英語と村上春樹とノーベル文学賞 | 正しい英語を教えちゃる!

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 さいたま市の高校で現代英語の教師をしている後輩の「ノビタ」から電話があり、久しぶりに一緒に飲みましょうと誘われ、高円寺駅の近くにある大衆居酒屋で、愉快に酒を酌み交わした。

 久しぶりといっても、ほんの二ヶ月ぶりのことだが。


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 二人とも酔いが回り始めた頃に、ノビタが、村上春樹氏の「ノルウェイの森」の話題を持ち出した。

 昨年の暮れに公開された同名映画の影響か、第2次「ノルウェイの森」ブームらしきものが訪れているようで、ノビタの高校でも、ノビタの言葉によれば、この「成人指定ポルノ小説さながらの本」を読んでいる生徒が、少なからずいるらしかった。


 そんなイケナイ生徒の一人が、小説の2ページ目にある英語での会話の場面について、ノビタに質問してきたそうである。

 生徒が言うには、この英語の会話は非常にギクシャクしている、と以前に何かの本で読んだことがあるらしい。

 ただ、どこがどのようにギクシャクしているのかよくわからないので、ノビタに聞きにきたのである。


 ノビタは自分なりに、たとえば 「same 」 という形容詞に付くべきはずの定冠詞

「 the 」 が付いていないことなど、文法的に不自然だと思える箇所を指摘したらしい。

 ただ、自分の説明が充分だったかどうかあまり自信がないので、私の意見を聞かせて欲しいと言った。

 私の意見で役に立つなら喜んで聞かせたかったが、私はこの本を持っていない。

 そのことを告げると、ノビタは、英語での会話の部分はとても短いので、そのページをスキャナーで読み取って、私のパソコンにメールで送ると言った。


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 空前の大ベストセラー小説「ノルウェイの森」の中に含まれる「英語での会話場面」は、以下の通りである。

 この部分以外に、英語で書かれた箇所はないらしい。


 『 前と同じスチュワーデスがやってきて、僕の隣りに腰を下ろし、もう大丈夫かと訊ねた。

 「大丈夫です、ありがとう。ちょっと哀しくなっただけだから

 ( It's all right now, thank you. I only felt lonely, you know. )」と僕は言って微笑んだ。

 「 Well, I feel same way, same thing, once in a while. I know what you mean. (そういうこと私にもときどきありますよ。よくわかります)」彼女はそう言って首を振り、席から立ちあがってとても素敵な笑顔を僕に向けてくれた 』


 たしかに、英語としては不自然な会話である。

 ただ、私はこの小説を読んでいないので、この会話の前にどのような状況や展開があるのかを知らない。

 作者の村上氏は、何かの理由があってこのような奇妙な英文にしたのかもしれない。

 たとえばこれは、ノルウェイの国内線旅客機の中が舞台で、スチュワーデスと主人公はカタコトの英語しかしゃべれない、という設定かもしれない。



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 ともあれ、あくまでこの部分だけに限定して意見を述べさせていただくなら、やはり非常にギクシャクした英語である。

 まず、最初の「 It's all right now, thank you. 」だが、明らかにこれは、英語の初学者などにありがちな「主語の取り違い」の典型的な例である。

 この英文は、「例の件はすっかり片が付いたから、もう心配はいらない」というニュアンスである。

 英語で「 It's all right. 」 と言う場合の「 It 」は、「状況」や「今、目の前で起きていること」や「特定の事項」などを指す。

 つまり、誰かに「大丈夫か?」と聞かれて、このように答える人はいないだろうということだ。

 主人公が「大丈夫です」と言っているのは、自分自身のことだから、主語は「 I (私)」のはずである。

 したがってこの言葉は、「 I'm all right. 」や「 I'm fine. 」「 I'm okay. 」とすべきである。

 

 なお、日本語では「主語」はしばしば省略されるし、それで特に問題が起こることもないが、英語では、会話であれ文章であれ、一定の条件を満たす場合を除いて、主語や目的語が省略されることはない。

 これが日本語と英語のもっとも大きな違いである。

 わかりやすい例を挙げれば、日本語では「愛してるよ」と言えば想いは伝わるだろうが、英語では、やはり主語と目的語を省かずに「 I love you. 」と言う必要がある。

 単に「 Love you. 」と言うこともできるが、これは歌の歌詞などで耳にすることはあっても、一般的にはあまり聞かない言い方である。


 次に、「 I feel same way, same thing, once in a while. 」という部分だが、かなりたどたどしい英語である。

 「 same 」にはもちろん定冠詞の「 the 」が必要である。なぜなら、それが英語のルールだからだ。ルールは守らなければいけない。

 たとえば、「私も同じです」という意味で「 Same here. 」と、定冠詞を付けずに言う場合もあるが、これは一種の慣用句であり、通常は「 same 」には必ず「 the 」を付ける。

 なお、「 same way, same thing, 」と同じ趣旨のことが繰り返されているが、このような言い方は、とても子供っぽく聞こえる。

 また、「 I feel same way 」というセリフは、このスチュワーデスが、何かの理由で主人公の心の動きを完全に理解しており、そのうえで自分もまったくあなたと同じように感じると言っているようにも受け取れるので、少々奇怪な印象を受ける。


 以上、「ノルウェイの森」に出てくる英文を読んで私が勝手に感じたことを書かせていただいたが、いずれはノーベル文学賞を受賞されるかもしれないといわれる大作家が、いったいどのような意図でこのような不自然な英文を添えられたのか、そもそもそれこそが、私にとっては最大の謎である。

 あるいは、私のような凡人には理解の及ばない何か哲学的な意味のようなものが、この部分には込められているのだろうか。


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 ノーベル文学賞は、作家の特定の作品に対してではなく、いくつかの著作を総合的に評価したうえで決められる。

 日本の作家に関しては、選考員たちは英訳された作品を読むのが通例だが、では「ノルウェイの森」の「英会話」の部分は、はたして英訳本ではどのようなっているのだろうかと思い、私は大学の図書館で「 Norwegian Wood 」を探し、そのページをコピーしてもらった。

 

 元ハーバード大学教授 Jay Rubin 氏の英訳による「ノルウェイの森」では、英語での会話部分は以下のように変えられていた。


 The stewardess came to check on me again. This time she sat next to me

and asked if I was all right.

