悪の教典 上/貴志 祐介

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☆☆☆☆
本作の書評は不満が多くなりそうなので、まず最初にお断りしておきます。
5つ星満点で4つ星をつけていることからもわかっていただけると思いますが、本作は非常によく出来た物語であり、私自身非常に楽しめました。
複線の消化、(高校を舞台にしたことで)異常に多い登場人物をわかりやすく、しかししっかりと使いきれている点、山場のもっていきかたなど、どれをとっても並みの小説よりは評価の高い作品です。
ただし、「これまでの貴志作品と比較した場合どうか?」というのがこれkらの書評の中心テーマであり、またやや酷評気味になる理由でもあります。

さてここからが書評です。
本作は教師のサイコパスものであると周知されていたのでそのつもりで読み出したのですが、実際に読み始めると「どこに連れて行かれるのかわからない」という感想を持ちました。
実際上巻の中盤までは主人公である蓮実聖司に違和感は持たされるものの、一方で生徒への愛情を感じさせる描写も多く、彼が本当にサイコパスであるかどうかが読み手には確信がもてないのです。また蓮実が勤務する晨光学院町には蓮実同様、不審な教員が何人かおり彼らこそがサイコパスである可能性もにおわされています。更に生徒の中にも不気味な存在がいたりして、それが冒頭に書いた作品の行き先が掴めない、という感覚に繋がります。

ところが中盤以降に入るといよいよというか案の定、蓮実聖司が本性を現し始め色々とやりはじめるわけです。一方で生徒側や同僚の教員の中では蓮実聖司を怪しむ人間もいたりして、そのあたりの心理合戦や、ミステリーサスペンスにありがちな「クビを突っ込み始めたがゆえに無残な死体に…」という展開を連想させられてハラハラするわけです。

上巻はこのようなテンポで進み蓮実自身も犯罪に手を染めながらもあからさまなことはせずに、緊張感と多数の謎をはらんだまま終了します。
上巻までは『新世界より』を彷彿とさせる展開で後半に期待がかかるわけですが、これが下巻に入ると物語的には急加速するもののプロットの巧妙さは消えうせます。これは読まれた方誰もがもたれる感想だと思うのですが、丸っきりバトルロワイアルになってしまうんですね。しかもそれがいくつかの殺人を隠すための手法なのですが、「生徒を皆殺しにすることが隠蔽工作になる」という穴だらけの論理なんです。
作中の蓮実の台詞に「私は障害にぶち当たったときに殺人という選択肢がある」という趣旨のことを語るわけですが、勿論それはアリバイ工作が可能な場合という前提条件がつくはずなわけです。人が1人死ねば相当な捜査が行われますし、バレた場合のリスクは相当大きいわけですから。しかしこの作品後半の蓮実の行動を見ていくと単に「障害になる人物があらわれたら殺しちゃえばいいじゃん」というロジックで動いているようにしか見えません。単に危険な人物として描いたのあればそれでも構わないのですが、頭の切れる人物として描いているので物語に説得力を欠いています。
そんなわけで、4つ星ですが冒頭に書いたように貴志さんの平均作品レベルが高いからこそ出る不満であって普通に読めば十分に楽しめる作品です。

ここからはネタバレありで更に物語に言及した形での批判が続きますので興味のない方、ネタバレは避けたい方はおやめください。


1、怖くない
『黒い家』『クリムゾンの迷宮』などには異常なまでの緊迫感と恐ろしさがありました。率直に言って読み始めたのを後悔したくなるくらいの恐ろしさでしたが、本作にはそれがありません。理由は2つ
・生徒皆殺しという発想にあまりにリアリティーがなく、他人事として読めてしまう
・蓮実サイド、生徒サイド両者から描いているために追われる恐怖や、追う側の切迫感などが追体験しづらい

2、物語の起伏がない
蓮実を主役として描いた場合、結果的に蓮実は誰にも負けなかったとしても読み手をはらはらさせる展開は必要だったと思います。実際そういった展開にもっていけるキャラクターは何人かいたわけですから。具体的には
・蓮実の過去の事件や盗聴器など最も真相に近づいた早水
・蓮実をして駒ではなく対抗する差し手であると言わしめた釣井
・他者を利用し自身のみは生き延びようとしてある程度はそれを成功に収めた度会
・警察という立場で蓮実の人間性に気づいた下鶴
ところが彼らはみな蓮実とのレベルの違いを示すために登場したキャラのようであっさりと殺されたり裏をかかれたりしていきました。何人かはそれで良かったと思うのですがせめて1人くらいはもう少しせっても良かったんではないかと思います。
これも視点と書き方の問題ですが、蓮実視点のみでかかれた場合には読者には罠にはまりかけたように見えた蓮見が、同じ視点で見ていたはずの読者にすら気づかれずに相手をやりこめる描写なんかがあると盛り上がったと思うですよね。しかもうまい具合に複線なんかを使うと「あれがつながるのか!」というカタルシスもあるし。

3、蓮実の能力に疑問が残る
これはいちいち列挙はしませんがそこは殺しをしない方が合理的な判断では?と思われるパートが多過ぎます。蓮実は快楽殺人者ではなく、合理的な選択肢として殺人を選んでいるはずなのでこれは致命的です。(ちっとも合理的じゃない!)
またバトロワパートですが、いくら携帯が使えないとはいえあの人数を朝までに1人も残さず殺すことが出来ると考えるのはいくらなんでも無理があると思われます。「隠れる場所がない」という趣旨のことを語っていましたがトイレからロッカーからベランダから使いまわして20人に隠れられたら厳しいでしょうし、どこかの階で銃声がなっている間に階段を一気に降りることもできるでしょう。また何かの作業中にロープや緊急避難用の滑り台で複数に降りられバラバラに逃げられたらどうするのか?といった問題もあります。度会は窓の装置のことに気づいていたようなので片っ端から割るなり開けるなりすればその装置も無効化でき、ほとぼりが冷めた頃に下りるという手も使えます。そもそも蓮実自身が「散り散りに逃げられたら全員は殺せないだろう」といっているわけですから。パニックになれば散り散りに逃げる可能性だってないわけじゃないでしょう。いきあたりばったりの快楽殺人者にしか見えません。
またラストで「殺人は神の声」のためといった趣旨のことをかたり心神喪失を装うとして周りが感心している節がありましたが、安原を自殺に見せかけて殺すために筆跡を真似た遺書まで書いているので計画殺人の証拠がばっちりです。

正直貴志さんの大長編としては期待していたレベルではありませんでした。残念。何でも年内に『ダーク・ゾーン』という長編を出版予定らしいのでそれに期待かな?