人って結局、どこまでいっても
 
人と繋がりたい
 
んだなぁと、しみじみ感じてます。
 
 
 
 
 
 
だって、
 
一人が好きだと言ってても
人と関わりたくないと言っても
社会と関わりたくないニートでも
 
 
 
 
SNSやブログはやってたり
オンラインゲームをやってたり
 
するじゃないですか?
 
 
 
 
 
 
 
本当に人がキライで一人がいいんなら、
 
田舎で自給自足でもすればいいんだし。
 
 
 
 
 
 
 
本当に人と関わりたくなら
SNSもしないだろうし
 
 
 
 
 
それって結局、
 
どこかで人と繋がっていたい
 
と思ってるからやるわけで。
 
 
 
 
 
 
 
オンライン上でゲームしたり
SNSで発信したりするのって
 
誰かのリアクションを求めてるから
 
ですよね。
 
 
 
 
 
 
そう思うと、
 
どこまでいっても
いくつになっても
 
「人って寂しがりやさんだなぁ」
 
と思います。笑
 
 
 
 
 
 
 
私も以前は、人と関わりたくなかったし
社会と関わらず生きていきたいと
本気で思ってた時がありました。
 
 
 
 
 
でもそれは、
 
もう人を傷つけたくない
もう傷つきなくない
 
という想いの裏返しでもあったんです。
 
 
 
 
 
 
私も結局、人が好きだから
傷つけたり傷ついたりしたくなかった
だけだったんですね。
 
 
 
 
 
 
 
一人でいい
人と関わりたくない
 
 
と言いつつも
 
 
 
オンラインゲームしてたり
SNSやブログはしてたりする
 
 
 
天邪鬼なとこ。
 
 
 
 
 
そんな矛盾したところが見えると
人って可愛いなぁと思いませんか?
 
 
 
 
 
 
いつもピリピリしてる人も
どんなに無愛想な人でも
やたら偉そうな人も
 
 
 
 
どこか矛盾だらけで、
寂しがりやで、
不完全で。
 
 
 
誰かと繋がってたい。と思ってる。
 
 
 
 
 
 
誰かに愛されたい。
 
 
 
と思ってるんですよね。
 
 
 
 
 
 
そんな風に人を見てみると、
どんなにキライな人でも
 
 
愛おしさすら感じてきますよ。笑
 
 
 
 
 
お試しあれ♡
 
 
 
 
 
 
ちなみに私はより多くの人と繋がるために
7月にまた『感覚を磨くワーク』をします♪
 
 
 
今回は体験型ワーク、
「一緒に美術館に行こう」です!
 
 
 
アートという非言語情報を汲み取りつつ
情報空間でみんなと繋がる感じです。
 
(アヤシイ。笑)
 
 
 
 
 
✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
日時:7月22日(日)15:00〜
場所:都内 美術館
価格:5000円
✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
 
 
 
各会が少人数のため、募集開始をすると
すぐ埋まってしまうので、
 
気になる方はLINE@へお申し込みください♪
 
 
 

 

 

 

 

 






自分を好きになろう
自分を大切に



って言葉はよく見ますよね。





ここ2、3年はそうゆう発信をしている人が
かなり増えたように感じます。





そうゆう方を見ると
なんだか凄く違和感を感じるんです。笑





自己承認欲求を満たしたい人のための
ビジネス的にはいいんでしょうが。





流行なんだなぁと。








だって、どう考えても

自分は自分が一番可愛い

わけで。





つまずいたら無意識に
自分の身体をかばうものだし


物が落ちてきたら
身体は反射的によけるものです。





そうやって遺伝子的にも、

自分を守るようになってる

んですよね。






なのに、
さらに自分を大切にするって
おかしな話じゃないですか?





ちょっと、傲慢じゃないのかな?





