2013-08-04 12:25:25

東京に来て10年。日本スポーツビジョン同窓会!

テーマ:JSV時代

僕がサッカー業界に入ったのは2003年7月でした。
そこから10年がたち、東京での生活も10年を迎えました。

サッカー業界に入るきっかけとなったのが日本スポーツビジョン(以下、JSV)という、全国にワールドスポーツプラザ
という名前でスポーツファングッズ専門店を運営していた会社で、僕はその会社のライセンスマーケティング部で海外
サッカークラブや、アメリカの四大スポーツのライセンス管理をしていました。

当時のJSVは確か社員は200人ぐらいいて、すごく勢いのある会社だったのですが、
ライセンス料や在庫過多、さらには日韓W杯後の落ち込みもあり、僕が入社
したころには沈みゆく船というか、沈没寸前でした。
そのため、入社後2ヶ月後には幻冬舎に買収され、さらに6か月後には会社が民事再生申請をし、
ABCマートに買収されてしまったのです。

僕はABCマートに転籍するという選択をせずに、結局1年弱の在籍で起業しましたが、
JSVでの1年は、自分の社会人としての人生を決めるきっかけとなった大きな大きな1年だったし、
ありえないぐらい大きな経験をさせてもらった、今の自分の原点ともいえる職場でした。


そんなJSVで当時(2004年)一緒に働いていたたちが集まっての同窓会が昨日渋谷であり、
参加させてもらいました!


欧州サッカークラブとの仕事を語るブログ-jsv


当時お世話になり、今でもお世話になっている人もいれば、当時は仕事では
社内でも接点がなかったけども、今では取引先になった人いたり、また当時
独立する際に後押ししてくれた上司夫婦もいたりと、ほんとに楽しい時間を
過ごせました。

今日の朝6時の飛行機で鹿児島入りしないといけなかったので、一次会だけしか
参加できなかったですが・・・。もっといたかったなあ~

最近は同じサッカーにも関わらず、本当に自分がやりたいことと、仕事としてやらなけ
ればならないことの乖離がでてきたりと、ちょっといろいろ軌道修正しないといけないか
なあと思っていたタイミングで、10年前の自分の原点の新鮮な気持ちが思い出せてよかったです。

明日からはアーセナルキャンプ鹿児島がんばりまーす

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2007-11-10 19:35:33

懐かしの写真

テーマ:JSV時代

会社でCD-ROMの整理をしていたら、過去の写真を発見。


確か2003年9月にバルセロナオフィシャルショップ

オープンイベントの際に来日したチキのストライカー

のインタビューの写真。



今はなきお台場グランドームの内装が若干わかりますね~。

いいショップやったのに、なくなったのが残念。


この頃はレアルマドリードアジアツアーの商品を販売し

たり、HSB時代の高原選手のユニフォームも展示してた

頃ですね。


バルサのアパレルは02-03のアパレルもあって、懐かしい。

そして自分も若い。。

27歳のときかな。

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2007-04-27 00:07:40

エコパへ!

テーマ:JSV時代

8月3日、バレンシアの選手の通訳をお台場で。

8月3日、FCバルセロナ公開練習の現場仕切り。


この2つの仕事が同時に入ってしまった日は確か7月

中旬頃でした。


本当は、最後の仕事として、お台場での通訳を

こなした上で、JSVの仕事を終えるというのが一番

よかったのですが、8月3日のFCバルセロナ公開練習の

仕切りに関しては、僕以外で現場の仕切りを担当できる

人がゼロでした。


そういう理由から、バレンシアの通訳は、ライセンス部に

いた別の方に託し、JSVを去ることにしました。


突如、スペイン語のできる唯一の人間であった僕がいなく

なったことで、Amazing Labのマルコスは、「みつるが消えた~」

と、えらい困ったらしいです。(後日談)


