その足で保健センターに向かいました。


雪で駐車場が狭かったから

早く行っておいてよかった。



いろんな子がいますね~。


同じくらいの月齢なのに、

成長はさまざまで、

女の子と男の子でも違って、

眺めているだけでも楽しかったです。


ジュニ子3は

ずっと恥ずかしそうに

私にぺたぺたまとわりつきながら

でも、周りが気になるようで、

ちらちら見ていました。


途中から慣れてきて、

ず~~~っとニコニコしながら、

私に抱きついてきたり、

手を引いてどこかに行こうとしたり

(恥ずかしいから一人で行こうとはしない。)

バンザイしたりチューしてきたり、

とにかくはしゃいでいました。


たぶん、保育所ではいつもそんな感じなのかな。



ジュニ子3って

髪が伸びるのが遅いほうですね。


ジュニ子もジュニ子2も

量も多かったし伸びるのも早かったけど、

ジュニ子3は

筆を作ったときに切った以外には

前髪をカットしただけで

あとはずっと切ってません。


あ、この間ちょっと後ろの髪をそろえましたけど。

でもま、伸びないと楽でいいか。



まあ、とにかく標準という感じでしょうか。


あんなに食べるのに体型も見事に標準。


わが子は3人とも

同じような成長をたどっています。


虫歯もなく。


身長80cm。

体重9,5kg。



体重を量るところまではスムーズで、

体重計に一人で乗ってほめられてたのに、

次の健診では泣いて泣いて。


服も着なくなっちゃって。


暴れてひっくり返って、

床に頭をごーん。


私にしてみたらいつものことだけど、

周りの保健師さんたちのほうがあわてちゃって

「頭は気をつけてくださいね~」

なんていわれちゃった。


ジュニ子3、

産まれてから今まで

100回くらいは頭ぶつけたと思うけどね。

今のところ、すくすく育っています。



予防接種受けてくださいね~、といわれた。

はて、どうしようか。


あとは2歳児歯科健診と3歳児健診。


それで終わりかあ。

なんか感慨深い。


こういう機会があると

4人目をどうしようか、考えちゃうね。



3人でもいいような気もしてきた。


だってさ。

ジュニ子たちだって子供を産むだろうしさ。


3人いりゃ、

一人くらいは結婚するだろうし、

しなくても3人とも子供の一人も産まないってことは

ないと思うし。


男の子、産まれるかもしれないし~、

な~んて…。


あ、ダメだ。


子供にそういう望みをかけちゃいけないんだった。



でもまあ、

ほかの男の子を見ても

別にうらやましくはないんですよね。


ほしいけどね。


タイムリミットまではまだまだあるし。

考えよう。

今年最後のかもしか、無事終了!


最初の挨拶やら

最終回の一言やら、

じゃんけんゲームやら、

なにやらいろいろ役がありました。


いつもなら、

たいてい

何か一つの役だけでOKなのに~。

8人もいたのに~。


リーダーのつらいところ。


指導員さんには感謝されました。


今年、無事に勤め上げられてよかったです。


私やママ友は

末っ子連れでの参加でしたが、

なんとジュニ子3、

ジュニ子2を見つけて

とことこと歩いていって

となりで指導員さんのお話を

ちょこんと聞いているではありませんか。


ジュニ子3もうれしそうだったけど、

それよりもうれしそうだったのがジュニ子2。


ちょっと誇らしげ?



子供たちから

手作りのかわいいペンダントなどもらい。

「ありがとうございました」って書いてあった。


それぞれ、自分の子供からもらいました。



教室の途中でも

ジュニ子2は

「ママ~」って手を振ってきたりして、

なんか家にいるときと違って

物怖じせず快活な性格に見える。

不思議なもんだ。


ジュニ子はずっとおとなしくしてました。

そっか、

ちゃんと話を聞きなさいと

注意されてるから

ちゃんと聞いているのね。



かもしかはちょっと大変だけど

自分の子の保育所での様子が少しのぞけるから

楽しいっちゃ楽しいんだよね。



着ぐるみの「かもちゃん」に

ニコニコ飛びついて退場していきました。



来年からはお役御免だ!

(のはず)

今日は久々に積もりました。

一週間ぶりくらいじゃないでしょうか。


5時からダンナが雪かき。

久々なので張り切ってました。

お疲れ様。


6時には戻ってきてくれたので

朝の準備もスムーズでした。


それにしても、

フルに動いているのにやっぱり終わるのは9時前ころ。


今日は

私は午前中は保育所の用事、

午後は1歳6ヶ月健診と、

これまた予定満載なので

朝のうちに全部用意したわけですが、

ジュニ子3が珍しくおんぶしてくれたので

スムーズに進んで、

それでもやっぱり8時半。


ジュニ子3が休みだから

お姉ちゃんたちはダンナに送ってもらい。



まあ、先生にお手紙を書いたり、

今日は

終了写真撮影だというから

いつもよりもマトモな(笑)服を着せたり、

髪の毛もいつもより整えてあげたりして、

予想以上に時間がかかっちゃった。


パンを与えておいたらおとなしいので、

食パン1枚、ジュニ子3に預けておいたら、

さすがに朝ごはんでお腹いっぱいだったらしくて、

いつもなら2枚でもペロリとたいらげるところ、

今日はボロボロにして遊んで終わりでした。

もったいない…。

コンポストのエサです。



それにしても、久々の

ジュニ子3と二人っきりの一日。


ジュニ子3も

ここぞとばかりに抱っこ抱っこで甘えん坊です。


Kちゃんのことは、

当たり障りのないことだけが書いてありました。


言い合いになることもあるけど、

言いすぎるときは注意している、と。


Kちゃんとジュニ子は

対等に何でも言い合える仲だ、と。


そうなのか…?


保育所の中の様子を知らない私は

その言葉を信じるしかありません。


昨日の朝の様子を見たら、

確かにジュニ子が

それほど萎縮していたり

従順にしたがって行動している

というわけでもなさそう。


流されやすい気はするけどね。


とりあえず、

気になることがあったら

また話をするということで。



ジュニ子はKちゃんとだけでなく、

同じ年中のHちゃんとも仲がいいというので、

それならば、孤立するということもなさそうです。


昨日の様子では、

年長の子と遊んでたりもしたし。


ちゃんと言いたいことが主張できるなら

大丈夫だと思います、と、

昨日と同じくらいの長さの返事を書き、

やりとりはおしまいです。



小学校に行っても、

ヘタすると中学に行っても

ずっと一緒の子達だから、

(クラスは小学校で一学年1クラス、中学でも2クラスくらい)

仲良く楽しく過ごしててもらえたらうれしいです。