自分を大切にするって、
他者は疎かにしていいってことでも
ありますからね。






もっと言えば、

自分が嫌い

って人は、
さらにおかしいなって思います。笑







だって、人は等しく

誰かに愛されたい

と思ってるわけで、








それなのに、

自分が嫌い。でも愛して!

は、
もっと傲慢じゃないか!
って思うんです。笑







自分を嫌いって、
その人を好きになった人に対しても
なんだか失礼なんじゃないのかな?








そうゆう人ほど
誰かに愛されたいはずのに、



自分を嫌いだから、
自分を虐める選択をする。







「私なんか愛される価値がない」
「俺なんか幸せになる資格ない」




ってね。





自分を好きになるのも
自分を嫌いになるのも



過去の延長線上の記憶や、
他者との関わりの中で生まれたもの。








自分が好きとか嫌いに囚われている時点で

自分を責めたり大切にしたりする時点で





いつまでも過去に囚われ続ける


んじゃないでしょうか。





だから、



過去と同じ選択をし続けて、
何度も過去と同じ繰り返しをしてしまう



んじゃないかな。







自分を好きになるのも嫌いになるのも
その人の勝手だし、


自分を責めるのも大切にするのも
好きにすればいいけど、






結局は、

自分が「やりたいからやってるだけ」

ということ。










要するに、何が言いたいかというと

自分が好きとか嫌いとか、










もう、どうでもいいじゃないの。











 

セッションはこちら💁‍♀️♡


阪本明日香 公式LINE@♡
「@yzy3417v」で検索も出来ます。

友だち追加




♡ LINEブログもやってます♪

♡ Facebookもやってます♪


こんばんは。


今日はネガティブ思考ポジティブ思考の話をしたいと思います。



世の中ではネガティブ思考の人はいけないとか、


ポジティブに考えたほうが良いと言われますよね。





本当にそうでしょうか??


という話です。







例えばポジティブに考えて何かに失敗した時、


その期待していた分、心のダメージは大きいです。





そのダメージさへもポジティブに考える思考を持てて
る強靭な精神の人は別として、


だいたいの人は、次の行動に移るのにかなりの時間を要してしまいます。



もしくは、ポジティブに考えないとと自分に言い聞かせて、


折れても折れても立ち上がろうとして、


ボロボロになるまで突き進んでしまう人もいます。





このような場合、


エネルギー費やした分、


折れた時の反動はポジティブの人のほうが大きいのです。






逆にネガティブな人はどうでしょうか?



ネガティブ思考の人が何かで失敗した時、


あ~またか、、と諦めていた分ダメージは少ないです。



だけど失敗が何度も続くと、


どうせ無理だ・・


と、諦め行動することをやめてしまいかねません。






どちらとも心が折れたとき、

絶望の領域に入りやすくなります。




ポジティブ思考がよくて、ネガティブ思考が悪い、とは


一概には言えないということです。




では、どういった思考がいいのでしょうか?







それは、ポジティブでもネガティブでもなく、


中間をいく。





例えば、コップに半分の水が入っているとしましょう。



これを、


水が半分も入っている!!