今では、そのマルコスと一緒に仕事をしているのですから

世の中不思議なものです。


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2007-04-23 23:19:53

体が2つ欲しかった日。

テーマ:JSV時代

ソシオ受付代理店オフィスを開設したのが、2004年6月21日。

JSVを退社したのが、2004年7月30日。


多分、この約40日間がこれまでの人生で一番働いた時期だと

思います。


JSVの仕事を終え退社した後に、ソシオ受付の仕事をなんとか

こなせていたのはJSVの仕事がほとんどなかったからでした。

ただ会社にいただけです。



それが、あるタイミングをきっかけにとんでもないことに巻き込ま

れていくのです。



それは、7月の初旬に入ったある1本の電話でした。

商品部から転送されてきたその電話は、スペインのAmazing

Labという会社のマルコスという人物で、いきなりスペイン語で早

口でまくしたてるのでした。


<マルコス

「我々は、今夏バレンシアCFというチームを日本に連れて行く。

選手を連れて行けるのだけども、お台場のバレンシアショップ

でイベントをやってもらえないか」


<わたし

「お台場にはバレンシアショップはないけど。」


<マルコス

「じゃあ、どれかのショップを1日だけバレンシアショップにし

てくれないか?」


<わたし

「われわれは今民事再生中だから、たぶん無理だと思う。」


<マルコス

「え?そうなの??でもとりあえず聞いてみてくれ。」



普通に考えたら無理な話なのですが、ソシオ受付代理店でうまく

いった直後だったので、なんとかなるかな~と勝手に考えて他

部署を説得することになったのです。


そして、会社でスペイン語を話せるのは僕しかいなかったため

完全に窓口となってしまい抜けられない状態に。。。


そして、最終的には、8月3日にお台場のショップの一つを完全

につぶして、1日バレンシアショップをすることになりました。


まじで~~。選手の通訳やん。めっちゃ楽しみ~と思ったのも

束の間。 8月3日にエコパで開催されるジュビロ対FCバルセロナ

の試合のソシオ限定公開練習の現場の仕切りとして、バルセロナ

から別途要請が入ったのです。。



8月3日、バレンシアの選手の通訳をお台場で。

8月3日、FCバルセロナ公開練習の現場仕切りを。


無理やん。これ。










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2007-04-21 16:42:52

FCバルセロナソシオ受付代理店を始める。

テーマ:JSV時代

FCバルセロナのマークイングラの回答があったのは、メールを

出した翌日。 今でこそ、FCバルセロナの副会長というポジション

がどれほどすごいポジションだということはわかるのですが、

当時はあんまりよくわからず、とりあえず役職が上の人にメール

をだせばなんとかなるだろうというような考え方でした。


イングラからの返信内容は、興味があるので、ソシオ部のトップ

に転送しておいた。彼からの連絡を待てとのことでした。


そしてその直後、ソシオ部のトップから、興味があるので来週中
にバルセロナに来てくれと。


まじでえーーーー。という感じでした。


嬉しさ半分、やばいというのが半分。


というのも、実はその時点ではまだ前職の仕事をフルタイムで
やっていて、いきなり来週から休暇をとってバルセロナへいきます。
というのも、社内的には難しいし・・・。


そして、実は事業計画書を作成して、メールを送ったくせに

自分としては、ソシオ受付代理店というサービスをやりきる

自信と会社を設立してやっていくという自信がありませんでした。


とはいっても、人生で最大のチャンス。


人にはチャンスが平等に訪れ、それをチャンスだと感じられるか

どうかがまず最初の分かれ道で、それをつかむか見逃してしまう

かが2つめの分かれ道だということを何かで読んだことがあった

ので、絶対やってやるという気持ちでした。


これは本当に悩みました。悩む時間なんてほとんどなかったの

ですが、それでもバルセロナに来てくれといわれてからは、一日

中今後の人生のシミュレーションとかしてました。笑


そして、チャンスを掴む上で最初の障害は有給をとることでした。

というのも、FCバルセロナとの契約の話をするので有給ください

とはもちろんいえなかったのです。


ただ、直属の上司は、すでに独立の話を知っていたので、上司

に相談し、あとは部長だけ。



完全に嘘をついて、アメリカとかに行くって言おうかなとも思った

のですが、どうせばれるだろうと考えて、正直に話しました。

結構ひやひやしたのですが、部長自身も自分の身の振り方を

考えていたようですんなりOK。しかも応援までしてくれそうな

勢いでした。笑


そして無事バルセロナに行くことができたのですが、バルセロナ

のソシオ部の担当者は、パシというフィンランド人。口数が少なく

お役所的な雰囲気がする方でした。


