2010-05-16 08:11:39

日本を愛すればこそのメッセージ、「日本人の覚悟」

テーマ:日本を愛した外国人

中国人とどんなに仲良くなっても、彼らに台湾という「国」の話をすると、彼らは「中華民国」や「台湾」という「国」ではなく兄弟のいる「地方」だと言い、一方で蒋介石は中国本土から多くの財宝を持って逃げたずるい漢奸だと批判し、こちらの言い分には耳を傾けてくれません。


第二次大戦前後に日本が深く関わった、南朝鮮(韓国)、台湾、タイ、シンガポールが、戦後にアジア圏の中でいち早く契税成長を果たしたのに対し、白人社会に牛耳られてしまった中国、北朝鮮、インド、フィリピンなどでは政体の影響が大きいものの、経済成長が遅れたことは事実として認められるでしょう。


日本沿岸のこうした国々が反日を内政のカードにしている一方で、台湾、タイ、シンガポールが親日でいてくれることは、それぞれの国に同じように対応していた日本の立場を、合理的に判断してもらえる証左となります。



アラフィーオヤジの起業・夢追いセレナーデ-馬英九

さて、親日国である台湾と日本との間を良好に結びつける人の代表者に金美齢さんがいます。今日は金さんの著書「日本人の覚悟」を取り上げます。本書の大半を占める、台湾の中国からの独立を謳う金さんの願いは、2008 5月20 、第12中華民国総統 馬英九氏が当選したことでその願いが当面霧散したためか、20099月、日本への帰化申請をして日本へ帰化されました。


<馬英九 - Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E8%8B%B1%E4%B9%9D


2007年に刊行された本書は、当初、親日家の台湾人であった金さんの日本人への暑いメッセージでしたが、昨年台湾系日本人となった金そのものの信条となったわけですね。そんな金さんのメッセージであり信条は、本書を見てもらえればわかりますが、その中の一節を引用します。



アラフィーオヤジの起業・夢追いセレナーデ-金美齢

34)「愛国心」についてひと言

・・・肉親愛が、日常の喜怒哀楽を共にする家族・家庭全体への愛情へと拡がるのはきわめて自然である。やがてそれは、自分たちの毎日の命の営みを支える生活環境・地域社会への親しみへと容易に拡大していく。


自分が生まれ育った村や町が理屈抜きで好ましく感じられ、故郷の山や川は何ら特別の、訳もなく懐かしい存在となっていく。初めて字を覚えた学校、一緒に遊んだ幼馴染み、踊り興じたお祭りの日の賑わい、優しかった市場のおばさん、そしてあの初恋の・・・。一つ一つの思い出が、やがて年を経るにしたがって、「郷土愛」とも言うべき一つの素朴な、しかし揺るぎなき感情に包摂されていくのだ。


そしてある日、人々の生活を脅かす非常の事態に際会したとき、永年静かに堆積されてきた郷土愛が熱く燃える愛国心へと昇華するのは少しも不思議ではない。愛するものを護りたいとする人間の本能的感情の発露である。「愛国心」とはそれ以上でもそれ以下でもない。不当に貶められてはならないし、法外に誇張されるべきではない。





日本では、「愛国心」は永年不当に貶められて口だが、「私には愛国心などない」と胸を張って言う人がときどきいる。カッコいいつもりのポーズならともかく、本気で言っているのなら、そういう人とはあまり付き合いたいとは思わない。「愛情本能」を司る脳組織のどこかに欠陥があると思われるからである。




以前の話だが、土曜日朝の日テレの番組「ウィーク・アップ」で、何らかの議論の遣り取りの際、出演者の一人が福島瑞穂氏に「あなたケッコウ愛国者じゃないですか」と茶々を入れたところ、彼女はあわてて手を振って「そんなことはない」と強く否定した。


本来なら福島氏は、「もちろんよ。あなたいまごろ気が付いたの?」と応じるべきだったのではあるまいか。もし社民党が体制に反対するあまり、自国や同胞への愛情まで否定するのであれば、それは古諺(こげん)のいう「産湯と一緒に赤子も流す」の譬えと同じ愚行である。


