死ねばいいのに/京極 夏彦

¥1,785
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☆☆☆☆
死んだ女のことを教えてくれないか―。無礼な男が突然現われ、私に尋ねる。私は一体、彼女の何を知っていたというのだろう。問いかけられた言葉に、暴かれる嘘、晒け出される業、浮かび上がる剥き出しの真実…。人は何のために生きるのか。この世に不思議なことなど何もない。ただ一つあるとすれば、それは―。(amazonより)

あらすじだけ読みますと若干ミステリー的な色合いが見え隠れしますが、実際にはミステリーではありません。

ある死んだ女性の知人を名乗る男がその女性の周辺人物たちに、その女性はどんな人物であったかと聞いて回るストーリーです。構造的には連作短編の体がとられており、1編につき女性の周辺人物が1人ずつ登場します。
詳細には書きませんが、死んだ女性は非常に不幸な人生を辿ってきたのですが、ある男がその周辺人物たちにヒアリングをすると彼らは自らの不幸を語ります。
聞き込みをする男性側は当初のその話を聞いているのですが、章終盤になると彼らの不幸話を論破し、不幸だと思っているのはその人物の精神状態が原因なのではないか?といった趣旨のことをかなりきつめに語ります。そうして責め立てられ、生き場のなくなったような気持ちになった人物たちですが、最後にはまた男によってある種の救いを得られていきます。

ここからが書評ですが、これは精神医療や自己啓発セミナーの手口に近いのかなぁと思います。攻撃的に責め立てられ自身を守る防波堤がなくなった後に、今度は救いを与えられることで、元の不幸を相対化しある種、洗脳的に救済されるというやり口からそんな印象を受けました。
また価値観を相対化させて対象者の重荷を軽くするというシステム自体は京極堂の憑き物落としと似通ったパターンである気もします。

結局のところ聞き込みをするケンヤ自身や死んだアサミそのものには人物としてはそれほど意味がなく、バックボーンや人格がない神話的宗教的存在で、物語の要はやりとりそのものである、という一風変わった作品でもあります。