スターウォーズ

「スター・ウォーズ」シリーズの新3部作「エピソード2/クローンの攻撃」と「エピソード3/シスの復讐」の間に位置する"クローン戦争"を描いた長編3Dアニメーションが今夏公開されるということで話題になっていますね。が、映画好きの私はこのシリーズは全く見たこともありません。なぜか興味が沸きませんが、ジョージ・ルーカス が、故黒沢明監督や日本の文化や侍をリスペクトし、本シリーズに登場する機械や建物に歴史感、生活感のある「汚れ(ウェザリング )」がほどこされて、徹底してたアリティーを追求していること位は知っています。黒澤明 さんも「この映画は汚れがいいね」と評価したとか。



YODA

さて、本シリーズに登場するヨーダ(Yoda)。身長わずか66cmジェダイ・マスター で、銀河唯一の存在であるグランド・マスターの称号を持ち、生ける伝説と称される人物。しわをたくわえた緑色の肌、質素な服と杖を持つ、老人の姿をしている架空 の生物(エイリアン )。このヨーダに二人の日本人のモデルがいるという説が、ジョージ・ルーカス は否定していますが、長らく語られていますね。今日はこの二人のヨーダ、依田さんを取り上げたいと思います。


まずは、溝口健二 監督のほとんどの脚本を手がけた大阪芸術大学 元映像学科長の故依田義賢 さん。ルーカスが溝口健二監督のファンであり、ルーカスからヨーダのぬいぐるみが依田義賢氏に届けられたという話があること、ルーカスは「あなたの耳は面白い形をしている」と依田教授に言ったこと、「ヨーダのモデルはあなたですか?」の問いに依田教授が笑って答えを返さなかったことなどがその論拠として挙げられています。


また、イギリスの映画評論家トニー・レインズは、「日本の脚本家・依田義賢が、ヨーダのモデルである」と発言している。さらに、「依田がサンフランシスコ のフィルムアーカイブで講演した際に、フランシス・F・コッポラ が聴講しルーカスに紹介したのが、依田とルーカスとの出会いである」としている。この件に関しては、ルーカスも認めているとレインズは語っている。つまりこの講演会がルーカスと依田を結び付けたというのだ。この講演会については、依田の実の息子であり現大阪芸術大学芸術学部教養課程主任教授である依田義右も、その事実を認めているという話。(ウィキペディア)


依田義賢

依田 義賢(よだよしかた、1909 4月14 - 1991 11月14 )は、「日本の脚本家 である。溝口健二 監督の最盛期の作品で知られ、後年は大阪芸術大学 映像学科教授を歴任した。1909 (明治42年)4月14 、京都市に生まれる。京都市立第二商業学校(のちの京都市立西陣商業高等学校 、現在廃校)を卒業する。はじめ銀行に勤めるが、1930 (昭和5年)日活 太秦撮影所 脚本部に入り、翌1931 (昭和6年)、村田実 監督のサイレント映画 『海のない港』で、22歳で脚本家デビューした」。


1936 (昭和11年)、永田雅一 第一映画 に移籍し、溝口健二監督の『浪華悲歌』で高い評価を受ける。同作は依田の初めてのトーキーであった。以後、主として溝口のために多くの脚本を手がけ、代表的なものに『残菊物語 』(村松梢風 原作)、『西鶴一代女 』、『雨月物語 』などがある。晩年は熊井啓 の脚本を書いた。また、著作には詩集もある。1991 (平成3年)11月14 に死去した。82歳没」。


そしてもう一人の依田さんが元エイベックス 元会長の依田巽さん。1977 依田が付き合っていたロスアンゼルス の大手ステレオ店の店長の従姉妹が、「スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲 」の制作陣でキャラクター 設定にかかわっていた。彼女が「ヨダという名前のキャラクター スター・ウォーズ に使ってみては」と提案し、ヨーダ という名前はそのままで、キャラクターの顔も、依田の顔に似せて制作され、ヨーダ の原型になったという噂。この点について、ご本人が次のように語っています。


「僕は1975年から4年間、ロス・アンゼルスで山水電気(音響機器メーカー)の支店長をやっていたんです、自分の足でお店を回って営業やってたんですよ、それでお店のオーナーともたくさん友達になって。そんな一軒にユニバーシティ・ステレオというオーディオ店があって、そこの副社長のガールフレンドがとてもチャーミングな女性なんですが、YODAYODAと僕を呼んでみんなで仲良く遊んでいたんですよ」。


「そして、ディーラー招待で彼らが東京に来た時にね、彼女がみんなの前で、“今度「スター・ウォーズ」の配役で、絶対にわたしはYODAを勧めるわ、見ていてごらんなさん、必ずYODAが出てくるから”と。それで’80年の暮れに『帝国の逆襲』が公開された時に、みんな“ああ、まさしくYODAだ”と。僕は向こうの人たちにはトム・ヨーダと呼ばれていましたし、当時は笑うと、確かにああいう顔をしていましたしね」(「熱狂の仕掛け人」(湯川れい子著)


依田巽

依田 巽(よだたつみ、Tom Yoda1940 5月27 -)は、「日本 実業家 で、ドリーミュージック 代表取締役会長、エイベックス 元会長。元日本レコード協会 RIAJ)会長、元音楽産業・文化振興財団 理事長。業界、政界や海外への強い影響力を持っていることから『音楽業界のビル・ゲイツ 』とも呼ばれる。エイベックスの同じく創業者である松浦勝人 との経営方針の確執が深刻化、200483日付けで会長兼社長を辞任。同日、日本レコード協会の会長も辞任し、エイベックス名誉会長に(2004年中に退任)。六本木・ベルファーレ の出資者」。(ウィキペディア)


それにしても、お二人ともYODAに似ています。ルーカス本人がきっぱり否定しても、故なき噂とは言えないところがおもしろいですね。