日本人の覚悟 (WAC BUNKO)/金 美齢

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2010-05-10 04:10:50

幕末の日本人の気概と品格を賞賛した外国人

テーマ:日本を愛した外国人

昨夜の「龍馬伝」で長英戦争、下関戦争が描かれていました。ドラマ後の解説で、英国駐日公使館の通訳見習として戦場を見たアーネスト・サトウが、惨敗した長州藩の健闘ぶりを評価し、日本人が好きになったと述べていることが紹介されていましたね。


「サトウ」というラストネームに、この時代に早くもハーフの外交官がいたのかと思ってチェックしてみると、「1843年、スウェーデン 人を父、イギリス人を母としてロンドン で生まれた」生粋のヨーロッパ人でした。ウィキペディアには次のように解説されています。



アラフィーオヤジの起業・夢追いセレナーデ-アーネスト・サトウ

「サトウ」という姓はスラヴ 系の希少姓で、当時スウェーデン領生まれドイツ系人だった父の姓であり、もともと日本と関係はなかったが、親日 家のサトウはこれに漢字を当てて「薩道」または「佐藤」という日本名を名乗った。本人も自らの姓が日本人に親しみやすいものだったため、大きなメリットになったと言っていたらしい。


そんなこともあってか、彼の日本滞在は1862年から1883年(一時帰国を含む)と、駐日公使としての1895年から1900年までの間を併せると、計25年間であったそうで、「私生活は法的には生涯独身であったが、明治中期の日本滞在時に武田兼を内妻とし3人の子を設けた。


兼(カネ)とは入籍しなかったものの子供らは認知し経済的援助を与えており、特に次男の武田久吉 をロンドンに呼び寄せ植物学者として育て上げた」そうです。


アーネストサトウ - Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%88%E3%82%A6





一方、連日取り上げている日下公人さんと高山正之さんの共著「日本はどれだけいい国か」で、ペリーの来航から7年後の1860年、日本からの旅立った初の外交使節団「万延元年遣米使節」が訪れたアメリカで、彼らを見た詩人ウォルト・ホイットマンが捧げた次の詩が紹介されています。



アラフィーオヤジの起業・夢追いセレナーデ-ウォルト・ホイットマン

遥かなる西の海原越えてから日本から


礼儀多々しく、日焼けした二本差しの使節たち


無蓋の四輪馬車にもたれて、ああ使節は威風堂々


今日、マンハッタンを駆けていく


自由な民よ


わが心他人は知らねど


日本からの貴公子が行列の中に


また、付き人が殿をつとめ進みゆく姿に


私は歌いたい


その自由の民のために


(佐渡谷重信『アメリカ精神と近代日本』




ウォルトホイットマン - Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%82%A4%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%B3


一外交官の見た明治維新〈上〉 (岩波文庫)/アーネスト サトウ

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2010-05-05 11:59:04

「緑の日」と「核」と「イラン」~大切にしたい、それぞれの視点~

テーマ:日本を愛した外国人

昨日は「みどりの日」。もともとは昭和天皇の誕生日(4/29)がその崩御に伴う改定によって、「昭和天皇は植物に造詣が深く、自然をこよなく愛したことから『緑』にちなんだ名がふさわしい」という主旨の意見をもとにこの日が決められたといいます。金美麗さんはそんな日本の天皇について、その著書「日本人の覚悟」(2007年)で次のように述べています。


昨年(2005年)1223日、「皇室典範を考える札幌の集い」にて「民主社会における聖と俗外国人から見た皇室のすばらしさ」を題に話をした。歴史の浅い神話のない国、台湾の人間である私にとって、2666年の歴史を背景に万世一系の天皇を頂く日本人はじつに幸せだと思うのである。


一方、一昨日からイランや北朝鮮の核開発で揺らぐ核不拡散体制の立て直しを協議するために、米ニューヨークの国連本部で開幕したのが核拡散防止条約(NPT)の再検討会議。この会議で当のイランのアフマディネジャド大統領は、「これまでに核軍縮や核不拡散は達成されず、新たに核爆弾を保有した国もある」と述べ、唯一の核使用国であるアメリカを非難し、NPT改革案を提示しました。


