完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫)/柳澤 健

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☆☆☆☆
猪木はリングに寝て、アリは立つ。1976年の異種格闘技戦を当時のマスメディアは「世紀の大凡戦」とこきおろした。が、21世紀に生きる私たちは、現在の総合格闘技の試合の流れのなかでごく普通にそうした状態を見ることができる。打撃系の選手と組み技系の選手が戦う必然として―。1976年に猪木が戦った異常とも言える四つの試合。世界各地に試合の当事者を訪ね歩くことで見えた猪木の開けた「巨大なパンドラの箱」。 (amazon)

1976年にプロレスラーアントニオ猪木が行った3試合のリアルファイトにスポット当てて、アントニオ猪木及び、日本の世界のプロレスを語った1冊です。タイトルからは猪木について書かれた本を想像されると思うのですが、章ごと猪木に関わった人、例えばアリやウィリアム・ルスカにスポットライトが当てられており、彼らの人生をかなり遡ったところから話はスタートし、猪木戦を描いたところで章が終わります。

完全な猪木本を期待された方は拍子抜けするかもしれませんが、私的にはこのアプローチは中々良かったと思います。というのもスポットを当てた人物を非常に効果的な手法を利用して描いているために、それぞれの人物が魅力的(必ずしも良い意味で、ではありませんが)に映り人生を追ってみたくなるのです。具体的には1人1人にテーマを設定し、そのテーマの枠の中で描いているのです。例えばウィリアム・ルスカであれば、柔道金メダリストで後にプロレスラーとして転向したという点まで共通するヘーシンク、全く同じ道を歩んだにも関わらず社会的評価も手に入れた金銭にも大きな差がある彼に対し「憧憬」と「憎悪」を持ち続けたわけです。作者が描くルスカはその一方から当てられたカメラの中のみで生きていきます。勿論、現実的には1人の人間を語るのに、ある1つの事象だけ持ち出すのはフェアとは言えませんし、正しくもないでしょう。しかしノンフィクションというジャンルは非常に強迫的で一面的であることから逃れられないのです。当然、多くの人間から情報をとり、情報の正確性や公平性を担保するのは当然の義務です。しかしそれでも、冷淡で正確な論文とノンフィクションは本質的に相容れないものだろうと思います。そういった点を考慮した場合、多くを語ろうとしすぎず物語を描いた本作品は評価に値するだろうと思ったわけです。こういった作者のスタンス自体が非常にプロレス的であることも今作のテーマに合致していますしね。

さて全編通して非常に面白く読まさせてもらった本作ですが満点に星1つ足らないのは、上記で語ったことが最も語られなくてはならない猪木に対してのみ出来ていないからです。アントニオ猪木を書いたはずの本なのに、褒めたり貶したりしているポイントがところどころ出てくるだけであって最終的に作者は彼をどう評価したのかが見えませんし、読者もルスカに対しては「こんな奴だよ」という人物像が浮かんでも、猪木に対しては結局どんな人間だか分からないし、評価もしがたいです。その割には部分部分で、猪木になり変ったように彼の心を吐露するような文章もあったりして、はっきり言ってよく分かりません。
またテクニカルな部分においても数ページ前で言ったことと趣旨が違うようなことが書かれている文章もあったりして若干気になりました。例えば全てのプロレスは勝敗の決まっているショーだということを一貫して書いている割には、「○○はどこでも連戦連勝で…」のようにあたかもリアルファイトを評価するような記述があったり、当時プロレスをリアルファイトだという前提の元に語った人物評が記載されていたりと、全体として混乱しているような点が目につきました。勝敗の話に関しては、あるいは「そういったマッチメイクをしてもらえる人気レスラーだったんだよ。すごい人気でしょ?」ということが書きたかったのかもしれませんし、記事の転載に関しても当時の熱を伝えたかったのかもしれません。実際そういった説明があった個所もありましたし。しかしそれにしても説明不足ですし、そういった意味だとは受け取れない文脈で登場したりもしています。

なんだかんだ書きましたが、主要なテーマが描けていないにも関わらず星は4つでかなり楽しめました。本書はプロレスの内情を当時の関係者などの証言を交えながら描いた作品ですので、ある種の暴露本的な意味合いを持っています。しかし、本書は単なる暴露本には収まらない非常に熱のあるスポーツノンフィクションだと評価できます。正直プロレスや総合格闘技に一切興味が持てない方には少々厳しいかと思いますが、総合格闘技は大好き、プロレスは1年ほど見ていた時期がある、という程度の私でも十分楽しめましたのでプロレスファン以外の方にもお勧めです。そうそうアリ―猪木戦に現WWEのビンス・マクマホンなんかが関わっていたことを今更知ってびっくりしました。

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