「まち育て塾」の塾生となったこともあって、最近関連の本を読んだり、ドキュメント観る機会が多くなりました。そんな折、長崎県で旧刑務所が解体され始めたものの、一部でも保存しようという運動が起きているということをFMの朝の番組で聞きました。


旧長崎刑務所

それは2007年で竣工してちょうど100年になる大規模な煉瓦建築群であり、長崎県諌早市にある旧長崎刑務所の解体工事。既に818日から始まっていますが、831日に「旧長崎刑務所の保存と活用を考える市民フォーラム」が行われました。この建物は「明治の五大監獄」の一つに数えられますが、15年間荒廃した廃墟になっていて、今は民間企業の手に移っています。

この五大監獄については次のような解説があります。


「明治期に欧米の刑務所を参考にした、近代的な刑務所が全国5か所に作られました。いずれも山下啓次郎(山下洋輔の祖父!)という建築家が設計をしたもので、千葉、金沢、奈良、長崎、鹿児島に作られ明治の五大監獄といわれています。その五大監獄も現存するのは奈良少年刑務所と千葉刑務所の2か所だけで、金沢と鹿児島は解体されてしまっており門などの一部が保存されているだけです」。


「九州においてはこの長崎刑務所が唯一現存する五大監獄の一つになるわけで、近代刑務所としての歴史的価値はとても高いものではないでしょうか。煉瓦建物や近代建築としてみても、これほどのものはそうはありません。今までに文化財などに指定されなかったのが不思議です」。(「九州ヘリテージ」)http://blog.kyushu-heritage.jp


伝統建築の解体についての議論はよく耳にしますが、とりわけ日本では耐久性という点と再開発の観点からスクラップ&ビルドが行われ続けていました。本件については、周辺住民の意見も分かれているようで、「監獄」というイメージに反感を持つ方々もいるそうです。その他の四大監獄は現在どうなっているのでしょうか?

「これらのうちほぼ当時の状態で現役なのが奈良、門や一部の建物は残っているが房舎(つまり牢屋)は建て替えられたのが千葉です。金沢は解体されて建物の一部は愛知県の明治村に移築されました。鹿児島も解体されましたが正門のみ記念として現地に残されています」。

ちなみにこの五大監獄の設計を一手に引き受けたのが司法省(現・法務省)の技師であった山下啓次郎という人物です。ジャズピアニスト・山下洋輔 さんの祖父でもあります。山下洋輔さんが鹿児島刑務所が解体される前に、その場所でジャズ・ライブをやったことを思い出しました。お爺様の関連で建築関係のフォーラムにも多く出席されています。


アルカトラズ



この監獄を観光スポットにしてりのが、アメリカ合衆国 カリフォルニア州 サンフランシスコ湾 内にある面積0.076km²の断崖の小 で「ロック」、「監獄島」とも呼ばれているアルカトラズ島Alcatraz Island)です。カモメ を始めとした海鳥の生息地として知られ、「アルカトラズ」はスペイン語 の「ペリカン 」を意味する言葉だそうです。


この島には、脱出不可能と言われたアルカトラズ連邦刑務所があり、クリント・イーストウッド主演の「アルカトラズからの脱出 」(ドン・シーゲル監督/1979 )やニコラス・ケージ、ショーン・コネリー主演の「ザ・ロック (マイケル・ベイ監督/1996 )で映画の舞台となっていますのでご存知の方も多いでしょう。


門外漢としてはこの建造物について、解体、保存、移築のどれがいいかなどと語れませんが、こういう議論が解体が始まってから起きるのは何故なんだろうと思ってしまいます。何度も議論が行われたにも関わず、時間切れになったのかもしれません。いずれにしろ、石畳の街である長崎市と同じように諫早市も美しい石橋があります。できれば移築の方向で話がまとまればいいなとは思います。

山下啓次郎(1867 -1931 年)は「明治・大正期の建築家である。東京帝国大学 工科大学(現・東京大学 工学部 )卒業。鹿児島 に生まれる、父は薩摩士族、房親。1876年上京、一高を経て工科大学へ。辰野金吾 のもと、建築を学ぶ。1892年帝国大学工科大学卒業(同期生に伊東忠太 ら)、警視庁入庁、のち司法省に移り営繕を担当。1901年~ 欧米の監獄を視察し、翌年帰国。1930年司法省を辞する」


山下洋輔

1969年、山下洋輔トリオを結成、フリー・フォームのエネルギッシュな演奏でジャズ界に大きな衝撃を与える。その後、和太鼓やオーケストラとの共演など活動の幅を広げる。88年山下洋輔ニューヨーク・トリオを結成。国内のみならず世界各国で演奏活動を展開。世界中のジャズ・ファンから圧倒的な支持を受ける、日本の誇るナンバーワン・ジャズ・ピアニストの一人」。


98年度の芸術選奨文部大臣賞(大衆芸能部門)を受賞。03年の春の褒章で紫綬褒章受章。多数の著書を持つエッセイストとしても知られる。『つきよのおんがくかい』などの絵本もある。著書『ドバラダ門』(新潮文庫、新潮社)で祖父・啓次郎のことを書いている」