ミーティングに入ると、バルセロナ側としては、もうソシオの受付

を日本で行うということは決定していたらしく、条件も含めたすべ

ての内容が書面に落とし込まれていました。


見てみると、サービス開始日が、なんと10日後。


って、無理っす。


なんでも8月には日本でプレシーズンマッチを行う予定で、それ
までにソシオを集めて、彼らがソシオとしてプレシーズンマッチ
を見られるようにしてあげたいと。


さらに、バルセロナとしては、個人と契約できないが、必ず法人
にするという条件で契約しますと。


この時点で、副業でのビジネスを考えていた僕の目論見はいき

なりくずれるのですが、法人にするということをその場で悩んで

しまうと契約できないので、即答。 


僕としては、あのバルセロナが規則を曲げてまで契約をしてくれ

たということが、契約できたことそのものより嬉しかったのです。


正直、バルセロナ側からだされた条件は、相当厳しい条件で、

2週間のテスト期間中にマーケットの見込みがないと判断したら

その時点で契約は延長しないという内容でしたし、ロゴの使用な

どについても相当厳しい縛りがありました。



とはいうものの契約できたことも事実で、ほんと何でもやってみ

ないとわからんなあと思いますね。


無理かどうかなんてトライしないとわからない。トライして
だめなら、リセットしてやり直せばいいだけ。


今、やっている仕事でもこれはちょっと無理かなあ・・・

ということはしょっちゅうあります。


でも、やってみると意外にすんなりいったり、
簡単だと思ったことがてこでも動かなかったり。


言えることは、


とにかくやってみる、ですね。


簡単そうで実は難しい。

チャレンジするってこと。


ということで、10日は無理だけどもなんとか3週間後ならOKです。
と返答し、というか返答させられ、そこから地獄の3週間が続き
ました。


朝8時半におき、通常出勤。19時半に家に帰り、そこからソシオ
受付オフィスの立ち上げ作業。さらに同時に個人事業主の手続き開始。


バルセロナの出張から、ジャパンツアーが終わり、バルサが帰国
するまでの1ヶ月半、睡眠時間は平均4時間ぐらい、それ以外の時間
は“すべて”仕事という状態でした。


その間毎日、東京にいる私と、関西でHPを作っているI氏と
でチャット会議。


スペイン以外ではじめてソシオを募集するということでバル
セロナの方から、細かなチェックが入るし、僕自身が一人で
ビジネスを立ち上げた経験がないために段取りが悪く、時間
ばかりがかかってしまいほんまに間に合うんかなあ・・・と
いう感じでした。


とはいうものの、意外にこういうのって間に合ってしまう
んですよね。


テスト勉強と同じで、やばい!と思ってもぎりぎりで間に合う。笑


2004年6月21日、とうとう日本で初のバルセロナソシオ募集を
開始することになりました。


先着200名は、なんとジャパンツアーで来日するバルセロナの
練習をただで見られるというものでした。


入会受付開始時間は、深夜0:00。


正直、どれぐらいの人が会員になってくれるかはまったくわ
からず、もし30人ぐらいしかはいらなければ、もうそれで
たぶんバルセロナとの仕事も終わってしまうことは火を見る
より明らかでした。


そして、いよいよ深夜0:00。


最初の入会者は、0:02分でした。


実は、入力する項目がとてつもなく多く、まともに
個人情報を入れるだけでも5分ぐらいはかかるかな
と思っていたのでびっくりでした。


それからはクリックするたび、どんどんメールが入り、
募集開始から1時間で、なんと300名ほどがソシオ会員
の応募をしてきたのです。


ほんとめちゃめちゃうれしかったです。


何が嬉しいって、単なる1ファンサイトで、しかも会社と
してやっているわけではなく、個人が運営しているサイト
を信じて応募してくれたこと、自分を信じてくれたバルサ
のスタッフを裏切らなくてすんだこと、さらに、自分で企
画をたて、世の中に発信したことが世の中に受け入れられ
たこと。


この日から2週間で、結局500名強のソシオ会員が集まり
ました。


そして、2004年7月になり、僕のダブルワークが佳境を

迎えることになるのです・・・。









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2007-04-18 14:21:32

民事再生 → 独立準備開始

テーマ:JSV時代

前回、話をしたキャプテン翼プロジェクトですが、

高橋陽一先生に同行してのバルセロナ取材は、2月中旬。

その後、翼Tシャツが発売されたのが3月7日でした。


このときには会社の状態がやばいってことは知っていまし

たが、まさか倒産寸前だとは思いませんでした。


というのも、3月後半にもスペイン、イタリア、ポルトガル、フランス

への出張へ行くことになったからです。


この頃から他部署の仕事の手伝いをするようになってきていま

した。私が所属していたのはライセンスマーケティング部だったの

ですが、商品部の予算での出張だったのです。



みなさん、会社が倒れるときってどんな感じか想像できますか?



