ロレックス(Rolex)、成功した人々が身につける時計の象徴ですね。貴金属や時計に全く門外漢の私は単にスイスの名品だと思っていましたが、厳密にはドイツ人がロンドンで創設した会社だったんですね。今はスイス・ジュネーブが本社。世界に28支社。100カ国に4000人の時計職人がいるそうです。売上は2003年度で$3 Billionといいますから、今日の為替115円で計算すると、約3,450億円。

もう少し詳しく知りたいと思いホームページを覗いてみると、芝生の上に乗った美しいフォルムの「オイスター・パーペチュアル」のデイデイトが、見事にリアルタイムを刻んでいました。しかし、会社に関わることは、商品や技術的なこと以外に詳らかにされていません。これでは記事にならないと、ネットで探してみるとやっと、「JACKROAD(http://www.rakuten.ne.jp/gold/jackroad/rolex_sp/ )に「アンティークロレックスの魅力」というサイトを発見しました。


ロレックス

1905年、ロレックスの創始者であるハンス・ウィルスドルフがロンドンにウィルスドルフ&デイビス社を設立する。当時まだ主流ではなかった腕時計に目をつけた彼は、小型で高精度のムーブメントを使用した腕時計を販売し、世界市場で広める為にどの国でも発音しやすいロレックスというブランド名を付けた。

時計の世界でも上を見るときりがなく、王侯貴族の為の宝飾時計や複雑時計となると、これはもう芸術品の世界。しかし、あくまでもロレックスが目指したのは実用性の高い腕時計であった。特に注力したのが、耐久性を考えたスペックと高い精度のムーブメントの開発。時計にとって永遠のテーマとも言える課題に真っ向から、そして最も早く立ち向かったのがロレックスだったのだ。

その後、水や埃に対する耐性を高める為に、完全防水のオイスターケースとネジ込み式リューズが開発され1926年ロレックス社はパテントを取得した。またリューズのネジ込み忘れによる水の浸入を防ぐ為、リューズを出来るだけ操作しなくても、腕のわずかな動きで作動する自動巻き機構パーペチュアルを開発する。

このオイスターケースとパーペチュアルを軸として1953年世界初のダイバーズウォッチとなるサブマリーナ を発表。同じ年に探検家用の腕時計エクスプローラー 、翌年に空の男たちに向けてGMTスター が発表される。この他カレンダー付きの時計でもロレックスは先駆者的な役割を果たしたと言えるだろう。


ロレックス本社工場

このサイトによると、ロレックスは次の三つの発明がロレックスたらしめているということです。

11926 オイスター発明;ねじ込み式リューズを採用し世界初の完全防水時計を完成。

オイスターとは牡蠣の意味。牡蠣の殻のように中身をしっかり保護するという意味で命名された。防水性の最大の弱点はリューズであるが、金属を削り出したケースにねじ込み式のリューズを採用し、完全な防水性を確保した。

21931 パーペチュアル発明;ローターが360度回転する世界初の自動巻き機構を開発。

世界初の全回転式ローターを採用した画期的な自動巻き機構。実は、ねじ込み式リューズを採用したオイスターケースにとって、ねじを解除しないでも済む自動巻き機構の開発は、ケースの気密性の面でも不可欠であった。

31945 デイトジャスト発明;窓に表示された日付が瞬時に変わる画期的な機構を発表

窓で表示された日付が瞬時に変わる機構がデイトジャスト。現在では常識になっているが、当時としてみればまさに画期的であった。12時近くになるとゆっくり動き出し、12時に日付が変わる。厳密に言えば「瞬時」ではなかった。


ロレックス日本支社

一方、日本支社に関しては出典は忘れましたが、次の記事がありました。



()ワールドフォトプレス社刊「ロレックスファンVol.3」によると日本での本格的な歴史は昭和30年に始まった。ジュネーブのロレックス本社が技術者を派遣し、東京・丸の内の三越仲11号館に「ロレックス・サービス」を開設。その後、昭和37年に大阪、同39年に名古屋にもサービス網を拡大した。 


昭和55年には日本ロレックス()が設立。それまで日本におけるロレックスの総輸入代理店だったリーベルマン社とジュネーブ本社との共同出資で誕生した。現在は東京本社を含め全国7カ所に拠点があり、オーバーホールなどを受け付けている。


ハンス・ウィルスドルフ

ハンス・ウィスドルフについては、「唯我独楽」(http://www.eonet.ne.jp/~hatai/index.html )に次の年表がありました。

1881;ロレックス創設者 ハンス・ウィルスドルフがドイツで生まれる。彼は成長して、スイスの貿易会社に入社し、時計の有能なセールスマンとなる。

1905;ロレックスの前身である『ウィルスドルフ&デイビス社』を、時計輸入販売会社として創業。

1908;懐中時計が当時の主流の時、これからは腕時計の時代と考え、「ロレックス」ブランドを誕生させ、紳士用腕時計に集中した事業を展開します。ROLEXのロゴは、英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語など、どこの国の言葉でも同じ発音になるようにと作った造語だといいます。

1912社名を「ロレックス」と変更。

1927;イギリス人の女性記者メルセデス・グライツがドーバー海峡を泳いで横断した年です。ドーバー海峡を泳ぎ切ったあとも、ロレックスオイスタークッションは正確に時を刻んでおり、ここからロレックスの伝説が始まったといえます。 この歴史的瞬間の写真は、翌日の新聞紙上に掲載され、町の宝石店では金魚鉢に吊るされたロレックスが陳列されることになります。この時ロレックス社は、マスコミに対して「彼女の腕にオイスターケースを着け防水テストする」と事前発表をしています。

1935;時速491.6kmで自動車レース世界最高速度記録したマルコム・キャンベル卿の腕にロレクスの腕時計がはめられていた。

1940;3時位置に窓を設けて日付を表示するデイト機構を発表。 ここにロレックスが開発し、時計界の世界標準となる完全防水・自動巻・3時窓日付表示が完成したのです。

1947;チャック・イェーガー(当時24歳)がオイスターパーペチュアルを腕にはめ音速の壁を超えた。

1952;ハンス・ウィルスドルフ再婚。

1953;ジョン・ハント卿にひきいられた英国エベレスト登山隊が、エベレスト初登頂に成功した。この時、登山隊員テンジンの腕にはめられていた時計がロレックスであった。それまでにも、ヒマラヤ連峰のエベレストや他の山々への遠征登山の装備としてロレックス社の時計が選ばれています。

1960;バリスカーフ深海潜水艇「トリエステ」号の外側に取り付けられた、特別製のオイスターは世界新記録の深海1908mを樹立した。ちなみに深海1万メートルでは1m平方あたり1トンの圧力にもなる。

1960;ハンス・ウィルスドルフ死去。亨年80歳。

さて、前置きが長くなりましたが、五十棲剛史さんが著書「『正義の経営』で10倍儲ける方法」の中で注目しているのは、ロレックス社の経営陣に日本のマスメディアの記者が、正規の価格でも品薄なロレックスはもっとマーケットのニーズに応えて製造したらどうかと質問したときにその経営陣が応えた次のコメントです。

「われわれは企業経営を長い目で見ている。一時的なブームに乗りすぎると、逆にその後の収益も悪化する。それだけならまだましだが、世間では使われなくなった当社の商品が大量のゴミと化す、環境面でもマイナスのほうが大きい。売れるとわかっていても、あえて必要以上に生産しないのはそのためだ」。

ここに長期的な企業経営、技術への圧倒的なこだわり、限定販売によるブランディングの真髄を見るのです。これが「正義の経営」の真骨頂なのでしょう。