こんにちは。


なんかイライラしている。


一人でアレコレ考えてたらイライラし始めたので

その思いのたけをブログにぶつけちゃおうかしら・・・・・・


戦後教育のあの大戦の捉え方は徹底的に日本人を「被害者」と「加害者」にすることだった。

子供たちはそれを教わり、「被害者」ではない自分の存在に安心する。

「加害者」であった自分の祖父達を蔑む。



自分じゃなくて良かったと心から思う。



そして「平和」の大切さを学び「被害者」や「加害者」になりたくないと思う。

命が大事」と教わり、命が人生の目的になる。



「命至上主義」(沖縄で言ったら「命どぅ宝」)

精神は、そこからの発展は無い。

そしてその恐怖心を隠すように

目の前の戦争に結び付くようなこと全てを否定する。

(しかも国歌とか国旗とかもその対象。むちゃくちゃだ!)



しかし真の教育はそうではないと僕は思う。



命は本来、目的ではない。

その命を使ってどう生きるか、その命で何を成し遂げるか

、つまり命は「手段」なのだ。

その命は掛け替えのないものであることに全く異論はないが。

命が一番大事で目的になるなら

誰かの命を守る為に命を張らなきゃいけない場合どうするんだ?



例えば、妻と子供が襲われてる時に「命が大事」だから逃げ出すのが正解なのか?


女が欲しいのは常に安心、だと思う。

安心を与えることが、男のステータスなのだ。


結局「命が大切」な「命主義」は、自分が可愛くなり、利己主義がはびこり、

わがままで協調性のない個人が出来上がるだけな気がする。





そしてそういう男が実際、めちゃくちゃ増えている気がする。



この場合、被害者、不幸になるのは

世界で一番美しいと言われている日本女性だ。



頼りがいのある男が近くにいない。

これが女性にとってどれだけ不幸なことか。

そりゃ、少子化になるわ。



戦後教育の命至上主義、平和至上主義は男の魅力を削り

不幸な女性を増やしてしまった。



(再び)そりゃ、少子化になるよ。



自分の良心に何も跳ね返ってこないのは真の平和教育とは言えないと思う。



その人たちが犠牲になったから今の自分がいることを教えるべきだし

その人の為に一生懸命生きなくてはいけないと思うようにしなくてはいけないのではないか?

自分が犠牲になった時に、よりよい社会が生まれるのを信じるように。





自己犠牲の精神を学ばすべきだと思う。




もちろん、常に死んだ方がまし、という極論ではないので誤解しないでほしい。



政治家の汚職事件も拝金主義も民の為に働くという

自己犠牲の精神がもうちょいつけばもっと良い社会になるんじゃないか?

(というか政治家の汚職系の罪は権力を行使した最低の行為だから

もう私財没収とか社会主義並みの罰を与えるべきだと思う)



よく聞く反論が

「行きすぎた自己犠牲は戦争を呼ぶ!!!」


じゃああの時、ソ連とアメリカに日本を断裂されていれば良かったわけだな。

戦争の原因が自己犠牲の精神だったら、伝統や文化や国土を守ろうとするのは全てNOになりますが?



もういい加減、戦後教育の歪んだ洗脳から解き放たれようぜ。


HOT DOG プレスにはこんなこと書いてなかったなぁ・

モテる秘訣とか色々載ってたけど、ほとんど役にたってないや。


男の魅力を取り戻せ!





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