よく、自分の会社が倒産したってことをテレビではじめて知ったと

かいうのを聞いたことあったのですが、僕は「またまた~~そんな

わけないやん」と思ってました。 自分が経験するまでは。



3月のヨーロッパ出張から帰ってきた翌日、朝会社にいくとどうも

会社の様子が変でした。


昼を過ぎたあたりに僕が何も知らないことを把握していない同僚から

声をかけられました。


同僚 : 「はま、聞いた?」


僕 : 「え、何を?」


同僚 : 「3時らしいよ」


僕 : 「え、何が」


同僚 : 「リリースでるらしいよ。」


僕 : 「え、何の?」


同僚 : 「え、はま知らなかったの?、民事再生するらしいよ。」


僕 : 「まじ・・・?」



そして、運命の3時。


ニュースリリースと同時に債権者(取引先)からひっきりなしに

電話が・・・。部長からの命令では、「とにかく何も答えるな。す

べて部長にまわせ」と。


今まで仲の良かった取引先からは、「どうして何も教えてくれなか

ったんですか?」「知ってたんでしょ?」とか、いやまさに信用がな

くなるとはこのことやなあと思いましたよ。


さらに上層部から出た指示は、取引先が現物回収に来る可能性

が高いので、店にいって追い返せと。。




民事再生法適用の申請をした3月30日からは、新たにお金の発生する
仕事を進ませることを禁止されました。というのも法律で営業活動を

することを禁止されるのです。


つまり、

仕入れ禁止!


広告禁止!


他社とのタイアップ禁止!


店の営業だけはOK!



そして仕事内容は・・・


ひたすらネットサーフィン。

お茶する。

他の社員と身の振り方の話をする。



などなどでした。


まあ、つまり会社の身売り先が決まるまでは遊べってことでした。
民事再生というのは簡単にいえば、倒産ではなく、債務を帳消し

にして再出発ができるという制度でして、一応雇用は保証される

場合が多いらしいです。


僕は下っ端の社員だったので、上のほうで起こっている
話などはあまり伝わってこなかったし、営業ではなかった
ので他社へ侘びに行く必要もなく、身の振り方の話を
しょっちゅうしていました。


部署ごと独立して、会社を立ち上げようかとか、夢のよう
な話がでてきては消え、現実路線に戻るという感じでした。


僕はといえば、28歳ですでに4社めだったのでさすがに
5社めの会社に転職するのもどうかなあ・・・という感じ
でリクナビとかを眺める毎日でした。

東京にでてきて9ヶ月ほどたって、それなりに刺激のある

生活だったこともあって、東京をでるつもりはなかったのです。



ただ、せっかくFCバルセロナと仲良くなれたのに
違う業界にいって、バルサの人達と疎遠になるのも
なんか中途半端やなあと思ってました。


自分の思いとしては、とにかくバルサと一緒に何かやりたい!
という思いが大きかったです。


それ以外は特になく、でも独立しようにもお金はないし、
会社作ったこともないし、ぺーぺー社員以外はやったこと
ないし・・・ってことで、そら無理かなあ。。と。


でも、独立するならこのタイミングしかない!!!



という確信に近い思いはあり、今自分が出来る可能性の
あることを探る日々でした。


8ヶ月ほどバルサを担当して、わかっていたことは、バルサ
にはコアファンが多く、バルサのソシオになりたい!という
人が非常に多いこと、そしてその年の8月にはプレシーズン
マッチのために日本にくることでした。


僕が漠然と描いたことは、日本でソシオを募集したら、
結構な人がソシオになるんちゃうかなということでした。


とはいっても、自分で勝手にHPを作っても、誰からも見て
もらえへんし、そもそも、おれ、HP作れへんやん!