とポジティブに思うのか、



水が半分しかない・・


とネガティブに思うのか、です。




一見ポジティブに半分も入っていると捉えたほうが、


心の余裕があって、良さそうにも思えますが。




それが、とても暑い猛暑のときに、


まだ半分もあるからとがぶがぶと飲んでしまったら、


いざ喉が渇いたときにもう何も残っていない。。


という事態になります。


ポジティブに頭で考えていても、


事態はポジティブになるとは限らないのです。










まずは、ポジティブに見るでもなくネガティブ見るでもなく、


正しくみる。


ということが大事。









正しく見れば、半分入った水をがぶがぶ飲まず


大事に長く飲んでいたほうが、猛暑のときにも倒れずに済みますね。








ポジティブやネガティブにとらわれないで、その間をいく。




もっというと、どちらにも偏らないで


ポジティブもネガティブも両極を見ていく。






まだ半分もあるけど、でもあと半分しかないということだよな。

それなら

大事にいただこう!と。









この方が、そのひとつひとつの出来事を


感情に振り回されないで、

冷静に対処できそうですよね。









現実をしっかり、ありのままを見る。


そして、そこからどう生きたいのかは


自分で選ぶ。








しっかり両極を捉え、物事を見ていれば、


思考や感情に振り回されず、生きたい方向がわかってくる。



その都度、自分はどう生きたいのか、


見極めていくことが大切です♪



今回は最近読んでいる本の中で


とても素敵なコラムがあったので、それを元に書いていきたいと思います。



今読んでいる本は、


「ゆるんだ人からうまくいく。」という、


ルン・ルの植原紘司さんと
天才コピーライターのひすいこうたろうさんコラボの著書です。



***


友人と無人島にいったときのこと。釣りをしていると突然、土砂降りの雨が降ってきました。
ここは無人島、傘などないし、着替えもない。
もう、どうしようもない。僕はあきらめ、そのまま釣りを続行することにしたんです。

この土砂降りの雨をありのままに受け入れ、
「濡れてはいけない」という余分な思いを手放したわけです。

今日は、もう、とことん濡れよう。現実をそのまま受け入れ、心の抵抗がゼロになったら、
心も体もゆるんできて、あろうことか土砂降りの雨が楽しくなってきたのです。

閉じていたハートがスーっと開いて、意識のスペースが拡大していく感覚になりました。

すると、さっきまで鬱陶しかった雨が心地よく感じられ、楽しくなってきて、
ついには地球に対する愛おしさがあふれて、僕は釣竿を投げるとき思わず、
「地球さんありがとう!!!」と叫んでいたんです。

はい。とってもあやしいですよね(笑)
このとき、余分な力を抜くと、心は喜びたがっているんだって感じました。


愛は足し算ではなく、引き算なのかもしれません。
何かを足していくと愛になるのではなく、
自分を縛っているものを解いていくと、その先に愛がある。

土砂降りの雨を受け入れたら意識がスーっと拡大して、
自然にすべてを愛おしむ気持ちになっていました。

だから、余分なものを脱いでいくだけでいい。
着ると「人」になり、脱ぐと「神」になる。
それが僕らなんじゃないでしょうか。
服を着るのは脱ぐためだったんだ。



***




ひすいさんの書く本や、言葉はとても好きです。



久しぶりに、没頭して本を読みましたが


今回も凄く得るものがありました。



このコラムでは土砂降りにみまわれたときを例にあげていますが、


これを日々の辛いことや苦悩などに置き換えてみてください。






ストレスなどを抱えて、悩みを抱えているときって、


余分な力が入って、筋肉も緊張して、


心に余裕がなくなり、思考もぐるぐるまわってしまう。


こんな堂々巡りをしてしまう経験がないでしょうか。







雨に降られたら、それに抵抗をするのではなく、


現実を受け入れて、



余分な力を抜いてみる。





余分な服を脱いでみる。裸になってありのままを受け入れる。





そうすると、雨を鬱陶しいがっていた気持ちがほぐれ


それ自体を楽しみ、愛おしささへ湧いてくる。











辛いことと思っていたものを、


思い切って受け入れてみることによって、



それ自体が悩みでなくなる。




これこそが、本来の自分への第一歩です。








資格や実績、知識、




無意識に自分に足してきたものが


自分本来の力を縛っていることって、本当に多いんです。



なにかを足していくのではなくて、引き算をしていく。









よく自信がないという相談をされますが、


みんな自信なんてないんです。



そもそも自信というものはつけるものではありません。





なにもかもをなくして、手放して


裸になったとき。



そんななんの価値もない自分を、そのまま受け入れた先に


凛とした芯のようなものがあるのが見えてきます。


それを自信と言うのかもしれません。








頑張りすぎて、自分に疲れて、自信をなくしている人へ。





まずは力を抜いて、


心と体をゆるめてみてください♪