イランと言えば、今やアメリカから「悪の枢軸(axis of evil)」と名指しされ、イスラム圏での代表的な危険な国家というイメージが定着していますが、これはあくまでも欧米白人社会の認識によって形成された情報であることも考慮しておかなければなりませんね。少なくとも、昭和天皇は王政を布いていたイラン帝国(パーレビ朝)当時には好感と関心を寄せておられたといいます。


このイランが、かつて1935年まではペルシャと呼ばれていた、日本と同じく約2600年前に建国された王国であったことを思い起こされる方はあまり多くないのではないのでしょうか。そんなペルシャと日本の関係について、これまで取り上げてきた日下公人さんと高山正之さんの共著「日本はどれだけいい国か」で次のように述べています。


ギリシャでもローマでも、ペルシャを倒すことが当時の覇権国に躍り出る道だった。紀元前478年、サラミス海戦後にアテナイを中心にエーゲ海諸島と沿岸諸都市がペルシャの来寇に備えて結んだデロス同盟は、まさにアテナイの覇権確立につながったものですね。


アレキサンダー大王も、ペルシャ王ダレイオス三世の軍を破ってペルシャ、シリア、エジプトを征服し、そこからインドに攻め入ってバビロンに凱旋している。この大王によってギリシャ文化が東方に伝播したわけですが、彼らはそもそも前559年のアケメネス朝のキュロス二世がペルシャを建国し、オリエント世界の統一に成功して以来、世界史上で自らがその巨大な存在の一つだったということに、日本人には想像もつかないような強烈な自負心を持っている。


それが、たとえば日本の戦った日露戦争やその後の大東亜戦争なども同質に見るところがあって、西欧キリスト教白人文明に屈しなかったという“共感”にも通じている。日露戦争当時、英国、ロシアに牛耳られていたペルシャは、日本勝利の報に接すると、「日本のように強く、日本のように独立を全うするために日本と手を取らねばならない」と新聞が書き立て、やがてレザー・シャー(後に国王)が登場してイスラム国家から共和国に衣替えを急ぐことになりました。



アラフィーオヤジの起業・夢追いセレナーデ-モハメド・レザ・パーレビ

その息子のモハメド・レザ・パーレビは1941年に国王に即位、1963年にイランの近代化、脱イスラム化を図る「白色革命」に着手しましたが、その目標の一つが「西の日本たれ」でした。もっともこれは、貧富の差への不満や宗教改革に対するイスラム教徒の恨みを生じさせ、イラン全土に反国王のデモが広がって、1979年、ホメイニ師のイラン・イスラム革命で国を終われましたが、1935年にペルシャからイランに国号を改称し、独立のための近代化を志向させた一因に日本の日露戦争勝利があったのは間違いない。


イランはサウジアラビア アラブ首長国連邦 に続いて三番目に大きな日本への石油供給国。もう石油の時代ではないという方もおられるかもしれませんが、その石油を通して中東諸国と良好な関係を築き上げてきたのも事実です。


一昨日取り上げた欧米中心主義の人権問題、そして核保有国の論理で牛耳られるこの核問題の視点に惑わされることなく、日本はこれまで築き上げてきた諸外国との関係のバランスを保ちながら、新たな全方位外交に新たな展開を示すべきときにきているのではないでしょうか。


イランと日本の関係 - Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%81%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%96%A2%E4%BF%82


中東諸国やアフリカには、これまで日本という国に、白人に対する有色人種のプライドを鼓舞したことを評価する国々が少なくありません。日本は、戦後の復興期を通して日米同盟、「核の傘下」で米国の論理の中で動いてきたために、こうした国々の期待を何度なく裏切ってきた背景もあります。


<トルコ人が日本人に返した恩義~和歌山県大島村の人々と山田寅次郎の行動~>

http://ameblo.jp/asongotoh/day-20090429.html


昨日沖縄入りした鳩山首相が抱える普天間移設問題の核心は、日本の防衛問題。県外、国外移設の議論の先にあるのは、日米同盟の発展的解消、憲法改正による日本自身による防衛力強化体制の確立であるはずです。この問題を環境問題にすり替えている福島党首は、国家の存在を否定する社会主義インターナショナル 副議長でもありますから、くれぐれもこの人の発言に右往左往することなかれ。


日本はどれほどいい国か/日下 公人

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