 "I'm fine, thanks," I said with a smile. "Just feeling kind of blue."

 "I know what you mean," she said. "It happens to me, too, every once in

a while."

 She stood and gave me a lovely smile.


 ご覧のように、たどたどしさや子供っぽさが消え失せ、完全に自然な英語に書き変えられている。

 さすがに、問題の多い原文をそのまま使うわけにはいかなかったようである。

 

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 これまでに三百人以上のノーベル賞受賞者を出しているアメリカ合衆国では、ノーベル賞に対する国民の関心はそれほど高くないが、我が国では、まさに国家的な一大事として受け止められている感がある。

 ただ、村上氏ご本人は、ノーベル文学賞というものにさほど関心をお持ちではないらしい、という話はときどき耳にする。



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 ノーベル文学賞をすでに受賞されている日本人作家として思い浮かぶのは、川端康成氏と大江健三郎氏だが、選考員たちは、やはり英訳された作品群を読んだはずである。

 

 川端康成氏の代表作といえば「雪国」であり、この小説は、日本文学史上もっとも有名な書き出しで始まる。

 つまり、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という一節である。

 我々日本人には、この文章の素晴らしさが理解できる。簡潔でありながら、非常に味わいがある。

 暗いトンネルを抜け出たあとに、白く美しい景色が目の前に広がる様子も思い浮かぶ。


 では、ノーベル文学賞の選考員たちも、やはりこの見事な書き出しに感銘を受けたのだろうか。

 私は、日本文学の研究や翻訳に多大な業績を残された E.G.Seidensticker (サイデンスティッカー)氏が翻訳された「雪国」の英語版を持っている。

 タイトルは「 Snow Country 」である。そして、「 Snow Country 」の書き出しは、次のようになっている。


 「 The train came out of the long tunnel into the snow country. 」


 この英文を「逆翻訳」して日本語に直すと、以下のようになる。


 「列車は長いトンネルを出て雪国へ入ってきた」


 原文とは似ても似つかぬ変わりようである。

 サイデンスティッカー氏は、「主語」のない原文を英訳するにあたって、「列車」を主語にされたわけである。

 もちろん、英文としての体裁を整えるために、あるいは英語としての要件を満たすために、そうする必要があったからだ。



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 なお、この英文で、原文にある「国境」がなぜか省略されているが、その理由は私にはわからない。おそらく、原文のような締まりのあるセンテンスにするためだったのだろう。

 この「国境」を、「こっきょう」と読むのか、あるいは「くにざかい」が正しいのか、いまだにはっきりしたことはわかっていないようだが、私が何かの雑誌で読んだ話では、作者の川端氏は「くにざかい」のつもりでこの二文字を書いたらしい、とのことだった。

 たしかに「こっきょう」という言葉には、国家と国家の境界線という響きがあるのは事実である。

 川端氏は、「県境(けんざかい)」というぐらいのつもりで「国境(くにざかい)」と書いたのかもしれない。


                                         (終わり)

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 追記: どうでもいい余談 


 私は村上春樹氏が嫌いである。非常に個人的な、馬鹿げた理由で嫌っている。

 もう何年も前のことだが、若い女性3人と一緒に、4人でカレー屋「 CoCo 一番」に入ったときのことだ。

 私が、カレーを食べる前にスプーンをコップの水に浸したところ、一人の女性が「いやだぁ、そんなことしないほうがいいわよ」と言った。

 彼女いわく、村上春樹氏が、自分の本の中で、カレーのスプーンを水につける人間は嫌いだと書いているらしかった。

 別の女性も、何かの本でそんなことを読んだことがあるとのことだった。

 私は彼女たちに、いったいなぜ村上氏はスプーンを水につける人間が嫌いなのか、その理由をたずねてみたが、理由はわからないらしかった。

 ただ単に、そういうことをするヤカラを嫌っているだけのようである。

 私は、ご飯がスプーンにべったり付くのがいやでそうしていただけだが、他人から見れば「お下品」に思えるのかもしれなかった。

 しかし、路上にツバを吐いたり、タバコの吸い殻を投げ捨てたりするのとは、まったく次元が違う。

 まして、誰かに迷惑をかける反社会的な行為だとも思えなかった。

 少なくとも私には私なりの理由があってそうしていただけであり、人からあれこれ言われる筋合いのものではないと思った。

 日本文壇を代表する大作家である村上氏であれば、カレーのスプーンを水に浸すという行動の裏にある単純な心理的メカニズムぐらいは理解できそうなものである。

 それなのに、わざわざ自分の本に、そんなくだらないことを書いているのか。

 人間の不快な行動についてなら、他に書くことはたくさんあるだろうに、まさに大きなお世話だと思った。

 以上、実にくだらない理由で、私は村上春樹氏のことをこころよく思っていない。


                                         (終わり)

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