ということで、どうしよっかなあと考える日々が続き、ふと
ひらめいたことが、あるHPとのコラボでした。


そのHPはブラウグラナ(www.blau-grana.com )というHP
で、バルサファンからは絶大な人気を誇るカリスマサイトでした。


僕は、さっそく管理人のユウさんという方にメールを書き、
事情を説明し、話がしたい旨、連絡しました。
もともと何回か告知協力とかしてもらっていたのでメール

だけですが、一応知り合いという感じでした。



すぐに返事が返ってきて、とりあえず、神戸で話をしましょうと
いうことになり、ご対面。


確か、2004年の5月ですね。


ソシオの代理店をブラウグラナをメインに展開したいという
話をしたところ、「いいですよ」とあっさり。



とはいってもどれぐらいの人がソシオになりたいとかわからない
し、当の本人があんまり自信もなかったため、リスクを避ける
目的と、バルサとの交渉をするにしてもどれぐらいの人がなりた
いといっているか数字で説明しないと権利はとれないだろうなと
思いサイト上でアンケートをすることになりました。



ふたをあけてみると本当にびっくりで、確か10日間ほどアン
ケートをしたのですが、有効回答が2000強あり、そのうち90%
ぐらいがソシオになりたい!ということで、さらに80%以上の
人が、バルサグッズをサイト上で買えればいいなあと思って
いたことでした。


そしてその数字を元に事業計画を作り、現バルサの副会長である
マークイングラに直接メールでプレゼン資料として、メールを
“送信”。


今もその事業計画書は持っているのですが、今の自分がみ

ると本当に質が低くて恥ずかしくなってしまうレベルのものです

が、大切にとってあります。 


バルセロナに送った事業計画書は、まあ、無視されればそれ

はそれで、とりあえずやれるだけのことはやったので、悔いは

ないかなあと自分の中で納得してました。




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2007-04-16 23:05:43

キャプテン翼プロジェクト

テーマ:JSV時代

2003年10月、週刊ヤングジャンプで連載されているキャプ

テン翼の大空翼君が“バルセロナ”というチームに所属して

いることに目をつけた当時の上司がある企画をあたためて

いました。


それは劇中では“バルセロナ”に所属している翼君をリアル

のFCバルセロナに完全移籍させてしまおうという企画です。


当時、バルセロナに所属していることになっていた翼君です

が、このバルセロナというチームは、実際のFCバルセロナ

ではなく、架空のチームだったのです。


当時の上司が集英社に持っていった話の内容は、架空の

チームとして連載されているバルセロナを実際のチームで

あるFCバルセロナからお墨つきをもらうこと。そして、FCバ

ルセロナとの交渉をJSVがコーディネートするということで

した。


JSVとしては、小売企業なので、翼君の肖像などを使用し

たFCバルセロナとのコラボ商品を販売したいというもので

す。


FCバルセロナとの交渉を担当したのが私でした。

最初は翼君の話をしてもわかるんかいな・・・と思ってたの

ですが、交渉は意外にとんとん拍子に進みました。


というのも、現地でもキャプテン翼が放送されていたの

です。 オリベルとベンジーという名前だったのですが・・。


最終的に、キャプテン翼の作者である高橋陽一先生を

FCバルセロナが招待し、ラポルタ会長の部屋で実際の

選手さながらに、2+8 TSUBASAと入ったユニフォーム

を渡し、握手を交わすという絵が現地でとられました。


現地では翌日のムンドデポルティーボ紙、スポルト紙の1面

にラポルタ会長との握手の写真、高橋先生が書き下ろした

翼君の絵が掲載され、その絵がラポルタ会長に寄贈されました。


日本でもヤングジャンプの巻頭カラーで紹介されると同時に

翼 x FCバルセロナコラボグッズが発売になりました。


商品が発売されたのが、確か2004年3月7日だったので、

かれこれ5ヶ月かけたプロジェクトです。


翼君がFCバルセロナにわたってからFCバルセロナのユニ

フォームをきた翼君の絵が何回か書き下ろされたのですが、

実は、ここで翼君のシューズのメーカーに関してのせめぎ

合いがあったりとバーチャルとリアルの融合としては非常に

面白い取り組みだったと思います。


この翼プロジェクトは、現地で相当話題になり、僕自身、この

プロジェクトがきっかけとなり、FCバルセロナから名前を覚えて

もらえることとなったのです。











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